17.5「芽生えた気持ち」
煌めく星々が夜空で輝き、チカチカとまばゆい光を放っている。秋の夜は静かで、そしてとても穏やかだ。夜道を進む馬車についたカンテラのオレンジの光がやけに温かく感じられる。ふと、自分の隣で眠る少女を見やれば、軽い寝息をたててすやすやと気持ちよさそうに眠っている。透き通るような水色のウェーブのかかった髪が、馬車の振動に合わせてふわふわと揺れていた。そんな彼女の幸せそうな寝顔を見て優しげな笑みを浮かべてから、アステリオはふぅっと息を吐きだした。…本当に、今日は色々なことがあった。
パーティー会場に到着した時から、周囲の視線がなんとなく自分へ向いていることには当然気がついていた。無論、その視線がどういう意味を持っているかということも。こちらの顔を見るなりギョッとしたような顔をして口元を華美な扇子で隠し、眉間にしわを寄せて明らかに怪訝そうな顔をする貴族の夫人たち。ひそひそと交わされる言葉は聞こえずとも、おのずとこの瞳のことを言っているのだろうということは嫌でも分かる。
「あの血のような赤の瞳…まるで悪魔の瞳のようね」
ふと、すれ違った夫人の1人が呟いた言葉が耳に入った。…ほら、すぐにこれだ。アステリオはシャルロットの後ろを歩きながら、そんな大人たちを横目に、その端正な顔を僅かに歪めた。そんな言葉をかけられることには慣れているし、今更その程度の事で動揺したりはしない。事実、左右の瞳の色が違うということはかなり異質なことだ。アステリオ自身も、このような目を持つ者と出会ったことは今の一度もなかった。
彼とて、以前はこの瞳のことが嫌で仕方がなかった。生まれてからこの方、この目にどれほど苦しめられてきたことか。産声を上げた瞬間から、悪夢のような日々は続いたのだ。親に愛された経験もなければ、優しい言葉をかけられた記憶もない。奴隷まがいの扱いを受け、いつしか自分の存在価値自体を考えることもなくなって。自分の心の中がどんどん壊死して空っぽになっていくみたいだった。…それでも仕方がないと思っていた。人生に諦め、もうどうにでもなればいい。どこか他人事のようにそんなことを思っていた。
だが、今は違う。
「わたし、貴方の瞳の色、とても好きよ」
そう言ってくれた人がいる。だから、今は生きたいと思えるのだ。守りたい、傍にいたいと思える人が出来た。一生涯をかけてでも守りたいと思える存在が。決しておしとやかな人ではないし、むしろその逆だ。突拍子のないことを言って周囲を驚かせたり、作業服で炎天下のもと庭の手入れにいそしんだり、ミミズを見て歓声をあげるような、ちょっと…いや、かなり変わった少女だ。だが彼女の行動にも彼女の言葉にも、一切の嘘がない。いつもまっすぐで曇りがない。常に全力で、だからこそ上手くいかずに落ち込んだり、そして嬉しかった時には太陽のごとく、美しい笑顔で笑うのだ。
憎らしくて仕方がなかったこの目も、シャルロットが好きだと言ってくれるのなら、それだけで救われた。世界中の全員に罵詈雑言を言われようと、侮蔑の言葉をぶつけられようと構わない。彼女が好きだと言ってくれたこの瞳を隠す必要はない。だから彼は少しの躊躇はあったものの、それを振り切ってこの場に同行したのだ。
「それにしても、あのような薄気味悪い子を執事として連れているなんて…ランヴィア家のご息女は、かなりの変わり者のようですわね。」
背後から聞こえた声に、今まで無反応を貫いていたアステリオの瞳が鋭い光を放った。特に何をした訳でもない。ただ、振り返っただけだ。…ただし、その眼光には恐ろしいほどの殺気を込めて。
自分のことはいくら侮辱されても構わない。だが彼女を傷つけることだけは許さない。夫人たちは蛇に睨まれた蛙のように身動きすら取れず、小さく悲鳴を上げて一歩後ずさった。いくら綺麗に着飾って身なりを美しくしようが、いくら絶世の美女と言われる女性であろうが、それがなんだ。心の汚れた者たちに、純真無垢なあの少女のことを馬鹿にされることだけは我慢がならなかった。―…アステリオが口を開きかけたその瞬間。
ぎゅむっ。
「アステリオ、怖い顔をしてどうしたの?」
いつの間にか隣に来ていたシャルロットが、その小さな手でアステリオの両頬を包み込むようにして自分のほうを向かせたのだ。彼女はきょとんとした顔をして小首を傾げてみせる。突然至近距離にシャルロットの顔があったものだから、当然アステリオもかなり驚いた。つい先程まで睨みつけていた鋭い眼光はどこへやら、今は顔を赤くしてアタフタとうろたえている。
「ッ、…シャ、ル、様!?」
「ふふ、そんなに怖い顔をしては駄目よ。威嚇する表情もまた違った一面で素敵なのかもしれないけれど…何を隠そう、貴方には笑顔が一番似合うんだもの!わたしはそのことを十分知っているのよ。だからどうか笑っていてちょうだい、アステリオ」
彼女はまるで幼子をあやす親のように優しい笑顔でそう言うと、両頬に添えた手で数回ソッと撫でた。小さな手のひらから伝わる柔らかな体温と優しい声色に、少なからず少年は動揺した。胸の奥がキュッと、締め付けられたような不思議な感覚。それきり何も言えないでいると、やがてシャルロットは満足そうに笑ってアステリオの前に立つ夫人たちを振り返って、優雅に一礼してみせた。
「ごきげんよう、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ランヴィア家の長女シャルロットと申します。彼はわたしの執事のアステリオ。真面目で優しく穏やかで、思いやりのある優秀な執事です。わたしには勿体ないほどに」
そこで一旦言葉を切ると、シャルロットはアステリオの方を少しばかり振り返って、そしてにっこりとほほ笑みを携えてまた夫人たちを向き直った。
「それから―…笑顔のとても素敵な、大切な友人でもあります。彼はわたしの自慢の執事ですわ」
…ああ。この人はなんて。
なんて綺麗な笑顔をするんだろうか。なんて誇り高く美しい人だろうか。
シャルロットは自分の顔のことをよく「悪役面」などとぼやいているが、アステリオはそんなことを思ったことはない。彼女は決して悪役面なのではない。彼女は意志の強い瞳なだけだ。そこのどこを卑下する必要があるだろうか。見た目の美しさだけじゃない。心の美しさが、彼女の笑顔全てに表れているのだということを改めて思い知らされた気持ちだ。
白い歯を見せて屈託ない笑顔を見せるこの不思議な令嬢を前に、女性たちは終始驚きを隠せない様子で、口元を扇子で隠してはいるものの目が見開かれている。完全に面喰っている。それだけ言い終えるとシャルロットは再び優雅に一礼して、いまだ呆気にとられたままの夫人たちをよそに、アステリオの手を取りその場を去っていく。歩きながら「それにしてもお腹が空いてきたわね」、だなんて、またしても公爵家のご令嬢とは思えない台詞をぼやいていた。小さく名を呼ぶと彼女は僅かに振り返って、そしてもう一度、悪戯っぽく笑った。
(…なんだろう、この気持ちは)
もう一度、キュ、と胸が締め付けられて気がした。胸の中に芽生えたこの不思議な気持ちが何なのかを、まだ幼い少年が自覚するのはもう少し先のお話。
***
今日の出来事を思い出していると、自然と口元に笑みがこぼれる。無意識に笑ってしまった後で、ここが馬車の中であること、そしてジュリアも一緒に乗っていることを思い出した。慌てて顔を上げるが、どうやらジュリアも眠ってしまっていたらしい。ホッと胸を撫で下ろす。…しかし、起きている時はあまり思わないのだが、やはり親子なのだなと思う。2人とも寝顔がよく似ている。
思わず頬が緩んだその瞬間、突然ガタン、と馬車が揺れた。
それに伴い眠っていたシャルロットの頭が調度アステリオの肩のほうに凭れた。…逆方向に体が傾かなくて良かった。でなければ、危うく眠っているシャルロットは思い切り窓に頭を強打するところだった。安堵の息を漏らした所で、ふと、フワリといい香りがした。肩越しに伝わる体温は温かく、規則正しい寝息が小さく聞こえる。長い睫毛にぷっくりとした唇。……何だか、見てはいけないものを見ている気がする…。アステリオは慌てて目を逸らすと、赤くなった顔と急上昇した心拍数を悟られないように窓の外を眺めた。
見上げた夜空の色があの第三王子の髪色を思い出してしまい、少しばかり心の中がざわつく。今までこんな感情を抱いたことはなかったはずなのだが…。具体的に何が、とは言えないが、とにかく胸の中がざわつくのだ。とりわけ彼がシャルロットと話している時なんて、いてもたってもいられなくなってしまう。焦燥感というか…とにかく、形容しがたい。
「うーん…もう食べられないわよぅ…」
これは肩越しのシャルロットの寝言だ。
彼女は一体どんな夢を見ているのだろう。寝言から考えるに、おそらくは美味しい食べ物に囲まれている夢だろう。穏やかな笑みを浮かべ、アステリオは眠る彼女の頭をソッと撫でた。初秋の夜は、静かに更けて行く…。
今回は閑話的なお話です。パーティーが始まる前にこんなやり取りもあったりしたのでした。
余談ですが恋心を自覚する前のモダモダする感じが、わたしは大好きなのです…美味しい。←
そういえば人物紹介にアステリオのイメージイラストを載せてみました。
残念クオリティですがもしよろしければ覗いてみて下さい。
お知らせとしてはプロフにtwitterのリンクを貼ってみました。
好きなことを好きなだけ垂れ流している趣味垢ですが、本編小ネタや落書きなどあげていったりしようと思っていますので、もし興味がありましたらお気軽にフォロー下さい^^
その他、雑談等は活動報告にて…。こちらも宜しければお付き合い下さいませ~。
それでは、次回更新をおたのしみに!