18
「やぁ、君がアドルフ君だね。こんにちは、初めまして、になるのかな。わたしが当主のヘンリー・ランヴィア。こっちは妻のジュリアだよ。今日からここが君の家だ。ようこそ、ランヴィア家へ」
初めて屋敷に来た時に感じたこと。
ここに来ることが出来た僕は幸せ者なのだなと、心から思った。
「ふふ、初めまして。そんなに緊張しなくても大丈夫よ~」
聡明で気高い公爵に、美しく穏やかな夫人。2人の間に座って初めて写真を撮った日のことを、今でも鮮明に覚えている。両肩に置かれた2人の手は温かくて、あぁ僕はここにいてもいいんだ、僕を必要としてくれているんだ。そう思うと、それだけで嬉しかった。だからその期待に応えるために人一倍努力もした。2人の笑顔を見ることが出来るのなら、と。この家に恥じない人間になるために、と。
………でもそんなある日、僕は聞いてしまったんだ。
「おめでとうございます、奥様。ご懐妊ですよ…!」
あの子が、生まれてくることを。
***
「よっこらせ…っと!」
雑草をむしりとって額に流れる汗を拭う。気持ちのいい秋晴れの空のもと、ランヴィア家のご令嬢シャルロット・ランヴィアは今日も元気に庭いじりに勤しんでいた。ヒューバートの生誕パーティーから早二週間が過ぎた。最近はめっきり秋らしくなり、薔薇の開花もあと少しといったところ。こちらとしてはあまり寒くなりすぎないうちにお茶会をしたいものだが、肝心の薔薇が咲かないのでは意味がない。パウロの話ではあと数日待てば、その可憐な花を咲かせることだろうとのこと。ここはグッと我慢だ…。むしり取った雑草を一輪車の中に投げいれながら、わたしはそんなことを考えていた。
「シャル様、そろそろ休憩にしましょうか」
「ええ、そうね。調度小腹も空いてきたわ」
ふと、少し離れた花壇で花植えの作業をしていたアステリオがやってきて声をかけてくれた。朝から作業をしていたので喉も乾いたし、お腹もすいている。待ってましたと言わんばかりに顔を綻ばせて、わたしも立ちあがった。
「ん~~~…最高に美味しい…!」
今日のおやつはバナナのオムレットと最近お父様が隣国から取り寄せたらしい茶葉を使った紅茶。アマンダ特製のバナナオムレットをあむっと豪快に口に含む。ふわっとした生地で包まれた完熟バナナと口当たりの優しいホイップクリームが絶妙で、口にした瞬間あまりの美味しさに顔がにやけてしまうほどだ。有名ホテルのパティシエが作ったんじゃないかってぐらい、アマンダの作るお菓子は美味しい。
にんまり笑顔で今度は紅茶をひとくち。うん、これがまたね、凄く美味しいのよ…!ちなみにこちらの紅茶のほうは毎回アステリオが準備をしてくれている。彼自身も作業の合間を縫って準備してくれているので、手間をかけさせてしまっていることは無論分かっているのだが、アステリオの入れてくれる紅茶がいつも香り高くて美味しいものだから、わたしもついつい甘えてしまっている。
「はぁぁ…幸せってこういうことを言うんだと思うわ…」
「やだねぇ、大袈裟すぎますよシャルロットお嬢様ったら」
温かい紅茶の入ったカップを両手で抱えてホッと息をつきながら発したわたしの言葉に、アマンダは苦笑いを浮かべる。いや、でも本当にそう思うのよ。美味しいお菓子と美味しい紅茶があれば世界を救えると思うもの…割と本気で。パクッと、もうひとくちオムレットを口に入れた。んん…労働した後のおやつってどうしてこうも身に染みるのかしらねぇ。むぐむぐと口を動かして恍惚の表情を浮かべるわたしの隣に腰掛けていたアステリオも、こちらを横目で見ながら顔を綻ばせていた。
「あぁ、そういえば…風の噂で聞いたんですけど…。ヒューバート様の婚約者の件、お嬢様もお聞きになりましたか?」
あっという間に空になったわたしの目の前に置いてある皿を片づけながら、アマンダが思い出したように声をあげた。まだ噛んでいる途中なので口を開くことが出来ない(正確に言えば出来るけれど、はしたないとお母様に怒られてしまうのでしない)ので、咀嚼しながらうんうん、ととりあえず首を縦に振っておく。ヒューバート生誕パーティーの日、確かにエドモンド卿は彼の婚約者を決めようと意気込んでいたはずだった。しかし、結局は相手を決めることはしなかったらしいのだ。詳しい経緯は分からないが、どうもヒューバートがエドモンドの意見を突っぱねたらしい。
「うーん…ヒューバート様にはヒューバート様なりの考えがあったんだと思うわ」
口の周りについた生クリームをナプキンで拭きながら答える。実際、あの時のヒューバートは何かしら強い決意を持った様子だったし、ただの我儘で卿の意見を聞かなかったわけではないのだろう。勿論、シャルロットも詳しい経緯などは知らないのだが、パーティーから一週間後に彼から「今はまだ婚約については考えていない」とハッキリ書かれた直筆の手紙を貰っている。ただ、その後に続く「いずれは俺が直接お前に、」という文字が乱暴に消されていたようなのだが、これが果たして何をわたしに伝えようとしたのかは不明なままだ。きっと、もし素敵な婚約者が見つかったらその時はわたしに直接教えてあげるぞってことなんだと思うけど。別に直接教えて貰う必要はないと思うんだけど…なんて考えながら、わたしは残った紅茶を飲みほした。
「お嬢様も残念でしたね。奥様が意気揚々と婚約者候補に、と考えていたようですのに…」
「わたしは別にいいのよ。…というか、結婚とかまだ考えたくないもの。それにね、パーティーに行って心底思ったわ。わたしは煌びやかな社交界にいるよりも、こういう庭いじりをしているほうが楽しいってね」
「はっはっはっ、そいつは奥様が聞いたら卒倒しそうな発言だなぁ」
残念そうなアマンダにわたしがあっけらかんと言い放つと、パウロがその隣で笑った。確かにこんな発言をお母様が聞いたら酷く心配されてしまうそうではある。でも仕方がないじゃないか。これが今のわたしの本音なのだから。唇をとがらせていると、隣に座っていたアステリオがティーカップを両手で包む込みように持ってその中身をジッと見つめながらポツリと呟いた。
「…………ですが僕はそのほうが嬉しいです」
「「「えっ」」」
予想外の発言に、わたしとアマンダとパウロの声が見事にハモった。その声で我に返ったのか、アステリオは耳まで真っ赤にして慌てて立ちあがる。
「あっ!?い、いえあの…!決してシャル様が結婚しなければいいとかそういうことでは…!ただ、あの、今は、その、すぐに…いなくなってしまうのは…嫌、だ、な…という…意味で…」
「……ふ、ふふふっ」
必死になって取り繕う言葉を探すアステリオの姿が可愛くて、わたしは思わず笑ってしまった。そんな風に思って貰えているなんて素直に嬉しい。彼との主人と奴隷のような関係からなんとか変わりたくて今までがむしゃらに、時に強引すぎるほどに行動してきてしまったけれど、そんな風に思っていて貰えているとは。…なんと嬉しいことか。胸の奥がほっこりする。わたしは狼狽するアステリオの頬に右手をのばしてソッと触れてから、笑みを零した。
「ありがとうアステリオ。とっても嬉しいわ」
目を丸くしたまま微動だに出来ずにいる彼に笑いかける。―…と、同時に、少年の心拍数はこれでもかと言わんばかりに跳ね上がった。ただでさえ顔が赤くなっているというのに、自分でも顔に熱が集中していくのが分かるくらいに。
「……ッ、あ…シャ、シャルさ…」
「だって…わたしたち、とってもいいお友達でもあるものね!大丈夫よ、心配しなくてもわたしたちはズッ友よ!!!」
瞬間、何故だか分からないけれど空気が凍った気がした。目の前のアステリオは口を開けたまま硬直して動かない。………えっ、わたし何か変なこと言った?助けを求めるようにアマンダとパウロの方を見てみれば、2人ともわたしの視線から逃げるようにバッと顔をそむけて顔を手で隠して震えている。そんなに感動的なことでも言っちゃったのかしら、わたし…。震えるほどだなんて…。
「やだ、泣かないで2人とも。わたしアステリオのこと大切だもの。当然のことを言ったまでなのよ!いくら感動したからって何も泣かないで頂戴…」
わたしがポンっと肩に手を置けば、アマンダは肩を大きく震わせ、そしてまだ震えたまま顔をそむけて素早くうんうんと縦に首を振った。
「じゃあわたしはおやつも食べ終わったから先に作業に戻っているわね。ごちそうさま!とっても美味しかったわ」
何だかめちゃくちゃアマンダとパウロが感動してしまっているみたいなので、今はソッとしておくことにしよう。わたしは置きっぱなしになっていた帽子をヒョイ、と手に取ってそのまま足早に庭のほうへ向かった。
一方。
「ぷっ…ぷぷっ…!ひ、酷い話だわね、アステリオ…」
「まぁ…超がつくほど鈍感なお嬢様だからな…。めげるんじゃねぇぞ」
2人はようやく顔をあげるとそれぞれ口ぐちにそんなことを言ってアステリオの肩を叩く。彼女が立ち去るまで必死に堪えていたのだろう。2人の顔は堪え切れない笑いを通り越して、もはや変顔になってしまっている。アステリオは顔をひきつらせてから肩を落とし、そして海の底のような深い深い、ため息を吐きだしたのだった。
***
ふと、薄明かりがついていることに気がついた青年は、ベッドから半身を起こすと薄眼を開けてデスクに座る男のほうを見やった。男は何やら机に向かって書いている様子だ。カリカリと万年筆が木製の机上を滑る音だけが室内に響く。時計を見れば、真夜中の2時。明日も通常通りに授業があるというのに、こんな時間まで起きているとは。
「おい、もう2時になっているぞ」
怪訝そうに眉をひそめて机の前に座っている男に声をかけるものの、返事はない。一心不乱に筆を走らせているせいか、気付いていないのだろう。彼は大層優秀な男だが、一方で熱中しすぎると周りが見えなくなる傾向がある。青年は深々と溜息を吐きだすと、もう一度男に声をかける。
「聞こえているのか。もう夜も遅い。お前もそろそろ寝ろ」
先程よりも口調を強めたので、今度は気がついたようだ。男は筆を走らせる手を止めると、ゆっくりとこちらを振り返った。絹のような艶のある銀色の髪がサラリ、と揺れる。
「あぁ…すまない、起こしてしまったかい?」
声の主は申し訳なさそうに呟いた。
「いや、別にお前のせいで起きた訳じゃない…ただ、もう遅い。明日も早くから講義が入っているだろう。そろそろ寝たらどうだ。試験も近いんだぞ」
「あぁ、うん、そうだね……あれ、本当だ。もうこんな時間になってたんだ」
青年は時計を見るなり今気付いたと言わんばかりの表情を浮かべる。反応を見るに、嘘をついているワケではなさそうだ。苦笑いをして頭をかいている。ふと彼の手元を何気なく見てみれば、大量の文が重なっていた。
「手紙を書いていたのか」
「うん。妹にね」
妹、と言って彼は心底嬉しそうに笑った。恋人だとでも言われればまぁ多少は納得がいくが、あの大量の手紙の送り先はなんと彼の妹らしい。あれだけの量を送りつけられたら相当迷惑だろうなと思うが、今の彼に何を言ったところで仕方があるまい。
「あと1週間もすれば休暇になるだろう。わざわざ手紙を送る必要なんてあるか?」
「うん、勿論あるよ。大切な妹だからね。入学してから忙しくて手紙も出せてなかったし、今度帰るって報告がてらに書こうと思って。まぁ確かに最初は帰省のことだけ書くつもりだったんだけど…気付いたらこんな量になってしまったよ。はは、びっくりだね。」
「びっくりだね、なんて量じゃないぞそれは」
苦笑する彼に向って呆れ顔でツッコミを入れておいた。この男とは幼少期から顔見知りで、いわば幼馴染。魔法学園に入学した今現在も寮の同室ということもあって、一緒にいる時間はかなり長いことになる。そのため彼の性格も熟知しているつもりではあるのだが、たまにとんでもない天然ボケな一面を見せる時がある。整った容姿と柔らかな物腰で、学園の女子生徒たちの間では熱狂的なファンクラブも出来ているらしいのだが、こちらから言わせて貰えばかなりの変人でもあった。青年は再度深いため息を吐きだし、サファイヤ色の美しい瞳をスッと細める。
「少なくとも、その量を俺に送られたら間違いなく引くがな」
「えぇぇ…本当かい?うーん…あ、じゃあもう一回書き直して、」
「いいから寝ろ」
いい加減、この真夜中に彼の天然ボケに付き合うのもしんどくなってきた。男は間髪いれずに言い放つと、指先を弾くような動作をする。次の瞬間、その指先から無数の光の集合体が現れ、指の動きに合わせて机の上に置いてあるランプのスイッチの紐が下がった。あっ、という銀髪の男の声が聞こえたが、構わずそのままベッドに横になる。…これでようやく暗くなった。
「あーあ、もう…勝手にランプを消さないでくれよ」
「うるさいぞアドルフ。お前もさっさと寝ろ」
「はぁ…はいはい、分かったよギュスタ。おやすみ」
しばらくすると椅子を立ち上がる音が聞こえてきて、隣のベッドにモゾモゾと入る音がした。そのまま静かになると思いきや、今度は声をかけてくる。
「ねぇ」
「何だ。まだ何かあるのか」
「うん。休暇、楽しみだなぁって思って」
「……そうか」
片目だけ開けて彼のほうを見て返事をする。それ以降、話が続くのだろうかと身構えたが、何事もなかった。途端に室内はシン、と静まり返る。ふと時計を見やる。2時30分。……万が一にもないとは思うが、明日の講義にもし遅刻するようなことがあれば、コイツに反省文を書かせよう。そう心に決めて、瞼を閉じる。今度こそ深い眠りについた。
「………待ってておくれ、僕の愛しい妹」
青年は独り言のように小さく呟いてから、口元に笑みを浮かべる。そうして水色の髪を揺らす少女のことを思い浮かべて―…彼も静かに瞳を閉じた。
(重大なミスが発覚したので再掲しました…!)
嵐の前の静けさ。一難っ去ってまた一難の予感です。
そして続々と新キャラも…!
ただでさえ賑やかなシャルロットの日常が、今にもまして騒がしくなりそう。
次回更新をお待ち下さい(*^^*)
雑談等は活動報告にて…。
(ブクマや評価、いつも本当にありがとうございます…!)




