39話 聞かせろ
結局のところ。1ラウンド目の被弾からスコアが動かずドロー、続く2ラウンド、3ラウンドは双方スコア0のまま、ブラボーチームとの戦いは引き分けに終わった。
1ラウンド目終盤で感じた集中力切れの兆候がずっと残ったまま。3ラウンドが終わった頃には顔も手も汗だらけだった。
思わずヘッドセットを外した。水を飲もうと水筒に手を伸ばし、掴み損ねて落下。金属音が響いた。
「すみません……」
思わず出た声は思った以上にか細く、自分で驚いた。
「大丈夫?次始まるみたいだよ」
ひばりもVRヘッドセットを外し、声を潜めて話しかけた。
「チャーリーチーム、出なさい」
デスクに置いたヘッドセットのスピーカーから桐崎さんの声が小さく聞こえた。
「待ってくれ!」
蘭花は短く告げると、ヘッドセットを外して私を真っ直ぐ見た。
私が何かを言う間もなく。
「風咲を休ませる。成田、市原、代われ!」
「待って下さい!私はまだ……」
戦わなきゃ。勝って1軍を引きずり出さなきゃ。大事な友達が待ってるかもしれないのに。
でも私の抗議は、あえなく山本先生に遮られた。
「パイロットは待機も仕事のうちだ。体調を整えるのも三条くんの大事な役目だよ」
渋々立ち上がろうとする私の方に、誰かが手を添えた。
成田だ。
「そういうことだ。お前は休め」
「私たちの戦いを見ながら、勝ち筋を探してよ」
市原が、ひばりと入れ替わり椅子に座った。フレームの細い眼鏡のさらに奥、目が細まった。
「どこまでやれるか、わからねえけどな」
* * *
ひばりが手渡してくれたスポーツドリンクを少しずつ口に含みながら、試合の様子を観戦する。
成田も市原も、私たちを苦しめた連携は健在。それでも相手の方が上手だし、先輩たちと4機で飛ぶ際の練度の差が否めない。
連携は少しずつ綻びを見せ、スコアは徐々に離されていく。
さっき引き分けで終わったのが奇跡とすら思えてくる。
いや……1ラウンド目のラスト、なんで私は「このまま逃げ切れば」なんて思考をしていたんだ。
あそこで油断しなければ。最後まで勝ち気で攻めれば。貴重な1勝をもぎ取れたんじゃないのか。
沸いてくるのは後悔の念ばかり。こんな思想がぐるぐるしている。
「大丈夫?深呼吸して、落ち着こ?」
ひばりは相変わらず寄り添ってくれて、うちわで扇いでくれて。ありがたく、かつ、申し訳ない気持ちになってくる。
「ひばりダメだよ!ちゃんと休んで!」
そのうちわは、佐倉の手にひったくられた。私たち2人の前に立ち、小さな体躯で大きく腕を動かしながら、風を送ってくれる。
「ありがとう」と声に出すが、その声はやはり自分のものと思えないほど弱々しかった。
私はいつからこんなに弱くなったんだろう。
コートの中を誰よりも走り回りながら、同時に思考を巡らせていた。
あの頃は、少し疲れたくらいで弱気になることなんてなかった。
声が枯れることはあっても、弱々しくなることなんてなかった。
……明白だ。あの日からだ。
「あの頃は、こんなことなかったのに」
口に出していた。
その小さな声は、しっかりと山本先生に拾われていた。
「これは僕の仮説だけどね」
先生は椅子に座ったまま身体を私に向けて、続けた。
「中学時代の君はきっと、身体と頭を同時に動かしていた。今は、身体を動かすリソースを全て頭の回転に詰め込んでいる。その分、負担がかかりすぎてるんじゃあないかな、と思うんだ」
「どうすれば……」
「実際君は、その集中力で何度も窮地を打破している。これは君の性質だ。変えようとするんじゃなく、対策をするんだ。糖分と、休息を取りなさい。心身を休めるんだ」
先生の仮説は、一理あるように感じる。
あの日から今日にかけて、色んなことが目まぐるしく変化した。
私の心も身体も、まだ変化に適応できていない。
休息を取らないと身体が持たないのも、既に経験として理解している。
でも心は別だ。
休まなきゃ。
座ってる場合じゃない。
しっかり画面を見て、勝ち筋を探さなきゃ。
私が出て、チームを勝たせなければ。
いろんな思いが次々溢れ出て、胸が詰まるようだった。
「風咲、これあげる」
いつの間にか野田が私の前に立っていた。
見上げると、緩いパーマのかかった髪が揺れていた。
シャンプーのような柔軟剤のような、ふわっとした香りが一瞬漂った。
手に何か青いものを持って、それを細かに揺らしている。
お菓子のパッケージであることはすぐに分かった。
「ラムネだよ。ブドウ糖の塊だから脳にいいんだって!すぐ元気になるよ!」
「それ本当ー?のんちゃんが言うとなんか胡散臭いのよ。小腸から吸収されて脳に行き着くまでに何分かかるわけ?」
香取はPCの前に座りつつ、目線だけをこちらに向けている。少しだけ眉が眉間に寄っているようだ。
「かっちゃんはなんでも否定するんだから。良くないよー。信じる者は救われるんだよ」
「はいはい、プラシーボね。それよりスポーツドリンクで糖分補給しなさい。20~30分で吸収されるから、3、4ラウンド後に効いてくるわ」
「そんな理屈はどうでもいいんだよ!風咲、一緒に食おうぜ!うまいぜ、これ!」
鴨川も近づいてきて野田からラムネ菓子をひったくり、私の横に座った。バリバリを音を立てながら噛み砕いている。
「それカモのじゃないよ」
うちわを動かす手は止めず、声だけで佐倉が抗議している。
眼前に差し出された青い袋から白い粒を2つ指でつまみ、口に含んだ。
糖の甘味が舌の上に広がった。
「ごめんね。本当は私たちが『敵の弱点はこれだ!』って教えてあげたいんだけど……」
野田の声が普段のトーンより低く、さらに言葉を濁した。顔はニコニコしているが、どこか弱々しく感じる。眉が下がっているからだろうか。
「大丈夫だよ、ありがとう」
弱点……そんなものがあればいいんだけど。
ラムネ菓子を続けざまにありがたく頬張りながら、画面を見据える。
当たり前だけど、勝ち筋なんてそう簡単には見つからない。
* * *
「なんだよこいつら、化け物かよ……」
「ランク戦に紛れ込んだプロと戦ってる気分よ……」
チャーリーチーム、続くデルタチームとの戦いを終えて、
成田と市原は目に見えて肩を落としている。
スコアは……見たいとも思わない。
「どうやって勝てばいいの……?」
2人と交代し席に着いたところで、野田からの不安そうな声が漏れた。
「月子先輩を自由に暴れさせれば」
「ダメだ!」
香取が言いかけた言葉を、即座に蘭花が遮った。
「でも!」
香取は引かない。
「まともに戦えてるの、月子先輩だけじゃないですか!」
「黙れ!」
皆が息を呑む音が聞こえるようだった。
突然の大声に驚き慄いた……それだけじゃない。
普段の蘭花は怖そうに見えて、感情を顕に怒鳴るような人じゃない。
それだけ追い詰められている。
痛いほど分かって、でも、誰もが何も出来ない。
歯がゆい。
「……すまない」
「いえ、あの……ごめんなさい、私……」
誰もが何も言えず、秒針の音と扇風機の音がとても大きく聞こえる。
「次、エコーチーム。出なさい」
スピーカーの向こうからは、相変わらず淡々と進める声が聞こえる。
月子が蘭花に身を寄せ、そっと囁く。
「蘭花……勝ちたいんでしょ?私、頑張るから」
「ダメだ。それだけはダメなんだ」
その月子の提案すらも、蘭花は跳ね除けた。
「その勝ちに意味はない」
「でも……」
「分かってんだよ、そんなこと……」
ヘッドセットを付けたまま、蘭花は俯き、頭を抱えている。
「どうすりゃいいんだよ……」
蘭花のこんな姿を見るのは初めてだ。
ここまで3敗1分。雪辱を晴らすどころか……前座にさえ手も足も出ない。
蘭花の心中を想像するだけでも、胸が苦しくなる。
「どうしたの女王。早くしなさい」
「ごめん都希乃、待って!5分!」
「時間が押してるのよ……3分」
「うん、ありがとう!」
月子が時間を稼いでくれたのはいいが、蘭花にかける言葉なんて思いつかなかった。
みんなが俯いて黙っているのは、怒鳴られて萎縮したからじゃない。
こんなに追い詰められている先輩の力になれない、無力さを嘆いているから。
「蘭花さん」
その沈黙を破ったのは、ひばりだった。
「あの……まだ6戦、残ってるじゃないですか」
ひばりはヘッドセットを外して立ち上がり、蘭花の傍まで歩み寄った。身をかがめ、座っている蘭花と目線の高さを揃える。一連の所作には、姉として培ったであろう彼女の能力を、ひしひしと感じる。
「私、頑張りますから!どんなミッションでもチャレンジしますから!だから……」
ヘッドセット越しだから、蘭花にはひばりの様子は見えない。
でも悲痛な声は届くはずだ。
「いつもみたいに、指示して下さい!何でもします!力になりたいんです!」
「お前……」
ヘッドセット上の蘭花の手に、ひばりはそっと手を重ねた。
私はどうだ。
ひばりの姿を見て、そんな疑問が降って湧いた。
蘭花のために何かできるか?
……違う。できるかどうかは問題じゃない。
もっと根本の、心の問題だ。
蘭花のために何かしたいか?
みんなのために何かしたいか?
誰かの力になりたいか?
私の勝ちは私のため。ずっとそうだった。
勝てば那由多に会えるかもしれない。
半年待ち望んだ。その瞬間のためだけに戦ってきた。
それが全てだったから。
だからセント・ローズとの戦いを提案した。
全ては私自身のため。
でも。
今、目の前に項垂れているメンバーがいて。
支えようと奮闘する他のメンバーがいて。
そのみんなを捨て置き、自分のためだけに戦えるのか。
本当にそれでいいのか。
去年の夏の日々。
体育館のプレーイングコートを汗だくで駆け回っていたあの頃の私が今の私を見たら、
一体どう思うだろうか。
「あの!」
気付けば、叫んでいた。
「あの……えっと……うまくいく保証はない、んですけど」
誰かの力になりたいかどうか。
そんなこと考えるまでもない。
一呼吸置く。
「付け入る隙を見つけました」
皆の視線が集まった。蘭花も顔を上げ、VRヘッドセットを外して私を真っ直ぐ見ている。
次の言葉を待っている。
みんなには悪いけど半分は……いや、7割は嘘だ。
ただの思いつきだ。
でも時間がない。
今から思いつきで作戦を立案する。
思いつきの案を現実にしていくしかない。
「作戦があります。聞きますか?」
「風咲……」
「3分。時間よ、入りなさい」
桐崎さんの声に急かされ、ひばりをジェスチャで呼びながら、私もVRヘッドセットを装着。
「お前の観察眼を信じる」
蘭花は、確かにそう言った。
「聞かせろ」




