過去の克服と、黒炎
出立する前に、街にある厩へと向かった。
大抵どこの村にも町にも馬車や騎乗用の馬を扱っている厩がある。
ファルムの入り口にもそれはあって、けれど馬車や馬が怖かった私はできるだけ近づかないようにしていた。
「別々に乗っても良いが、最初は相乗りで良いんじゃねぇか、エルフィ」
「相乗り……そうよね、……でも、迷惑ではないかしら。馬も一人で乗れない女って、思わない?」
「何を心配してるんだ? もっと偉そうにしていて良い。あんたは俺の主人なんだから」
ヴァールハイトは、厩の主人と馬を買う交渉をしてくれた。
馬を避けていた私には馬の良し悪しがわからない。シャルムリッターに所属していた時は馬の世話もしていたというヴァールハイトに任せてしまった方が良いだろうと判断をした。
何も全部、自分で行わないと気が済まないわけじゃない。ヴァールハイトにお願いすると「素直で良い子だ」と褒められたけれど、もしかして最初の印象が悪かったせいで、頭が硬いのだと思われているのかもしれない。
「でも、……私、あなたに嫌われたくないのよ。変よね。……以前より、心配症になってしまったみたいで。迷惑をかけたくないし、駄目なところも、見せたくないって思ってしまうの。……嫌われたくないって、そればかり考えてしまって」
「……可愛いな、あんた」
「うう……」
剣を持ち慣れた手が、私の頭をぐりぐり撫でる。
ヴァールハイトは以前のように革手袋をしている。私がお願いしたからだ。
聖痕の力は使わないで欲しい。その力は、隠していて欲しいと。
「それじゃあ主人。そこの黒毛馬を買おう。名前はなんだ?」
「黒炎ですね。たてがみが、炎のように見えるでしょう? 心優しい良い馬ですよ。それに、足が太く体力がある」
「黒炎か。良い名だな」
ヴァールハイトは手早く交渉を終わらせると、馬を買った。
路銀は潤沢に持ってきているから、値引き交渉は必要ないとヴァールハイトに伝えていたのだけれど、交渉のお陰で提示された額の半額で馬を手に入れることができた。
「まぁ、交渉も遊び心ってやつだ。別に定価で買うのが悪いこととは言わねぇが、ものを知らねぇ金を持った馬鹿だと思われて、足元を見られることもあるからな」
「そういうものなのね」
「商人は交渉されることを見越して最初は相場よりも高値をふっかけてくる場合も多いしな。……あんたは、そういうのが不得意そうだよなぁ。ま、俺に任せておけば良い」
「……ありがとう」
「生まれてこの方ずっと貧乏人だが、貧乏もたまには役に立つだろ?」
「シャルムリッターの騎士団長だった時も貧乏だったの?」
「そうだな、あの頃はどうだったか。金に困っていたわけじゃなかったが、貯め込んでた金は骸竜討伐の最中の路銀で消えたんだったかな」
黒炎の体には、馬鞍がかけられている。顔にかけられた革製の頭絡から伸びる手綱を、ヴァールハイトは引いている。
厩から少し離れるとファルムの入り口にたどり着いた。門番の方々が門の前に立っている。
まだ朝の早い時間だ。外に向かう人の姿はない。
ヴァールハイトは門の前の馬車を休ませるために作られた広場で足をとめた。
「さぁ、エルフィ。乗ってみるか。馬自体が怖いわけじゃねぇんだよな?」
「え、ええ……多分」
「こいつらも生き物だ。あんたの感情は伝わる。可愛い、愛しいと思えばそれが伝わるし、怖い、嫌いだと思えばそれも伝わる。……あんたは、可愛い、愛しいと思われるのと、怖い、嫌いだと思われるのは、どっちが良い?」
「……それは、可愛い、好きって思われたい。でも、その……みんなに好かれたいわけではないのよ。あなたに、そう思われたい」
黒炎の首を撫でながら言うヴァールハイトに、私は答えた。
人の目を気にすることは、しないようにしている。そんなことをしていたら身動きが取れなくなってしまうからだ。
それよりももっと大切なことや、しなければいけないことがある。
けれど今は──ヴァールハイトに、嫌われたくない。好きだと思っていて欲しいと、願ってしまう。
これが恋なのだとしたら、恋は人を弱くするのかもしれない。
「……良い子だ。偉いぞ。百点満点の回答だな」
「私、余計なことを言ってしまっている気がする。気をつけるわね。街の外に出たら、恋に浮かれている場合ではないもの」
「恋に浮かれてくれ。俺は嬉しい」
「……また、余計なことを言ってしまったわ」
私は頭を抱えてため息をついた。
もっと気を引き締めないと。以前の私の方がもっとしっかりしていた気がするもの。
ヴァールハイトが好きで、愛して貰って嬉しくて。頼りになるヴァールハイトに、頼ろうとしてしまっていて。
街から出たら、安全ではないのだから。浮かれている場合ではない。
「黒炎は、とても綺麗で立派ね。……触っても良いかしら」
黒い体に、漆黒の瞳。黒い炎の様なたてがみをもつ立派な体躯の黒炎は、ヴァールハイトにどこか似ている。
話しかけると、賢そうな黒い瞳がじっと私を見て、それから軽く馬首を下げた。
そっと、その首に触れる。
滑らかで、つるりとしていて、それから──とてもあたたかい。
生き物だ。当たり前だけれど、生きている。
「黒炎。よろしくね」
馬首を撫でながら、私は言った。
大丈夫だ。怖くない。嫌な記憶が襲いかかってくることもない。
今まで私は、何を怖がっていたのだろう。お父様とお母様が亡くなったのは、馬車に乗っていたせいではない。馬は何も悪くないのに。
「……黒炎は、雄なわけだが」
「そうね。とても賢くて良い子ね。顔立ちも綺麗で、体も立派よ。こうしてちゃんと馬に触るのははじめてだけれど、あなたが私に触らせてくれているのよね。ありがとう、黒炎。私はきっとあなたのことが好きになる」
「……妬いても良いか、エルフィ」
「可愛い愛しいって思えと言ったのは、あなたなのに」
「まぁ、そうなんだが。あんたの言葉や感情を俺以外に向けられるのは腹が立つな」
「……私、さっき、しっかりしなきゃって思ったばかりなのに……そういうことを言われると、また浮かれてしまうから、駄目」
私は恥ずかしくなってしまって、黒炎の太い首に抱きついた。
暖かくて、少し香ばしい。乾燥した草と、お日様の香りがする。
黒炎は嫌がったりしなかった。私はぬいぐるみのジョゼちゃんを抱きしめて眠る夜のことを思い出した。
なんだか、安心する。
「可愛いが、抱きつくなら俺にしてくれ」
ヴァールハイトは私の体を軽々と抱え上げると、黒炎の背中に乗せてくれた。
馬上は、思ったよりもずっと高い。
地面が遠く、空が近くなった感覚に一瞬驚いたけれど、私は心を落ち着かせるために大きく息を吸い込んで、吐き出した。
大丈夫だ。怖くない。
「……さぁ、行こうか黒炎。最初はゆっくり。それから、走ろう」
ヴァールハイトも私の後ろに乗り込んで、手綱を掴む。
黒炎はまるでヴァールハイトの言葉がわかっているかのように、ゆっくりと歩き出した。
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