21 過去
主演の登場で、宴は更に盛り上がった。
急ごしらえとはいえ劇団のために用意された宴は、団員たちが経験した事がないほどに豪華だった。ここ何日も簡素なものしか食べていなかった皆は、目の前に並べられた大小様々な種類の料理に舌鼓をうつ。
「みんな、急いで食べないで。ああほらターン、羽が汚れてしまうわ」
とにかく目の前の物を口に突っ込む様子はお世辞にも品があるとは言えず、それを目の当たりにした使用人たちはその振る舞いに最初こそ眉をひそめていた。しかし次々と運ばれる料理を残さず平らげる団員たちは、幸せ一杯と言った表情だ。それを見ていた使用人たちの表情はいつの間にか綻び、いつまでも彼らの幸福感溢れる顔を見ていたいと思うようになった。
「服はなるべく汚さないでね……ってもう遅いか。私もたーべよっと」
「シュルテよぉ、いつも思うがお前は食べている時の表情が一番いいなぁ……え? 話があるってぇ?」
途中から参加した勇一は滅茶苦茶に騒ぐ団員たちを目の当たりにして、唖然としてしまった。
だが心底楽しそうな雰囲気に引っ張られ、彼の気分も否応なしに上がって行く。
(屋敷といい劇場といい、まるでここだけ時代が違うみたいだ)
建物も出される食事も、この世界にきてから今まで見たものと全く違う方向に進化したような印象を彼は受けた。
熱の入った宴は更に気分を高め、ラトーは大音量で演奏を始め、ターンは執事や給仕の手を引いて踊り始める。
がなりたてる騒ぎは収まることを知らず、ようやく静寂が戻ったのは、月が沈み東の空が明るく染まり始めた頃だった。
***
会場は静けさを取り戻し、太陽の気配が地平線に現れる。窓辺に座った勇一は、じわじわと明るくなる空をぼんやりと眺めていた。
「眠れないのかい?」
「……オーダスカさん」
「何か悩んでいるようだったね。あまり食べなかったじゃないか」
仮面の男はエンゲラズにいる。居らずとも、奴を追う手掛かりは必ずある。そこへは馬車で数日……手が届くところにある。
彼が素直にそれを喜べないのは、それよりも重大な事実があるからだった。
「まあ……そう、ですね。…………実は俺、魔法が使えないんです」
「使えない……と言うと?」
「言葉の通りです。どの属性の魔法も、俺は使えなくて……剣だって持ってるのに素人だし、復讐なんて考えたものの、本当に出来るのかなって」
彼は、何をするにしても多くのものが足りない事をわかっていた。エンゲラズに着いたとして探す人手はない、戦うための実力も、調べようがない自分の魔力も。当然メフィニ劇団を巻き込むのは論外なので、向こうに着いてからはたった一人で終わらせるしかないのだ。
勇一はその後、自分の魔力について竜人の村でのことをぽつぽつと話した。
それを黙って最後まで聞くオーダスカ。次に彼の口から、意外な言葉が発せられた。
「使えない、か…………ふむ、ちょっと思い当たる節がある」
「思い当たる?」
「ああ、大分昔にどこかで見たことがある気がするんだ。今は思い出せないが」
「お、お願いします、せめて自分の力の正体だけでも知りたいんです!」
「まぁ待ってくれ。何せ何十年も前のことだ、調べるにしても時間をくれないと」
「……そう、ですね。すいません」
オーダスカは掴み掛かる勢いで身を乗り出した勇一に驚きつつ、両手で制止した。
そういえば、と我に帰った勇一は思った。メフィニ夫妻は結構な年齢に見えるが、彼らはどれだけ長い旅をしてきたのだろうかと。頭の片隅にあった興味だったが、気付けばその口から疑問が湧き出ていた。
「そういえば、オーダスカさんたちはいつからこの旅を?」
「ここから出て行った日からだよ」
「ここから?」
「…………実は私は、マイファーニ家の産まれでね。ライアンは私の弟なんだよ」
突然の告白にどう反応して良いか表情が固まる勇一。それを見てオーダスカは自虐的な笑みを浮かべた。
二人の回りは未だ静けさに包まれていたが、時々聞こえる誰かのイビキだけがその支配を不完全なものにしていた。
「私がまだ幼い頃、父が呪文書を発明して……それのおかげで暮らしが一変した。
……今まではあばら屋で小物を売り、その日の食事にすら苦労していた我が家が、突然大きな屋敷に引っ越し上等なものに囲まれる生活。とても混乱したのを覚えているよ。そんな生活が身体に合わなかったのか、母はすぐに死んでしまった」
サウワンの最底辺から、突然始まった成金の生活を並べ立てるオーダスカ。そして「思えばそこから、父の人生は狂い始めたのかもしれない」と虚空を見上げて言った。
「三十年ほど前に戦争があってね……丁度その頃、父に連れられて私は中央区に移り住んだ。あとで知ったことだが、呪文書を武器として大量に売り付けたお陰で、父が大金持ちになったと。
それから父は私に勉強を叩き込み、数えきれないほどの使用人を雇った。『次はお前がマイファーニ家を支えるのだ』と言うのが彼の口癖だったよ」
そこまで言ってオーダスカは、机に突っ伏して寝息をたてるラシアタへ目をやった。「その使用人の中に、彼女は居たんだ」と慈愛に満ちた表情で呟く。
「私たちは本気で愛し合ったが、父は許さなかった。そんなマイファーニ家を継ぐことが嫌で嫌で、逃げたんだ……駆け落ちという形でね」
「なんだか、演劇より演劇らしいですね」
ははっ――思わずと言った風にオーダスカは吹き出したが、直後に手にもった酒を呷るとがっくりと項垂れた。
「演劇なら、二人は苦労しながらも幸せに暮らして終わりなんだがな……私たちには、息子が居たんだ。名前は、ケルン」
「……!」
ぞわりと勇一の背を冷たいものが撫でた。
「ケルンは立派な自慢の息子だった。それだけでなく、勇敢だった。本当に私たちの子どもなのかと思うほどに正義感に溢れていた。だが、丁度ユウと同じくらいの歳だった頃…………」
***
「お父さん、お母さん……無事ですか? 僕です、ケルンです」
「ケルンか……ああ、だが動けない。馬車が横転したとき、脚を挟まれてしまったようだ」
「ケルン、よかった。私とお父さんは無事よ……でもまだ、ゴブリンの声がするわ」
「キャラバンの方からはなにも聞こえません。先頭は逃げおおせたようですが、あとはもう……」
「そんな……さぁケルン、あなたもこっちへ」
「そう言うわけにはいきません。お母さん、この子を。この雨の中、よく泣かずにいられました」
「その子は、一体どうしたんだ?」
「岩の隙間に隠されていました。近くには二つの骨の残骸が……では」
「ケルンやめなさい、危ないことはするんじゃない!」
「しーっ。動けるのは、僕だけです。僕が奴らを遠ざけなきゃ駄目なんだ」
「やめて、ケルン、お願いよ……」
「大丈夫です。遠くに誘導して奴らを巻いたら、必ず戻ってきます……必ず」
***
「……翌朝、通報を受けてやって来た兵士たちがゴブリンどもを殲滅し、私たちは救助された。だがその時の団員たちは皆死んでしまった。ケルンは……ケルンは、崖下で見つかった」
「……」
「あの雨で足を滑らしたか、多数のゴブリンどもを道連れにしたか……わからない。だがあの子は最期まで勇敢だった」
鼻をすすりゆっくり顔を上げたオーダスカの眼は赤い。流れる涙を拭こうともせず、両手は器を力一杯握りしめた。
「ケルンを埋葬し、受け取った赤ん坊にアドリアーナと名付け、私たちはまた歩きだした。ラシアタは長く塞ぎ込んでいたが、幼いアドの世話を一緒にするうちに落ち着いていった」
「その事、アドは知っているんですか?」
「いや、言ったことはないよ。必要ないから、ね」
アドはメフィニ夫妻の本当の子ではない。だが二人は彼女を大切に育てた。死んだケルンにやれなかった愛情を、かわりにやるように。
オーダスカは痛々しく笑って、その後の事を語った。
「喪失感を埋めるように必死に働いて、新しい馬車を買った。そして新しい団員集め……最初に加わったのはガージャだった。彼は詐欺師だったんだよ」
「詐欺師!?」……勇一は驚愕した。最年長で穏和な第一印象からは想像できない前歴が、彼の頭を混乱させた。
「詐欺師の演技力を買ったんだ。最初はいやいやだったがね、次第に楽しくなってきたらしい。次は、シュルテ」
大柄な虎獣族の女性。しかし見た目とは正反対に気が弱く、そして子ども好き。彼女はよくターンやラトーと遊んでいる。
「虎獣族は勇ましさで知られる種族だ。しかし彼女はそうじゃなかった。私は彼女の優しさに溢れた振る舞いが気に入り、ガージャが勧誘して入団した……一族を抜ける、という条件で」
「体よく追い出されたんですね……」
「だが彼女はここに居場所を見つけた。だから、これで良かったんだ」
勇ましくない者は恥晒しと考えていた一族は、これ幸いとシュルテを追放した。だが新天地を気に入り、彼女はいつもにこやかでいる。彼女が幸せなら、それが一番良いのかもしれないと勇一は考えることにした。
「ターンはハーピィとブラキアの間に産まれた子で、彼女は同じハーピィからはいつも仲間はずれだった。でもその歌声は他にはない素晴らしいものだったから、声をかけた」
ターンはいつも無邪気に遊んでいる。時々服を汚してアドに叱られるが、ほとんど落ち込んだところを見たことがない。それは二人の間に信頼があり、自分を思っているためだと知っているからだ。
「そして、ラトー。彼はセイレーンとホラクトとの間の子だ。母親の声も父親の力も受け継がなかった彼は、感情を伝える手段を楽器に見いだした。声が出ないかわりに奏でる演奏は、聴く者の心を掴んで離さない」
皆が皆、無二の才能を持っている。年齢も種族も超えて集まった彼らは、ケルンがいなくなった事でできた穴を埋められたのだろうか。
「アドは、とてもいい子に育ってくれた。とても物覚えが良かったから、出来るだけ多くを教えたよ。……そうしたら、いつの間にか劇団の財産管理はアドがするようになっていたんだ」
「あれくらいしっかりしてると、安心ですね」
「私たちの稼ぎでは皆を食べさせるだけでも精一杯なのに、アドは色々な所を切り詰め、少しずつ貯金をし始めた。何故かと聞いたら『団長になったら、いつかメフィニ劇団を世界中飛び回る劇団にするの』……って」
赤い目を擦って、オーダスカは破顔する。勇一も目頭が熱くなるのを感じた。
アドは大きな夢を叶えるために少しづつ貯金を始め、日夜硬貨を前に頭を悩ませている。実の娘のように育てた子どもに、自分の後を継ぐと言われたらどんな気持ちだろうか。勇一には想像もつかなかったが、隣で赤い顔をくしゃくしゃにする男を見て何となくいいものなのだろうと思った。
「そしてヴィヴァルニアを巡って、アドが十一になった時だ。ラトーが入団して二年後かな…………ユウ、君が現れたんだよ」
「………」
「アイリーンが君を連れてきたときは本当に驚いたよ。眠ってる君の表情は、私たちが埋葬した時のケルンそのままだったから」
十一年前に埋葬した筈の息子がそのままの姿で戻ってきたのだから、彼らが驚くのも無理はない。
「ラシアタは暇さえあれば君の所へ行き、看病していた。あり得ないと思うけど、息子が帰って来たと私たちは思いたかった。
でも君が目覚めると、やはりケルンは死んだんだという現実がのし掛かってきた。わかっていたのに、帰ってくるなど、あるわけがないのに……」
自分は向こうで死に、転生した……それは間違いない。ならば何故、他人の姿を借りて転生したのだろうか……勇一は奇妙な感覚に首をひねった。
「その瞳。ケルンは茶色だったけど、君は夏の空のような青色だ」オーダスカの言う通り、彼の瞳は青色をしている。
(もし神がいて、それが俺を転生させたとして、そもそも目的は何なんだろう。何故ケルンの姿で転生したんだ? しかもわざわざ目だけを変えて……?)
「お父さん、ユウ……何してるの?」
背後からペタペタと聞こえる足音。眠気眼を擦りながら、アドがオーダスカのそばに現れた。
オーダスカは彼女の小さな頭を優しく撫で「なんでもないよ、もう少しおやすみ」と囁き優しく抱き上げる。アドは父親の胸に頭を預けると、再び寝息をたて始めた。
「変な話をしちゃったな。君は君だ、ケルンじゃない。私もラシアタも、それはわかってる。
……後で君の魔法について調べてみるよ……それじゃあ、おやすみ」
母親のそばに椅子を並べその上に娘を寝かせると、オーダスカは部屋を出ていった。
静寂。しかし相変わらず誰かのイビキが、それを断続的にしていた。




