20 手がかり
三人が通された部屋は、豪勢な屋敷の中にあるとは思えない程に質素だった。質素と言っても勇一からすればまだ目が痛くなるほどに派手で、深く沈みこむ長椅子に腰を下ろした彼は自分の感覚の慣れに戸惑った。
この部屋に来るまでに一体いくつ扉を通り過ぎたのだろうかと彼は思い出そうとしたが、目の前に座るライアンが気になりそれどころではなかった。
居心地悪そうに隣に座るオーダスカへ目線を向けるが、彼は彼で前かがみに腕を組みじっとライアンを睨んでいる。招かれた三人の最後の一人アイリーンは、一人掛けの大きな椅子でくつろいでいた。
その質素な部屋は直線が多かった。今までとは明らかに違う雰囲気に、勇一だけが落ち着きなくソワソワとしている。
(オーダスカさんや俺はわかるけど、何故アイリーンが……?)
アイリーンはアイリーンで手を組んでライアンを見つめた……いや、睨んでいる。睨まれた方は何食わぬ表情でいるものの、その額からは脂汗がにじんでいた。
重々しい空気に、勇一は責められているわけでは無いのに引け目を感じていた。と言うのも彼は部屋に入るなりライアンの頼みを断り、仮面の男の情報は他を当たることを伝えたからだ。
それを聞いていたオーダスカとアイリーンの表情は彼からは見えなかったが、正面のライアンの顔色が赤くなったり青くなったりしていたのを見て、どうやら自分は相当まずいことをしてしまったようだと呑気に思った。
そこからライアンは平身低頭、ひたすら謝罪を連呼した。いっそ鼓膜が破れるほどに怒鳴りつけられた方がどれだけ楽か。静かに、だが憤怒の表情で彼を責める二人は、傍で見ている勇一の胃にまで穴をあける勢いだった。
「いや本当に、本当にすまなかった。ほんの出来心とはいえ、君たちの大事な演劇を潰そうだなんて考えるんじゃなかったよ」
「もう謝罪はいい。言われた通りの物を、明日までに…………ね?」
「かしこまりました……」
「前半ユウの動きが悪かったのは、そういう事情があったからだった。これで解決、双方納得……だね」
「あ、ああ……最初から突っぱねればよかったんだ、あんなこと。俺、自分の目的に目がくらんで……」
「いいんだユウ。結果的にとはいえ、吹っ切れた君はいい演技だったよ」
オーダスカの大きな手が勇一の肩を掴んだ。強い握力は、そのまま本人の頼もしさに見えた。
「それじゃあ、俺はこれで……」
「ああいや、待ってくれ。……君の欲しかった情報なんだがね」
この期に及んで、彼は何をしようというのか。三人は一度目を見合わせ、一斉に視線をライアンに向ける。それに一瞬たじろぎながらも、咳を一つすると今度はまっすぐな目線を勇一に向けた。
「あの、その話はもう」
「いやそうではない。これは……そう、素晴らしい演技を見せてくれた、主演へのささやかなお礼だと思ってくれ」
「……いいんですか?」
気にするな、と短く返事をするライアン。次に彼は立ち上がり、丸い身体を左右に揺すって背後の大きな机に向かう。バサバサと紙束をかき分け、丸めた一つを片手に戻る。
再びどっかと座りなおすと、小さな眼鏡をかけて書かれた内容を読み上げた。
「私が得た情報によるとだな……今から十日以上前に、ルドから少し離れた家で殺人があった。被害者は家の持ち主の老婆、見ていたのは奴隷だ」
奴隷、という言葉に三人は眉をしかめた。しかしそんなことには気づかずライアンは続ける。
「奴隷の話によると、夜遅くに男が訪ねてきたそうだ。ローブを深くかぶって顔まではわからなかったが、顔の下半分を覆う逞しい顎鬚があり、そして……その男はひどいけがをしていた」
「その怪我って、まさか」
「右腕がなく、そこから大量に出血していたと。老婆はすぐに男を招き入れ簡単な治療を施した。更に水と食料を与え……そして殺されてしまった」
「そんな……ひどい」
「まぁその老婆も、子どもの奴隷ばかり引き取って酷使していたクズだったから、死んだところでなんとも思わん。問題はその男、風の魔法で飛び去って行ったというじゃないか」
「風の魔法……?」
ふと勇一はアイリーンを見た。そういえばルドの町で彼女が忽然と消えた時、確かに突風が吹いた。それは竜人の村で仮面の男が使っていた魔法と同じ。
対するアイリーンは眉をひそめて話を聞いている。勇一にはその意味が分からなかった。
「俺の住んでいた村は南にあります。奴は詠唱の時『北へ』と言っていたので、そのまま北上してここに着きました」
「ふん。詠唱していたのなら呪文書ではないな。その男は再び飛び立つ時、北西へ向かっていったと奴隷は証言している。ルドからまっすぐ北西、つまり」
「…………エンゲラズ」
アイリーンが漏らした言葉に、ライアンは大きく頷いた。そして次に出たアイリーンの言葉に、勇一は戸惑った。
「これは……少し厄介かもしれない」
「どうして? 奴はエンゲラズにいる。少なくとも、そこに隠れ家かもしれない」
「ユウ、最後まで聞こう」
「いや、違う。人一人を運べるほどの風魔法となると、ヴィヴァルニアには何人もいない」
「その通り。そして、ヴィヴァルニアはその数人を把握している。今回君の追っている男は、その中にはいない」
「何故、そうだと」
「その時エンゲラズには、ヴィヴァルニア中の強力な魔法使いが集められていた。証言から逆算してみると……君と仇が会っている時、全ての強力な風魔法使いは皆王宮にいたのだ」
「じゃ、じゃあ……」
「キミの追っている男は、ヴィヴァルニアの人間じゃない……かもしれない」
ヴィヴァルニアの者ではない。つまり大陸の東側、多種族同盟側の者かもしれないと言う意味。
「もし多種族同盟側の者なら、問題は複雑になる……。今エンゲラズは限られた一部を除いて、ブラキア以外は入れない」
「ヴィヴァルニアの首都に、同盟側?の者が入り込んでいるかもしれないってことか」
「もしくは誰かに合っていた? ……今は余計な推測はしない方がいいね」
「なんにせよ一度エンゲラズにいった方がいいだろう。元々の目的地だし、そこからその男を探しても遅くはないぞユウ」
「まぁそう言うことだ。私の知っていることは、これで全て…………さて」
ライアンは「これでおしまい」とばかりに、持っていた紙を細切れに破いてしまった。
「古いものは、用済みだ。……ところでユウ君、劇団の皆には私からささやかなお礼を楽しんでもらっている。彼らも主演の君を待っているだろう」
何故突然名指しされたのか勇一は尋ねようとした。しかし他の二人がライアンの態度を意に介さない様子だったので、自分に早くここから出ていって欲しいのだとすぐに解釈した。
(ここで聞けることはもうないだろう)
彼は大人しく立ち上がり扉の前で一礼すると、廊下で待機していた執事に連れられ宴の会場まで案内されていった。
***
「手短に。私もお腹が空いた」
「アイリーン様、お時間は取らせません」
ライアンは勇一に取っていた態度とは正反対の様子でアイリーンに頭を下げる。その顔面には未だ緊張が見られるが、もう汗はない。サウワンの大富豪が何の意味もなく頭を下げる訳がないと、オーダスカはアイリーンとライアンを交互に見た。
「アイリーン……同行してから気にはなっていたんだが、君は一体?」
「それは今、重要じゃない。貴方もオーダスカに聞いてほしいことがあるんじゃないの?」
「では単刀直入に…………王宮から、一級と二級呪文書の発注がありました。それも大量に」
「え」とオーダスカは思わず声に出した。兵器の取引内容を自分やアイリーンの様な部外者に漏らすのは普通ではない……つまりそれだけ伝えなければならない事なのか、と。
対するアイリーンは黙って聞いている。しかしその眉間には皺が寄っているのが彼からも見えた。
「先日の魔法使い招集の件といい、ここ最近のエンゲラズは活発です。近いうちに、大きなことを始める気かもしれません」
「何故そんなことを私たちに? 劇団が関係あるとは……」
ライアンは複雑な表情でオーダスカを見ている。オーダスカは自分がライアンに恨まれていると思っていた。それだけに劇団を受け入れてくれたことや、こうして話をしていることに対して違和感しか彼の心に募らなかった。
「理由は色々あるが……しいて言うなら、兄には下らないところで死んでほしくない……というのはどうかな」
「…………私は、もうこの家の者ではない」
「外の世界で暮らしたかった……夢をかなえるためとはいえ、使用人と駆け落ちなんて考えるかね。戻ってきたときは驚いたよ」
「夢のためじゃない。ラシアタとはずっと本気だ」
「…………」
「…………」
「兄弟同士の話し合いをしたいなら、私はもう行っていい?」
兄弟の間に流れる微妙な空気を一刀両断するアイリーン。ぷっつりと緊張の糸が切れたその空間は、僅かに温度が上がったようにオーダスカは感じた。
「失礼いたしました。お二人とも、劇団の皆さまとどうぞ宴をお楽しみください」
「……ああ、ありがとう」
「うん。……そうだライアン、最後に一つだけ」
立ち上がったアイリーンはさっきまでの年相応な表情から、見たものを凍り付かせるような目線をして言った。不意に目を合わせてしまったライアンは、内臓に氷を詰められたような感覚を味わう。彼の肺が、息を吐きだすのを拒んだ。
「貴方は、父親と同じ愚を犯さないように」
「わ……かって、おります」
辛うじて出た声は完全に掠れ、僅かにできた呼吸は冷気のようだった。
ライアンが言い終わると同時にアイリーンの眼には温度が戻り、いつもの不愛想な少女然とした表情に変わる。
「行こうオーダスカ。皆が全部食べてしまう前に」
「あ、ああ」
戸惑う団長を尻目に軽やかな足取りで扉をあけ放つ少女を追って、オーダスカも追従する。
胸を抑えながら一息ごとに言葉を絞り出し、どうにか立ち直るライアンだけが部屋に残された。
「……………我が父の様な愚は、犯しません。私は、今の生活を、手放す気など、さらさらありませんよ」




