12 悪夢からの目覚め
―――待って、ガルク…おかあさんを……おいて、いかないで
んん、ここまできたか。あともう少し。
―――お願い、ガルク……、だれも、憎まないで
これからは気を付けなさい
雑音は少しだけ切っておいたから
でも、キミがその身体に早く慣れないとね
***
勇一の頭は混乱の極地にあった。
確か自分は…ドウルを手伝っている最中に川に落ち意識を失ったはずだ、と。
それが目を覚ませば目の前にサラマの鼻先がある、すやすやと安らかに眠るその顔は見ていて安心したのだが、目線を奥に移すとガルクが神妙な顔つきで勇一を見ている。
「サラマ…と、ガルク。なんでここに?俺は、一体…?」
「お前、何を見たんだ?」
起きて早々ご挨拶である。第一何を、とは?夢の事なら、内容は覚えていないというのに。
「いきなりなんだよ…何を見たって?」
「悪夢を見るんじゃなかったのか?ずいぶんと気持ちよさそうに寝やがってんじゃねぇか。お前の不注意のお陰で、こっちはいい迷惑だ」
何故起き掛けにいきなり責められなければならないのだ、と勇一は憤慨した。そもそもここは彼の天幕だ。ならばなぜ二人がここにいるのか説明するのが先ではないか、と。
だがサラマが寝ている手前、大きな声は出せない。勇一はせめてちいさな声で答えることにした。
「不注意は悪かったと思ってるよ。だけどなんで二人がここにいる?ここは俺の天幕だろう」
「…ッチ、お前のじゃあねえよ。親父があっためろって言ってんだ。だから姉さんがこんなになるまで火をつけていてくれた。感謝しとけ」
ガルクは目線をサラマに向ける。勇一の隣で静かに寝息をたてる彼女の手は、時々なにかを探すようにゆっくりと床を這っている。
「サラマが火を……ん、じゃあガルクはなんで?」
ガルクがどんな魔法を使えるのかは知らないが、少なくとも火の魔法を使ったところを見たことがない。
見た所、隅でじっとしているだけのように見える。だがガルクの性格を思い出し、すぐに勇一は察した。詰まる所、彼は自分ではなく姉が心配でずっとここにいたのだと。
「…!ははぁ、なるほど」
「…あぁ?」
「シスコン」
「なんだよそれ」
「ガルク君はお姉ちゃんが心配でいてもたってもいられなかったってところか?…ぐぇっ」
その長い腕がサラマを飛び越え、瞬時に勇一の首を掴む。速すぎて予備動作すら見えなかった。
ガルクの体格は他の竜人と同じくらい大きいのだが、それを差し引いても突然力が強くなったり、速くなったりと時々理解できない動きをすることがある。それは彼が使う魔法と関係があるのだろうか。
「お前の首!今ここでへし折ってやろうか!」
だが勇一も負けてはいない。それがはったりだとわかりきっているからだ。
「うぐ…じゃあ、なんでガルクがここにいるのか答えてみろよ!」
「あんだとぉ!!」
「成人にもなって姉離れ出来ない男が強がっても怖くないっての!」
「そりゃ遺言か?たっぷり後悔させてから…!!」
「二人ともうるさい!!」
いつの間に目を覚ましていたのか、ガバッと起き上がったサラマは二人をグイと左右に押しのけ双方怒鳴りつけた。彼女の気迫にガルクは思わず手を離し、その場に座り込む。
両者を見て、サラマはまずガルクに声をかけた。
「せっかく気持ちよく寝てたのに…ガルク」
「…はい」
先程まで勇一の首を絞めていた彼とは思えない態度だ。彼は湖の時のように叱られるのではないかと気が気でない表情をしている。
「ユウを見ていてくれて、ありがとうね」
ガルクの頭をこれでもかと撫で、サラマは笑顔で労った。対するガルクは最初戸惑っていたが、やがて表情も綻びぎこちない照れ笑いをみせはじめる。
彼女の気が済むまで撫でると、ガルクの頭から手を離し勇一に向き直った。
「ユウ」
「は、はい」
「無事でよかった…本当に、よかったぁ……」
サラマから思わぬ抱擁を受ける。それはいつかと違って、柔らかく温かいものだった。心なしかその声は少し震えているような気がする。
気が付けば灯されていた小さな火は消えていた。
「…心配かけてごめん、サラマ」
「本当に心配したんだからね……」
安堵の感情から言葉が漏れ出てくるが、同時に情けなさもあふれた。
ガルクに助けてもらい、ドウルに助けてもらい、そしてサラマに心配をかけた。自分はいつまで助けられる側なんだろうか、と。
サラマの肩越しにガルクを見た。ガルクは視線に気づくと、目を細めて勇一を睨む。勇一は一旦サラマから離れ、ガルクに向き直った。確かに彼との仲はお世辞にも良いとはいえないが、だからといって礼も言わないのは勇一自身の本意ではない。
「そういえば、面と向かって礼を言ってなかった…山で俺を助けてくれてありがとう、ガルク」
彼は村の代表であるファーラークには礼を言ったが、ガルク個人には言っていない。勇一がここで世話になってひと月以上経っている。正直今更なことこの上ないのだが……だからと言ってなあなあにするのは気持ちが悪い。上野 勇一とはそんな男だった。そして仲が悪くとも、礼を言う時は頭を下げるものだ。それは彼の中の芯でもであった。
ガルクは突然掛けられた感謝の言葉に目を丸くして驚いている。鳩が豆鉄砲を食ったような、とはまさにああいう表情を言うのだろう。
「サラマも改めてありがとう。…ドウルさんにも後でお礼いっとかないとだな」
「…ハッ、今度は寝言じゃねえようだな。まあ正直今更な話だが……お前がそんなに律儀だとはよ。まあ素直にどういたしまして、と言っとくわ」
さっきまでとは打って変わった態度だ。
ガルクは皮肉っぽい笑みを浮かべる。一言余計だ、素直にというならどういたしましてだけ言えばいいだろうと、勇一が返そうとした時だった。
「……寝言?なぁ、寝言って?」
もしかして、自分は寝言で恥ずかしいことを言っていたのだろうか。そういえば今日は、久しぶりに悪夢を見ていないような気がする。勇一がさっぱりわからないといった表情をしていると
「ああそうだった。俺は先に親父のところにいってる。お前も、まともに立てるようになったら来いってよ。一応心配していたからな」
勇一の質問には全く答える気がないようだ…。
いうが早いかガルクは立ち上がり、さっさと天幕を後にしてしまった。
「あっガルク……もう」
後に残されたのは勇一と、彼を膝に抱えなおしたサラマだけになった。
胸に回された紅い腕は、火が消えてから少しばかり冷えた屋内よりもほのかに暖かく、それは彼らが爬虫類ではないことを今更ながら確かめさせた。
「なあサラマ、俺はもう大丈夫だから…」
「ダメ」
これはおそらく、気が済むまで解放してくれないくれないだろう。勇一は諦めてしずかに、サラマが離してくれるのを待った。彼女はずっと黙ったままで、結局彼を離したのは昼を過ぎてしびれを切らしたガルクが再びこちらを訪れるまで続いた。
***
村からそれほど離れていない森の中、虫や動物の声すら聞こえない静寂が包むこの場所にファーラークは居た。
その静けさたるや草を踏む音が騒音に聞こえるほどで、得体のしれない気味悪さを勇一は感じた。
ファーラークを認めると、勇一はまず挨拶をした。巨体で見えないが、彼は何かに跪いているように見える。
「おや勇一君、待っていてくれたら私が行ったのに」
ガルクに案内された先で、ファーラークからかけられた言葉に違和感を覚える。確かこちらからくるようにと言われたはずだが…。
ガルクを見ると素知らぬ顔であらぬ方向を見ている。この男は…、なぜこんな子供のようなことを思いつくのか。一緒についてきたサラマも、若干呆れ顔だ。
「まあ、いい。ガルクから話は聞いたよ。君の見たものについて、たぶんこれだろうと思ってな」
ファーラークは立ち上がると巨体をゆっくりと横にずらす。勇一は彼が立ち上がった姿を見たことがなかったので、ただでさえ大きな身体がさらに縦に伸びる光景をみて息をのんだ。
彼は先ほどまでいた場所に注意を促す。勇一がその方向を見ると、誰がみても墓標とわかる小さな山とたてられた木板があった。
「タバサだ。私の妻で、二人の母。まあ、ちょっと聴いてくれ」
ズシ、と地面に腰を下ろすと、三人に同じく座るよう促す。勇一達が言う通りにすると、彼は語り始めた。
「…百年ほど前、大陸戦争と後に呼ばれる戦争があった」
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