第11話:剣は語る
砕けた岩の隙間から、焦げた風が吹き抜ける。
前線南部、フォルグ峡谷。狭く複雑な地形ゆえに、数々の小競り合いが絶えない死地。
レオニスは、そこにいた。
(……この空気、嫌な予感がする)
傍らには、フィン。
そしてティナも、従軍医師としてこの地に赴いていた。
「新たな戦力が魔族側に加わったらしい」との情報は掴んでいた。
しかし、誰もその正体を知らない。
「“影抜き”じゃない。動きが違う。……もっと、生々しい剣の使い手だ」
フィンが呟いた。
(斬ることに迷いがない。けれど、どこか――怒りでも、憎しみでもない)
そんな敵が現れたのは、午後の陽が翳ったころだった。
突如、森の向こうから襲来したのは、漆黒の外套に身を包んだ青年。
無駄のない構え、研ぎ澄まされた気配。
「来るぞ――!」
レオニスが抜剣した、その瞬間だった。
斬撃と斬撃が交わる。
一合。
二合。
地が震えるほどの打撃が火花を散らす。
「っ……速い……!」
レオニスはすぐに悟る。
目の前の相手は、ただの魔族兵ではない。
(この剣筋……どこかで――)
一方の“敵”――カイ=ザルヴァもまた、感じていた。
(この動き、まさか……あのときの“勇者”か……?)
交わる剣は、互いに語らぬ問いを放つ。
「……君、名を」
思わず口を開いたのはレオニスだった。
だが、カイは答えなかった。
かわりに静かに構えを取り直し、低く、鋭く言った。
「俺は、“殺すため”には戦わない」
「何……?」
「剣を振るう理由が違う者同士じゃ、真実は見えない」
刃がもう一度、火花を咲かせた。
⸻
刃がぶつかるたび、空気が震える。
「この動き……ただの魔族じゃない」
レオニスは目の前の黒衣の剣士――カイに、確かな“意志”を感じていた。
(斬ることで、何かを伝えようとしている……?)
一瞬の交錯。鋭い斬撃が交わるたびに、互いの呼吸が読まれていく。
そこにあったのは、殺し合いではなく、理解しようとする対話にも似ていた。
「君の名は……?」
レオニスが問いかけるが、カイは沈黙を崩さない。
かわりに一言だけ、低く呟いた。
「……俺は、殺すために剣を取っていない」
その瞬間、森の奥から飛来した矢が空気を裂く。
狙いは、岩陰で手当てをしていた負傷兵のあたり――
「っ!」
治療の手を止め、ティナがとっさに振り向く。
「危ない!」
レオニスが叫び、カイが一歩踏み出す。
彼の剣が弧を描き、飛来する矢を叩き落とした。
ティナははっと息を呑むが、カイは彼女に視線を向けることなく、すぐに背を向けた。
そのときティナは、彼の背を見つめながら、ふと別の誰かの姿を思い出していた。
(……あのときの魔族の少年……ノク)
姿形は異なる。年齢も、雰囲気も違う。
それでも、戦場で人を守ろうとしたその一瞬に、ティナの記憶はノクへと引き寄せられた。
⸻
王国兵の一人が、突発的にカイに矢を放った。
「やめろ!」
レオニスの制止もむなしく、矢はカイの肩を貫く。
血が流れ、カイの呼吸が荒くなる。
ティナが思わず駆け出しかけるが、レオニスが彼女を制止した。
「……追うな。彼は、まだ戦いたくないだけだ」
カイは何も言わず、そのまま森の奥へと消えていった。
⸻
***
夜。野営地。
ティナは医療班の仮設幕舎で薬草を煎じながら、何度も手元を見誤っていた。
「……気にしてるのか?」
焚き火を挟んで、フィンが言った。
「今日の“敵”のことだよ。あの剣士」
ティナは静かに首を横に振った。
「いいえ。気にしてるのは……別の人。戦場で会って、名前も知らない、でも……忘れられない人がいて」
その言葉に、フィンが軽く目を見開く。
レオニスもまた、火を見つめながら静かに呟いた。
「……争いの中でも、誰かを思える心は失うな」
その夜、三人は語らず、ただ火のゆらめきを見つめていた。
戦場には、まだ名も呼べぬ“感情”が、いくつも転がっている。
そのひとつが、いつか物語になる日を、ただ静かに待っていた。




