第10話「星のない夜に」
月の見えぬ曇天の夜、静まり返った前線の野営地。
その片隅、ティナ・メリアスはひとり、壊れた包帯箱を修理していた。
足りない部材は小枝で代用し、壊れた蝶番の代わりに薬瓶の蓋を加工する。
器用な手つきが、どこか虚ろだった。
(……あのときの、あの瞳。今でも忘れられない)
あの襲撃の日、瓦礫の陰に現れた少年。
薄い外套に隠された角、魔族の証。
それでも彼は、こちらを襲わなかった。
むしろ、彼女をかばうように身を投げ出した――ように、見えた。
「……あれは、ただの錯覚じゃない」
思わず、独り言が漏れる。
すると、背後から小さな音。
「……錯覚じゃ、ないと思うよ」
びくりと肩を跳ねさせて振り向く。
そこにいたのは――あの日と同じ、あの少年。
ノク。
魔族であるはずの彼が、偽装したまま、再び人間の野営地に忍び込んでいた。
「……どうして……」
「気になったんだ。君があのとき、俺を“敵”として見なかったから」
静かに、だがはっきりと告げられた言葉に、ティナの胸が震える。
「本当は……わたしも、ずっと考えてたの。
あの夜、あなたの目が、誰かを守る目だったってこと」
ノクはわずかに微笑んだ。
だがその顔に浮かぶ影が、消えることはなかった。
「君に聞きたいことがあったんだ」
ノクの声が、静かに夜気に溶ける。
「“勇者”って、どう思う?」
ティナは言葉に詰まり、少しだけ空を見上げる。
「わからない……でも、あの人は……レオニス様は、正しい人よ。
誰よりも苦しんで、誰よりも……平和を望んでる」
「……そうか」
その一言に、どこか寂しげな響きがあった。
ノクは、去ろうとする。
「まって。……また、会える?」
問いかけは、風に紛れて消えそうだった。
ノクは振り向かず、ただ一言だけ残す。
「……戦が終わったら」
そして、影に溶けるように姿を消した。
ティナはひとり、その背を見送った。
夜の空は、どこまでも星がなかった。




