2-2 <老人>
駅から歩いて程なくすると、商店の建ち並ぶ通りに直面する。
最近は新しい建物も多くなってきたが、このあたりは通りを一本外れると、たちまち昭和臭の立ち込める町並みとなる。
そんな古い街並みの中に、目的の人物は住んでいるらしい。
もちろんエマのナビゲートもあるにはあるのだが、どうやらここ数年で随分と景観が変わってしまったようで、あまり自信が無い様子であったため、携帯のナビゲーションシステムに頼る結果となった。
昂一としては、パケット代も馬鹿にならないため極力使用は控えたかったところだったが、致し方ない。全く、便利な世の中になったものだ。
その人は、一体どんな人物なのだろう。昂一は思う。
ハスタルに宿主にされる人間は、生きる意志のある人間。
やはり、自分のように、まだ何も成し遂げないまま終わってしまった人間なのだろうか。
そんなことを思いながら、昂一は着ていたグレーのパーカーを脱いで、腰に巻きつけた。
東北というと寒いイメージがあったため、一応薄手のパーカーを羽織ってきたのだが、どうやらそれも杞憂だったようだ。道行く人々は皆半袖で、9月の厳しい残暑に顔を歪ませている。
どうやら、今日は相当暑い日、らしい。
(らしい、としか言えないのもちょっと悲しいけど)
4ヶ月前、エマと出会ってからは、暑さも寒さも、痛みさえも感じなくなってしまった。
味覚も鈍ったし、食欲も減った。
そのくせやたら眠いし、傷の治りは驚異的に、いや、異常なほどに早い。
生きているんだか、死んでいるんだか、良く分からない。あの世とこの世の間をふわふわしているような、そんな生活。
生きるための、活動。それが生活という言葉の意味だとしたら、もしかしたら自分の過ごしている日常は、もはや“生活”などとは呼べないかもしれない。
(まあ、さほど後悔はしていないけど)
『当たり前だ。後悔してるようだったら、とっくにお前の体なんか捨てている』
いつの間にかエマが昂一の思考を聴いていたらしく、横槍を入れてくる。
「そうだな。ハスタルって、生きる意志のある人間に憑くんだっけ」
『憑く、っつう表現は俺としては心外だな。まあ、お前が死にたくなったら、さっさと死ねばいいさ。その代わり、その時は他の死体を用意してもらうぞ』
「……」
昂一は、息を吐く。
この日本でそんな都合よく、“生きたがっている”他人の死体が手に入る訳がない。
『病死は駄目だな。生きるのを諦めているっつーわけじゃねぇが、ある意味死を覚悟して受け入れている場合もあるし、死ぬ直前に寝たきりだと体の状態も良く無ぇ。何より体の状態が緻密にモニターされてるから、突然生き返ると不自然だからな。できれば、突発的な事故か、事件か――いわゆる、“志半ばで”ってのがオレたちにしてみりゃ一番ベストだ』
嬉々として話すエマ。
鳥肌が立った。やはり、この生命体の価値観は、人間とはずれている。
事故を装って巻き込むのも、人としてどうかと思う。増してや他殺など。
「……どうやら、俺が死ぬのはまだまだ先になりそうだ」
『そりゃ結構。但し――』
それまで雄弁だったエマが、突然、まるで死刑宣告をするように、厳かな口調になった。
『お前の外見は、オレがお前の体を乗り捨てて、お前が本当に死ぬまで変わらねぇからな。今のままの暮らしは出来ねぇし、あの楓っつう女とも近い内に縁を切るんだな』
まるで、どころか、それは死刑宣告に等しかった。
生まれてから今まで長い時間を共に過ごしてきた、家族同然の彼女と、二度と会えない日々が、やがて来る。
それは、今の昂一には全く想像が及ばないことだった。
親しいからこそ、彼女は、昂一の異変に、人間としての異常さに、真っ先に気づくだろう。だから、一緒には居られない。
その日が来たら、自分は、耐えられるのか。
(それに耐えられなくなるときが、俺の死ぬとき、なのかな)
これ以上、家族を失ってたまるものか。
エマに読み取られないように、思考の隅でそっと思った。
『そこを右に曲がってすぐの駄菓子屋だ』
不意にエマの声が脳に響いて、思考が現実に引き戻される。
ごちゃごちゃとした、見通しの悪い十字路を曲がると、左手に、建物に挟まれて窮屈そうに佇む小さな駄菓子屋があった。
「ここか?エマの知り合いが居るのって」
『……まだおっ死んでなけりゃな。多分引っ越したりはしねぇはずだが』
エマの言葉に、昂一は急に不安になりながらも、軒下をくぐる。
古い家の匂いが鼻をかすめた。
店頭には、誰もいない。プラスチック製の容器にこんもりと盛られた駄菓子たちが、留守番をしていた。
……どうしよう。ここまで来て無駄足だったら。
一抹の不安を消し去れない昂一に、『だからどうした』と、エマが発破をかける。
『店が開いてるってことはやってんだろ。呼んでみな』
「……すいませ〜ん」
エマに促されて、店の奥に向かって声をかける。しかし、人が出てくる気配は無い。
昂一は肺にすぅっ、と空気を送り込み、
「すいませ〜ん!」
今度は、もっと大きな声を張り上げる。
すると、店の奥の磨り硝子に人影が移り、ごそごそと何かが動く気配がした。
やがて、待ちかねたように、ガラス戸が、ガラリとと勢いよく開く。
「はいはい」
そう言って店の奥からサンダルを履きながら出てきたのは――高齢、と思わしき女性だった。腰はしっかりしているが、髪は見事な白髪だ。
……ヤバい。ものすごく人違いな気がする。
「すまんの、昼寝ばしつたっけ」
今の難解な言葉は、「昼寝をしていた」という意味だろうか。ニコリと笑った眦に皺が寄る。温和そうな老人だ。しかし、昂一が想像していた“ハスタルの宿主”のイメージからかけ離れていて、今一この老人が目的の人物とは思えない。
というか多分、違う、と思う。
「お客さんだべか?」
「あ、俺は……」
どうやって切り抜けようか、適当に菓子でも買って帰るか、と思案を巡らせていたその時。
「おやおや」
不意に、老婆が細まっていた眼を見開いた。
「エマが?」
老人の問いかけは、昂一に対するものではなかった。
まるで、誰かと話しているように、彼女が“自身の中の誰か”に聞き返す。
これは、まるで――誰も居ない空間に向かって話す、滑稽な自分を客観的見ているような光景だ。
「久しぶりだの。姿を見せてくんねが?」
老婆が、昂一に―― 否、昂一の中のハスタルに向かって話しかけている。
瞬間。
瞬きを一つする間に、目の前に巨大な濃紺の獣が顕れた。
エマだ。小さな店の中で窮屈そうに身を屈ませている。
ハスタルの姿は宿主の人間たちには見えるとは言え、その存在は現実の物に干渉することは無い。つまり、幽霊のように物質をすり抜けるため、このように身を小さくして収まる必要は無いのだが、その様子に、この老人に対する配慮が伺えた。
『よう。久しぶりだな、婆さん。それに、シス』
エマが老婆に語りかけると、またもや刹那の間に、老婆の背後には、真っ白なふわふわの猫が顕れる。
身の丈は人間の子供くらいで、どういうわけか、頭からは1本花が生えている。
白猫は、空中にぷかぷか浮かびながら、腕を組んだ。
『宿主が変わって、ボクにわざわざ挨拶しに来たのかい?マメだねぇ、エマも』
猫好きなら思わず抱きしめてしまいそうなほど可愛らしい外見とは裏腹に、こんなことを言っては失礼かもしれないが、軽薄そうな声。エマの低く沈むような声とは違って、中性的だ。
『少年。エマの宿主になるなんて、災難だねぇ』
にやにやと笑って、白猫がこちらを見る。
ああ、シス、と呼ばれたこの白猫もまた、ハスタルなのだ。急にそのことを思い知る。
エマとは全く外見が違うため、同じ種族とは思えない。
少なくとも、生まれて初めてエマとラナ以外のハスタルを見た昂一の、それが率直な感想だった。
これだけ違えば――まあ、確かにラナのような外見のハスタルが居てもおかしくないのかもしれない。
「これ、シス。お前もちゃんと挨拶すろ」
無遠慮に話しかけるシスを宥める老人。
『妙婆さん。あんたはお人好しだねぇ。ま、こんなガキんちょには妙婆さんに言われたって挨拶はしないけどさ』
シスは、大仰に肩を竦める。
ガキんちょと言われたのはスルーするとして(ここで反応したら本当にガキだ)――その様子は、いつもエマに見下されてばかりの昂一とは違って、対等な関係と、確かな信頼関係のようなものが見て取れた。
このお婆さんは、相当長い間ハスタルと共に居るのだろうか。
そんなやり取りを気にも留めず、エマが、首を屈めて老人と目線を合わせた。
『婆さん。シス。今日は挨拶に来た訳じゃねぇ。急ぎの話があって来た。実は――』
「まあ待で」
老人が、エマの言葉を遮る。
エマは、黙って老婆の話に耳を傾ける。物凄く貴重なシーンだ。
「お前さんだも、疲っちゃべ?上がってお茶でも飲みながら、まずは自己紹介でもしてもらおうがな、少年」
最早大物としか思えない老人の言葉に、昂一はただ、こくこくと頷いて従うことしか出来なかった。
場所は変わって、店の奥の居住スペース。老人の家の、居間である。
「私の名は、高倉妙子だ。シスのように、妙婆さんと呼んでくれて構いねぇがらな」
久しぶりに楓の家以外の他人の家に上がって、これでもかというほどに緊張し、落ち着きなくそわそわしている昂一に、妙子はお茶を淹れながら話を切り出した。
昂一は慌てて姿勢を正す。
「あ、俺……僕は、朱野昂一と言います」
そんな昂一を見て、妙子は優しく片目を眇めた。
「コウイチか。畏まらんでもええからの。漢字は、どげさ書くんだべが?」
「あ、えっと……星のすばるがコウで、数の一、です」
「一つの、昴。良い名だの」
にこりと、妙子が笑う。
その笑顔に、少し肩の筋肉がほぐれて、緊張していた身体が楽になるのが分かった。
「すばる、ていうのは、沢山の星の集まりでの」
妙子が、昂一の前にお茶を出してから、落ち着いた動作で自分の分のお茶をずずっと啜った。
「それが集まって、一つの輝きば放つ。統ばる、ていうのが、昴の語源だべ」
妙子の知恵袋に感心しながら、昂一もつられてお茶を飲む。
……美味しい。
味覚は鈍ってきている筈なのに、何故美味しいのだろう。熱さは感じなかったが、お茶を飲んで、身体が温まった気がした。
「お前さんは、きっとすばるのように輝ける。そういう星の下に生まれた人間だ」
自分の名前について、そんなことを言われたことなんて初めてだった。ちょっと照れくさい。
同じことを級友に言われていたとしても、鼻で笑い飛ばしていただろうが、この老人に言われると、何だか説得力があった。
なるほど、この老人には、エマたちハスタルが一目置くような、人間的な魅力が有るのだ。
密かに、そう思う。
『婆さん。有り難い蘊蓄だが……事態が事態だから、話を進めさせてもらうぞ』
それまで黙って話を聞いていたエマだったが、一応昂一が日帰りで帰れるように配慮してくれているのか、話を切り出す。
決して広くはない居間で、やはり窮屈そうに伏せている(姿を見せないと、エマと妙子、シスと昂一は話ができない)エマの瞳を見据えて、妙子が「んだな」と一つ頷いた。
『偉くなったもんだねぇ、エマも』
『お前は黙ってろ』
木製のこたつ机の上で寝そべって茶化すシスを一括し、エマは静かに昨日の出来事を話し始める。
人の形をした、ハスタルと出会ったこと。
少女が名を持たぬこと。
少女は昂一が保護したが、とりあえず今は昂一の知り合いに預けていること。
『まあ、生きてる人間を襲って生命を奪うことはねぇだろうし、コイツがヘタレだから預けてきた訳だが』
「……好き放題言いやがって……」
一通り話し終えた所で、すかさず妙子がお茶のおかわりを淹れた。暫く喋り続けて、少し掠れた喉が潤う。本当に、このお婆さんの淹れるお茶は神懸かり的な旨さだ。
「なるほど」
妙子が、ずず、と茶を啜った。
エマは、そんな妙子をちらりと見遣って意見を求める。
『どう思う?やはり――』
「まあ、そうだべな。それしか考えられねぇ」
『まあ状況からして、そうなんだろうねぇ』
昂一以外の三者は、ある結論に行き着いたように、神妙な表情で頷きあっていた。
昂一一人が蚊帳の外で、何のことだかさっぱり分からない。
『どうする?これから――』
「……あの」
尚も昂一を完全に無視して話を続けようとする三者の間に割って入るように、彼は控えめに挙手して存在を主張した。
「出来れば俺にも分かるように説明して頂けると有り難いんですが……」
そんな昂一を見て、シスが寝ころんだまま、喉の奥でで笑う。
『クク、どうやら、エマに憑かれた少年が苦労してるんじゃなくて、少年を宿主にしてしまったエマが苦労してるのかなぁ?』
シスの言葉に、昂一は大いに傷ついた。というか、怒りを覚えた。
イヤミそうな猫だとは思っていたが、本当にイヤミな猫だった。はっきり言って、ムカつく。
『ああ、面白い。見てて飽きないし――』
『お前は、話の腰を折りやがって――』
「二人とも、お止し。大人気ないのはお前だじゃねぇのが?」
妙子の静止に、二人とも同時にピタリ、と言葉を止める。さすがの妙婆さんだった。
「すまんかったの、昂一。気ば悪くしねえでおくれ」
不思議と、妙子には素直に謝る気持ちになる。昂一はぺこりと頭を下げた。
「いや、こちらこそ話の腰を折ってしまってすみません」
「謝ることはねえ。無知は、罪ではないからの」
昂一を妙子がフォローしたからか、シスは少し不機嫌そうに頭の花を揺らした。もしかして、嫉妬、しているのだろうか。
そう思うと、何だかこの皮肉屋の白猫も可愛く見えてきた気がする。ムカつくけど。
「昂一。つまりなぁ、」
ただでさえ深い皺をより一層深くした妙子が、少し話しにくそうに言葉を濁らせた。昂一の視線が、再びシスから妙子へと向けられた。
「私らの憶測でしがないのだげっど……」
『妙婆さん。こいつは多分、はっきり言ってやんないと分かんないと思うよ?』
シスが悪戯めいた顔で、尻尾をゆらゆらと揺らす。
あ。またバカにされた。
「んだらば、はっきり言う。恐らぐよ、その、ラナという子……」
妙子は、何かを決意したかのように、昂一の瞳を見据えた。
何をはっきり言うというのか。
口から出すのに逡巡が必要な事実など、あるのか。
妙子の小さくすぼまった口が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
昂一にとって、凄まじく破壊力のある、一言を。
「その子は、多分……女王だべ……」
エセ山形弁ごめんなさい。
完全に正しい山形弁ではないと思いますし、少し分かりやすくはしてはありますが、あまりにも意味が違う場合はご指摘頂ければと思います。細かいところはご容赦ください。




