2―5
2―5
――西暦2051年2月17日(金)03:08 【仁川港・アメリカ級強襲揚陸艦「LHA-6 アメリカ」艦内】
――ビィーン! ビィーン! ビィーン!……
ブライアン・A・マクブライド大尉は、艦内に鳴り響いた警報によって起こされた。
緊急事態を知らせる警報だ。時刻を確認すると、午前3時過ぎだった。
ベッドから立ち上がり戦闘服に着替え、部屋から出る。
中隊指揮官であるブライアンには、艦内に個室が与えられているのだ。
そしてブライアンは、ブリーフィングルームへと向かった――。
◇ ◇ ◇
ブリーフィングの後、中隊メンバーは揚陸艦から港に降り、陸揚げされた車両の近くに集合した。
中隊の任務が変更されたのだ。
現在、ソウル市内に大規模な暴動が発生しており、アメリカ大使館の邦人を救出することになった。その任務を与えられたのが、ブライアンたち軽装甲偵察中隊だった。
暴動に関しては、北の工作員が一斉に蜂起したものと見られている。
大使館の周囲も暴徒に囲まれており、一時的に撤収することになったらしい。
ブライアンたち軽装甲偵察中隊は、出撃準備をしていた。
ブリーフィングでは、仁川のレンタカー業者に大使館の人間を乗せるための大型バスを手配中との話だった。
その大型バスの護衛を1個分隊で行う。車両は、L-ATV2台とLAV-25A2歩兵戦闘車1台だ。
残りの隊員は、仁川港に残り待機とバックアップを行う。
軽装甲偵察中隊は、3個小隊から成り、小隊は2個分隊で構成されている。
海兵隊の分隊は、基本13名の隊員で編成されるため、この中隊は最大78名の海兵隊員から成るわけだが、現在は3名の欠員が出ているため75名だった。
「キャプテン! 準備完了いたしました!」
ジョーンズ曹長が分隊の準備が整ったことを知らせに来た。
「ありがとう、アラン」
ブライアンは、L-ATVの助手席に乗り込んだ。
助手席側の後部座席にジョーンズ曹長が搭乗する。
――コンコン
ブライアンが搭乗した助手席の窓がノックされた。見るとスミス少尉が立っていた。
助手席のドアを開ける。
「キャプテン、本当に1個分隊でよろしいのですか?」
「ああ、これは時間が勝負の任務だ。なぁに、大使館に行って帰ってくるだけの簡単なお仕事さ」
「分かりました。お気をつけて」
「後のことは頼んだぞ、バート」
「ハッ!」
「マックス、出してくれ」
「イエッサー」
先頭のL-ATVとLAV-25A2の後に続き、ブライアンの乗ったL-ATVが発進する。
隊列は、L-ATV→LAV-25A2→L-ATVの順だ。
港の中を少し移動した後、大型バスが合流した。
大型バスは、LAV-25A2の後ろに入れる。
ブライアンが乗るL-ATVは、大型バスの後ろだ。
そして、車列はソウルの米国大使館へ向かった――。
◇ ◇ ◇
仁川港からソウルまでは、直線距離で30キロメートルほどだ。
1時間もかからずに到着するだろう。
ソウルへ向かう高速道路は、こちらの車線には一台の車も走っていなかったが、反対車線は大渋滞が起きていた。
ソウルから退避する市民たちだろう。
ソウルは、NLL――北方限界線――から近すぎるのだ。
百年前の朝鮮戦争でも瞬く間に占領された。
韓国軍には、そのときに漢江大橋を避難民もろとも爆破したという苦い経験がある。
高速道路を走っていると、ソウル市街の方角の空が赤く染まっていた。火災が発生しているようだ。
それから30分ほどで高速を降りて、麻浦大橋を渡り、光化門広場へ向かった。
光化門広場は、暴徒で溢れていた。
暴徒たちが、先頭のL-ATVに駆け寄ってくる。
――キャプテン、暴徒達がこちらに向かってくる! 指示を請う。繰り返す、暴徒達がこちらに向かってくる! 指示を請う。オーバー
――こちらキャプテン、発砲は禁ずる。繰り返す、発砲は禁ずる。攻撃されたときは、マニュアル通りに対応しろ! オーバー
――カーピー、ザット
暴徒の群れがL-ATVを囲んだ。
暴徒は、手を伸ばしL-ATVの窓を割る。
そして隊員の腕を掴んで噛みついた――。
◇ ◇ ◇
車列が停止した――。
ブライアンは、大型バスの後ろのL-ATVに搭乗していたため、前の様子が分からない。
大型バスの右側の陰から男が転倒しながら飛び出てきた。起きあがった男は、一目散に逃げていった。
――今の男は、バスの運転手ではなかったか?
「ニック、バスを見てきてくれ。今のは運転手かもしれん」
「イエッサー」
左の後部座席からマーティン二等兵がL-ATVを降りて大型バスを見に行った。
マーティン二等兵は、すぐに戻ってきた。
ブライアンもL-ATVを降りる。ジョーンズ曹長も続けて外に出た。
「どうした?」
「キャプテン、凄い数の暴徒です」
「なんだと?」
ブライアンは、大型バスの右後ろから前方を窺った。
――タタタタタタタタタタタタタタタ…… タタタタタタタタタタタタタタタ……
前方から乾いた銃声がした。
LAV-25A2に搭載されたM240機関銃の射撃音だ。
――暴徒を撃ってるのか?
暴徒がRPGでも持っていたのだろうか?
北の工作員なら十分考えられた。
それにしても、韓国軍や警察は何処に居るのだろう?
「うわぁーっ!」
「く、来るなーっ!」
隊員たちの悲鳴を聞いたブライアンは、M4A1カービンのセレクタをF――フルオート――に合わせた。
「行け!」
「「ハッ!」」
ジョーンズ曹長とマーティン二等兵が大型バスの陰から出て、移動を開始した。
ブライアンもそれに続く。
前方から、暴徒たちがこちらへ殺到してきた。
「ウェポンズフリー! 撃て!」
ブライアンもM4A1アサルトカービンの引き金を引く。
――タタタン! タタタン! タタタタ……
暴徒達は、平気な顔で接近してきた。
『薬物か!?』
ジョーンズ曹長とマーティン二等兵が暴徒に掴まれた。
ブライアンは、助けようとしたが、すぐ横から現れた中年女性に掴まれる。
振り払おうとしたが、物凄い力だ。
『やはり、薬か……?』
ブライアンがそんなことを考えたときだった。右腕に痛みを感じた。
戦闘服の上から噛みつかれたようだ。
中年女性は、それっきりブライアンから興味を無くしたようで、バスの後方へ小走りで走り去った。
暴徒達も、次々とブライアン達の横を通過して、バスの後方へ移動して行った。
「キャプテン」
「ああ、少し噛まれたが無事だ」
「私もです」
「自分も」
二人も同じように噛まれたようだ。
「ニックは、このバスの運転席で待機していてくれ」
「イエッサー」
「大使館は、すぐそこだ。ここからは徒歩で移動する」
「「イエッサー」」
バスの前に出るとLAV-25A2は無惨な姿だった。
見たところスクラップ同然だ。
怪我をした隊員たちが呆然とした表情でLAV-25A2を見ていた。
「どうした? 何があった?」
「……キャプテン、それが……暴徒達に襲われました」
「怪我は?」
「全員無事です。怪我も大したことはありません。でも、あいつら何なんだ……?」
すっかり意気消沈しているようだ。
「センパー・ファイ!」
「「センパー・ファイ、サー!」」
「我々は、誇り高きアメリカ海兵隊だ! 任務を遂行せよ!」
「「サー・イエッサー!」」
ブライアン達は、大使館へ向かって移動した――。
◇ ◇ ◇
大使館の門は無惨に破壊されていた。
鉄製のゲートが飴細工のように拉げている。
入り口の扉も破壊されていた。
停電しているのか、中は真っ暗だ。
ブライアン達は、ライトを手に慎重に大使館の中を進む。
破壊されたドアを辿っていくと、奥の大使の部屋へ到達した。
「アメリカ海兵隊です。ご無事ですか?」
「「ああっ……」」
ホッっとした声が中から聞こえてきた。
「動けない方はおられますか?」
「いや、我々は大丈夫だ。重傷者はいない」
「では、外にバスを待たせてありますので、我々の後についてきてください」
ブライアン達は、車列に戻るために移動を開始した――。
◇ ◇ ◇
損傷の激しいLAV-25A2は放棄した。
LAV-25A2に搭乗していた隊員は大使館の人間と共に大型バスに乗せた。
ブライアンは、L-ATVに戻り、無線で強襲揚陸艦「アメリカ」と連絡を取った後、帰還のため光化門広場から移動を開始する。
光化門広場は、依然として暴徒で溢れていた。ゆっくりと歩いている者や道路の真ん中で立ったままの者など様々だが、その姿は不気味だ。
暴徒たちは、まるで幽鬼のようだった。小銃で撃たれても平気な顔で動いていたのが気になる。装甲は戦車ほどではないにせよ、仮にも装甲車であるLAV-25A2をあそこまで破壊したというのも常識では考えられない。RPGを使ったとしたら、中の隊員は生きていなかっただろう。見た限りそういったものを使用して破壊したという痕跡は無かった。
車列が停止した――。
――キャプテン、暴徒が邪魔で移動できません。繰り返す、暴徒が邪魔で移動できません。オーバー
――威嚇射撃を許可する。繰り返す、威嚇射撃を許可する。オーバー
――カーピー、威嚇射撃を開始します。
――タタタン! タタタン! タタタン!
――キャプテン、威嚇射撃をしても暴徒は無反応です。繰り返す、暴徒は無反応です。オーバー
――時間がない、そのまま進め。繰り返す、そのまま進め。オーバー
――カーピー、このまま前進します
再び車列が動き出した。
前を走る大型バスの車体が揺れた。暴徒を踏みつぶしたのだろう。
後味は悪いが小銃で撃っても死なない相手だ。
ブライアンは、目を見開いた。
大型バスに踏まれた暴徒が立ち上がったのだ。
「何だこいつは!」
ブライアンの乗ったL-ATVを運転するマクシミリアン・トーマス二等兵が声を上げた。
驚いて回避できなかったようで、立ち上がった暴徒がL-ATVの左前部にぶつかった。
――ドゴン!
ブライアンの乗ったL-ATVに暴徒がはねられ、車内に嫌な音と振動がした。
「気にするな、そのまま行け!」
「イ、イエッサー」
暴徒達の集団を抜けた後は、比較的スムーズに移動できたが、車内の空気は重く、誰も口を開かなかった。
そして、無人偵察機により得られた情報から、渋滞の少ないルートを選び、2時間ほどで揚陸艦へ帰還した――。
―――――――――――――――――――――――――――――
――西暦2051年2月17日(金)07:19 【東シナ海・海上・アメリカ級強襲揚陸艦「LHA-6 アメリカ」艦内】
ブライアンは帰還した後、簡単な手当を受けてから作戦の報告を行った。
LAV-25A2を失ったことは、後で追求されるかもしれないが、隊員が全員無事だったことにブライアンは胸をなで下ろす。
その後、ブライアンは食堂へ移動した。
まだ、朝食を食べていなかったのだ。
士官食堂では、救助した大使館の職員たちが食事をしていた。
一人の男性職員がブライアンに声を掛けてきた。
「ありがとうございました」
「いえ、任務ですから」
「…………」
男性職員の笑顔が凍り付いた。
次の瞬間、男性職員の頭部が一瞬白い光に包まれた。
それほど強烈な光ではなかったが、何が起きたのだろうか?
「大丈夫ですか?」
「…………」
男性職員は、虚ろな目でブライアンを無視して、奥のほうで食事を取っている士官めがけて走っていった。
「キャーッ!」
「何だ?」
「何が起きた?」
悲鳴や戸惑いの声が上がる。
ブライアンが救助した大使館の職員たちのほうから、白い光が一瞬弾けた。
女性が入り口のほうに飛び出して行った。
入り口から入ってきた士官がその女性に抱きつかれた。
「な、何だ!」
女性は、士官の肩口に噛みついた。
「ま、まさか……」
ブライアンは、ソウル市内で中年女性に噛みつかれた右腕の傷を押さえた――。
―――――――――――――――――――――――――――――




