#02四拾七番倉庫
その日ケンが帰宅したのはすでに午後9時をまわっている頃であった。玄関のドアを開けた彼は、居間から光が漏れているのに気がつく。
「マリさん……?」
恐る恐る居間を覗くケン。まず目に入ったものはつきっぱなしのテレビ。そしてテレビの前のソファには一人の女性が座っていた。銀髪のショートに、やや血色のよくない肌。年はおよそ30代前半ほど。今は瞳を閉じ静かな寝息を立てていた。
「マリさん、マリさん。そんなところで寝ていたら風邪ひくよ」
ケンはその女性の足もとに落ちているブランケットを拾うと、彼女を起こそうとした。
彼女はケンの母、正確には義母である。幼いころ“施設”にいて誰も引き取り手がなかったケンを彼女は引き取り、この10年ほど女手一つで育て上げてきたのだ。 しかしそんな彼女だが数年前から原因不明の病を患い、みるみる衰えていった。今現在彼女とこの世を繋ぎとめている唯一のものは、ケンの“アルバイト代”ことマチダ先生が処方した薬である。
「あ、ああ。ケンちゃん、おかえりなさい」
彼女はふらふらと力なく立ち上がろうとするが、バランスを崩して倒れこむ。すんでのところでケンが抱きとめたため、床への激突は免れた。
「マリさん、体調があまりよくないんだから、無理しちゃだめだよ」
ケンが抱きとめた彼女の体は、驚くほど軽かった。
「ごめんねケンちゃん。わたし、今日はちょっと元気かなって思ったから無理しすぎたみたいね。疲れちゃった」
居間からキッチンへと視線を向けると、テーブルの上にはラップがかけられた食器がいくつも置いてあるのが見える。こうなる以前、料理が得意なマリはよくキッチンに立ち、様々な料理をケンに振舞ってくれていた。かつての溌溂とした姿とはかけ離れた母に、ケンの胸は痛んだ。
「ケンちゃん、お腹空いているでしょう? 温めなおして食べてちょうだい」
マリはケンの手を引いてキッチンへと移動する。ゆっくりと食卓に着くと、彼女は皿にかかったラップを一つずつ丁寧に取り去ってゆく。
「ああ、俺がやるよ」
皿を持ち、立ち上がろうとするマリをケンは慌てて制止する。
「ふふ、じゃあお願いするわね」
電子レンジの音がキッチンに響く。手持無沙汰になったケンは、マチダ先生から受け取った薬の存在を思い出した。
「そうだった、マリさんこれ」
カバンから取り出された白い紙袋を見たマリの表情が一瞬曇る。
「マリさん……?」
「何でもないわ。いつもありがとうね、ケンちゃん」
薬の世話になる生活など、誰も望んでいるものではない。ケンも自分の母親が薬に対してネガティヴなイメージを抱いているであろう事は痛感している。彼女は薬を飲んだ数日は元気になるものの、効力が切れるのか、すぐに今日のようになってしまう。このままでいいわけではないが、どうすることもできない。ケンの内で不甲斐無さがのたうち回った。
「さ、温まったみたいだし、お夕飯にしましょ。今日学校で何があったかも教えてちょうだい」
決して豪華ではないが、暖かく満ち足りた食卓。それはケンのお腹と心を満たしていった。
* * *
自室へ入ったケンは鞄を机の脇に投げやると、ベッドに倒れこむ。そして、病院で聞いてしまった会話を頭の中で必死に整理していた。
マチダ先生は何かを済ませたのだ。そしてその報酬としてお金をもらい、さらには四拾七番倉庫の第八区画に何か用があるらしい。
「待てよ、四拾七番倉庫って」
ケンは思わず口走る。
四拾七番倉庫とは自治隊が管理する第47番目の倉庫であり、その中には色々な重要で危険なものがしまいこまれている、とケンは以前に聞いたことがあった。その他の噂では創世暦より遥か以前の呪術の書物や物品から始まり、宇宙よりの飛来物なんてモノもあるそうだ。いわゆる“オカルトチック”な噂しかたっていない倉庫なのである。
「そんな場所に、一体何が……」
思わずひとりごちるケン。とりあえずこの件は保留という事に決めた彼は、次の情報の整理に取り掛かる。
確か女性の声は何か実験の様なものを行うと言っていた気がした。それに対してマチダ先生は被害がどうとか言っていた。近いうちに何かが起こるのだろうか。ケンは自治隊への報告を考えたが、すぐに却下とした。こればかりはどうしようもない。いつ、何が起こるのかもわからずに自治隊に報告しても相手にされず門前払いされるのが関の山だ。この件も保留だ。ケンはそう考えた。
そして最後は自身が見た奇妙な夢。いつも見ているものとはまた違った、不気味で生々しいもの。
「汝、罪を背負いし咎人か……」
不意に思い出した言葉を何気なくつぶやく。その時、ケンの脳裏にあるオブジェクトが浮かび上がった。そう、あの十字架だ。ケンは胃にざわざわと嫌なものを感じた。
「分からないこと、ばっかだな」
病院で処方された薬が強力なものだったせいなのだろうか、ベッドにうつ伏せになっているケンに眠気が襲いかかる。情報を整理し、いろいろ考えていた頭も今や全てが入り乱れノイズが走っている。
ケンは再び夢の中へと落ちていった。あの、闇に沈みながらも意識がはっきりしていく感覚と共に……。
* * *
「何で、だよ」
――――音、波の音。風の音。
冷たい、体が何か液体のようなものに浸っている感覚が四肢に伝播する。
鼻腔に広がる、血の臭い。気が付くとケンは再びあの海にいた。
「そうだ、あの十字架」
ケンはしきりに辺りを見回す。しかしどこにも見当たらない。
「どこだ、十字架……」
狂ったように辺りを見回し、水を切り歩きまわる。そんな時、ケンの視線の先に小さな島が見えた。そう、以前見たときにはただの黒い点でしかなかったものだ。
ケンはふらふらとその島を目指し水の中歩き始める。歩いて、歩いて、歩いて――。
* * *
「――名前だ!」
彼は私に問う、ただ純粋な思いで。
「私のか?」
振り向いた私は、一体どんな顔をしていたのだろう。
「私は、ジーグルーネ。“勝利”の神聖文字の意味がある」
「そいつはすげえや! だったらさ、終わらせようぜ、俺とお前で!」
希望――、高揚――、光――。
「そうだ……な」
何よりも愛おしいその顔を見た私は、きっと微笑んでいたのだろう――。
* * *
ケンはあまりの眩しさに目を覚ました。開け放たれたままのカーテンから降り注ぐ朝日の所為だ。先程まで見ていた夢の所為か、胸の内に不思議な高揚感が残っている。夢はそれだけだっただろうか? 彼は大きな欠伸と共に伸びをする。そして何気なく目覚まし時計に目を向けると……。
「9時!? 遅刻だ!」
ケンは物凄い勢いでベッドから飛び起きると、勉強机の脇にほっぽり出された鞄をひっつかみ階段を駆け下りていった。
「ホラ、持って行って!」
ケンの足音を聞きつけて、昨晩よりずっと体調のよさそうなマリが彼にサンドイッチが入った包みを投げてよこした。
「ありがとう! 行ってきます!」
勢いよく玄関を飛び出したケンは猛スピードで学校へと向かい駆け出して行った。朝の陽射しに照らされた旧市街地。新市街地とスラム街の狭間である。路地を抜け、坂を下り、商店街を一気に駆け抜ける。学校まであとわずかとなった時、ケンは前方に見覚えのある人影を見つけた。
「あ、おーいエイ!」
エイと呼ばれたその人物は歩みを止める。そして声のする方向へと顔を向けた。
「あ、ああ。ケンか。おはよう」
彼の名はサエキ エイ。口数は少なく、アンダーフレームのメガネをかけたその顔はいつも小難しい表情が浮かんでいる。それに加え、高身長の彼からは常に近寄り難いオーラのようなものが漂っている。そういった理由で彼に話しかける人は少ない。しかし、ケンは特殊なオーラを放つエイに興味を持ち、転入当時からしきりに接触を図ろうとしていた。そんなケンにエイも少しずつ打ち解けて行き、いつしか二人は友人同士になっていた。
「まーた遅刻か?」
ケンがいつもの調子でエイに話しかける。
「お前もだろ」
「へへっ、まあな」
ケンはエイに昨日の奇妙な体験を報告しようとしたところで、彼が寝不足気味であることに気がつく。重たげな両瞼、目元に浮かぶ隈、そして今この瞬間にもかみ殺したような短い欠伸をしている。
「まだ、見つからないのか……?」
エイはケンの問いに淡々と答えた。
「ああ。だが昨日、確かなスジから情報が入った」
エイには4歳年上の姉がいた。彼女は若くして自治隊陸部の特務部に所属し、4年前の重要任務とやらで国外へ行ったきり行方が分からないらしい。
「情報?」
「ああ。もしかしたら、姉さんが今どうなっているか分かるかもしれない」
姉の行方不明に一切の説明をもらえなかったエイは、自治隊が何か隠しているのではないかと睨み、自治隊や陸部の事について手当たり次第に調査を始めたという。
「あんまり無理するなよ」
ケンの言葉にエイは空を見上げる。朝の陽ざしに彼は目を細めた。
「無理じゃあない」
ただ一言、短くそう言った。
結局、ケンとエイは60分もの大遅刻をして教室に到着した。 呆れる教師に遅刻理由を告げそれぞれの席に着く。隣の席のリョウはまだ一限目だというにもかかわらず、机に突っ伏し寝息をたてている。リョウの席から通路を挟んで右手にはナナの席があった。彼女はものすごく何か言いたそうな顔つきでケンを睨んでいる。そしてついに彼女が口を開きかけた時――
「――であるから……ん、サカキ、授業に集中していなさい。じゃあサカキには今先生が説明していたところを要約してもらおうか」
突然の指名という爆撃がナナに襲いかかる。彼女は開きかけた口をそのままにひどく憤慨したような表情をした。ケンは申し訳なさそうに教科書を盾にナナの視線から逃れる。
「……はい、“神々の黄昏”で同胞の多くを失った神族は、僅かな生き残りと共に“ミズガルズ”へ逃げ去りました。彼らはそこで、争いの火種となった超越的な力や技術は封印し、新たな世を築いていこうと決めました。その日――つまり“ヒト”という存在が産まれた日が、いわゆる“創世歴”の始まりとされています」
ナナのその口調はまるで台本を読んでいるかのように鮮やかであった。ケンだけでなく、クラス中、ただ一人寝ているリョウを除く全ての生徒が呆気にとられ彼女を見つめている。さらに彼女は続けた。
「そして現在、この世のどこかに眠るとされている超越的な力や技術、いわゆる“失われた遺産”を求め、日夜多くの人がまだ見ぬ神々の土地を探すことに時間を費やしているようです」
座りながら淡々と語っていたナナであったが、『ですが!』の声と共に勢いよく立ちあがった。
「あるかどうかも分からないものを求めるより、世界がひとつになる方が大事なんです! みんなで手を取り合って、建設的な研究に時間を費やすべきなのです!」
教師はやれやれと頭を振る、と同時に終業のチャイムが鳴り響いた。
「あ、先生! まだ私の意見は終わっていません! 待ってください!」
ナナは教師を追い教室を出て行った。 残された生徒たちはしばらくただ呆然としていたが、一人、ふたりと始めたひそひそ話が教室中に伝播して行き、ものの30秒ほどで教室は喧騒の渦に飲み込まれていった。
「“すべき”でまとまった世界なんて、ロクなもんにならんわ」
ケンは驚いてリョウを見る。リョウは大きな欠伸とともに伸びをしていた。
「リョウ、聞いてたの?」
「あんだけ騒がれたら、イヤでも目ェ覚めるわ」
* * *
昼の休息時間、ケンとエイは校内に設置されている自販機前にいた。硬貨を入れ商品を選ぶエイに、ケンは唐突に切り出した。
「なあエイ、四拾七番倉庫について、何か知らないか?」
ガコン、という音と共に商品が取り出し口に落ちてくる。しかしエイはボタンを押したままの姿勢で固まっていた。彼の予想外の反応に首をかしげるケン。
「場所変えるぞ」
商品をとり出しながら、エイはそう言った。
屋上への階段――ケンの学校の中でも最上層に位置するこの場所は、窓が少ないために薄暗く、さらには置き場のない椅子や机が乱雑に積み上げられ独特の雰囲気を醸し出していた。屋上に出る扉は施錠され立ち入り禁止になっているため、この場所を訪れる生徒は皆無といっていいだろう。
エイは中段あたりまで登っていくとその場に腰を下ろした。ケンも近くに置かれている机の上に腰を下ろし危なっかしくバランスをとる。
「な、なあエイ、噂話ぐらいこんなところでしなくたっていいだろ」
しばしの沈黙。下の階から生徒たちのにぎやかな声が聞こえてくる。ずっと手に持った缶を見つめていたエイだが、ようやく口を開いた。
「こんなところに来た意味を考えてみろ」
エイはまっすぐケンを見つめている。
「お前のその様子……訳ありだろ?」
「どうしてわかった?」
エイは簡単だ、と続ける。
「何か考えている時のお前はいつもぼんやりしている」
ケンは舌を巻いた。前々からエイの洞察力の鋭さには気づいていたものの、ここまでだったとは。
「まいったな」
「小等部からの付き合いだ。分かるようにもなるさ」
その後エイは手に持った缶から一口飲むと、ゆっくり切り出した。
「手短に言う、俺はあそこの事だったらおおよそ知っている」
「まさかとは思っていたけど、やっぱり調べていたんだ……」
エイが自治隊や陸部のコンピューターに侵入し情報を集めていることは知っていた。だからこそケンは彼に聞いてみたのだ。
「お前にだったら俺の知っている事を教えてもいい」
だが、と彼は続けた。
「どうして四拾七番倉庫をそこまで気にする? この街、いや国の人間のほとんどは“都市伝説的なもの”としか捉えていないぞ」
ケンは一瞬躊躇したが、すぐに昨日起きたことを全てエイに話して聞かせる。ケンが話している間エイは一言も口を挟まずに、ただ静かに聞いていた。
「……と、いうことなんだ」
話し終える。その後、沈黙が続く。エイはその表情をより一層難しくさせながら何かを考えていた。寝ぼけていた、聞き間違えた、そんなことを言われるのではと構えていたケンに、思いがけない言葉が飛んできた。
「今晩、お前も来い。行ってみればわかる」
「え……?」
当然のことながらケンは困惑した。行く? 今晩? どこへ?
「四拾七番倉庫だよ。俺は――」
エイがそこまで言いかけたその時、背後から荒々しい声が聞こえてきた。
「ちょっと! 離しなさいよ! 私は関係ないわ!」
「二人の見えんとこから盗み聞きなんて、いいんちょ、そらないわ」
「盗み聞きだなんて、私はただ……離しなさいよ!!!」
下の階段より、リョウと彼に手を掴まれじたばたともがいているナナが現れた。
「リョウに委員長……聞いていたのか?」
「いいやケン、オレはエイに用があってな。盗み聞きはこの子」
「ちょっと! だから私は盗み聞きなんてしていなかったわ!」
『あ痛ー!』とリョウの短い悲鳴。ナナがリョウの向こう脛を蹴っ飛ばし彼の手から離れたのだ。
「職員室からの帰りに、屋上への階段へ向かうスズハラ君とサエキ君を見たから……気になって……」
「結局は追いかけて盗み聞きしましたー、ってオチやないか」
ドンという音と『あ痛ー!』という声。
うずくまるリョウを尻目にケンとエイに向き直るナナ。
「それで二人とも! 話は聞かせてもらったわ……あ、ええと……盗み聞きとかじゃなくて……い、委員長として、自分のクラスメイトが……」
自分のクラスメイトが何なのか、ごにょごにょと尻すぼみに消えていった。
「とにかく! 私は委員長として……」
面倒なことになった……ケンは参ったようにエイの方を見る。彼もまた、ケンと同じように明らかに面倒くさそうな表情を露わにしていた。
「あなたたちに危険がないように、ついていきます!」
場が凍った。……少なくともケンはそう感じていた。エイは相変わらず面倒くさそうな表情のままだ。
「いいんちょ、着いて行きたいだけ――」
そこまで言いかけたリョウは、ナナに鋭く睨まれ口を噤んだ。
「さ、今晩行くんでしょ? 計画は? 持ち物は?」
もうすでに一員になったつもりでいるナナは、どこか楽しそうであった。 エイはやれやれ、と頭を振り、言う。
「だったらその後ろのヤツに発言権を与えてやってくれ」
ナナは振り向く。その視線の先の人物は言う。
「なるべく手短に済ませたい。せやから、スネキックはもう、簡便な」
ケンはエイの言葉を思い出した。
「なんだ、エイが今朝言ってた確かなスジって、リョウの事だったのか!」
「いや、それは――」
言い淀むエイにリョウが割り込む。
「なんや、そんな評価してくれとったんか! おおきにな!」
朗らかに笑うリョウに、ケンは感心する。この街一の情報通を自称するだけあって、自治隊に知り合いがいるだの、有力者とのコネがあるだのの噂がまことしやかに囁かれているが、あながち間違いでもなさそうである。
「そんじゃ、これから説明すっから聞いといてや」
薄暗い階段。額を寄せ合い密談する四人に、奇妙な連帯感が生まれていた。
* * *
時刻は夕刻を回り、日は水平線の向こう側へと沈みかけている。
「集合場所、ここだったよなあ……」
ケンは何度も腕時計に目をやり、手すりに寄りかかりながら仲間の集合を待っていた。 彼は今、海岸沿いの公園にいる。昼間リョウに伝えられたことのメモを再び確認する。場所は、海岸沿いの公園――今現在ケンがいる場所で合っている。時間――これも伝えられた通りの時間だ。リョウによると、自治隊の倉庫群一帯は、警備の交代で手薄になる時間帯があるらしい。服装――夜の闇に紛れて行動するから、暗い色の服がいい。リョウはそう言っていた。なのでケンは、薄手の黒いシャツに紺色のジーンズという出で立ちである。
「みんな、まだかなあ……」
ケンは退屈そうに欠伸をしながら黄昏時の海を眺める。公園の東側には水路を挟んで自治隊が利用している倉庫群があった。ぎっしりと並んでいる倉庫のうちのどれが47番目なのだろうと考えていると、その倉庫群の目の前にある港へと貨物船が入っていくのが見えた。
「二人は?」
港へと船が入るのとほぼ同時に、エイがやってきた。彼もまた、暗い色を基調とした服装に身を包んでいる。
「まだいない」
手すりに寄り掛かりながら、『そういえばさ』とケンは切り出した。
「どうしてエイは四拾七番倉庫に用があるんだ?」
エイは日が沈み薄暗くなってきた水平線を見つめたまま言った。
「姉さんの私物を取り返しに行く」
“私物”……確か、エイの元に戻って来た唯一の物で、その後自治隊に理由も告げられぬまま回収されたとケンは聞いている。
「そう、なのか」
「ああ」
しばしの沈黙。潮騒のみが規則的に聞こえてくる。そんな静寂を破ったのもまた、いつもの人物であった。
「いたいた! お待たせ!」
元気よく駆け寄ってくるナナを見て、ケンは絶句し、エイは俯きやれやれとその頭を振っていた。
「侵入ってヤツでしょ? だからさ、そういうのって形が大事だと思うのよね!」
やや興奮気味のナナの背には、何が入っているやら膨れ上がったリュックサックがくっついていた。
「委員長……それ……」
「うん! 前に映画で観て、一度憧れていたんだ! 乾パンに、寝袋に……」
ナナがジャンプすると、彼女の背中のリュックが盛大な音を奏でた。
「委員長……」
エイは顔を上げる。
「うん?」
「悪いけど置いていってくれないか、全部」
「えっ」
* * *
「いやァ、すまんすまん」
最後の一人となったリョウが遅れに遅れやってきたのは、辺りが完全に暗くなってきたころであった。
「全員揃ったな。そろそろ行くか」
エイが腕時計を見ながらそう言う。
「リョウ、頼む」
「かまわんが……あの二人はなーにやってんの?」
「……」
公園の隅で、大きなリュックの傍にしゃがみこんだナナを、ケンが必死に説得していた。
「だから委員長、ライトだけあれば大丈夫だよ。それにここ茂みになっててわからないよ」
「うん……大丈夫だよね……」
なかなか動かないナナに痺れを切らし、リョウが近づいてきた。
「ケン、もうええわ。いいんちょは置いてこ」
「あ、でも……」
ケンを引っ張りリョウは公園の出口に向かう。
「あ……」
ナナはリュックと公園の出口を交互に見やる。
「う……!」
ナナはとっさにリュックから何かを掴むと、ケンたちの後を追って駆け出した。
「待ってー! あたしも行くー!」
リョウを先頭に、四人は移動を開始した。公園を出ると東側に存在する倉庫群へ向かう。
「にしても、いいんちょがついてくるとはなあ。てっきり反対やと思ってたのに」
リョウは手に持った端末を見ながらそう言った。
「同感だ」
エイも頷く。
「私だって……噂の四拾七番倉庫は気になるから……」
それに、と続ける。
「前から一度、こういうことやってみたかったのよ!」
「これがあのサカキ財閥のお嬢さまの言葉とはねぇ」
リョウはからかうように笑う。
「もう、うるさい!」
ナナはリョウに蹴りを入れた。
「……その“オジョウサマ”って言葉……重いのよ」
小さな、本当に小さなそのナナの呟きは誰にも聞こえていなかった。
* * *
「ここやな」
公園から6ブロックほど先、倉庫と倉庫の間の小道に入ったところでリョウが止まった。立ち並ぶ倉庫のせいか、どこをみても同じような風景だった。
「あれ、でもここには何もないけど?」
ケンはきょろきょろと周囲を見渡す。
「ここだここ」
エイが足でトントンと地面を叩くと、カンカンという金属音が返ってきた。
「そ、秘密の入り口ってやつな」
リョウが道の脇に設置されている鉄製の箱の傍にしゃがみこむ。おそらく整備や点検時に自治体が使用する為に設置している物だろう。そこから、彼は長いバールのようなものを取り出した。
「あ、マンホールオープナー!」
はしゃぐナナをエイが静かに窘める。
「委員長、いくら今が警備の交代時間だからって、あまり大きな声を出すのはよろしくないと思うぞ」
ナナは赤面し大人しくなった。
「俺が先に降りて、その後合図するからそん時に降りてきてな」
リョウは腰に掛けた小型のポーチよりライトを取り出すと、ぽっかりと空いたマンホールの中にゆっくりと降りて行く。それからしばらくたった後、マンホールの底よりカンカン、と金属を叩くような音が聞こえてきた。
「よし、大丈夫みたいだな。ケンと委員長は先に行ってくれ。最後に俺が蓋を閉じてくる」
「ああ、それじゃお先に失礼させてもらうよ」
マンホールの内側に取り付けられた梯子を伝い、ケンは降りてゆく。
降りた先に広い空間が存在していた。アーチを描く天井、そこから5、6メートル程の場所に水路、そしてその水路の両脇を挟むように通路がある。
「上は問題なかった」
最後に梯子から降りてきたエイがそう言う。
「ん、ご苦労さん。じゃあ、ぼちぼち行くか」
リョウは手に持っている端末機のような物を見ながら歩き出した。彼の私物なのだろうか。準備の良さにケンは関心を通り越して驚きさえ覚えた。
「うう、臭い」
ナナのくぐもった声が響く。
「リョウ、あとどれくらいなの?」
ケンが尋ねる。リョウは手に持った端末機と右側面の壁を確認しながら答えた。
「もうちょいや。ここから……1、2、3、あった」
リョウが立ち止まるその場所には、先程降りてきたものと全く同じ造りの梯子があった。
「ここが、倉庫の中ピッタリやで」
リョウを先頭に、一行は梯子を昇る。視界がいっきに開ける。
「うわあ、すごい!」
ケンはナナが興奮するのも頷けた。
端が見えない程の広さらしく、頭上を見上げると存在している天井がないと屋内ということを忘れてしまいそうだ。一定の間隔ごとにコンテナやシートを被せられた箱状の物が置かれており、それが迷路のような複雑な通路を創り上げている。
「んじゃま、ここからはそれぞれ別行動や。1時間後にまたここに集合な」
リョウはそう言うと、鞄から小型の端末を3つ取り出し、エイとケンに投げ渡した。
「ちょっと、私のは?」
ナナが憤慨したように言う。
「ケン、悪いがいいんちょを連れてってくれへんか?」
「あ、ああ。俺は構わないよ」
ナナは何か言いたげであったが、口を噤むとケンの手から端末を引ったくった。
「そいつで現在の区画が分かる。それは何かあってから押してくれ。――今は押さんといて」
ナナが今まさに押そうとしていた指を離す。
「それじゃ、なるべく穏便に頼むで」
「1時間後に」
「ああ」
「行きましょ!」
それぞれが思い思いの方向に散って行く。ケンはナナが手にしている端末に目を向ける。小型のディスプレイには、入り組んだ通路と、今現在の居場所が示されていた。
「それで、スズハラ君はどこに行きたいの?」
ナナの質問でケンは我に帰る。
『“アレ”は、四拾七番倉庫の第八区画によ。ついでにこれを置いてきてちょうだい』
マチダと話していた女性の言葉が思い出される。それを確かめに向かう事にした。
「第八区画ね……わかった、こっちよ」
ナナは手にした端末を見つつ、左方の通路へと進んでいった。
「それにしても、せっかく探検に来たんだから、みんなで一緒に行動すればいいのに」
「みんなそれぞれ行く所が違うから、一緒だと時間がかかるんだよ」
ケンがそう言うと、ナナはふと足を止め振り返りケンの顔を見る。
「そういえば、スズハラ君は何でこの倉庫に来たの?」
ナナは『やっぱり好奇心?』と楽しそうに聞く。
何故来たのか? あの盗み聞きした内容が本当かどうか確かめるため? 実際にどんな荷物か、その形状は小包ということ以外分からないのに?
「なんとなくだけど」
「えっ?」
「何もしないで悶々としているよりは、実際に見て、納得した方がいいかなって思ったから」
きっとそうなのだろう、ケンはナナに聞かせるというよりも、自分を納得させるためにそう言った。案の定、ナナはよくわからない、といった表情である。
「あ、ついた。ここから第八区画よ」
二人は山のように積まれたコンテナや木箱の前に到着した。第八区画は倉庫の壁際に面しており、窓から入る月光に照らされていた。
「ええと、俺の探している物は、話じゃ今日の夕方入ったらしいんだ」
「なら、埃の被っていないコンテナや木箱を探したらいいんじゃあないの?」
二人は慎重に貨物をチェックしていく。そしてそれはあった。2メートル四方の木箱の上に乱雑に置かれた小包。羊皮紙のようなもので包まれており、紙紐で封をされている。
「多分、これだ」
ケンは自分の心臓が早鐘のように鳴るのを感じた。
「それなあに?」
ケンの後ろからナナが覗き込む。
「何だろう、俺にも分からない」
「どういうこと?」
ケンはナナの質問に答えず、震える手を伸ばした。その時。
「うわあ!?」
ドンと、くぐもった音が聞こえる。その衝撃で、小包が木箱から落下した。ケンとナナは飛び退き互いに顔を見合わせる。
「な、何なの?」
「分からない」
今度は木箱がガタガタと揺れ出した。どうやら、中にいる“何か”が蓋を押し開けようとしているが、上に僅かに重なっている他の木箱のせいで開かないようだ。
「ちょっと、スズハラ君!?」
ケンは恐る恐る近づく。やはり中に誰かいるようだ。必死に叩いているのが音で分かる。ケンは木箱を手前に引きずり出す。
「委員長、手伝って!」
「危ないよ!」
「中に誰かいるんだ! 放っておく方が危ないよ!」
「あぁもう! 何があっても知らないからね!」
ナナとケンの二人掛かりで、ようやく木箱を引きずり出す事に成功する。上に乗っていた他の木箱が、派手な音を立てて落下した。
ナナが酷い悪態をついているようだが、ケンには聞こえていなかった。夢中になって木箱のロックを外していく。
ひとつ、ふたつ。次々と外れて行き、そしてゆっくりと蓋をどけた。月明かりが同じようにゆっくりと中を照らしていく。
「あ、ありがとうございます……」
中には長髪の小柄な少女がひとり、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。




