#14終焉と終幕
「エイ……!」
感極まり抱き着こうとするケンを、エイは制止させる。
「待て、まずはアイツだ。アレ、学校にいたヤツらの仲間か?」
「多分。相変わらず何言っているか全然分からないよ」
バルバリッツィアは負傷した腕を押さえうずくまっていたが、立ち上がりケン達を睨みつけている。
「あー、怒らせたねアレ……」
「俺が時間を稼ぐ。その間に何とかしろ」
駆け出そうとするエイの服を、ケンは掴んだ。
「あっ待ってエイ」
「何だ」
ケンは腰のベルトに挟んでいた拳銃をエイに手渡した。
「ナギさん、やっぱお前が持ってなきゃ」
「姉さんと話をしたのか?」
「うん――うわやばっ!」
魔族の拳がコンクリートの床を砕く。ケンとエイは左右に飛びのいた。
「……とにかく! 頼んだぞ!」
そう言いながらエイは、右腕でバルバリッツィアの顔面を殴りつける。紫色の血が噴き出し、その場に片膝をついた。
「ルリちゃん、どうしよう……!」
ケンはルリの元へと駆け寄る。リノエもカエデもシンゴも、目の前の状況に言葉を失っていた。
「ケンさん、身体はもう平気なのですか……?」
ルリはハンカチを取り出しケンの口元を拭いながら訪ねた。その言葉にケンも先程まで立ち上がれないほどの苦痛にさいなまれていた事実を思い出した。
「そうみたい……。それよりさ! 俺思ったんだけど、アイツ送り帰せないかな?」
「確かに、今なら召喚陣もありますね……」
ルリは顎に手を当て考えていたが、やがて頷いた。
「やってみましょう! 陣のルーンを書き換えれば、きっと送還できるはずです!」
「リノエさん、カエデさん、シンゴさん、なるべく後ろの方に下がってて下さい」
「ケンお前……」
何か言いたげなリノエだったが、すぐにその言葉を呑み込み小さく頷くと、カエデとシンゴと共に足早に下がっていった。
「エイ! 時間稼ぎ追加で頼む……ってうわあ……」
ケンは驚愕する。エイが魔族と殴り合っていたのだ。体中から血を流し、荒い息で片膝をつくバルバリッツィア。エイも息が上がっており、そう長くは持たない様子だった。
「何でもいいから……早めに頼む」
「ケンさん、こっちです!」
ルリが手招きする方へと駆け寄ると、そこには依然赤い光を放つ召喚陣があった。ルリは刻まれているルーンをひとつずつ目を通していく。そのうち、ある一つの文字の前で彼女の動きが止まった。
「――これです。ここを書き換えたら……痛っ!」
文字に触れようとしたルリが手を引っ込める。彼女の白い素肌から一筋の血が流れていた。
「やっぱりやってありますよね……」
「何なの?」
「対策……みたいなものです。勝手に書き換えられないように、物理的干渉を行ってくるんです」
頼みの綱のルリが干渉できないとなると、諦めるしかないのか? ケンは振り返る。今この場にいるヤツも、元は自身の世界で暮らしていたもの。いくら残虐な生き物であっても、こちらの勝手な都合で呼び出され消費されていい命ではないはずだ。ケンは自身の頬を叩き喝を入れると、ルリの背後に周ると彼女の両手を自身の手で包み込んだ。小さな彼女の手はすっぽりとケンの掌に収まった。
「ケンさん何を……?」
「俺が守るから、ルリちゃんは手を動かして」
「でもそんなことしたら……!」
「時間がない、どうこう言っていられない、でしょ?」
ケンの言葉にルリも観念したのか、静かに頷いた。
「書き換えるのは、どの部分?」
「あそこの……はい、それです。線を書き足して、送還用にします」
ケンは大きく息を吸うと、ルリの手を包み込んだ自身の手をルーン目掛け近づけた。
同時に襲う激しい痛み。ケンの両手の皮膚は裂け、黒い血が流れる。ルリの悲痛な声が聞こえる。
「一緒に動かすから、早く……!」
歯を食いしばるケン。瓦礫の破片を持ったルリの手の動きと同期させ、召喚陣のルーンに線を足していく。
「これで……完成です!」
最後の線を引き終えたところで、ケンは後ろに倒れこむように手を引いた。彼の両手は感覚がなく、血で真っ黒に染まっていた。
「ああっ、ケンさん……」
「俺のことはいいから、送り帰してあげて……!」
ルリは何か言いたげだったが、無理やりケンから視線を逸らすと再び大きな杖を取り出した。
「盟約は果たされた――彼の者に与うるは帰還への標――路よ開け!」
召喚陣から迸る閃光。一本の巨大な光となったそれは天井まで高く立ち昇る。
それは巨大な吸引力を発しバルバリッツィアを引き寄せた。ケンは咄嗟にルリを抱きしめ、両足で踏ん張る。部屋の瓦礫が光の柱へと吸い込まれていく中、魔族は床に爪を立て抗っている様子だった。
「Vi ucciderò... vi ucciderò di sicuro! Pagherete per la vita dei miei simili... con il vostro sangue...!(殺す……絶対に殺す! 同胞の命、その贖いを……!)」
「何だアイツ……? 帰りたくないのか……?」
そんな時、もがくバルバリッツィアの爪が召喚陣のルーンに触れ地面ごと抉り取ってしまった。効力を失った陣は光が失せ、眩しい程の光の柱も無くなってしまった。
「そんな……!」
絶望するルリ。バルバリッツィアはフラフラと立ち上がると、すぐ傍にいるケンたちへと視線を向けた。
「Muori...Muori...!(死ね……死ね……!)」
向かってくる巨体。ケンはルリを庇うよう背中を向ける。その時、一発の銃声が響いた。
振り返ると、口から紫の血を溢れさせる巨体が。エイの放った魔弾が、彼の横っ腹を突き破り心の臓を完全に破壊したのだ。
「そんな……」
絶命し大きな音を立て倒れる魔族。こうする他は無いことはケンも理解している。しかし、あまりにもやるせないこの結末に彼の心は沈み込んだ。
リノエたちがケンの元へ駆け寄ってくる。カエデとシンゴは、魔族の亡骸にひどく怯えていた。
「ほらケン、手ェ見せて見な?」
ひどくやさしいリノエの声。ケンは震えながらも両腕を彼女の前に差し出す。
「……凄まじい治癒力だな。血で汚れてはいるが、もう完治してやがるよ」
ケンは自身の両手を閉じたり開いたり動かす。確かに手の痛みはもう一かけらも存在していなかった。
「立てるか?」
エイが近づいて手を差し伸べている。
「エイ、ナギさんの魔弾――」
「あの時やれることはあれしかなかった。姉さんもそう言っている。だから――」
エイの左手がケンの腕を掴む。
「だから、いいんだ。俺たちにしたら上出来さ」
ケンは隣のルリに視線を向ける。彼女は心配そうな表情でケンを見上げていた。
「……ありがとう、ナギさん、エイ。そうだね。こうやってみんな生き残れたんだ」
魔族の亡骸を見るケン。心の中で静かに黙とうを捧げた。
その時カエデの悲鳴が聞こえた。全員声のした方向へと顔を向けると、そこにはリュシアがいた。足を引きずり、あらぬ方向へ向いた片腕を庇う様立っているその姿は哀愁すら感じさせた。
「ヨウちゃん――」
「出口……あのエレベーターだけだから……多分、この後、警察やら何やらが来て……大変なことになる」
リュシアは肩で息をしながら出口を指し示す。
「然るべき罰を受けるよ」
「ヨウちゃん、どうして……優しかったヨウちゃんが……」
リュシアはその場にどかっと腰を下ろす。諦観の表情を浮かべ、赤裸々に己の内を語り出した。
「どれだけ贅沢をしても、どれだけ信者の若い女を抱いても、心の中にはスースー寒い風だけがずうっと吹いていてさ……。世界中の誰もが跪くような凄いヤツになれば、カエデは俺のこと見てくれるのかなあ、そうすれば心も温かくなるのかなあ……って思ったりしてさ……」
自嘲気味に嗤うリュシア。
「でも結局は、ぜーんぶ他人任せで、俺の力で成し遂げているものなんて一つもなかったんだよね。何もない空っぽの人間。教義にピッタリだよホント」
うなだれるリュシアに、カエデはゆっくりと近づいていき、彼の肩に優しく手を置く。
「でも、ヨウちゃんには優しさがあるよ。空っぽなんかじゃあないよ。だから――」
顔を上げるリュシア。その表情には、微かな希望が見えた。
「だから、“頑張ってね”。きっと、ヨウちゃんに相応しい人、見つかると思うよ」
ヨウの表情から、完全に色が消える。
それはもう、“彼”ではなかった。
「行こう、シンゴ。私たちの時間、まだまだある二人だけの時間、今から取り戻そう」
出口へと去っていく夫婦。リュシアは死んだ目で地面を見つめているだけだった。
「私らも出るよ。もうこんなとこ用がないだろ?」
リノエに促され、ケン達も忌まわしいこの空間に背を向けた。
6人はやがてエントランスホールへと辿り着く。西から差し込む夕日が不気味なまでに静まり返ったホールを染め上げていた。
「お世話になりました……」
「本当に……」
ケンたちに頭を下げるカエデとシンゴ。
「お二人はこれからどうするんですか?」
ケンの疑問に、二人は顔を見合わせた後はにかむ。
「ここを出て、どこか新しい国でやり直そうと思っています」
「わあ、素敵です!」
ルリが目を輝かせる。リノエは心なしか恨めしそうに二人を見ている気がした。
「またいつか出会えたら、その時はお礼させてください」
「絶対です」
遠くから聞こえてくるサイレンの音に、二人は足早にその場を離れる。ケン達も疲れた体に鞭打ってリノエのアパートを目指した。
「あー我が家だ!」
到着するなりリノエは服を脱ぎ捨てる。エイはその姿を見て固まっていた。
「すぐに慣れるよ、ホント。ところでさ、お前メガネは?」
エイのトレードマークとも言えるアンダーフレームのメガネ。しかし今の彼は裸眼だった。
「変異の影響か、必要なくなった」
「そう、か……まあ、こうして無事なんだ。まずはそれを喜ぼうか。うん」
素直に喜ぶべきなのか、ケンはなんとも曖昧な返ししかできなかった。
「リノエさんのアレも最初は驚くだろうけど大丈夫。リノエさんってこう、女っ気薄いから……クるものが無いじゃん?」
「お前この野郎聞こえてるぞこら」
リノエはケンに飛びつきヘッドロックをかける。
「こっちは身体ガタガタなんだから、勘弁してくださいよ!」
子供のようにじゃれ合う二人に、エイは溜息をついた。
「……ここ数日で、一番空気がいいです。ケンさん、あなたが無事で本当に嬉しいんだと思いますよ?」
ルリはエイの横でそう言った。
「……そうか」
静かにそう言うエイも、静かに微笑んでいた。
「よし、今日はピザ取るぞ! 好きなもん何でも食わせてやる! だから届くまでにお前ら順番にシャワー浴びてこい!」
部屋に差し込む夕日が、温かい時間を彩っていた。
* * *
「はああ……つまらないわねえ……なにこの結末う……」
ビルの屋上、収束していく事態を眺めながらホロウは煙を吐き出していた。その時、彼女の持つ通信端末から着信を知らせる音が響く。
「あらあ、オスカルじゃないのお。珍しいわねえ、あなたから掛けてくるなんてえ?」
『プロジェクトCはどうだった……?』
端末から聞こえてくる男の声。重低音の響く、冷たい声だった。
「うーん、能力としてはイマイチぃ……まあ、私の見当違いってのもあるけどお……」
『お前がその様子なら成果は微妙、ということか』
ホロウはくすくすと笑う。
「でもお、C.C.(チェイン・クラスター)の本領はあ、これからよねえ? この後彼のとこに“取りたて”に行くものお」
『ふむ……“製品化”も視野に入れておくべきか……? 規模と被害状況、及びそこから予測される効果範囲をまとめておけ』
まるで分析でもするかのような淡々とした語り口。ホロウも慣れた様子だった。
「“結果”が面白かったらやるわよお……あ、でも結構面白くなりそうかもお」
まるで彼女の裏側を見透かすようなオスカルの声が、端末から聞こえる。
『お前があの男を選んだ理由……かつての自分を見ているようだからか?』
楽しそうに笑っていたホロウの声が止まり、その顔に貼り付いていた笑顔は瞬時に溶け去った。
「それ以上言ったらお前でも殺すぞ」
『……頼もしい限りだ』
『ところで』とオスカルは切り出す。『プロジェクトDのデュナミスはどうだ? 数日前プロジェクトEの廃研究所、その監視カメラで姿を確認した。ヴァルキュリアの因子も一緒だったな? 今どこにいる?』
その言葉に、ホロウの目は輝く。不気味なまでに早い切り替えだった。
「あのワンちゃんすごいわあ! そのうち“フェーズ2”に行くんじゃあないかしらあ? でもお、私があのデブに貸してあげた制限領域のルーンに手も足も出ないみたいでえ……ちょっと残念かもお」
ホロウは指を鳴らして『あ、それからあ』と続ける。
「ほらあ、宵闇の眼のあの子、イースト・シティの実験で大けがしたあの子。何か凄いことになっちゃってるわよお? 魔族なんかよりもずうっと使えるかもお」
『それにい』とホロウは続ける。
「始めてじゃないかしらあ? 魔族と接触して、あんな変異した子。あれはあれで珍しいんじゃあないのかしらあ?」
『プロジェクト外のイレギュラーだ。そこまで入れ込むつもりはない。あれには値段相応の働きをさせるだけだ』
「……私たちの想像以上に力を付けちゃったらどうするのかしらあ? 計画の邪魔よねえ?」
『何があっても、我々の計画は揺るぎない。……だが彼に何かあったら伝えろ。それがデュナミスの成長につながるかもしれん』
『はあーい』とホロウの気の抜けた返事。オスカルは既に次なる“実験の地”を考えていた。
『そうだな……次はオーエド・シティだ。……いや、桜花帝国か?もしも“血清”のプロジェクトが生きているのならやっかいなことになりかねん』
「潰す?」
『いや、まだいい』
ホロウは冷たい笑みを浮かべる。
「はあーい。ところでえ、今のお仕事終わったらあ、少しだけ休暇もらえないかしらあ?」
『“ヌル”の連中か?』
「そうよお。もうちょっとでそいつらの座標が探れそうなのよねえ……。で、そいつら呼び出せたらイースト・シティで楽しい実験してもいいかしらあ?」
『あそこはもう用済みだ。好きにしろ』
「嬉しいわあ。それじゃあ、切るわねえ?」
通話を終えると、ホロウは煙草を捨てる。ゆっくり立ち上がると大きく伸びをした。
「ふあーあ……あの野郎、胸糞悪ィこと言いやがってクソが……。さてとお、お仕事お仕事」
* * *
総合病院、その一室で治療を終えたリュシアは虚ろな表情でベッドに横たわっていた。警官に見張られた厳重な体制での療養。どうせ死刑になるのだろう、治療などせずにさっさと執行すればいい。リュシアはそう思いながら見知らぬ天井を見つめていた。
「止まりなさい、ここは――」
「何だお前は――」
外から警官の声が聞こえる。何だか穏やかではないその様子に、リュシアはぎこちない動きで体を起こした。それと同時に、病室のドアが開き金髪の女性が入り込んできた。
「お邪魔するわよお?」
女は入るなり煙草を吹かす。リュシアはそんな彼女をじっと見ているだけだった。
「あらあ、お邪魔だったかしらあ?」
何も返事は無い。女はその様子に気を悪くするでもなく続ける。
「可哀そうねえあなた。野望も失敗、腹心の部下は実はあなたのこと見下してた。大好きだったあの子はイケメンくんに夢中であなたなんか眼中にない。アゴで使ってやるはずだった魔族からもゴミ扱い。ああほんと、神様なんてのがいたら是非小一時間問い詰めたいわよねえ? 何でこんなクソ以下のシナリオにしたの! って」
無邪気に嗤う女。リュシアにはもう何かを考える気力すらなかった。
「……はあ、つまんねえ。壊れたのか?」
女は豹変したような表情でリュシアに近づき、彼の顔に煙草の煙を吹きかけた。
「ま、どうでもいいわ。それより、私があなたに貸してあげたものお、返してもらうわよお?」
「貸したもの……?」
リュシアの眉がピクリと動いた。
「そうよお。なんの能力もないクズがあ、ルーンの行使なんて高尚な事お、できるわけ無いじゃあないのお?」
「……ああそうか、貸すとかどうとか言っていたな……。持っていけ」
女はリュシアの胸に人差し指を当てる。
「ああそうだわあ、最期に言い忘れていたことがあったのお。あなた、信者のみんなに馬鹿みたいに力を分け与えていたわよねえ? まるで神にでもなったかのような振舞い、ホントおっかしかったけどお」
思い出し笑いをする女。
「あれ、私が貸してあげたのとはまたちょーっと違うヤツなのよお? プロジェクト、C……力の連鎖、呪いの鎖。究極の連帯責任」
「……何が言いたい?」
「んふふ、それってね、オーナーが爆ぜちゃったら、他もつられてドーン! ってなっちゃうのお!」
リュシアはそれを聞いて表情が変わる。
「あら、まだ変えられる表情があるじゃあないのお。いいわねえ。そうよ、“あなたが光をあげた”あの子――“あなたに光をもたらさなかった”あの子。どうなっちゃうのかしらねえ?」
女の指先が輝く。絶望に染まるリュシアの顔、その目や耳、口いたるところから血が流れ出す……やがてその表情のまま、彼は絶命した。
場所は変わり、ハバラ・シティ郊外の一軒家。タカマチ夫妻が暮らしていた家。二人が軟禁状態になった頃のまま、変わらず残っていた。
「良かった、教団は一切手を付けていないみたいだ」
シンゴとカエデは、出国に向けてせっせと支度を進めていた。
「二人が一緒に歩き出した思い出の場所なのに、出て行かないといけないんだよね……」
俯くカエデ。シンゴは慌ててフォローを入れる。
「勿論、君さえ良ければこのままここに残ってもいいんだよ? 別に――」
「あ、ううん、ごめんね変なこと言って」
カエデは無理に笑うと、シンゴに背を向け荷造りを再開した。
慌てることは無い、貯金もある。ゆっくり歩き出せばいいさと己に言い聞かせるシンゴ。
「あ、カエデ、これはどこにしまえば……カエデ?」
振り向いたシンゴを、違和感が襲う。カエデは俯いたまま動かない。
「カエデ、どうし――」
カエデが立ち上がる。その体は痙攣し、人間のものとは思えない動きだった。焦点の定まらない両目、額には見たことのないエンブレムが浮かび上がっている。
刹那、閃光が迸る。カエデの手から放たれたそれは、シンゴの腹部を貫き、一撃で彼の命を奪った。
フラフラと、糸の切れたマリオネットの様な動きでガラスを突き破る。
「これは何だ! 一体どうなっている!?」
ハバラ・シティ警察、その留置所ではこの世の地獄の様なパニックに見舞われていた。身柄を拘束したヴァニタスの信者たちが、次々と正気を失い途方もない力をもって暴れ出したのだ。
彼らは牢を破り、手当たり次第に人を殺害している。
「止まれ、これ以上近づくと撃つぞ!」
警官が銃を構えるも、正気を失った信者は一向に止まる気配がない。響く発砲音。額から血を流し、信者は息絶えた。
「なんなんだよ……ん?」
額の汗を拭う警官の前で、信者の遺体がどんどん膨らんでゆく。そしてそれは閃光を放ち――。
「あらあ、なかなかいいじゃあないのお」
開け放たれた窓から、街の阿鼻叫喚を眺めホロウは言う。
「力の暴走、すごいわねえ……ねえ?」
彼女の視線の先には、ベッドの上で血まみれで絶命しているリュシアの姿だった。
「うーん、暴走からの人間爆弾、オスカルもエゲつないこと考えるわねえ。すっごい素敵」
悲鳴、爆発音、ホロウは目を閉じまるで音楽鑑賞でもするかのように愉しむ。
「いいわあ……死ねッ、もッと死ねッ!」
* * *
食後の団欒を楽しんでいたケン達を、最悪のニュースが襲う。
「なんだよこれ……!」
ルリは手で顔を覆っている。
「リノエさん」
エイはリノエに視線を向ける。彼女も意図を掴んだらしく、すぐに立ち上がる。
「この街出るよ。3分で支度しな」
そう言うと彼女は寝室へと消えていった。
「ケン、悪いがお前の予備の服俺にもらえないか?」
「あ、ああ。シャツとズボンぐらいだけど……」
エイは素早く着替えていく。
「エイ、これ付けとけ」
リノエはエイにサングラスと黒い手袋を投げて寄こした。
「……助かります」
それらはエイの変異した部分を覆い隠した。
「リノエさん、行先は?」
「そりゃあ、ラヴィアン・ローズしかないだろうな。ああ、金のことは気にするな。私が責任持つから」
不安そうな表情のルリの頭を、リノエは不器用に撫でる。
「幸いこの騒ぎはまだ中心部だけだ。私らは外に向かう。な? 逆方向だ」
ルリは頷き鞄を肩にかける。ケンも久々にリュックを背負う。
「俺が先導します。こっちの“目”はよく視えるので」
「頼んだよ」
一団はエイを先頭に進む。ケンは耳に飛び込んでくる人々の悲鳴や爆発音から必死に意識をそらそうとした。
リノエの言った通り中心部から離れるほど騒ぎは小さくなっており、剣呑とした空気とは真逆の空気が流れていた。
「国境はどうするか……何か考えは――」
スーツケースを片手に、リノエは固まる。彼女の視線の先、小川に架かる橋の欄干に見覚えのある女性が腰掛けていた。
彼女は煙草を吹かし、軽薄そうな笑みを浮かべている。
「あらあ、お揃いでお出かけかしらあ?」
ケンは似たような状況の“あの日”を思い出し、吐き気と震えに襲われた。
「てめえ……!」
殺気立つリノエ。不穏な空気が流れる中、ホロウは彼らの進む先の道を指さした。
「この先に行けば国境よお? 20時には閉まっちゃうからあ、早く行った方がいいんじゃあないのかしらあ?」
あまりに想定外なその言葉に、一同は固まる。
「一体どういうつもりだ?」
震える声のリノエ。彼女の額から汗が流れ落ちる。
「どうって、ただのお別れの挨拶かしらあ? ハバラ・シティでのお仕事も終わったことだしい、私ちょっとお休みもらえるからあ」
うきうきとした様子で答えるホロウ。あまりの無邪気さに不気味さを覚える。
「今回の出来事、アンタの所為なのか!?」
ケンの中で、恐怖よりも怒りが勝った。
「私の所為って、人聞きが悪いわあ。私はただのお仕事よお」
「それで何人の人が犠牲に――」
「ケン、相手にするな」
エイがいきり立つケンを制止させる。
「そうよお。それが賢いわあ。長生きしたいなら、賢くなくっちゃあねえ」
四人はホロウから距離をとりつつ橋を渡る。ケンが彼女の前を通り過ぎようとしたとき――。
「しばらく会えなくなるわあ。寂しくなるわねえ?」
一体どういう意味なのだろうか? 彼女は自分を追っているのではないのだろうか? ホロウの言葉にケンの足は思わず止まった。
「ヤツの言葉に耳を貸すな」
リノエはケンの腕を引く。
次にホロウはルリへと目を向けた。ルリの身体が反射的に震える。
「……な、何ですか!?」
ホロウは何も言わず、ただルリを凝視する。そこにいつもの作り笑いはなかった。
「ジーグルーネ……? 違う……。分からない……どうしてこんな小娘が……」
不気味な独り言。その場にいる全員が言いようのない恐怖に捕らわれる。
「……まあいいわあ。それじゃあみんな、また会いましょお?」
ホロウは笑顔で手を振ると、街の中心部に向かい去っていった。
「相手にするなあんな××××」
リノエは険しい表情で道の先を顎でしゃくる。エイは優しくケンの肩を叩く。そして、ルリの不安げな表情……。
「そう、だね……。俺たちは今ラヴィアン・ローズにいかなくっちゃあいけないんだから、余計なことは考えなくていいよね――ん?」
その時ケンは、彼らの前方から見覚えのある小型トラックが走ってくることに気が付く。徐々に近づき輪郭がはっきりとしてくるにつれ、ケンははっきりと思い出す。あの老夫婦のトラックだった。ケンは弾かれたように駆け出すと、両手を振って走行しているトラックの前に躍り出た。
「君はあの時の……一体どうしたというんだね?」
急ブレーキをかけ、運転席と助手席では老夫婦が目を丸くしていた。
「街へ戻るんですよね? 今はダメです!」
ケンは老夫婦に手短に説明をする。半信半疑だった彼らも、カーステレオをつけそこからから流れてくるニュースを聞きやっと事の重大さに気が付いた様子だった。
「あなた……」
「ああ、そうだな。ラヴィアン・ローズへ避難しよう。君たちもそこへ向かっているのだろう? 乗っていきなさい」
「じいさん、いいのかい? だけど、この子たち身分証が――」
そこまで言いかけるリノエを、老人は制止する。そして、荷台に積まれたガラクタの山を親指で指した。
「コイツでなんとかなるさ」
怪訝な顔をするリノエ。ケンとルリは老夫婦に礼を伝えると、荷台へと回った。
「行きましょうリノエさん。これ、凄いんですよ」
「おいそれって――」
「密入国ならぬ、密出国……高飛びですね」
荷台によじ登る二人をあっけにとられた表情で眺めるリノエ。そんな彼女の肩をエイは叩く。
「行きましょう。今の俺たちにはこれしかありませんから」
夕日が照らす街道を、一台の小型トラックは走る。ハバラでの混沌とした日々を思い返しながら、ケンは次なる目的地、ラヴィアン・ローズへの期待と不安に入り混じった感情を向けていた。




