プロローグ
「退屈だ」
今年の四月から高校生になった俺――高城恭也は、机に肘をついてぼんやりとした眼で窓の外に広がる空を眺めていた。
「……」
瞼が重い。顎を支えている右手にもあまり力が入っていない。何もやる気が出ない。
こんなにも無気力なのは、中学時代に思い抱いていた高校生の日常が、この一ヶ月で完全に打ち砕かれたからだろう。
俺はどこにでもいるような中学生だった。交友関係は普通、家庭環境も普通。ごく一般的で模範的な中学生。そんな自分の環境を嫌悪していた訳ではないが、それが堪らなく退屈でつまらなかった。
高校に進学すればその退屈な日常に何かしら変化が起きるだろうと思っていたが、結果はこの通り。
確かに進学と言う出来事で少し変化したがそれも数日の事。一週間もすれば今まで通り通学して勉強しての繰り返しが待っていた。
だから今の俺はどこにでもいる中学生から、どこにでもいる高校生へとランクアップしただけだ。
別に特定の願望があった訳じゃない。ただ何かしら変化が欲しかった。確かに普通が一番の幸せみたいな考えも無きにしも非ずだが……。
「はぁ……」
こうも楽しみにしていた高校生活に何も起きないと、わくわくして買ったゲームがつまらなかった時のような気持ちになる。
「あ、また恭也が死んだ魚の目をして窓の外見てる」
おまけに中学時代で見飽きた顔が視界に入ってくる。
「沙夜か、おはよう」
「その『何だ沙夜か』みたいな挨拶、いい加減やめない?」
開いた窓か吹き入る風に掻き消されそうな俺の声とは対称的に、声色だけでも活気が伝わってくる女子生徒、七瀬沙夜。中学時代からの友人だ。
「俺も変えたいと思ってる。でもお前相手じゃあこんな挨拶にもなるだろ?」
「まぁ確かに。あんたとは結構長い付き合いだしねぇ……」
どう言う関係かと言うと所謂腐れ縁。中学三年間同じクラスになり、委員会なんかでも一緒になる事が多かった。挙句の果てにはこうして記念すべき高校生活一年目も同じクラスだ。
学校がある日は毎日顔を合わせているから、こいつの顔は眉だけでも判別出来る程見飽きてると言っても過言でもない。
「また退屈とか、つまらないとかってボヤいてんの?」
「よく分かったな。流石俺のストーカーだ」
「誰がストーカーよ、誰が」
「じゃあ……追っかけ?」
「あんたはいつから芸能人やアイドルになったの」
こう言う冗談を言い合うくらいには仲は良いと思う。
「それはそうと、いつもみたいに退屈してる恭也に朗報よ」
「ん?」
満面の笑みで話の舵を切った沙夜に、重い瞼が少し軽くなった。
「さっき用事があって職員室に行ったんだけど、聞いちゃったのよ」
「何を?」
「それはね――何だと思う?」
「……勿体ぶらずに教えてくれ」
沙夜の相変わらずな遊び心に呆れて、背を椅子に預ける。
「それはね……何と! 今日! このクラスに! 転校生が来るらしいの!」
溜めて溜めて言い放った言葉はそれだった。
「どう? 退屈してるあんたにとっては嬉しいニュースでしょ?」
「それは、まぁ……」
確かにそれは珍しい出来事だ。
「あれ、あんまり嬉しそうじゃない?」
「そんな事ないと思うぞ」
そう言いつつ、意外にもあまり興味はなかった。理由は転校生イベントは今までも何回か経験しているからだ。新鮮度は一日冷蔵庫に眠っていた刺身くらい。
「その言い回しはそんな事ある時しか出てこないわよ。何よ、折角私が苦労して仕入れてきたネタなのに」
「ただ先生達の話を盗み聞きしただけだろ」
私凄いでしょ、みたいな顔をしていたこいつには申し訳ないが、俺の退屈はその程度では埋めれない。
だが、この話に興味がない訳じゃない。それに意気揚々と話を振ってきた沙夜が可哀想だ。一応聞いてやるか。
「それで転校生は男子なのか? 女子なのか?」
「知らない」
俺の同情の気持ちを返せ。
「だってほんとにちょっと聞いただけだもん。私達のクラスの1-Aに転校生が来るって」
文字通り盗み聞きしただけのようだ。
「ところで職員室に何の用があったんだ?」
「昨日の数学の小テストを全部空白で出したら呼び出された」
とてつもなくどうでもいい理由だった。
「仕方ないでしょ、全部分からなかったから」
「ちゃんと授業を聞け」
そんな事で朝からお前を呼び出す羽目になった、数学担当でこのクラスの担任でもある藤原先生の身にもなってやれ。
「でもさ、この時期に転校生ってちょっと変よね」
「確かに」
強引に話を戻した沙夜に同意する。新学年が始まってからまだ一ヶ月、つまり五月だ。それも高校一年の。この時期に転校なんてまずないだろう。何かしら理由があるんだろうが、俺達の知る所ではない。
まぁ気になるならこれから教室にやって来る転校生本人に聞けば良い。そろそろホームルームだ。
「おーいお前ら席に着けー」
チャイムが鳴った間もなく藤原先生が教室に入って来る。
「今日も長ーい学業の始まりかー」
「お前は殆ど寝てるだけだろ」
きっと小テストの事だけでなく、授業中居眠りしている件も言及されたんだろうな。
そんな事を考えている間に、気付いたら沙夜含め他のクラスメイト達が各々の席に着いていた。
「ホームルームの前に報告がある。今日からこのクラスに転校生が入る事になった」
その一言で、一度は静かになった教室が再びざわつき始めた。俺と沙夜以外の生徒は戸惑いや驚き等様々な表情を見せていた。
沙夜の方を見ると『言ったでしょ?』と言わんばかりにニヤついていた。腹立つ表情だ。
「はいはい、今から紹介するから静かに――入って来てくれ」
先生が教室の外に向かって声を掛けると、教壇側の引き戸が再びガラガラと音を立てて開いた。
続けて先程までざわついていた教室とは裏腹に、コツコツ、とローファーの音を教壇まで伸ばす。ただその音だけを静かに、他の音を鳴らさないように。
そして、その女子生徒は静かに立ち止まり、俺達クラスメイト全員の方を向いた。すると恒例の自己紹介が始まる。
「御縁綴です」
第一印象は寡黙、それに尽きる。自己紹介の短さもだが立ち振る舞い、動作、声色、全てにおいて。
綺麗で長い黒髪。綺麗な顔立ちと透き通るような肌。女子にしてはやや高い身長。
それ等を引っ括めて彼女を表すのなら。
「――大和撫子」
気付けば声にしていた。
とてつもなく美しかった。先程までやや重かった瞼はすっかりそれを忘れていた。
その独り言は、教室全体がまたまたざわついたせいで誰にも聞かれてはいないと思う。それ程、クラスメイト達の目にも転校生の立ち姿は綺麗に映っていたんだろうか。
現に俺も、先生の声が聞こえない程には見とれていたから。
「――高城恭也!」
「え、あ……は、はい」
先生のそれなりに大きい声が耳に届き、ハッと現実に引き戻される。
「何ですか?」
急にフルネームで名前を呼ばれたから、戸惑いつつもそう返すしかなかった。
先生の名前を呼ぶ声には少し怒りが混じっているように聞こえた。
「何ですか、じゃない。さっきから呼んでいたんだが」
「え? そうなんですか?」
先生の呆れた顔を見ると、どうやら本当にそうらしい。
「いや、まぁいい。御縁の席はお前の隣だ。転校して早々心細いだろう、仲良くしてやってくれ」
「あ、はい。分かりました」
押し切られるように返事をしたが御縁って誰だ。
いや、あの転校生の事か。何か色々思考が追い付いていない。
そう言えば今日教室に来たら隣に見慣れない机と椅子があったっけ。そうか、転校生が来るからだったんだな。
「あの」
そりゃあ俺の右隣になるか。この前席替えをしたら窓際の最後尾になって、しかも人数の都合上その横列は俺一人だけ。新たに席を追加するなら自然的にここになる。
それにしても御縁か。珍しい苗字――。
「――あの」
ふと声が聞こえた。それも近くから。
首を右に捻ると、教壇に立っていた転校生がそこに居た。
「…………」
いつの間に来たんだ。別に流れ的にはおかしくないが単純に驚いて第一声が出なかった。
だから暫く目が合ったまま沈黙が流れたが、それを先に破ったのは彼女からだった。
「御縁綴です。よろしくお願いします、高城君」
無表情のままぺこりと頭を下げる転校生――御縁に一呼吸間を置いてから返事をする。
「改めて高城恭也だ。よろしくな御縁。何か困った事があったら言ってくれ。隣同士だからな」
そう返すと御縁は頭を上げた。
近くで見てもやっぱり背が高い。170後半ある俺よりは流石に小さいが、女子にしては高い方だろう。
そんな事を考えていると御縁が次にこう言い放った。
「分かりました。では私と友達になってください」
んん? 聞き間違いだろうか。その相も変わらず無表情な顔に似つかわしくない事を言い出したぞ。
「友達?」
「はい」
念の為聞き返したが、俺の耳はちゃんと正常らしい。
「別に良いけど」
少し戸惑ったが拒む理由はない。
「ありがとうございます。学校生活は友達が居ないと楽しくありませんから」
と、また無表情で。感情を表に出さないタイプなんだろうか。
何にせよ、新たな学校生活に彩りを持たせようとしてる事に感心する。退屈を拒もうとするその姿勢は好印象だ。
「ではこれから友達としてよろしくお願いします。恭也君」
「おう」
笑顔で返事をしてやると、隣の空いた席へに着く。『友達としてよろしく』というあまり聞き慣れないフレーズを残して。
普通の一日になる筈が思いがけないイベントがあった。
良くよく考えてみたら、転校生イベントもそれなりに大きな出来事か。それにこうして初顔の御縁とも繋がりが出来た。暫くは退屈しないで欲しいと願いたい。




