【 裸の少年 】
雨の飛沫で五メートル先が見えない。
ザァーーーー・・・
「ざぁーー、ざぁーーー」
だが声らしき方へと進むにつれて、それが声らしき物ではなく はっきりと声だと認識出来た。
「やっぱり子供の声だ。おーい!どこにいるんだー!」
心の声は聞こえて来ないが、直接耳に届いた音は子供の声だと確信した俺は声を上げて呼んだ。
すると
「ざぁーー、おーい?どこいるだー?ざぁーー」
と聞こえてきた。
目を凝らし声のする方を探しながら見渡すと、橋の欄干の上に小さな人影が見えた。
「見つけたっ!って、なんであんな所に立ってるんだ!?落ちたら死ぬぞ!」
橋の欄干は鉄で出来ている為、濡れている今は特に滑りやすくなっているはずだ。
そうでなくてもあんな所に立っていたら、少しの風でバランスを崩して落下してもおかしくない。
おそらく子供だから、危険かどうかも理解が出来ていないのだろう。
急いで助けないとっ!
「今行くから、そこを動くなよっ!」
ーーーピシッ
俺は人影に向かってそう叫んでから走ってそこに向かおうとしたが、タイミング悪く魔力が切れてしまい防雨結界に亀裂が入ってしまった。
激しい大雨のせいで亀裂が入った途端に防雨結界は脆くも崩れ去り、一瞬で全身ずぶ濡れになってしまった。
それだけなら良かったのだが、目を開けるのも困難な強い雨と強い風で歩くのも難しくなってしまい、思ったように前に進めない。
「くそっ、早く行かないと危ないってのにっ」
焦る気持ちとは裏腹に進む足は一歩一歩ゆっくりで、人影との距離が縮まらない。
幸いなのは不安定な足場に立っている人影はバランス感覚が良いからか、強い雨風にも流される事なくその場から動いていない事だ。
「ざぁーー、ぐるる、そこうごなよ?なよ?」
ーーーー!!!
しかし、その安心は一際強い突風によって展開を変えた。
「おろ?おろろ?」
イタズラの神様はタチが悪い。
風で橋の内側に押してくれたら良かったのに、人影はフラつきながら橋から川の方へ落ちそうになってしまっている。
「やばいっ、もう一か八かだっ!間に合えぇぇぇっ」
歩いても走っても もう間に合わないと思った俺は、《共存》で人影に乗り移る為にアイデンを発動した。
ーーーーよしっ、間に合った
(っ!?なんだこれは・・・くっ、心力が一気にっ)
共存で人影に入った途端、いつもと違う感覚に襲われた。
人に入るのは慣れているし アイデンを使った時の心力の消費具合も把握しているつもりだったが、この人物に入った途端 今までに味わった事がないほどの心力が急激に消費されていった。
だからと言ってここで解除するわけにはいかないっ。
「うおぉぉぉぉぉっ!」
心力の消費の事も気になったが、それよりも人命が優先だ。
身体に入ってわかったが、人影はやはり小さな子供だった。
それも俺のような子供ではなく、晴れた日でも保護者と出歩くのが当たり前であるくらいの幼い少年。
絶対に死なせてはいけない。
守られて当然の子供がたった一人でこんな所にいるのはおかしいが・・
どんな事情があるにしろ、子供を守るのは守ることが出来る人の責任だ。
そして、周りに誰もいない今 それが出来るのは俺だけだ。
ーーードサッ
「はぁ、はぁ、間に合った・・」
なんとか体勢を立て直して、橋の内側に転がり下りる事が出来た。
激しく地面に転がってしまったが、この少年の身体が頑丈だったからか転がり方が上手かったからかはわからないが、少年の身体に傷をつける事なく無事に生還出来たのは幸いだった。
橋から落ちる危機を回避した俺は共存を解除し、地面でうつ伏せに倒れている自分の体に意識を戻した。
「ゲホッ、ゲホッ。うえっ 大量に雨飲んでるな。まぁ仕方ないか・・・それよりも」
あの子を保護しないと。
「どさ?あーーあーー、うおお?ざぁーーー」
少年はその場から動かずに胸に手を当てた状態で空を見上げながら立ち尽くし、何かを呟いている。
俺は急いで少年の元に向かった。
「良かった、なんともなさそうだな。ってなんで裸なんだ?濡れてるけど、とりあえずこれを」
夏だし雨だし子供なのでパンツ一丁になって遊んでいるのはたまに見かけるのだが、この少年は全裸だった。
気休めにしかならないと思ったが そのまま全裸にさせておくわけにもいかないので、持って来ていたバスタオルを少年の体に巻き付けてあげた。
「冷たいかもしれないけど、大丈夫か?」
周りを見渡しても保護者らしき人もいないし、やはりこの状況は異常だ。
もしかして・・捨てられたとか、か?
血が出ているわけではないが額に切り傷のような物も付いているし、MSSが受け入れられない親に虐待を受けている可能性もある。
「君、名前は?」
俺が少年の目線の高さまで腰を落として なるべく穏やかな声色を作りながら質問をすると、少年は穢れを知らないクリッとした綺麗な黒い瞳で俺を見つめながら首を傾げた。
「ぐるる!」
少しの間 少年は首を傾げながら俺を直視していたが、突然とても嬉しそうに無邪気な笑顔でそう言った。
「グルル…それが君の名前かな?変わった名前だけど、良い名前だな。俺はタクト、よろしくな グルル」
「た、くと?よろな?」
あまり言葉が得意ではなさそうなグルルと名乗った少年。
もしも虐待などを受けているのであれば、少年からみれば大人な俺の事も怖がるかもしれないと思ったが、グルルは楽しそうに笑ってくれた。
身振り手振りで自己紹介をすると、グルルは俺の周りをぐるぐる回りながらずっと「ぐるる、たくっと、ぐるる、たっくと」と楽しそうに言っている。
空を見上げながら何かを呟いていた時のグルルを見た時は、どこか神聖なものを感じたが それと同時に寂しそうにも見えた。
なので楽しそうにはしゃぎ回る今のグルルが見れて心底ホッとした。
どしゃ降りの雨の中 グルルは濡れている事など全く気にもせずにぐるぐる回っており、俺もここまで濡れてしまうと もうどうでも良くなってきた。
むしろ雨に打たれるのがちょっと気持ちよく感じるし、楽しくなってきた。
ぎゅるるるるーーー
しばらくグルルが楽しそうにしているのを眺めていたが、グルルのお腹が盛大な音を鳴らしたのをきっかけに今後どうするかを考える事にした。
「腹減ってるのか?とりあえずここに居ても仕方ないし、飯でも食べに行こうか」
今日は防雨結界の強度を確かめるだけの予定だったので、携帯はおろか財布すら持ってきていないがネジリーさんなら事情を説明すればツケにしてくれるだろうと思い、グルルと手を繋いだ。
俺の家に連れて行っても良かったが、ここからだと街に行く方が近い。
どんな事情でここに居たのかはわからないが、一応迷子のグルルは母さんに任せた方がいいと思い、母さんが働いている街の警察署に向かいつつ、たこ焼きっさにでも寄ろうと考えて移動を開始した。