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Rain  作者: 雨玉
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2/2

【胎動wheel of destiny 】

Rain第二話です。

いよいよファンタジーが始まるっぽいです。


~あらすじ~

ゼンの案内で、この街の名所であるという女神石を訪れるルリ。

ルリが女神石に触れると、眩い光が世界を包み……

2人はこの世界を支える伝説の女神 イリアと出会う。

一方、闇に紛れてうごめくのは不穏な影。

今、イーリスをめぐる物語が動き出そうとしていた。

淡い輝きの粒子を吹き上げる光の輪の中で、祈りを捧げる女性。

儚げなその女性の頬は微かに震えている。不安、恐怖、焦り……あらゆる感情を飲み込んで、彼女は一心に祈りを捧げる。願い、信じること。今の自分にできることなど、ただそのひとつしかないのだから。

硬く瞼を閉じ、祈り続ける女性の桃色の長髪を穏やかな光の粒子が照らす。そして――


崩落。



「弾けろぉぉぉおお!!」


少女の叫びと共に周囲を激しい雷撃がなぎ払う。うねり荒れ狂う雷撃は彼女たちを取り囲んでいた黒い異形の魔獣の群れを容赦なく食い尽くしていく。二頭の首を持つ竜、人間の顔をした鳥、十本の足を生やした大きな亀。影の塊のような実体のない不気味な黒い獣は、散らせども散らせども闇の中からとめどなく溢れ、新たな異形となり数を増やしていく。その数と再生のペースは時間が経つに連れて明らかに増大し、加速していた。


雷撃に散らされる影。一度は黒の粒子となって形を失ったものの、すぐにまた他の影と融合して形を取り戻していく。見る見るうちに胴体から四本の手を生やして這いつくばる人間の姿をした異形が現れた。


「くそっ!きりがねぇ!扉はまだ開かねぇのかよっ!?」


両手に次の雷撃の魔力を蓄えつつ金色の髪をした少女が毒づく。傍らに立つ男が迫り来る異形へ向けてその手の長剣を構えながら応えた。


「もう少し……もう少しのはずだ!扉は必ず開く。それまでなんとしてでも、我々で時間を稼ぐのだ!」


男が長剣を勢い良く振り下ろすと、刃全体を包み込むようにして炎が上がった。

燃え盛る剣を携え、男は異形の集団へ向け走り出す。雄叫びを上げ、影たちを切り払い火炎で散らしながら異形の群れの中へ飛び込んでいく男。振るう剣に散らされる黒い粒子、新たに湧き続ける影たちに埋もれ、やがてその男の姿は見えなくなっていった。


怯える眼差しでそれを見守ることしかできない光の輪の中の女性。女性の後ろには果てしなく巨大な石の壁がそびえ立っている。閉ざされた石の壁には八つの宝玉が埋め込まれており、そのうち五つの宝玉には煌々とした光が灯されているが、残り三つの宝玉は未だ光を宿さない。


徐々に光が灯っていく宝玉。祈りながら、座してその時を待つ白いドレスの女性。彼女を包む光の輪も、時間と共に宝玉と連動しその輝きを増している。あと少し、もうあと少しのところまで来ているはずなのだ。

恐る恐る背後の壁を仰ぎ見る女性。それとほぼ同時に、六つめの宝玉に光が灯された。あと二つ……その輝きが灯れば、この地獄は終わる。


「危ない!!」


危機を叫ぶ少女の声。女性が正面に向き直ると、そこには今まさに彼女を飲み込まんとする黒い鯨の大口が広がっていた。声を失う女性、しかし間一髪で雷光の一撃が振り落とされ、巨大な黒い鯨は頭を潰された。閃光の中から雷をまとった金色の髪の少女が現れる。光の輪の正面に立ち、少女は拳を振り上げた。

「いい加減見飽きてんだよ……こんのぉ、化け物どもぉおおおお!!!!」

強烈な雷撃をその拳に宿し、鯨を形成していた塊から無数に這い出てくる黒い影たちの群れへと飛びかかっていく少女。少女の全身から放たれる暴れ狂う雷の帯が影たちを黒い粒子へと変えていく。撒き散らされるおびただしい量の黒い粒子。瞬く間に光の輪の周囲は、伸ばした手の先も見えない深い闇に包まれた。


「みんな……っ!」


泣き出しそうな表情で手を伸ばす女性。思わず仲間たちを追いかけ、光の輪の外へ更に腕を伸ばそうとしたその時。その腕は脇から現れたもう一つの腕に力強く握り締められ、輪を出る寸前で止められる。

驚いた瞳で腕が現れた方向を見ると、そこには最も傍で彼女のことを見守っていたもう一人の男が立っていた。紫色の装束に身を包んだ魔導師の男は無言で、だが強い意思を宿した眼差しで女性を見つめる。言葉少なで、いつもなにを考えているのか明確には表さない彼だったが、この時は彼女にもはっきりと伝わった。使命を果たせと、与えられた役割から逃げるなと。彼の瞳は彼女にそう強く訴えかけているようであった。


「…………っ!?」


刹那、見つめ合った彼の瞳が大きく見開かれる。男の腹部を背後から黒い槍が貫いていた。


悲鳴を喉に詰まらせる女性の前で苦悶に歪む男の顔。血の塊を吐き出しながらむせび込むも、男はその場所に踏みとどまり彼女の傍を離れなかった。尚も光の輪の前に立ちはだかる魔導師に、無慈悲にも更なる黒い槍が降り注ぐ。幾本もの黒い槍に貫かれる男の身体。それを取り囲むようにしてうなり声と共に黒き猟犬たちが闇より湧き出してくる。


「ぐぅ……っっ!!」


鮮血にまみれながら、男は最後の力を振り絞った。その手に掲げられた紫の水晶に魔力の渦が集まっていく。獰猛なうねりを上げて黒き猟犬たちが魔導師の身体に飛び掛るのとほぼ同時、男を中心とした空間がぐにゃりと歪み、狭い円形の範囲が漆黒にくり貫かれた。

突如空間を引き裂いて現れた穴は轟音をあげて拡大。中心にいた男を飲み込み、その道連れとして周囲の影を、異形の獣たちを勢いよく引きずり込んでいく。大量の黒い粒子ごとこの空間の影たちを余すことなく吸い尽くし、その渦巻く穴は収束していった。



……訪れる静寂。

残されたのは光の輪の中でうずくまる女性、ただ一人。

小さく震えるその肩はあまりにも弱々しく、一層に儚かった。


「いや……いやぁ……み、んな。…………どうして……いやぁあああ!」


声を引きつらせてうつむく女性。瞳からとめどなく大粒の涙が溢れ出す。

失意と絶望。声を上げて泣き崩れる女性を包む光の輪。


やがてうずくまったままの女性を背後から照らす、一筋の光。光は徐々に扇状に広がっていき暗黒に侵されていた世界を照らしていく。

泣き腫らした目で後ろを振り返ると、そこには煌々と八つの輝きを灯した宝玉。

地響きを鳴らし真っ二つに割れるそびえ立つ石の壁。扉の向こうからこぼれる光に溶かされていく世界。

多くの犠牲のもと……今ついに扉が、開かれようとしていた。



・

・

・

・





悠久の宇宙。永劫の中心で顔を上げる女性。

ここには時の流れなど存在しない。この星の核を司る彼女には時という概念すら意味を成さない。この星の運命を見届ける者。超越なる神に睡眠は必要ない。そう、もはや眠ることすら……彼女には許されていなかった。


しかし、夢を見ていたのだろうか。とても懐かしくも珍しいその感覚。慈愛を湛えた瞳を開く。その目に映るのはどこまでも広がる宇宙。漆黒の闇に輝く砂の粒を散りばめただけの世界。音を知らない静寂の世界を時折揺らすのは、輝く砂の瞬き。まるで世界そのものが脈打つような小さな鼓動。

永劫の檻の中。この星の鼓動に抱かれながら、孤独の女神はただ静かに……儚く回る宇宙を見つめていた。



                    第二話

              【胎動‐wheel of destiny‐】



それは実に幸運なことであった。

驚くほど高い天井に、きらびやかなシャンデリア。壁を飾る装飾品を見回しながら、心からそう思う。少年は美術品に対しての知識や趣は皆無であったのだが、牛の群れでも出入りするのかと想像してしまうほど不必要に大きな窓の横に立てかけられた、同じくらい不必要に大きなその絵画が恐らくはものすごく貴重かつ高価なものであろうことは安易に想像がついた。

そう、それは実に幸運なことであった。

この大陸で最も栄えた都市であるこの中央都市セントル。そのセントルの中でも一、二を争う超高級一流ホテルの最上階。豪華パーティールームと6つのベッドルーム完備のプレミアムスイートルーム。そのフロアを貸し切れるだけの人間と幸運なことに道端でばったり出会った少年は、これまでのそれなりに波乱万丈な人生経験のなかでも一度も体験したことのない超豪勢な宿泊施設に「部屋が余ってるから」というセレブ感あり余る理由で寝泊りさせてもらえることとなった。


それは本当に幸運なことで、今朝も無駄に豪華なベッドで目が覚めた少年は、無駄に豪華なプール付きシャワールームで寝起きの頭を覚まし、テーブルに着くと最適なタイミングでルームサービスが用意してくれた豪勢な朝食を口に運ぶ。


向かいの席に座るのは、この幸運を少年におすそ分けしてくれた張本人である。歳もほとんど少年と変わらない少女は、少年と同じく宛てもなく一人旅をしている道中だという。偶然にもこの街にふらりと訪れた少女は、偶然にも一泊するだけで平民の暮らし一月分のお金が飛ぶであろう高級ホテルに予約を取ったところで、偶然にも彼女一人で6つものベッドルームを使いこなすことができそうにないと気付いた矢先に、偶然にも出会った少年が今晩の宿に困っているという事情を聞いて、偶然にも高級スイートルームの一室を昨夜出会ったばかりの少年に無償で貸し与えてくれることとなったのだ。

それは本当に本当に、幸運なことで……


「んなわけあるかぁぁぁぁ!!」


少年の叫びがだだっ広いダイニングルームにこだまする。寝ぼけていた頭ではまだ自分の目の前に広がるこの世界が夢か、もしくはあまりに辛い極貧生活に脳が支障をきたし、一時の逃避行動から見せた妄想の類なのかどうかの区別が付いていなかったし、目を覚ますために顔を洗ってみてもシャワーを浴びてみても、目に映るのは到底これまで彼が見てきた現実世界のそれとは違いすぎる世界だし、そんなこんなで流されるまま食卓についてまたしても妄想の産物にしか見えない豪華な朝食を口にしていたわけだけれども。ここに来てようやく今自分が置かれているこの状況の異常性に脳が気付き、少年を叫ばせるに至ったわけだ。


「……どうしたの?ゼン。急に大声出して。なんか嫌いな食べ物でも入ってた?」


向かいに座る少女、ルリがボイルシュリンプのオーロラソースがけを無作法に口に運びながら尋ねる。少年とさほど歳の変わらぬ彼女こそ、この超高級スイートルームの借主だ。


「お……お前。ほんとに何者なんだよ……。なんの仕事してたらこんなホテルを軽々と借りた上に、俺みたいな知り合って間もないやつに遠慮もなく部屋を貸せるんだよ」


「またその話?だから昨日から言ってるでしょ、ゼンと同じ放浪の旅人なんだって」

「一泊の宿代に一月分の生活費をつぎ込める放浪の旅人なんているかぁ!?」

「ここにいるんだからしょーがない。昨日から今日にかけては記念日だから、いつもよりちょっと贅沢してるだけだよ。気にしない気にしない」


今となっても目の前に広がる現状を受け入れられないゼンに、涼しい顔のままルリが応える。彼女いわく『臨時ボーナス』なるものが入ってくれたおかげもあるとのことだが、彼女の行動や言動からは、彼女が自分と同じ境遇にいる少女だとは到底信じがたかった。


「そんなことより早く食べないと、せっかくのお料理が冷めちゃうよ。まぁ、冷めてもそこのイーリス調理器で温めなおすこともできるっぽいけど」

「お、おぅ……」


生返事を返しつつ、ゼンはテーブルの傍らにセッティングされた装置に目をやる。小型の釜戸を思わせるドーム状の石台の上に広めの鉄板が置かれており、ゆらゆらと湯気を放っている。ドームの下部には赤く発光する大小様々な宝石が積み上げられておりそこから発せられる熱エネルギーで上部に乗せられた鉄板を加熱する仕組みだ。……というより、この程度の熱を生み出すためなら原石のままでも充分だと思うのだが。流石は超高級ホテル、見た目にもこだわった結果わざわざご丁寧にも水晶加工まで施されているらしい。高度な武具や高純度のエネルギーが必要な装置ならこの加工もわかるのだが、ただ鉄板を温めるためだけに水晶加工されたイーリスを使うとは驚いた。ここに無造作に積まれた炎イーリスを換金するだけで、このスイートルームの宿泊権利をもう数日くらいなら延長できそうなほど高価な代物である。

思えば、このフロアの至るところでも水晶加工のイーリスを見た気がする。廊下やベッドルームの壁面に備え付けられたそれは鑑賞・装飾用に加工されたアクセサリーイーリスだと思っていたのだが、どうやら水晶加工された水イーリスと雷イーリスを組み合わせた装置で、一定時間ごとに作動して部屋の湿度や気温を常に適温に保つ働きをしているらしい……というのをベッドサイドに置いてあったインフォメーションボードを見て知ったときは驚くというより変な笑いが出た。全く恐ろしい世界だ。お金さえあれば魔石資源のこんな無駄遣い、もとい有効活用を味わいながら生活できるものか。世の中というものは住む人間の経済レベル次第で全然違った景色に映るようだ。


魔石『イーリス』――。確かにこの天然魔石資源さえ際限なく使い放題にできるのなら、この世界で生きていくのに何一つ不自由はないはずだ。自然の恵みのもたらす最大の恩恵、イーリス。人々の文明はこの天然エネルギーを自然から取り出し、より良い形で生活に還元していく技術を磨くことでここまで発展してきた。地下鉱脈や山岳地帯、坑道や海底から産出される高エネルギーを含んだ鉱物資源。火山から噴き出すマグマの中より取り出された炎イーリスの力で人は火を使う術を身につけ、雷雲たちこめる高山より発掘された雷イーリスの力で人は電気回路を発明した。その他にも風、樹、光、闇、大地、大気、水といった多様な魔石の力を研究・応用し人々は生活の質を向上させてきた。


現在ではイーリスの研究も進み、原石そのままの状態で使用するよりも不純物を取り除くことで更に純度の高いエネルギーを放出させられる水晶加工技術も会得した。

こうして、産出される場所と深く結びついた様々な自然エネルギーの結晶であるこの魔石『イーリス』を利用することで人類の歴史は歩んできたのだ。


イーリスを採掘する者と、採掘されたイーリスを市場に流通させる者。仕入れたイーリスを目的別に加工する技術職、彼らから加工済みのイーリスを買い求める者。経済も含め、この世界の全てはイーリスを中心に回っていると言っても過言ではない。そんな世界を構成する魔石資源を「食べ物を温めなおしたり、室温を快適にする」という理由で際限なく浪費してみせるホテルもあるのだから、やはり世の中お金の有無で難易度設定が決まるという事実は否めない。


そして何より少年が解せないのは、そんな世界の頂点にも等しいこの空間の使用権を買えるだけのお金を、同い年の少女が惜しげもなく支払っているというこの現状である。とても彼女の言う「何の目的もなく適当に旅をしているうち、せっかくだから一番大きな街に来てみようとこの街に辿り着き、せっかくだから一番良さそうなホテルに泊まってみようと思い至った」という動機だけで成り立っている状況だと納得するのは難しいことであった。第一、どこでどう稼げば一人旅の15歳の少女がこんな超高級ホテルを1フロアごと貸し切れる財力を発揮できるというのだ。そんな経済的余裕をもってする旅とは果たして放浪の旅といえるのか。金持ち道楽の気まぐれ世界一周旅行とは違うのか。謎の多い少女に対して、少年が問いただしたいことは山のように膨らむばかりであったが、臨時ボーナスの出所に関しては「企業秘密」とのことだ。ルリの言う「企業」の概念から聞いてみようかどうか迷っているうちに、なんだか色々と面倒になったのでゼンはそれ以上の追求を止めたのだった。世の中、まだまだ自分の知らないことがたくさんあるのだろう。うん、もうそれでいい。


少女を問い詰めることを諦め、ゼンも食事を再開する。ラザール牛の霜降り肉入りオニオングラタンスープを口に運ぶと、何とも言いがたい複雑な味が口の中に広がった。同時にたくさんの味がする、といった料理に日常で慣れていないせいなのか、これが一般的な下町の安い食堂で食べられる料理と比べて格段に美味しいものなのかどうかすら、ゼンには正直よくわからなかったが。ただ確実に「高そう」であることだけは伝わってくる。どの料理を食べても、そんな味がした。


「ルリ。お前さ、今日はこれからどうするんだ?何か予定とか立ててんのか?」


向かいの席、自分用の調理器で魚介の乗ったガーリックトーストを温めているルリに聞く。


ルリは首を横に振ると緊張の欠片も感じさせない間延びした声で答えた。


「ううん、なーんにも決めてないよ。とりあえず、この街をぐるっと散歩してみようかな。とか、そのくらい?」

「……ほんっとーにノープランなんだな。逆に清々しいぜ」


熱々に温めなおされたトーストをかじるルリ。気付けば彼女の前にあった料理はほとんどが食べ尽くされている。淡々としすぎて気が付かなかったが、細身の外見によらず意外に大食いなのかもしれない。


「だって、旅をするのも初めてなんだもん。プランとか立てようがないよ。知らない街に来たら、まずはその街の生活様式や環境を知れ。自ずとやるべきことが見えてくる。って教わったから、その通りにしてみるつもり」

「ふーん……まぁ、そういうもんでいいのかもしんねーけどさぁ。なんつーか、こう。たくましいのかふわっとしてるのかよくわかんねぇよな、お前って」


ゼンもルリに負けじと飯をかきこむ。昨日の重労働で消費されたカロリーを補うが如く、少年の胃袋もまた寝起きとは思えないほどの勢いで豪勢な食事を難なく受け入れた。


「じゃあ、ゼンはどっかいい場所知ってる?旅人がこの街に来たら、まずは行っとけってとこ。この街、私より長いんでしょ?」


ルリの質問にゼンは首をひねる。


「うーん。そうだなあ……あ」


考え込んだのも数秒、やがて何かに思い至ったように口を開いた。


「『女神石』はどうだ?この街のシンボルで、ここに来た商人も旅人も必ず立ち寄って、そこで旅の安全や健康をお願いするんだ。街のど真ん中にでっかい岩みたいなイーリスの原石が埋まっててよ、その岩を中心にしてこの街が作られたらしいって伝説もある有名な観光スポットだぜ。……もう、回っちまったか?」


ルリは首を横に振る。


「ううん。知らない」


その返答を受け、少年の目は待ってましたと言わんばかりに輝いた。


「お、よし来た。じゃあまず、そこに案内してやるよ。セントルに来たんなら『女神石』をお参りしておくのが鉄板なんだぜ。この先の旅路に幸運が訪れますように、ってな!」


やけに張り切る少年。純粋に輝くその目を見ていると、こちらまで楽しい気分になってくる。どうやら彼は誰かの役に立つことに喜びを感じる人間のようだ。その底抜けに明るい笑顔の似合う少年の好意に甘える形で、ひとまずルリの目指す場所は決まった。

窓の外には気持ちよく晴れた晴天が広がっている。高級スイートルームとお別れするのは名残惜しかったが、もう一時間ほどもすればチェックアウトも近い。始めて一人で降り立った街、セントルでの朝。出発の時間であった。




~◇◆◇~




どことも知れぬ館の一室。明かりの灯されない部屋を支配するのは静寂と暗闇。時刻は掴めないが、少なくとも人工の明かりに頼らなければすぐ傍に立つ人の顔さえ判別することのできない闇がこの場所にはあった。

窓の向こうには星のない夜空。果てのない漆黒が広がり続ける無機質な空がある。それでもこの静寂の室内と比べればぼんやりと明るい自然光に満たされていた。今この部屋には、窓の外から辛うじて入ってくるその明るみでおぼろげに輪郭を映し出された幾つかの人影が佇んでいる。


背を柱に預けた姿勢で片膝を立て、もう一方の足を投げ出して床に座る男。古びて錆の浮いた椅子に足を組んで座る女性。部屋の一番暗い隅で中空をぼんやりと見つめ、立ち尽くすもう一人の女性。そして彼らとは大きく距離を置いた窓際の壁にもたれかかり、腕を組んで立つもう一人の男。

同じ空間を共有しながらもそれぞれが一定以上の距離を取り、思い思いの場所で会話もなく時間を過ごす彼らに協調性は感じられない。だが、彼らの全員が黒を基調とした衣服に身を包んでいることと、皆一様にどこか冷たく静かな憎悪を感じさせる暗い瞳をしているという点では共通しているものがあった。


「……皆サン、オソロイノヨウデスネ」


しかしこの部屋の静寂を割って響いた声の主は、その誰でもなかった。もっと正確に言うならば、突然響いたその不気味な甲高い声には、声の主など存在しなかった。

真っ暗な部屋の中央、佇む4人の影以外には他に誰もいないはずの暗い場所から湧き上がるようにして声だけがそこに現れたのだ。

地を這い、淀んだ空気を震わせ、壁や床を伝って四方から声だけが語りかけてくる。そんな男性の声帯をちぎれるほどに引き絞ったかのような耳障りな金切り声が暗闇から響こうとも、この部屋の誰もそれに動揺した様子はなかった。


「イヨイヨデス。来ルベキ時ガ来マシタ……。ソロソロ私モ動クトイタシマショウ。無論、貴方ガタニモ与エテ差シ上ゲタモノ以上ノ働キハ、シテイタダキマスヨ?……サテ、ツキマシテハ……クロウ」


主のない声が呼んだ名――部屋に佇む影の視線が一斉に窓際の男へ向けられる。窓際の男は腕を組み、視線を落としたまま眉一つ動かさない。


「早速デスガ、オ仕事デス。中央ノ大陸ニ向カッテクダサイ。私ノ不手際デ申シ訳ナイノデスガ、ヒトツ片付ケテホシイ案件ガアリマシテネ」


男は無言のまま顔を上げる。その瞬間、窓の向こうでまばゆく青白い閃光が上がった。強烈な光はこの部屋の暗闇を縦長く歪な窓の形に切り取る。その一瞬の光が、顔を上げた男の白髪とそこから覗く狼のように鋭い灰色の眼光を浮かび上がらせた。

数拍遅れて地響きを思わせるくぐもった轟音が届く。雷鳴は、これから訪れる嵐の予兆を感じさせるようだ。


「なぁんだ、また『お気に入り君』の出番ってわけ?出世が早そうで羨ましいわ~。ねぇ、カイ?」


茶化した様子で後方に声を投げる椅子に座った女性。投げられた方向にいたもう一人の女性は興味なさげに視線を床に落とし答える。


「…………別に」

「あら、そう。クールなのね」


肩をすくめて見せる椅子の女性。常に悪戯を企む細められた瞳とやや大げさな身振りは、どこか他者を侮蔑する棘を内包していた。


「気ヲ悪クシナイデクダサイ、ダーシェ。適材適所トイウモノデス。貴女ニハ貴女デ、イズレ相応シイオ仕事ヲ引キ受ケテイタダキマス。シバシオ待チヲ」


主のない声にたしなめられ、女性は組んだ足を解くとわざとらしく姿勢を正した。


「はぁーい。よろしくね、お人形さん」

「クックック……ソレハ私ト貴女ノ、ドチラヲ指シタ表現デショウカネェ。ソレトモ皮肉ノオツモリデショウカ?イズレニセヨ、ナカナカセンスノアル冗談デス」


抑揚なく笑うその声に、女性は悪戯っぽく微笑んで首をかしげる以外、何も言葉は返さなかった。


「よぉ、ところで……うまくいきそうなのかい?今回は」


咥えた煙草に火を灯しながら、床に座った男が問いかける。


「サァ、今ノ段階デハ私ニモ断言ハ出来マセン。デスガマァ、貴方ガタノ協力ト健闘ガ不可欠デアル……トイウコトハ、ドウカ肝ニ命ジテオイテクダサイ。モチロン、イーヴァ……貴方ニモシッカリ働イテモライマスカラネ」


答える、主のない声。煙を吐き出しながら床に座る男はにやりと口の端を吊り上げた。


「デハ、向カッテクレマスカ?クロウ。詳細ハ現地ニ到着後、コチラカラ……」


末尾を待たずに止まる声。窓際には、いやすでにこの部屋にはその名を呼ばれた男の姿はどこにもなかった。

暗い部屋のそこかしこから、幾つかの苦笑とため息が聞こえる。


「……ゴ理解ガ早イヨウデ、助カリマス」



会合が終わり、一人また一人と空間から気配が消えていく。誰一人その場所から動くことも立ち上がることもなく、しかし人影は一つずつ部屋から無くなっていく。数秒のうちに


物音一つさせることなく、いつの間にかこの場所から全ての影が立ち去っていた。


星のない夜空の下、どことも知れぬ館の一室。

そうしてまた、この空間は暗闇と静寂のみが支配するそれへと戻った。




~◇◆◇~




まだ朝日も高く、真上に位置するには早い午前。こんな時間だというのに街の広場はすでに大勢の人々で賑わっていた。

ガイドブックを片手にはしゃぐ観光らしき団体、テントを広げて道行くものに片っ端から威勢の良い声をかける露天商、物珍しそうに周囲を眺めながら歩く旅人に、幼い子の手を引いて買い物をして回る母親。見渡す限りの人、人、人。この街の人々は眠ったり休んだりすることを知らないのではないかと思ってしまうくらい、衰えぬ賑わいの光景がそこに広がっていた。


「流石、セントル……みんな、わかい」

「俺たちだってじゅうぶん若いっつーの。つーかはぐれんなよ?この辺りは特に人が多いんだから」


ゼンに連れられてこの街の中央広場へとやってきたルリ。この街自体に常に活気が溢れていることは知っていたが、広場への道程はそのルリの生半可な想像を軽々と上回るものであった。観光名所というだけあって広場の中心へ近づくほど人の往来は勢いを増し、少しでも気を抜くとすぐに人々の波に流されてしまいそうになる。一体、今この場所に何人の人間がひしめき合っているのだろう。まるでお祭りかパレードである。特別なんのイベントがなくても常時これだけの人で溢れているとは驚いた。恐るべし大都会。恐るべし中央都市セントル。


「ほら、よそ見すんなって」

「あ、うん」


視界の端に手を引かれ思わずよろけそうになるもどうにかバランスを立て直し、引力に従って足を進めた。


やや乱暴に手を引いて前を歩く少年の背中。自分とさほど変わらない背丈とは不釣り合いに、幅の広い大きな鋼鉄の剣が少年の歩行に合わせてゆらゆらと揺れている。

そんな大きな鉄の塊を持ち歩いて不便ではないのかと訊くルリに対し護身用なので威力はでかいほうがありがたいのだと彼は答えたが、振りぬいた勢いでそのまま少年の体が宙を舞いかねないその大きさは威力云々というより一抹の不安を感じずにはいられないアンバランスさを放っていた。よほど腕力に自信があるのか。あるいはアホなのかもしれない。


もちろんルリも護身用の武器は持ち歩いている。左右の腰から下げたホルダーに収まった小ぶりの2本のダガー、それで充分だった。武器はあればある程身を守れるが、それが自身の動きを妨げるものであっては意味がない。最大の武器は己の身体技術であり、あくまで武具はそれを補助さえできれば充分だと。ルリの育ってきた盗賊の世界ではそう教えられた。

しかしここ最近では護身用に物理的な武器を持つ者自体が少なくなってきている。今では魔道武具用イーリスをベースに一般向けとして威力を調製されて販売されている小威力の攻撃型イーリスを持ち歩くのがトレンドだ。イーリスはその見た目から宝石としても価値が高く、ライセンスさえあればアクセサリー感覚で身につけることができるのでおしゃれなお守りにもなる。重たく物騒な武器を持ち歩かなくともそれ一つでファッションと防犯グッズを兼用できる優れものなのだ。


だが、そんな流行に逆らってでも未だ物理的な武装を選ぶ人間もいるのには理由がある。誰でも自然エネルギーを凝縮した魔法を扱えるイーリスは確かに便利な道具だが、無限に使えるわけではない。一般に出回っている個人携帯用のイーリスなんてものは大抵が一回限りの使い捨てで、魔力の発動と共に砕け散ってしまう消耗品だ。いざという時にストックが切れてしまっていたとしたら悲惨なことになる。それに消耗品であるゆえコストもかかる。街に着く度にストックを気にして買い足していくようでは資金がかかって仕方がないのである。これらの理由から、旅人や危険を渡り歩く職業の者などは今この時代になっても武器の扱いに長けておくに越したことはないのであった。

いずれはそう……イーリスの研究や文明も進んで、尽きることなく無限に魔力を放出できる魔石も現れたりするのだろうか。そうなればそう、まるで自身のこの体の……


「ついたぜ!ここがこのセントル最大の観光名所!中央広場の女神石だ!」


ガイドを務めてくれている少年の放った一際テンションの高い声で意識を現実に戻される。

人込みの開けた正面には背の高い石柱と鉄製の柵。そしてその柵の向こうに目を見張るほど巨大な岩石の塊がそびえていた。

観光に来たらしい周囲の人たちも皆、その巨大な岩石を指さしては口々に歓喜の声を上げている。柵に顔を押し付けて隙間から食い入るように岩を見つめる子供もいた。人込みで賑わう中央広場の中、この石柱と柵で囲まれた空間だけはぽっかりと無人で、まるでそこだけ時間の流れが止まっているかのように喧騒から切り離された神秘的な静寂があった。


「な!?すげぇでっけーだろ!?このばかでかい岩、全部イーリスの原石なんだぜ!信じられるか?なんでも世界中探したって単体でここまででかい原石は他にないって言われるくらい貴重なものらしいんだ」


少年の興奮が一段と高まる。それも無理はない。何メートルあるのだろう、この巨大な岩石は。建物で表すならば2~3階建の建造物に匹敵する高さと、大人10人くらいなら軽く収まりそうな横幅を持った怪物級の大岩である。おまけにこれが全部一つのイーリスの原石だというのだから驚きだ。言われるとおり、世界でも類を見ない程の奇跡の産物なのだろう。確かにこの街に来たなら一度は見ておけと自信たっぷりに言い放った少年の言葉も納得できる、見上げるくらい巨大なイーリスの塊はすごい迫力だった。


よく目を凝らすと、ごつごつとした岩肌の所々から透きとおった水晶部分が覗いている。眺める角度によって水晶部分が太陽の光を受け、きらりと虹色の光を放つのが綺麗だった。大部分を覆うむき出しの岩肌からは想像もつかない程に透きとおった水晶部分は、もしかしたらあの岩の向こうにも道が続いているのではないかと錯覚してしまうくらいに透明で淀みもなく


「…………?」


と、突然ルリの胸中がざわりと騒いだ。微かに覚える違和感。何だろうこの感じは。

あの岩の中、水晶の中から何かの気配を感じる。何か、誰かの存在があの水晶の中に見えてきそうな……。いや、むしろ逆だ。覗き込んでいるのではなく、こっち側が覗きこまれている?そんな感覚が近い。そう、何かはわからない。ただ確実に何か、誰かが……『こちらを見ている』。職業柄、他者の視線には敏感に反応するルリの意識が、得体の知れない視線を確かにあの岩から感じていた。水晶の奥からこちらを覗きこむ、不可思議な視線。他の誰でもない、何故だかその存在はルリを真っ直ぐに見つめてきているようだった。


「なに?あれ……」

「それでいつからかこの女神石の広場で誓いを立てたカップルは必ず結ばれるとかなんとか、そんな都市伝説まで……ってオイ!聞いてなかったのかよ!?ってかそこから!?固有名詞から聞いてなかったレベル!?だからあの岩が女神石って名前で」

「そこは知ってる。その石の中身。何が入ってるの?って聞いてるの」


女神石を指さして尋ねるルリに、ゼンの思考が一瞬止まる。加えて、ルリの表情が真顔で、至って真面目に質問しているのだと知って更に困惑した。言葉に詰まっているようだが、その顔を見れば言わんとしていることは大体分かる。「何言ってんだこいつ」と思いっきり顔に書いてあった。


「ゼンには何も見えない?」

「は?えぇ……お前そういうキャラなの?なんだよあれは岩だろ?中身ってお前……」

「じゃあいい。自分で確かめてくる」


無駄と判断された質問を切り上げ、ルリは迅速に次の行動へ移る。柵の隅々を観察してみると、幸運なことにそれは手近に見つけられた。清掃を行うであろう従業員用のフェンスゲート。鎖と錠でしっかりと施錠されているが、鍵はシンプルな構造の安物だ。ルリは携帯していたロックピックを迷うことなくその錠前に差し込む。数回の手首をひねる動作の後、鎖の束はあっけなくがしゃんと地に落ちた。


「って、おいおいおい!!おま、いやいや何やってんだよ!」

「何って、鍵開けただけだよ。閉めることができるんなら開けることもできるでしょ」

「鍵の役目役割について質問してるんじゃねえ!警備の人に見つかったらどうすんだ!」

「心配しなくてもばっちり見つかるよ。ゼンがそんなに大きな声で報告してくれるんだもの」

「あ!なんだよお前、そこで俺の責任を出すのか!?巻き込むなよ何を勝手に……」


慌てふためくゼンと何事かと注目し始めた人々をよそに、涼しい顔でルリはゲートをくぐって柵の中に踏み込んでいった。


柵の中。巨石のそびえる広場の中心に入ると人の熱から解放され、少しひんやりとした空気がルリの肌に触れる。あんなに窮屈にごった返していた人の群れからたった数歩を踏み出しただけとは思えない静寂がそこにあった。喧騒から遠ざかり、今この空間には巨大な岩と自分だけが存在している。さっきまでいた世界とはほんの少しだけずれた世界に立っているような、そんな奇妙な感覚。


「おい、待てって!やっぱまずいぞ!警備に見つかる前に早く出なきゃ!」


突然の行動に出たルリを追ってゼンも柵の中に駆け込んでくる。尚も慌てた様子のゼンを振り返ると……そこでルリはこの空間に起きている更なる異常に気がついた。


「あれ?」

「あれ、じゃねぇって!何でもいいからとにかく外に」

「ゼン、ごめんちょっとうるさい」

「えぇ!?なにこの理不尽!」


ゼンを制止し、周囲を見渡すルリ。

ぐるりと辺り一帯を見回し……そうして、ルリの違和感はより確信へと変わった。


静寂。あまりにも静かすぎる静寂。世界は、完全なる無音と化していた。

無くなったのは音だけではない。広場の周り、柵を取り囲む外周の空間全てが、示し合わせたようにぴたりと止まっているのだ。こちらを訝しげに覗き見る人、岩を指をさし笑顔ではしゃぐ子供、広場に目を向け目を輝かせている人々、その遥か上空で風を切って羽ばたく鳥の姿も。そのどれもがぴたりと、絵に描かれた風景のように静止してしまっているのだ。


「へ?う、嘘だろ……。なんだよいったい、何が起きてるんだ、これ」


ようやく周囲の異変を察知したゼンが、一転して不安にうろたえる。



「わからない。けれど……」


ルリは再度向き直り、正面に巨大な岩の塊を見据えた。


「この石、やっぱり何か変だね。原因があるとするなら、どう考えてもこの石」


ルリが見つめる視線の先。静寂が支配する空間で、より一層に存在感を増してそびえ立つ巨大な岩石。岩肌から露出した水晶部分に虹色の光を湛える、女神石と呼ばれるイーリス原石の塊。

……やはりだ。やはりこちらを見ている。あの石の内部から、そこに潜む何者かがこちらをじっと見つめてきている。ここまで近づいてルリのその感覚もより確かなものになった。


「……誰なの?」

「おい、ルリ!なんかやばいぞ、それ以上近づいたら」


踏み止まることを推奨するゼンの言葉。ルリの返答はもちろん


「ちょ、ルリお前!」


否だった。

ルリは女神石の麓に恐れもせず歩み寄ると、むき出しになった岩の水晶部分にそっと手を伸ばす。

ルリの指先が虹色に光る水晶に触れた……その瞬間。


「!」

「うわ!まぶしっ!」



岩石全体から放たれるまばゆい光。目の眩む凄まじい閃光が女神石より放たれた。周囲の全て、視界の全てを白い世界が飲み込んでいく。真っ白な視界。最早、光以外は何も見えない。

閃光に包まれてから程なく、今度はふわりと体が宙に浮いた。急に重力から切り離される体重。バランスなどお構いなしに足腰が柔らかく持ち上げられ、まるで水に浮かんだような感覚が襲う。白一色の世界に浮力を得た体。次々に襲いくる不可思議な現象に対処する間もなく、地面を見失った体は天高くどこまでも昇っていき、また地の底へ向ってどこまでも落ちていくようでもあった。


「うわあああ!なんだこれ!なんなんだよこれ!落ちる!いや、連れ去られる!なんかわかんねぇけど助けてくれぇぇぇぇ!!」


背後から聞こえるゼンの叫び声。どうやら彼も同じ現象を体感しているようだ。

一人ではないという事実が、この奇妙な状況に混乱しそうだった心を僅かに勇気づけてくれる。ルリは可能な限りゆっくりと息を吸い、そして吐いて深呼吸をする。パニック寸前だった脳が、酸素を取り込んで少しずつ落ち着いていった。

やや冷静さを取り戻したおかげで状況を再確認できる。まず、この空間にはまだ酸素があるということ。何が起きているのか理解しきれていないが、呼吸さえ許されているのなら人間どうにかなる。万が一ここが水中に変化してしまったとしても、まだ打つ手はある。


大丈夫だ。まだそこまで生命の危機は感じていない。

この視界を覆う白い光は何だ。最初は眩しくて目をつむったが、今ははっきりと目を開いてこの白い世界を認識している。つまり実はそれほど眩しくはない。これは本当に光なのだろうか。目を見開いていても何も見えないこの空間は、光というよりは闇と呼ぶべきだろう。白い闇、そんな呼称が相応しいように思う。そして何故だろうか……自分はもしかすると、この視界を、こんな感覚を知っている。全てが果てなく真っ白い闇に包まれる、この不思議な感覚を。自分は確かに知っている……。


次第に明晰になっていく思考に比例していくかのように、ルリの視界を覆っていた真っ白い世界はゆっくりと薄らいでいった。代わりに周囲に浮かび上がってきたのは夜空だ。満天の星を散りばめた夜空の中心、見渡す限りの星空の中にルリとゼンは浮かんでいた。

体にまとわれていた浮遊感が無くなり、透明な地の上にルリの足は着地する。両足に重力を感じて立ってみても尚、世界は夜空の真っただ中でしかなかった。


「のわぁあ!!」


後方からうわずった絶叫と重いものが地面にぶつかった音がする。どうやらゼンは着地に失敗したようだ。


「大丈夫?ゼン」


振り返り、星空の中心で目を回して伸びている少年に手を貸した。ルリに引っ張り起こされ自分の足で立ってもまだ、ゼンはぐるぐると目を回し続けている。視点が定まらず、乗り物酔いにでもなったようだ。自分がどこに立っているのかも判別の付かないこんな空間では無理もないことだったが。


「なんなんだよぉ……何がどうなってんだよぉ、もうほんとにわけがわかんねぇよぉ」

「うん。私も。理解しようとするのは正直諦めてたりもする。でも、とりあえず私達まだ生きてはいるみたいね。ラッキーだ」


淡く瞬く光の粒と闇だけが広がる果てのない世界。ともすれば夜空の彼方に放り出されたのではないかと勘違いしそうにもなるが、足は地に着いていて呼吸も普通にできる。どうやらここは超常的すぎる見た目とは裏腹に、平常通り安全に人間が生きていられる空間らしかった。


ここがどこなのか。何故自分たちはここにいるのか。さっきの広場はどうなったのか。そ


もそもこれは現実の世界なのかどうか。

明らかにしたい疑問はたくさんあったが、少なくとも自分たちはまだ生きている。あれだけの超現象に巻き込まれた後では、たったそれだけでも大きな収穫である。


まずはこの空間が何であるのかを確かめようと、ルリが踵を返した

――その時だった。



『ようこそ、この星の中心へ。とうとう現れたのですね。星の命を紡ぐ運命の継承者よ』


無数の光の粒子を纏い、荘厳な純白のドレスに身を包んだ女性。

彼女は、そこに浮かんでいた。ルリたちよりも少しばかり高い位置に浮かび、こちらを静かに見下ろしながら。星空の中、圧倒的な存在感でその女性はそこにいた。

間違いない。ルリは確信する。彼女こそ、あの広場にいたときからルリが感じていた視線の主の正体であると。


『驚かせてしまったかしら。恐れる必要はありません。運命の仔よ。どうか心を落ち着けて、私の声を聞いてください』


じっと見据えるルリの瞳を見つめ返し、虹色の輝きを身に纏ったその女性は穏やかに微笑んでから、静かに告げた。


『私はイリア。この星すべてのイーリスの主であり、この世界を司る女神。

あなたたちが神と呼ぶ存在……それが私。――女神イリアです。』


純白のドレスと光に身を包んだ女性。自らを神と名乗った彼女。この星の女神は、目を見開いて立ちすくむ少年と少女へ向けて、慈愛に満ちた優しい眼差しを投げかけていた。



                                 

  第二話【 胎動wheel of destiny 】

                                                -END-

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