後編
「とりあえず、あの二人は戦争狂ではないと思うんだ。俺と同じ平和主義者だよ」
俺が呟いたのにルーは何も答えない。振り返れば何故かうろんげな顔をして俺を見ていた。俺は少しムッとして意見の補強を図る。
「だって、殿下はフルート吹くのが好きな芸術家、剣なんぞ振るったことのないへっぴり腰だ。戦争は嫌いだろう。魔術師殿も、妙に女顔で、口も穏やか。戦争が好きには見えない」
「いえ、そっちじゃなくて……隊長が平和主義ってのが、なんとも」
「俺ほど平和を愛する男はいないがね……ああ! わかってもらえないとは悲しいことだよ……」
しくしくと泣いていると、くすりと笑う声が聞こえた。ルーが笑っている。人の泣き顔を見て笑うとは酷い奴だ。俺は目元をぬぐい睨み付けたが、ルーは顔を背け、更に笑い出した。
「ホント、隊長は頭がおかしいですよね」
「人を傷つけちゃいけないってお母さんから教わらなかったのか!?」
「真実ほど人を傷つけるというのと一緒に教わりましたよ」
教育の業、侮りがたしである。なかなかに冷たい副官だ。
諦めた俺は、肩をがっくり落としながら歩いていく。隣を行く男は時折思い出したように吹き出す。なにこの子、まるでいじめっ子ではないか。
大体、30分ほど町を歩いただろうか。広場での出来事を聞いたのか、元からお仕事熱心なのか、住民達を手錠と鎖で縛り上げ馬車へと連れていっている兵士達をしばしば見かけた。時折虐殺まがいのことをしていた兵士を簡易裁判(法廷は俺の心、裁判官は俺自身で控訴上告は全面棄却の精神)にかけて首チョンパしながら、俺達は更に町を歩く。すると、民家からカタリと音が聞こえてきた。略奪にしては控え目な音である。気になった俺達はそろそろと家に上がり込んだ。土足で上がり込むのは礼のなってないことかもしれないが、それは許してほしい。何故なら俺達は民家の中でおおよそ20後半くらいの男を見つけたからだ。
男は、下着姿で衣装棚に入り込もうとしていた。さあ問題です。ここいらの地域では着替えを衣装棚の中でするのでしょーか? 正解は、いいえ! 隠れようとしてたんだねー。運の悪いことに見つかっちゃったけど。相手は丸腰であるから、俺達は剣を抜かず彼に近寄った。腰を抜かした男の後ろ、衣装棚の中には若い女と小さな子供がいた。
「さあ、来てもらお……」
「ひぃい! お、お願いだ! 助けてくれっ!」
発言を遮られるのは好きじゃない。少しばかりムカッとしたが、お仕事お仕事。俺は更に足を進めた。
俺にとっては意外なことなんだけれども、人間窮地に立たされると豹変するらしい。それも、惨めな方向に。男は慌てたように衣装棚へと腕を伸ばし、女を引っ張り出した。床に叩きつけられた女は呆然としたようだが、何が起こったのか気づいたのか男を睨んだ。男はそれに構わずに叫ぶ。
「つ、妻は好きにしてくれ! だから俺だけは……俺だけは助けてくれ!」
「……ッ! あなたって人は……!」
女の怒りももっともである。酷い男だが……気に入った。女子供は好きにしてやる。そうして男には救済を与えてやることにした。振り返りルーを見れば冷ややかな表情で頷いてくれる。
「オーケー、君が気に入った。君の言う通り、彼女は我が軍のもの。そうして君は捕まえないであげよう」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
女を見てみれば、憎々しげに唇を噛み締めている。視線の向かう先が俺ではなく男なのが悲しいところ。ああ、これが戦争の生み出すものなのか!
「それでね、俺は君に選択肢を二つ! 二つだよ、君にあげようと思うんだ。度胸を見せてくれた君に、二つの選択肢!」
「はぁ、なんでしょう?」
「ええと、ちょっと待っててね。今探してるんだけど……どこに入れたかな?」
ポケットというポケットを漁り、それを探す。あまり使わないからついついなくしがちなんだよね。反省反省、と、コートの左ポケットを漁っていたら指先にカツンとそれがぶつかり、俺はご満悦になる。
「えー。まずだね、俺達の狙いを伝えておこうと思う。俺達はこの町の住民達を、帝都ワルトブルクに連行することを命令された……つまり君は奴隷身分になるやもしれん運命から逃れたのだ! おめでとうございまーす!」
パチパチと拍手したのに誰も返してくれないのは寂しい。ルーくらいは返してくれると思ったのに、少し興がそがれた。
「そんな訳で連行されない君を、無人の町に残すのは可哀想だと思うしー。俺は二つの選択肢をあげます。ほら、これを受け取りなさい」
俺は膝をついて、まだ腰を抜かしている男に先ほど見つけた短刀を手渡した。鞘に入ったそれは、そこまで重くはないはずなのだけども、男は短刀を落としてしまう。息以外は音のない部屋にカタンと音が響く。俺はため息をつき、ちゃんと持ってなきゃと言い再度短刀を握らせた。
「選択肢その1、その短刀で自分の喉を突く。いやまあ胸でも腹でも好きなところに刺してもらって構わないのだけどもね。選択肢その2、俺に斬られる。俺のオススメは前者、やっぱり死ぬ時くらい自分の選択で死にたいよね。ちなみに、俺は腹を突き刺すつもりだから、それ以外の場所を刺すのがいいと思うよ」
「い、いやだ! お願いだ、助けてくれ……」
「ああ、そう言えば自分で死ぬのが怖い人もいると聞く。選べないようなら、俺がちゃんと殺してあげよう。とりあえず5つ数えるからその間に決めなさい。はい、いーち」
立ち上がり、剣を抜く。先ほど研ぎが悪いのは確かめられたから、今回は万全を期して突くよ! こういう思いやりがある優しい男です。優しさが男の価値を決めるからね、俺って結構モテるの。でも、女にはうつつを抜かさない。何故って俺には可愛い奥さんがいるから! フゥ!
「にーい」
「聞いてくれ! か、金をやる! 金ならいくらでもある! 見逃してくれたら全財産くれてやってもいい!」
「さーん」
「ほら、この財布の中にもたっぷり金貨が……あれ、開かない。止まれよ、開けよ、開けよぅ……」
「……おいおい、短刀を放り投げちゃダメだよ」
男はぶつぶつと呟きながら、短刀を放り捨てて財布をいじくっている。なにをしてるんだろ、借金を返してないとか気にしちゃってんだろうか? 死に際にて借金の返済を思い返すとはなかなかに仁義ある男じゃないか。好感度が上がった。俺が殺すことになったら楽に殺してあげたい。
短刀を拾い上げ、男に再び手渡した。手にあった財布は代わりにぶん投げてあげる。借金くらいどうだって言うんだ。それくらい立て替えてやるよ!
「はい。よーん」
「なんだよ……お前おかしいよ。狂ってる……!」
「ごっ! さあ、決まったかな?」
「殺せよ……殺せよ気狂い!」
まあ、仕方ないことだと思う。自殺ってのは少しばかり躊躇われるものだ。しそこなって妙な刺し方でもしてしまえば無駄に苦しむことになるし。その点俺は良心的、一瞬で楽にしてあげるし、しそこなうこともない。名医のように完璧な男である!
「よし、分かった! それじゃあ少しチクりとするが、すぐに痛くなくなるから安心しなさい。はい、目を閉じて、身体を楽にさせてー」
男は言うことを聞いてくれない。だらりと身体から力は抜いたが、目は虚ろに宙を見ている。まあ、剣は視界に入ってないから多分怖くないだろうと思う。柄を持ち、刃を下に向ける。男は未だにぶつぶつ言ってる。大丈夫、借金は立て替えてやるよ。
身体は踊り子のように跳ね、全身が2、3度痙攣した後すぅっと軽くなる。声も溢れない。さすがは俺、褒めて褒めて誰か褒めて!
俺は剣を抜き出し、何故か床にあって邪魔くさい男の死体を蹴っ飛ばす。壁に叩きつけられた後、妙な方向に曲がった両腕両足を見ると糸の切れた操り人形みたいに可愛らしい。
剣の刃に浮かぶ血は、なんというか妙に濁っていた。うげえと思い床に散らせば黒ずんで見える。いけないいけない。血はもっと明るくなくちゃいけない。
剣先を紙でぬぐい、ゆっくりと鞘に戻した後、俺は膝ついて女に目線を合わせた。睨む訳ではないが、無気力でもない瞳。彼女は何を見ているのだろう。
「ごめんなぁ、君の旦那さんを……その、なんだ。楽にさせてやったというか……殺してしまった。君を寡婦にさせたのは悪く思う。すまなかった」
「……」
「……それじゃあ、少しばかり迷惑をかけるよ。命令でね、帝都へ連行させていただく」
「……お願いが、あるんです」
お願い!? 似たような発言をつい先ほど聞いたような……ああ、命令違反の兵士Eくんか。しかし、お願いとはなんだろうか。
「息子を……」
「息子?」
いきなり息子が出てきて驚く。この部屋には俺とルーと彼女しかいないはずだが……そう思っていたら、衣装棚の中で震えている子供が見えた。ああ、あれか。あんまりにも静かだからお人形さんかと思ってた。
「それで? 息子さんをどうしたいんだい? さすがにピクニックに連れてはいけないよ、仕事中だし」
「……息子を見逃してください。私は行きますので、お願いします」
俺を見つめる瞳は緩やかに潤んでいるが、その清浄な液体は溢れることはないだろう。何故って、母親というのは気丈だからね。子供の前で涙は流さないものだ。
しかし、困ったね。息子を見逃せというのは……。
「やだ! そんなのやだ! お母さん行かないで!」
お人形な息子が、衣装棚から飛び出してお母さんの足にすがり付いた。静かな部屋に泣き声が響き渡る。涙で顔を濡らす子供は振り返り俺を見上げた後、こう叫ぶのだからやりきれない。
「お母さんを連れていくんなら僕も連れてってよ! 一人はやだよ……お願い、お願いだから……!」
女は子供にいい子でいるよう教えきかすが、子供は言うことを聞かない。俺は耐えきれず口を開いてしまった。
「残念なことだが、命令は命令だ……二人とも連れていかなくちゃいけない」
「そんな……」
「ただし、国が君たちをどう取り扱おうが、君たちの身は私が保証する。神に誓い、ゼノの家名にかけて。君たちが奴隷となれば私が自由身分にしよう。私に出来るのは、それくらいしかない」
俺は立ち上がり、二人から目を背けた。ルーに二人を丁重に扱うよう伝えて家から出た俺は少しばかりの無力感に苛まされ、あちこちを歩きまわった。俺は二人を助ける手段を持たない。見逃したところで、この後の略奪と、起こるであろう野盗の襲撃をどうしてあのか弱い二人が乗り越えられるというのか。俺は二人から力を奪い去ったのだから。
夕焼けの空を眺め、俺は目が焼けるように熱いのを感じた。目をぬぐい、空を睨む。この地上に戦争がある限り、俺は先ほどのような行為をせねばならない。俺には力がありその上弱いから。戦争を見過ごす神なぞ滅んでしまえ! 俺は何度も心の中で罵り、空を睨み続けていた。
「……隊長、任務完了しました。兵たちも略奪を終え、町にはもう、人一人おりません」
ルーが、どことなくぎこちない声で報告し、重ねて語を続けた。
「そろそろ帰還いたしましょう」
「……あの母子はどうしている? ちゃんと、丁重に扱ったろうな?」
「ええ。馬車に載せた後、監視役にも気を配るよう言っておきました」
「……よし、帰るか。非戦闘員の載った馬車随伴だ、常時斥候を出し、追手に気を配りながら帰還するように。歩兵部隊を先頭、騎兵は後方に置き、飛竜隊は交代で周囲の監視にまわれ」
敬礼し、ルーは部隊へと命令しに戻ったが、その直前に呟いた一言を俺は口の中で噛み砕いてみる。
「隊長とは長い付き合いですが……未だに隊長の心が読めません」
どういう意味なのだろう? 俺は不思議に思いながら、夕焼けに染められた町を眺めてみた。先ほど絵に描いた燃える町並みとは一味違う、趣のある光景は絵に残したい。けれど、時間は押している。さすがにお絵かきは諦め、俺も部隊に戻ることにした。