プロローグ 少年とお化け屋敷
ズズ、ズズズ、という物音で目を覚ます。
部屋の壁掛け時計の短針は二を指している。深い闇の中で、秒針が心臓の鼓動のようにカチ、カチ、カチ、と規則的に鳴っている。
そして、ひた、ひた、ひた、という足音と共に、ズズズズズ、ズズズズ、ズ、ズズ、と、何かを引きずり回すような物音が、丑三つ時の静寂の中に響いている。
その上、カランコロン、カランコロン、という、何か下駄の歯のようなものが床にぶつかる音まで聞こえてきた。人間の足音にしては何かが足りない上に、その音は徐々に俺の枕元へと近付いてきている。
俺、矢幡隻は我慢ならなくなって勢いよく身体を起こし、天井にある電灯から垂れ下がっている紐を、千切らんばかりの勢いで思いっきり引っ張った。
ガチッ、という音と同時に周囲が明るくなり、部屋の全貌が明らかになる。
「だーっ、もう、うるさあああああい!」
俺は天井を仰いで絶叫し、間発入れずに右隣の人影を睨みつける。
「ひきこさん、夜中に毛布を引きずり回すんじゃないよ!足音が気になって寝られやしない!」
「ゴ……ゴゴゴ……ゴメン、ネ……」
地の底から這い出たような声の主はひきこさん。
彼女はいじめっ子の足を掴んで、肉塊になるまで引き摺り回す妖怪だ。
蓬々と乱れた長い黒髪の間から、血色のない乾いた青白い肌が覗いている様はとても恐ろしいが、今では人の心を取り戻した人畜無害な妖怪となっている。
そんな彼女は家の中でしょっちゅう毛布を引き摺り回しているのだが、こうも連日夜中に活動されてもらっては堪らない。
「それと唐傘、家の中で下駄履いて彷徨くなって、もう口が酸っぱくなる程言ってるだろ!お前が毎日のようにびょんびょんびょんびょん暴れ回ってるせいで、もううちの畳と床はボロボロなんだよ!」
柄の部分から赤茶色の小汚い人間の脚が生え、一つ目を持つ赤い和傘が、カランコロンとリズミカルな音を立てて、俺の周りをぴょんぴょんと飛び回っている。ケーッケッケッケ、と人を小馬鹿にしたような甲高い笑い声を上げる様が癪に障る。
唐傘お化けは人をからかったり悪戯をしたりすることが大好きで、俺はこのイタズラ小僧にとにかく手を焼いている。下駄を履いたまま家に上がるな、夜中にうるさく足音を立てるなと、何度注意しても馬の耳に念仏で、下駄で傷つけられた床の修繕と説教に、無駄に労力を消費する一方だ。
「そうかそうか、そんなにその野太い脚をへし折られたいんだな」
俺が少し脅しをかけると、唐傘は相変わらずケタケタと下品に笑いながら、下駄を雑に脱ぎ捨てて脱兎の如く去っていった。あんまり腹が立ったもんだから、部屋に残していった下駄を、カコーンと派手な音を立てて思いっきり命中させてやった。
「はあ……明日も早いんだ、いい加減ゆっくり寝させてくれよ……」
俺は深い溜息を吐きながら横になり、電灯の紐を力なく引いた。カチリという音と同時に、辺りは暗闇に包まれる。
俺はへたり込むようにして布団の中に潜り込み、どっと雪崩込んできた疲労感を噛み締めるようにして、固く目を閉じた。
この家に越してきて以降、毎日がこの調子である。
妖怪達に部屋を荒らされ、毎日のように睡眠を妨害され、もう散々だ。妖怪の本当に厄介なところは、呪いやら祟りやらの存在すら疑わしいような代物ではなく、人間の常識が通用しないところだと、俺は思っている。




