056A. 若き老中(根)―広がる縁―
芽吹いたばかりの登用は、すぐには目立たぬ。
だが、ひとたび実を挙げれば、周囲の目が変わる。
倉米の件を整理した若い書役は、次の出納でも正確に記録をまとめ上げた。
その働きに気づいた者たちが、廊下で私を呼び止める。
「老中様、この者も才がございます」
「若殿、あの小者もよく働いております」
声は次々に寄せられる。
それは請願というより、押し隠されていた芽を差し出す手のようだった。
私は迷いながらも、その中から一人、また一人と役を与えていった。
小さな役回りからでよい。
だが任せられた者は、皆が必死に力を示そうとする。
やがて彼らの繋がりは、根が地中で広がるように、静かに政の隙間へと浸み込んでいった。
評定所で私の声はまだ軽い。
しかし裏では、人の縁が糸となり、目には見えぬ網を織り上げつつある。
――芽が幹となるには時が要る。だが根は、もう広がり始めている。
心中にそう刻みながら、私は筆を取り、次の登用を書き記した。
⸻
[ちょこっと歴史解説]
幕府の人事は、形式上は家柄や序列で決まることが多く、若年の老中が口を差し挟むのは容易ではありませんでした。しかし阿部正弘は、自らの裁量で才ある下僚や若手を登用し、結果として人材の裾野を広げていきます。後年、幕末を支える多くの人物が、この「小さな登用」の連鎖の中から育ちました。表の評定所での発言力に加え、裏での人材ネットワークを築いた点が、正弘の政治の大きな特色といえるでしょう。
⸻
番号修正
58=>56




