039A. 裏の裏
「……以上にて、本件は閉じたく存ずるが、異論は?」
西の丸の老中控えの間。
老中・水野忠邦の声が響いた後、部屋の空気が一瞬、固まった。
「――異論、ございませぬ」
誰かが静かに応えた。その声を皮切りに、他の者も頭を下げる。
正弘も、少し遅れて頭を下げた。だがその内心には、釈然としないものが残っていた。
(“異論は”と問うて、“異論がある者”が発言できる空気だったか?)
会議は、形式としては整っている。議題があり、資料があり、意見があり、結論がある。
だが、その「意見」が発せられる場には、見えない力が張りめぐらされていた。
言葉を選びすぎれば曖昧となり、率直すぎれば角が立つ。
正弘は、まるで帳面の余白にだけ本音が書かれているような感覚を覚えていた。
会議後、廊下を歩く若年寄のひとりが、ぽつりとつぶやいた。
「……水野殿も、御苦労なさっておられる」
その声音には、敬意というよりは、疲れに近い響きがあった。
(改革の旗は高く掲げられている。だが、その影は地を這っている)
廊下の奥。奉行所から回された文書の山が、書記の手で整理されている。
報告書、進捗、回答、問合――すべては然るべき形で処理されていく。滞りなく。
だが、そこに“届かなかった声”は、どこへ行くのだろう。
その夜、正弘は久々に父・正寧の私室を訪ねた。
書架の影、古い手控帳を取り出す。そこには、父がかつて老中を務めていた頃の覚書がある。
――「表と裏は、どちらも政である。ただ、裏の“さらに裏”は、人の腹の内に宿る」
そう記されていた。
正弘は、その文の横に、墨で小さく追記をした。
――「ならば、我はどこまで視るべきか」
文の墨が乾くまでの間、外では風の音がしていた。
政の音はしない。ただ、静かに、物音だけが流れていた。
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【ちょこっと歴史解説】
▪️ 江戸幕府の「形式」と「本音」のあいだ
幕政は、文書主義と儀礼的合議制を基盤としていた。議事進行や意見表明の形式は整えられていたが、実際には**「空気」や「前例」「上下関係」が意見を左右することも多かった**。
老中会議もまた、真に議論が行われる場というより、**“結論を整える場”**として機能することがあった。裏の動きや私的会話のほうが重要視される場面も少なくなかったため、阿部正弘のような若い幕臣が「見えない裏の層」に敏感になっていくのは自然な流れである。




