空気の読めない天才少年と王子・そのつぎ
「ノエル! おい、大丈夫か!?」
体を叩く手の遠慮がちな力とは裏腹に、かけられる声はだいぶデカい。
意識を取り戻したノエルが最初に思ったのはそんなことだった。
若干眠気のような疲労のようなぼんやりとした感覚の残る頭を振り、伏していた地面から起き上がる。向かいには同じくらいのタイミングで目を覚ましたらしい王子も、少しふらついてはいるが起き上がっていた。
「よ、良かった、本当に良かったですわ……! 心配のあまり内臓が口から飛び出るかと思いましてよ……!」
王子のそばで顔面蒼白で泣くシェフィールドの言葉に嘘偽りはあるまい。ノエルはともかく、王子が倒れたのは本気でまずい。何がまずいって国際問題になりかねない。
周囲は倒れたときと比べたいして暗くはなっておらず、失神していたのはせいぜいほんの数分だろうとノエルは当たりを付けた。それにそれ以上ならジーンかシェフィールドのどちらかが、学園の職員を呼びに行っていただろう。
「俺達が倒れていたのは数分?」
「うん、多分五分も経ってない」
「さっきの動物は捕まえた?」
「いや、二人が倒れた隙に逃げられた」
「外見は見えたか?」
「二人に気を取られてたからはっきりとは……。その、白くて、多分ビグレルより一回り小さかった、かな」
「俺が見たのもそんな感じだった」
「そうか……」
ビグレルの毛並みはは幼少期のごく短い期間は白いが、成長するにつれ薄灰色になる。あれくらいのサイズなら当然灰色だ。時折色素のない動物が生まれる例もはあるとはいえ、その場合瞳の色がもっと薄いはずである。しかしあまり注視できたわけでもないため、アルビノのビグレルか、あるいは似ているだけの別の動物だったのか、はっきりとは判断が付かない。
座ったまま考え込みはじめたノエルに、他のメンツはやれやれと首を横に振った。手慣れたジーンに引っ張り起こされ、ノエルは三人と共に、ひとまず旧寮の敷地を出る。
何にせよ、一番に考えなくてはならないのは、ノエルとライアの失神についてだ。
隠れていた二人には問題がなかったのに、あのタイミングで動物に近づいていた二人だけがまったく同じように倒れ、そして同じ程度の時間で起きたということは、あれは逃げた動物からの魔法攻撃かなにかだったと考えるのが自然だろう。
魔法を使える動物、つまり魔獣だ。
ビグレルもまた一応は魔獣に分類されるものの、できることはせいぜい食べ物や空気の通り道の探知であり、人間に直接害を及ぼすようなものではないため、動物として分類されていることも多い。
そこを踏まえれば、あの白いビグレルはやはり突然変異か、あるいは別種の魔獣だと考えるのが自然だ。
しかしノエルの頭の中には、一つ荒唐無稽な案もある。
「驚きましたね。一応、学園の医務室にも行っておいたほうがいいでしょうか。頭は打たなかったと思うけれど、何か問題があると困るだろうし……。あの動物についても、先生に報告しましょう」
まだ環境に慣れていないのかぎこちない敬語混じりの言葉で話す王子の言うことは、まったくその通りだった。
種類を特定できない魔法で失神したとなれば、後から別の症状が出てくる可能性もある。大国の機嫌を損ねたくない学園はそれは丁寧に診察してくれるだろうし、謎の魔獣探しにも本気で取り組んでくれるだろう。原因は究明され、謎は解明されるに違いない。普通に考えればそうだ。
王子の言葉にシェフィールドが頷く一方、ジーンはノエルと同じく、微妙な表情をしていた。その微妙さは普段のノエルであれば読み取れないが、今はおそらく、同じ結論を我が友が出したのだろうと推測することができる。
「……あら、どうしたのです? お二人とも」
首を傾げるシェフィールドに、ノエルは気が進まないが返事をした。
「……二人は学園の七不思議を知っているか?」
七不思議。唐突なその単語に、今年から入学した貴族二人は顔を見合わせて首を傾げる。
「いいえ、知りませんわね」
「まだそういった知識はないけれど……、興味はあります。どんな話なのかな」
若干不安げなお嬢様とは対照的に、王子はこんな話にまで好奇心旺盛だ。
そもそもこの二人に、いわゆる学校の七不思議、というものへの知識はあるのだろうか。
子供の集まる場所には往々にして面白半分の荒唐無稽な噂話が流れるもので、それはこの学園も変わらない。むしろ大きいからこそ与太話も怪談も枚挙にいとまがない。下手をしたら棟ごとに七不思議を語れるかもしれないほどだ。
その中でも昔から定番になっているものやインパクトがあり面白がられているものなどを、とりあえず七つ集めて語り継がれているのが、アルニウラ王立学園七不思議、あるいは単に七不思議と呼ばれている。
ここまでを説明したものの、やはり馴染みがないのかシェフィールドはいまいちピンとこないようで首を傾げており、逆に王子はわくわくと瞳を輝かせている。こっちに関してはむしろ馴染みすぎだろう。
「つまり、この状況と似通った七不思議がある、ということですね?」
「そうだよ。白いビグレルっていう、そのまんまな話がある」
「面白いことになりましたね! それはどんな話なのですか?」
べつにそんなに面白い状況でもなければ、面白い話でもない。ノエルは肩をすくめて、そのへんの進学組に聞けば誰でも知っているような、子供だましの怪談を語ってやった。
「捻りのない話だよ。学園で飼われている実験動物のビグレルは、理由は様々だけれども、時々寿命や病気以外で死んでしまうことがある。魔法を掛けた人間の不手際や事故なんかでね。そんな可哀想なビグレル達の霊魂が、この学園を彷徨ってるって話。
そのビグレル達の魂は長い年月の間に一つの固まりになって強い恨みの念を持ち、出会った生徒に災いを齎すんだ」
「なるほど。その可哀想な霊の姿が、白いビグレルというわけですね」
「そう」
「ちなみに災いというのは、どんなものなのですか?」
「会ったら気を失って、一年以内に死ぬ」
けろりとそう言ったノエルに、シェフィールドは信じられないようなものを見る目を向け、ジーンは気まずそうな半笑いを浮かべ、王子は珍しくぽかんと口を開けている。
「あの……、それは……、作り話なのですわよね?」
「そう考えるのが自然なんじゃないかな。まあ学園で気絶してその後体調を崩し、退学した生徒はこれまでも何人かいたらしいけれど。そのうちまた何人かは、死んだって噂されている例もあるから、何らかの実際に起こった出来事を、怪談話として伝えている可能性もあるかもな」
「大問題じゃございませんこと!?」
再び顔を真っ青にした気苦労の多い可哀想な侯爵令嬢に、ノエルは暢気に首を傾げる。確かに問題といえば問題だろう。仮に生徒の不審死があったとしたら、その当時の学園関係者は真っ青になるどころじゃ済まなかったに違いない。
「や、でもシェフィールドさん、ここ何十年も、生徒の事故死はギリギリあっても、不審死なんて聞いたことないし……」
「事故死も十分剣呑な話でしてよ!」
「そこは魔法を扱ってると、どうしても完璧に安全にとはいかないから……」
まあまあ、と取りなすジーンの困り顔に、シェフィールドもしぶしぶとトーンダウンした。そもそも魔法とは危険なもので、だからこそこうして体系立てて学ぶ必要がある。学科として魔術を扱っている学校で生徒の事故死があったときに保護者が必要以上に騒ぐ例が少ないのは、自己流で扱う場合の死亡率のほうが体感でもずっと高いからだ。
一応これでも、ノエルだって少しはびっくりしているし、怖くはある。根拠が薄いとはいえ、死を予言する話とそっくりな出来事が起きているのだ。しかも自分だけならまだしも、自分が連れて来てしまった他の生徒にまで。
だからやることは決まっている。まずは担任を筆頭とした教員達に、旧寮にいた謎の魔獣らしき生き物の件を伝える。そして王子と一緒に診察を受ける。
王子がこの場に居る時点で、学園側が十分な調査をしてくれることは間違いない。
ただしノエルの危機感と好奇心は、それだけでは足りないと訴えていた。
それは王子も一緒なのでは、と思うのは、この高貴な変人が自分と同じくらい好奇心旺盛かもしれない、と今では理解しているからだ。
案の定、王子は少し考え込んでから小さく笑った。
「なるほど、よく分かりました。今回の件は普通に考えれば、学園内に紛れ込んだ魔獣による被害です。しかしノエルくんは、その方面からのアプローチだけでは解決しない万が一の可能性を不安視しているんですね?」
「……七不思議かも、なんて言っても相手にはされないだろうとは思ってるよ」
「となれば、自分たちで調べるしかない、そういうことですね」
きっぱりとそう言った王子の瞳には、案の定やる気がみなぎっている。ノエルのような共感能力に乏しく表情を読むのが苦手な人間ですらそう思うのだから、きっと他の人間から見れば、それはあからさまなほどだろう。
そう思って周りに視線を向けてみれば、案の定ジーンとシェフィールドが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。それはそうだろう。びっくりするほど厄介ごとの匂いがして、そのわりに雲を掴むような話なのだ。そのうえ二人はだからといって、王子と自分を見捨てられるような性格ではない。
そしてノエルはこんな奇妙なことが起きたというのに、自分で調べもせず終わらせられるような性格のわけがない。
「そうなるね。だから今日から調査を開始する」
「そうこなくては!」
氷原並の仏頂面と春の花畑のような笑顔という対照的な顔をしつつも、すっかりやる気になってしまった推定寿命一年の二人組に、友人二人は揃って肩を落とした。
「いや、うん、協力するよ。するけどさ……」
「本人達がこうも乗り気だと、なぜかどっと疲れが出ますわね……」
「べつに協力しなくても良いよ」
「しないほうが嫌だからね!?」
元気のない二人を気遣ってのノエルの言葉は、ジーンに思い切りツッコミを入れられてしまった。今日も何か間違えたらしいが、そんなことには慣れっこだ。
しかしそこでふと、ノエルの胸に一つの心配事が湧いた。
相変わらずの仏頂面だろう自分ですら、馬鹿な噂話だと思いつつも、一抹の不安を捨てきれていない。なにせ死んだかどうかは今のところ不明だが、原因不明の体調不良で学園を去った生徒については、実際過去に居るのだ。
万一とはいえ、死ぬかもしれない。あるいは勉学を続けられないくらいに体調を崩す可能性もある。そんな薄ら寒い不安を、本当は王子も抱えているんじゃないだろうか。
偉い人間というのは難儀なもので、不機嫌さや恐怖を顔に出さない訓練をするのだという。場合によってはそれを露わにしただけで、周囲の人間が処罰されることや、国政に関わることもあるからだ。
事件を調査したいという王子の意思は偽物ではないだろう。しかしもしも恐怖や不安を押し殺してそうしているのなら、少しくらい、自分だって、彼の心に配慮というものをするべきなのではないか。
そう考えたノエルは、悪いとは思いつつ、感情を読む魔法を使うことを決めた。
さすがに乱用しすぎた。これ以降は本当によほどのことが起きない限り、せめて王子に対しては使わないほうが良い。人の心の内を読むのは本来であればなるべく避けるべき、罪深い行為なのだから。
そう重々自分に言い聞かせ、ノエルは心の中で魔法を発動させる。
その瞬間伝わってきたのは、薄々そんな気はしていたものの、圧倒的な喜びだった。
溢れる元気。未来への明るい欲求。これからきっと望ましいなにかが起こるはずだという、相変わらずの夢と希望に満ちあふれた心。
ノエルの心配をよそに、王子の心はいじめ疑惑事件以上に激しく、発光でもしてるんじゃないかという勢いでウキウキワクワクの猪突猛進暴走八頭立て馬車状態だった。実際にはそんなもの存在しないだろうが、とにかくそれくらい圧力がどえらいということだ。
慌てて魔法を切り、改めてノエルはまじまじとライアという変な王子を見つめ、そこでやっと気がついた。
さてはこいつ、やべえ奴だぞ、と。




