空気の読めない天才少年と王子・下
※推理小説なら石を投げられるレベルの解決編ですが、どうか見逃してください。後生です。
そして本日コミックガルドで、コミカライズ版最新話更新です。めっちゃ見てね。
「いやあ、困ったことになっちゃったねえ。予備の椅子はすぐ届くから、それまではそこに座っていていいからね!」
「はい、先生」
担任のカミラ・アークランド女史に勧められるまま、王子は回収されていった自分の席の代わりに、先生の椅子にちょこんと座ってにっこり笑っている。ノエルはそれを、一応の調査が済んだ教室内で、窓際最後尾の自分の席から眺めていた。
あの後すぐやってきた先生は、新学期開始数日で起きた謎のいじめ疑惑事件に笑顔を凍り付かせつつも、すぐに対応を開始した。生徒達からの報告を聞き、不審点を自分でも確認し、一通りのことが終わるとホームルームを簡単に済ませて、一限目の教師に引き継ぎをして自分の受け持ちの教科と授業のコマを交換して貰い、こうして話し合いの場を設けたのだ。
黒板には事件が起きた王子の席のスケッチと、細かい注釈がいくつか書かれている。インクは既にきれいに清掃され、汚れた備品は運び出されているから、先生の言うとおりすぐに予備が届くことだろう。この学園は大きいだけあって備品の替えも十分にあるのだ。
先生は今年で三十と、この学園の中ではかなり若いほうの教員だ。しかし他国の要人の子息もいるクラスを任されているのだから、当然優秀で信頼も厚い。
この優秀さというのは学問における意味だけでなく、対人能力や問題解決能力という意味でもだ。
先生は人差し指をぴっと立て、朗らかに笑った。
「それじゃあ改めて、問題を整理してみようか!
まずこの教室は昨日午後四時には先生が見回って、生徒がいないことと施錠を確認しています。その後の夜間の見回りでも異変の報告はないから、この時点では窓は開いていなかったと思って良いだろうね。
学園の正面玄関が開くのは午前八時半。今朝このクラスに一番に登校したのは、スレイドくんのようだね。一応黒板にも記入はしたけれど、改めて発見時の状況を発言して貰えるかな?」
「はい、先生。俺が登校したのは八時半過ぎです。時計は確認していませんが、教室に真っ直ぐ来たので、時間のズレは五分以内かと思います。俺の前に誰かが先に教室に来ていた可能性はゼロとは言えずとも、低いかと。
まず教室に入って気付いたのは、ライア殿下の席のインク汚れです。この時点でインクは乾ききってはいませんでした。窓は殿下の席のすぐそばの一カ所が開いており、当然施錠もされていません。席に付着していた動物の毛から、俺はビグレルが校内に侵入した可能性を考え、現場の保存のために教室内へは最小限の侵入に留めました。その後、生徒達が登校し、ライア殿下の号令の元で教室内を探索しました」
「ありがとう! ちなみにきみが教室に来た際、扉はきちんと閉まっていたんだね?」
「はい、少なくとも目視できる程の隙間は存在しませんでした」
「了解だ。では次にファルシールくん、皆で調査した結果を代表で報告してくれるかな?」
大国の王子を当然のように名字で呼ぶあたり、この先生は評判以上にかなり図太い、とノエルは思っている。勿論一介の教師に他の生徒と同じように扱われても意に介さない王子も少々変わっていると思うが、そこは押しも押されぬ地位であるからこその余裕というものもあるのだろうか。本当に偉い人間は、偉ぶる必要が無いというやつだ。
指名されライアはこくりと頷いて、ノエルがしたようにその場で発言を開始した。
「はい、先生。捜査を開始する段階で、我々はまずノエルくんの観察結果を聞き、動物の侵入という仮説を立てました。そのためまずは教室の入口側の端から、残留物がないかを確認していきました。床を中心に、壁、机と椅子をそれぞれ調べ、天井は見える範囲での確認となってしまいましたが、一通りの調査は出来たかと思います。
その結果、動物の毛が付着していた場所は以下の通りでした。まずは僕の椅子、それからノエルくんの椅子、教室後部の中央付近です。
続いてその他の残留物。これも僕とノエルくんの椅子から、少量の泥と思われる汚れが発見されています。大きさは六から七cmほどで、形は不鮮明ですが動物の足跡と見えなくもありません。
以上のことから我々は動物の侵入と考えました。学園周辺には以前から野良のビグレルが生息しており、たびたび校舎内に侵入しています。小動物としては手先の器用なほうですから、インク瓶を持ち上げることは可能でしょう。窓の鍵もごく単純なフック式ですので、手や体がぶつかっただけでも持ち上がり、開いた可能性があります。
教室から出て行く手段はありますが、問題は侵入経路です。このクラスの暖炉の煙突には上部にゴミよけの網がかけられていて、動物が通れるほどの隙間は、少なくとも暖炉の中から見上げた程度では確認できませんでした。外へ直通する換気口も格子が嵌まっていますから、こちらからも難しいでしょう。我々は他の侵入手段を明らかにする必要があります」
「その通りだね。説明ありがとう!」
先生は二人の発表を黒板に纏めた。
簡単な見取り図の上に発見された痕跡についての情報を書き、現段階でこれは不可能だ、と判断できる仮説を推論付きで空いているスペースに書いていく。それを見る生徒達の態度は、背後からであることとノエルの察しの悪さを加味したとしても、真面目であるように見えた。
クラスの生徒達は、なにもノエルの善良さを信用して犯人ではないと言っているわけではないだろう。大国の王子に何故か気に入られた、という幸運な状況にありながら、その王子に嫌がらせをするというただ莫大なデメリットだけがある事件を起こすほど、ノエルは愚かであったり精神の均衡を崩していたりする可能性は低い、と判断されているのだ。ノエルにとっては人格を信用されるより、むしろその客観的判断のほうが心地良さがある。
そこでノエルはふと、先生のほうへ視線を向けた。普段から明るく自信ありげな笑みを浮かべているアークランド女史の表情は、今日も変わらず晴れやかだ。事件を報告されたときこそぎしりと固まったような笑顔だったが、今はそんなことはない。
ノエルは自他共に認めるほど人間関係が下手くそな子供のため、原因不明のアクシデントにこれほど落ち着いて対応出来ていることが、本人の資質なのか他に理由があるのかはわからない。わからないから、確認をするのだ。
「先生、一つ質問をしてよろしいですか」
「どうぞ、スレイドくん」
「先生は一連の事件について、もう答えをお持ちなのでしょうか?」
尋ねると同時に教室内がほんの少しざわめき、同時に王子の瞳がますます輝いた。この少年に関しては、どうやら本当にひたすら事件の解決だけをワクワクと待ち望んでいるらしい。
先生は笑顔で頷き、ぴっと人差し指を立てた。
「そうだね、私はきみたちの話を聞き、教室内を見て一つの仮説を立てた。なので確認のために連絡を飛ばすとしよう」
ゆるりと優雅な軌跡で振られた指先は鳥の輪郭を描き、それは輝いて生き物のように羽ばたきだす。連絡用の高度な魔法はそのままするりと教室の壁を通り抜けて飛んでいった。
ノエルはその軌道を見送りもせず、先生にまた質問をする。
「今のはヒントですね」
「そうだね。本来であれば私は自分が気付いたことをすぐに伝えるべきなのだろうけれど、この事件の犯人として疑われたきみも、被害者であるファルシールくんも、自分たちで事件を解決することを望んでいるようだからね」
「ありがとうございます」
王子はさておき、ノエル自身の心境はたしかにその通りだった。教師の全てがこうなのかは分からないけれど、人の心を察する能力の高さと気遣いが、ノエルにとってはありがたい。事件の早期解決よりも真相を自力で解くことを優先させるというのは、人によっては眉を顰める思想だろうが、先生の言うとおりこの場で尤も事件によって迷惑を被っている二人共がそれを望んでいるのだ。ついでに言うなら、文句を言われる筋合いがあったとしても自分の好奇心を優先させる傲慢さと度胸がノエルにはあった。さらに言うならこのクラスに進むくらいに知的好奇心の高い生徒というのは、多かれ少なかれそんな傾向があるだろうという予測もある。
そこでふと、ジーンと侯爵令嬢がほとんど同時に、あ、と声を漏らした。
「お、二人とも何か気付いたかな?」
「あ、えと、いえいえ。シェフィールドさんから」
「あらまあ、どうぞオルコットさんから」
「よーし、それじゃあオルコットくん、発言をどうぞ!」
先生に促され、ジーンが気まずげに口を開く。ノエルとしてはここ暫くですっかり侯爵令嬢と名字で呼び合う仲にまでなった、同じ平民出身の友人の対人能力の高さを改めて噛みしめては感心していたのだけれど、それは今は置いておこう。
「えっと、動物が侵入したのは外からではなく、中からではないでしょうか」
そう言われて、ノエルもすっかり謎が解けた。王子もぽんと手を打っている。
「そうだね!私もそう思う」
「はい、先生」
「どうぞ、ファルシールくん」
「犯人は、研究室から脱走した実験用の動物でしょうか」
この魔術学園は幅広い年齢層の子供達の他、学問を修め研究者として働く人間も所属している。彼らの研究内容は魔術だけでなく、それに関連した薬学や医学にと多岐にわたるが、そこで色々な理由から実験に使われている動物の一種に、ビグレルも含まれる。なんなら学園周辺にビグレルが生息しているのは、以前学園から脱走した品種が繁殖したからだ、なんて噂もあるが、どこでも暮らせる繁殖力の高い動物であることからその噂の信憑性は低いだろう。
答えを聞いた先生は、大きくこっくりと頷いた。
「私はその可能性が高いと思っているよ。証拠は……、と、返事が返ってきたね」
その言葉と共に、淡い光で出来た鳥が廊下側から教室へ戻り、先生の耳とへと吸い込まれるように消える。連絡への返事を届けたのだ。
「……うん、やっぱり。報告を元に教員が確認したところ、研究室で飼育していたビグレルが一匹脱走していたようだね。それでは次は、侵入経路の把握だ。分かる人?」
その答えは簡単だ。ノエルやジーン、シェフィールド侯爵令嬢、王子、その他数人の手が上がる。
「はい、それじゃ一番早かったノエルくん!」
「はい。侵入経路は扉の上部にある通気口です。おそらくビグレルはドアを登ってそこから侵入し、教室広報を真っ直ぐに俺の席まで移動しました。しかしうまく窓を開けられずに、次に殿下の席へ移動した。そこでインク壺を不用意に持ち上げたか、あるいはぶつかるかして落とした。それから、こちらの窓の鍵は丁度机に登れば手が届く位置だったために、脱走に成功した」
「その可能性は高いね。では外から侵入した動物ではなく、室内で飼われていた動物だという証拠も説明しようか」
「外から侵入した動物ではなく、建物内にいた個体である可能性が高いのは、抜け毛以外の汚れがほぼ無いことです。学園の建物内の床は土足ではありますが掃き清められており、当然外の地面よりきれいですから、椅子に薄い足跡しか残らなかった理由になります」
扉の上部にある通気口というのは、扉自体ではなくその上部にはめ殺しになっている、装飾的な格子窓のことだ。蔦と花の模様を描くそれらの一部にはガラスが嵌まっておらず、空気が通り抜けるようになっている。
大勢の人間が長時間居ることから、熱が籠もったり空気がよどむことを避けるための設計だ。そのため冬場は隙間風がひどいので、大きな暖炉が防寒用に取り付けられている。
こんな簡単なことに気付くまでに時間がかかったのは、最初に外からの動物の侵入を疑ってしまったせいで、教室内の廊下側の捜査が疎かになったからだろう。
先生が指先を振ると、服のポケットからハンカチが飛んでいき、ビグレルの抜け毛を回収してきた。
それを教卓の上へ置き、彼女は生徒達の顔を見渡した。
「分かってしまえば謎と言えるほどの謎もない、とても簡単な事件だったね。でも私は皆がこのことから、何事も広い視野を持ち、先入観なく学習や研究を行う必要性を学んでくれることを願います。
……さあ、椅子ももうすぐ届くだろう。誰か扉を開けてあげてくれるかい?」
先生の言葉の通り、扉を開けた数秒後には一人の職員が椅子を持って教室へとやってきた。椅子は浮かべて運ばれてきたから、先生はその魔力を感知したのだろう。
自分の席へと戻ってきた王子は、少々お行儀悪く座ったまま少し後ろへずるずる下がり、ノエルのほうへ振り向いた。
「ノエルくん、ちょっと刺激的な事件でしたね!」
「お粗末な展開だったけどね」
「それでも、自分たちで事件を解決するということ自体が楽しいのです」
こそこそと潜めながらも隠せない声の弾みように、ノエルはほんのちょっとだけ口角を上げ、わかりにくく微笑んだ。
「……そうだね、それは、同意する」
少なくともこの場には、事件を思い込みで解決した気になろうなどという愚か者はきっといない。そして自分を信じてくれる友人と、自分と同じかそれ以上に好奇心でいっぱいの、多分友人になれそうなクラスメイトがいる。
ノエルにとってそれは間違いなく、嬉しい発見だった。




