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02

 冴を退魔師の本部に送り、お役目を代わる事を伝えた。案の定、怪我をさせた事へのお叱りと、今月の土日に夕暮れの見廻りをする役目を頂戴した。本来のお役目の二番が大層喜び、この機会にこの名誉職をずっと譲ってもいいとふざけたことを抜かした。


「四番、まだそれは憑いているのか」


 本部である屋敷にもう用はないとばかりに外へ向かって廊下を歩いていた時、私達の区画を総轄するじいさんと面を合わせた。


「ええ、さっぱり消えません」


「それを祓う気は本当にあるのか? まるでお前の手足のように動くと噂が立っているぞ」


「誤解です。これは私の望みを好き勝手に果たそうとしているだけです。そのせいで、単なる訓練で一番に怪我をさせてしまいました」


 ふむ、とじいさんが鼻を鳴らす。


「四番よ、もしその犬をお前が支配できるなら無理に引き離す必要はない」


「……どういう意味ですか?」


「紬がのう、番犬を欲しがっている。とびっきり優秀なものをな」


「今日人を噛んだばかりです」


「考えておきなさい。退魔師は、その一生を妖魔から離れる事が出来ないのだから」


 半ば一方的に言われ、じいさんが歩み去る。処分されてもおかしくないはずだったのに、期待を掛けるような物言いだった。


 ハタハタと黒い犬が尾を振る。悪びれる様子は見られず蹴ってやろうと足を構えた時にはもうその先にはいない。私はこの犬の事を知らないが、犬は私の全てを知っているのだ。


 犬はその気になれば私を噛み殺せる。その事実は気分を悪くさせた。


「お前は何か目的があって私に付いてるのか?」


 黒い犬の影がハッハッハッと呼気の音を上げる。数秒見つめると、赤い舌を垂らしていたのを顎を閉じて納めた。


 黒い犬の気配がぶわりと広がった。ブゥンと、何かが唸るような音がする。耳鳴りのようだった。黒い犬がゆっくりとこちらに近付く。足元に寄り、真っ直ぐにこちらを見つめる。


 「言葉が分かっているのだろう?」


 体を屈める。犬の顔が間近になった。犬の背に手を伸ばすと温かい犬の体温が伝わる。まるで生き物のような。


 鼻をつきあわせ、じっと犬の顔を見る。ブゥンと耳鳴りが煩くなった。犬の黒い影の傍に居ると、光という光が彼方に消え去るようだった。光の無い暗闇、それを私はよく知っている。


 それはこの黒い犬の影の大元だった。千切り取られた影の一部がこの犬なのだ。支配など出来るはずはない。ただ一つ、影に欠点があるとするならそう……この金色の何処までも貫くような光。


《バウ!》


 黒い犬が滅多に開く事のない金色の眼をこちらに向けていた。誉められたと思ったのだろう、ブンブンと音がしそうな程に尻尾を振っている。


「やめろ。お前の目が嫌いなんだ」


 視線を放し、犬を追い払おうとしても足に絡みつくようにして離れない。


「お前はもう何もするな。必要ないんだ」


 黒い犬が目を閉じていなくなる。どうせすぐに戻ってくるだろうが清々する。そう、黒い犬は必要ない。そこらの妖魔の相手は私で十分なのだ。






「うん?二番か……」


「じいさんも来たのか」


「一番が怪我をしたと聞いてな、様子は見ないといかんからの」


「四番が大げさなんですよ。あれくらいの怪我なら日常茶飯事です」


「それはちと鍛練が足らんのではないか?」


「あっ……いや、ははは」


「これ、笑って誤魔化すでない」


「精進します……」


「二番よ、あの四番の犬についてどう思うとる?」


「犬ですか」


「そう、あの黒い犬よ」


「ふーむ、どうといわれましてもね。四番とあれはセットのようなものだと……」


 ああ、でもそうだ。


 あれはよくいったものですよね。犬が飼い主に似る、果ては、飼い主が犬に似るというのは。


 夜明けが近付く、いつもより早く目を覚ます。一番の代わりを務めなくてはならない。服を素早く着替え外に飛び出す。後を犬が追ってくるのが分かったが、なるべく無視をするようにして弱い妖魔を短刀で斬り祓う。周辺に気配がないか探り、片付けた事を確認すると手頃なビルの屋上で笛を二度鳴らす。


 静かな街の中に時折車の音や、目覚めの早い鳥の声が響く。二つの影が音も立てず屋上に降り立つ。


「六番と七番は南西へ、私は北東に行く」


「四番ちゃん一人で大丈夫?」


「七番さん、ちゃんづけはもう……」


 主婦の七番さんは子供を相手にする感覚で四番を始め若い者をちゃんづけで呼ぶ。止めて頂きたい。


「早く済ませよう。会社が早いんだ」


「六番ちゃん、待って」


 六番は新社会人である。ちゃんづけは取れない。この間はもう呼ばせないと奮起していたが敵わなかったか。この地区の若年者は七番に小さい頃から退魔師として面倒を見てもらったのであまり強く出れないのだ。七番と近所の二番なんか、逆にそれを利用して飯をたかっている。ああはなりたくないものだ。


 北東へ走る。笛を鳴らすのを忘れないように、いつもよりも走るスピードを上げる。熟知した東から北へ、六番と七番の腕は悪くないがスピードに欠ける。その点、一番と私は突出していた。有象無象が相手なら敵になるものはいなかった。


 三度の笛が鳴る。こちらも終わったと吹き返した。


《クーン》


 無視していた犬が鳴く。一瞥することもない。さっさといなくなればいい。所詮、人を害するものに過ぎないのだから。


 朝食をパンで軽く取り、学舎へ向かった。天気は晴れで、気持ちのいい風が吹いている。


 多数の生徒が校門を通り抜けていく。今日は陽気な教師の姿が見えずホッとする。風が吹く。人の匂いに混じって神経を尖らせるもの……血の匂い。


 ハッとして周囲を見回す。血の匂いは微かですぐに消えてしまう。怪我をした者でも居たのだろうか?


 過敏になりすぎだと気を取り直す。これだけ人がいるのだ、何らかの理由で血を流す者も珍しくはないだろう。黒い犬に匂いを追わせたい衝動を抑える。必要ない、必要ないのだ。


 二度の笛が鳴ったのは放課後、帰宅しようとした矢先の事であった。


 人の気配が無いのを確認して、制服を脱ぎ黒服を羽織って白い仮面を着ける。二階のベランダから外へ飛び出す。着地に違和感を覚え足を見ると靴が上履きのままだった。脱いで茂みの方へ放る。


 それから呪を結び靴下を黒く変質させる。簡易なものだが、負担は軽くなるし音も消える。またもや、二度笛が鳴る。距離は近かった。


 ムッとする血の匂い。短刀を取り出し、ゆっくりと源の方角へ近寄る。この街には至る場所に破魔札が貼ってある。なので、前提として余程の妖魔でなくては人を襲える力を出す事が難しい。


 焦りに似た気持ちが湧き出すのを感じた。この街には多数の退魔師がいる。その目を零れてくるなんて、どんな化物なのか不安になっていた。壁に隠れるようにして血の匂いの先を窺う。


 人が倒れている。女子生徒が上着を血で濡らし、その上半身を人の姿をした妖魔が背後から抱えている。


 それに鉄の棒の先を向けているのは冴。制服姿のままであり、この現場を偶々見つけたのだろう。


 黒髪をうねらせる黒い妖魔は生徒の首に歯を立てていた。冴はそれを黙って睨み付けている。女子生徒にまだ息があるのだろう。しかし、このままでは危うい。背後からの奇襲を仕掛けられないか、身を潜めて動こうとした。


「そこの貴女、いらっしゃいよ。血に誘われたのでしょう?」


 唐突に上げられた妖魔の視線を追って冴がぎょっと此方を見た。妖魔の方が上手であった。


「出てこないのなら、この子をくびり殺しても構わないのよ?」


 渋々、姿を現す。冴は苦い顔になる。妖魔がイニシアチブを取っていた。冴と間を挟むような形になっても、妖魔は生徒の傷口を撫で、血を舐める。冴に仕掛けるかどうか目配せするも首を振られる。冴の足に隠れて割れた笛が落ちていた。舌打ちしたい気分になる。増援は見込めそうにない。


 みすみす餌食にされるのを黙って見なければならないのだろうか?なら、今ここで仕掛けても変わらないのではないか?苦悶の顔に染まる生徒の前で短刀を間抜けに構える自分を罵りたくなる。


「心配しないで、この子の命は取らないわ。」


 妖魔が生徒の傷口を撫でて塞ぐ。


「だってもっと“いいもの”が食べれるんですもの」


「冴!」


 妖魔のターゲットは冴だった。冴が飛び退くより早く、緑色の蔓が地面から飛び出し冴の体を縛った。


「あはは。暴れないで頂戴ねぇ」


 生徒を地面に横たえ、優雅とも言える仕草で冴の体に手を巻きつける。冴は怒りに任せ鉄の棒を動かそうとするも、蔓は緩やかに揺れて力を逃すだけだ。


 妖魔は私に後ろを見せている形であり、襲うなら絶好なチャンスに思える。


《バウ!》


 犬が吠えた。妖魔がちらりと犬の方を見る。その隙に短刀を背に向けて刺突する。クスリと笑う気配がして腕を蔓に絡まれ、冴の体の方に刃の向きを変えさせられた。腕全体を捻るようにして逃れる。足元に忍びよった蔓も蹴りとばす。分かったのは攻撃してもかわされ、立ち止まっても捕まるという事だった。


「残念」


 妖魔が楽しそうに笑う。黒いウェーブのある髪で、背格好は少女らしくも放つ気配は腐った花のようで、濃く吐き気を覚えそうだった。


「三耶麻、応援を呼べ」


 冴の顔を見る。屈辱を湛え、妖魔を睨んでいる。


「逃げてもいいわよ。この子は貰うけど」


 助けを呼んでも無駄なのは明白だった。それなら笛を鳴らそうかと左手で首もとを探る。


「駄目!三耶麻」


 妖魔は先程とは違い遊びを感じさせない動きで私を追い詰める。尖った指先が腕を掠めると、黒服が裂け血が流れる。


 牽制のはずの剣筋を見切られ、短刀を持った手首を握られる。万力のように絞められて、痛みで体の自由が効かなくなる。それでも放す訳にはいかない。


「頑張るわね。でも終わり」


 あっと思った時には、首に提げた笛を妖魔の空いている方の手で取られ壊されていた。


 蔓が足から全身に這い昇る。


 妖魔は愉快そうに笑う。冴の不在で事が知れるのはずっと先だ。不幸なのは笛の音を聞き付けたのが私だけだった事だ。


 黒い犬がハッハッハッと尻尾を振っている。何やら嬉しそうで神経を逆撫でられる。眼を開いていた。


 冴の首に口を付けようとした妖魔が、眉を顰める。


「この臭い……」


「掛かれ」


「貴女!」


 妖魔が叫ぶ。黒い犬が金色の目の光を溢して妖魔に飛び掛かる。


「ひっ」


 引きつる声を上げ、腕に噛みつかれた妖魔が暴れる。黒い犬は怯む様子もなく妖魔の腕を食いちぎった。ちらりとこちらに目線を寄越した後、勿体なさそうにポトリと腕を地面に落とす。


 蔓が緩み、短刀で斬り払う。冴も棒を使って蔓を引きちぎっていた。


 憤怒に染まる顔で妖魔が退く。追うのか冴に目を遣ると、首を振られた。女子生徒への救急車の手配し、妖魔の手を拾う。もしかしたらあの妖魔は寄生型なのかもしれない。それなら退魔師の目を潜り抜けた狡猾さにも合点がいく。私は白い仮面を外し、息をついた。


「どうしたの? 冴」


 冴がこちらをじっと見ていた。


「お前の目、金色になってる」


 その言葉は、あの妖魔を相手にするよりも私をゾッとさせた。




























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