領主論
アレンは怒っていた。
現在、彼はギルドの視察に訪れていた。
ギルドの運営状況を確認し、冒険者たちの活動や依頼の内容に問題がないかを調べるつもりだったのだが、掲示板に貼られた一枚の依頼書が目に留まった。
「おい、ギルド長。これはどういうことだ?」
アレンは依頼書を手に取り、ギルド長に見せた。
「ゴブリンを見かけたので、調査及び退治をしてほしい、だと?」
「は、はい。近隣の村から出された依頼でございます。村の周辺でゴブリンが目撃されたそうで、被害が出る前に調査と討伐をお願いしたいとのことです」
「領主は何をしている?」
「え?」
「領主だ! その村を治めている領主は何をしていると聞いているんだ!」
アレンの怒声に、ギルド長の肩がびくりと跳ねた。
周囲で依頼を探していた冒険者たちも、何事かとこちらを振り返る。
「領民から税金を徴収しておきながら、領主が対応せずに村がギルドへ依頼を出すだと? 俺の領地ではあり得ないぞ!」
「お、おっしゃるとおりでございます」
「ゴブリンが出たのなら、まずは領主が兵士を派遣して状況を確認するべきだろう。ゴブリンの数が少なければ兵士で対処すればいい。手に負えないのなら冒険者に協力を要請すればいい。なぜ最初から村人に依頼を出させている?」
「それは……領主様にも何かお考えがあるのかもしれません」
「ほう。どんな考えだ? 領民が襲われるまで待つことか?」
「い、いえ! そのようなことは……」
ギルド長は慌てて否定した。
アレンは依頼書をもう一度見た。
依頼主は村の代表者となっている。報酬も、村人たちが出し合って用意したものらしい。
つまり、村人たちは自分たちの生活を守るために、わずかな蓄えを切り崩して冒険者を雇おうとしているのだ。
「まったく……」
アレンは深いため息をついた。
「領主というのは、ただ偉そうにふんぞり返っていればいい仕事なのか?」
「いえ、そのようなことはございません」
「貴族が領民から税金を徴収するのは、何のためだと思っている?」
「領地の運営や治安の維持、公共施設の整備などのためかと……」
「そうだ。領民から税金を集める以上、領民の生活を守る責任がある。領地の治安を維持するのも領主の仕事だ。魔物が出たときに、領民が自分たちの金で冒険者を雇わなければならないのなら、何のために税金を払っているんだ?」
アレンの言葉に、ギルド長は返す言葉もなかった。
もちろん、すべての魔物を領主の兵士だけで討伐しろという話ではない。
強力な魔物が出現すれば、冒険者の力を借りる必要もあるだろう。
しかし、それは領主が状況を把握し、必要な対策を講じたうえでの話だ。
領主が何もせず、村人が自分たちで費用を負担して冒険者を雇う。
それが当たり前になってしまえば、領主が存在する意味などないではないか。
「さすがは若様でございます!」
横で話を聞いていた従者が、感激した様子で声を上げた。
「領民のことを第一に考え、貴族としての責任を重んじるお姿! まさに理想の領主でございます!」
「うるさい。俺は当たり前のことを言っているだけだ」
「その当たり前ができない貴族が多いからこそ、若様のお言葉が輝くのでございます!」
「……お前、あとで覚えておけよ」
「はっ! 若様にお仕えできること、誠に光栄に存じます!」
従者はまったく懲りていなかった。
アレンは頭痛をこらえるように額を押さえた。
こいつは本当に、何を言っても褒め言葉に変換するつもりらしい。
「それより、この村はどこの領地だ?」
「確認いたします」
従者がギルド長に尋ねると、ギルド長は依頼書を確認して答えた。
「こちらは、バルド子爵領にございます」
その名前を聞いた瞬間、アレンの動きが止まった。
「……バルド子爵だと?」
「はい」
「おい。そいつは俺の派閥に属している貴族ではなかったか?」
「そのとおりでございます」
「…………」
アレンは無言で依頼書を見つめた。
自分の派閥に属している貴族が、領民を守るという最低限の仕事すらしていない。
しかも、領民に負担を押しつけている。
これは単に一人の領主が怠慢だという話ではない。
アレンの派閥に属する貴族が領民をないがしろにしているとなれば、派閥全体の評判にも関わる問題だった。
「おい、ギルド長。この依頼はいつ出された?」
「三日前でございます」
「三日前?」
「はい。最初にゴブリンが目撃されたのは、それよりも数日前とのことです」
「…………」
アレンのこめかみがぴくりと動いた。
「つまり、ゴブリンが目撃されてから数日間、領主は何もしていないということか?」
「領主様がどのような対応をなさっているかまでは、当ギルドでは把握しておりません」
「そうか。なら、これから確認すればいい」
アレンは依頼書を従者に渡した。
「若様、いかがなさいますか? バルド子爵に使者を送りますか?」
「いや、今はいい」
「よろしいのですか?」
「俺が直接指摘すれば、慌てて兵士を派遣するかもしれん。それでは、あいつが普段から領地をどう治めているのか分からないだろう」
アレンは不敵な笑みを浮かべた。
「まずは現地を確認する。ゴブリンがどこにいるのか、何匹いるのか。それから村の状況も調べる。領主が本当に何もしていないのなら、その理由も確かめる必要がある」
「さすがは若様! 問題の根本を見極めようとなさるのですね!」
「お前は少し黙っていろ」
「はっ!」
従者は元気よく返事をした。
アレンは部下たちを見回した。
「お前たち、こっそり解決してこい」
「はっ?」
部下たちが一斉に顔を上げた。
「ゴブリンを退治する。村人に被害が出る前にな」
「しかし、若様。これは本来、領主が対応すべき問題では?」
「だからこそだ。領主が動かないからといって、村人が被害を受けるのを放置する理由にはならん」
アレンは当然のように答えた。
「俺たちが先にゴブリンを片づければ、村人の安全は確保できる。そのうえで領主の対応を調べればいい」
「なるほど……!」
「ただし、俺たちが解決したことは、できるだけ知られないようにしろ」
「なぜでございますか?」
「俺たちが動いたと知れば、領主は自分の失態を隠すかもしれないからだ。派閥の有力者がやって来たと聞けば、急に仕事を始める可能性もある。そんなものを見せられても、普段の統治がどうなっているのか分からん」
アレンは腕を組んだ。
「それに、俺が助けたと知れば、村人たちは俺に感謝するだろう。だが、それでは根本的な解決にならん。俺が帰ったあと、また同じことが起きたらどうする?」
一度ゴブリンを退治したところで、領主が何も変わらなければ意味がない。
領主が責任を果たすようにならなければ、同じ問題が繰り返されるだけだ。
「まずは村人の安全を確保する。そのうえで、バルド子爵が領主としての責任を果たしているのかを調べる。必要なら、きっちりと話をつける」
「承知いたしました!」
「さすがは若様! 領民を守り、さらに将来の被害まで防ごうとなさるとは!」
「だから、褒めている暇があったら準備しろ!」
「はっ! お前たち、いくぞー!」
従者の号令とともに、部下たちが動き出した。
こうしてアレン一行は、ゴブリンが目撃された村へ向かうことになった。
ギルドに残された冒険者たちは、慌ただしく出発していく一団を見送った。
「……今の人、あの若様だよな?」
「そうだ。悪名高いアレン様だろ?」
「悪名って……今の話を聞いていたか? 言っていることはまともだったぞ」
「確かに。俺たち冒険者からすれば、依頼が増えるのはありがたいが、村人が自腹で討伐費用を出さなきゃならないってのは気の毒だな」
「それに、領主がちゃんと仕事をしていれば、俺たちだって無駄な仕事をせずに済む場合もあるからな」
冒険者たちは、掲示板に貼られた依頼書を眺めながら話し合った。
彼らにとっても、領主が責任を果たしてくれることは悪い話ではない。
もっとも、アレンが秘密裏に動いている以上、彼らには一行が何をするつもりなのか知る由もなかった。
一方、そのころ。
馬車の中で、アレンは窓の外を眺めていた。
「まったく、貴族というのは何を考えているんだ……」
「若様、何かおっしゃいましたか?」
「いや、独り言だ」
アレンはため息をついた。
彼は自分が善人だとは思っていない。
平民に優しくするために貴族になったわけでもないし、領民から感謝されたいわけでもない。
そもそも、彼は悪役令息と呼ばれる立場にある。
だが、だからといって、貴族としての責任まで放棄するつもりはなかった。
貴族が平民の上に立つというのなら、それに見合うだけの働きをするべきだ。
税金を徴収し、権力を振りかざし、領民に頭を下げさせる。
それだけなら、誰にでもできる。
しかし、領民の生活を守り、領地を発展させ、問題が起きれば責任を持って対処する。
それこそが、貴族が領民の上に立つために必要なことではないのか。
「……領民から税金を取るだけ取って、いざというときに何もしない。そんな奴に領主を名乗る資格はない」
アレンは小さくつぶやいた。
「俺の派閥に属している以上、なおさらだ」
彼が怒っているのは、ゴブリンが出現したことそのものではない。
魔物が出現するのは、この世界では珍しいことではないのだ。
問題は、領民を守るべき立場の人間が、その責任を果たしていない可能性があることだった。
悪役令息のくせに、貴族としての責任を果たさない人間を許せない。
それがアレンという男だった。




