57話 中心にいる男
ドローンの映像を閉じると、綾乃は三雲樹の調査画面を開いた。
先ほど指示された再調査は、すでに複数の検索系統へ回している。
今表示されているのは、現時点で確認できる範囲の情報だった。
三雲樹。
三十二歳。
道内の公立高校を卒業後、情報処理系の専門学校へ進学。卒業後は市内のパソコン修理店へ就職し、店舗が閉鎖されるまで勤務。
現在、無職。
「綺麗ですねえ」
綾乃は言った。
「何がだ」
「経歴が」
転職歴はない。
軍、警察、消防、警備会社への所属歴もない。
競技射撃や格闘技の大会記録もなく、大学や研究機関へ在籍していた形跡もない。
海外で長期間生活していた記録もなかった。
表向きの経歴には、先ほどの反応を説明できる要素が一つもない。
「どこにでもいる一般人です」
「そう見える」
「隊長、その言い方は疑っている人の言い方ですよ」
奥田は答えなかった。
綾乃は樹の勤務先だった店舗の情報を開いた。
主な業務はパソコンの修理、データ復旧、周辺機器の設定。小規模な法人向け保守も行っていた。
樹の役職は主任。
管理職ではない。
技術者としての評判は悪くなかったようだが、特許や表彰歴があるわけでもない。
「修理屋としては優秀だった。でも、それだけですね」
「朝倉誠は」
「同じ店の元従業員です。三雲の同僚で、現在も行動を共にしている友人」
隣に誠の情報を並べる。
こちらも特殊な経歴はない。
接客と販売を主に担当していた。戦闘訓練や諜報活動の経験も確認されていない。
「二人とも普通です」
「普通の二人が、御影と組んでドローンを捕獲した」
「そこが困るんですよねえ」
綾乃は別の資料を開いた。
科学技術フェアの会場記録。
一般客が撮影した写真や、報道映像の一部が時系列に並ぶ。
白石澪の展示ブース。
その前に、樹と誠が立っている。
「白石澪との最初の接点は、この会場です」
「会話の内容は」
「記録に残っていません」
映像の中で、樹が澪へ話しかけている。
やがて澪の表情が変わり、二人の会話へ山城教授が加わる。
何を話しているかまでは分からない。
その後、澪は山城研究室へ出入りするようになり、超断熱材の研究成果が公表された。
だが、公式発表に樹の名前はない。
共同研究者でもなければ、協力者として紹介されてもいなかった。
「偶然、展示を見に来た一般客」
「それだけか」
「それだけなら、話は簡単です」
綾乃は次の記録を表示した。
北日本科学大学の正門付近。
大学の外から撮影された映像に、樹と誠が映っている。
「科学技術フォーラムのあとも、大学へ出入りしています」
「頻度は」
「確認できただけで数回。ただし、継続的に監視していたわけではありません」
樹が大学で何をしていたのか。
研究室へ入ったのか。
澪や山城と、どのような話をしたのか。
そこまでは分からない。
確認できるのは、樹と誠が大学を訪れ、山城研究室が入る建物の方向へ歩いていったことだけだった。
「公表資料に名前は?」
「ありません」
超断熱材に関する報道記事と、学会発表の記録を並べる。
名前が出ているのは、白石澪と山城雅人。
三雲樹の名前は、どこにもない。
「研究者でも、共同開発者でもない」
「少なくとも、表向きは」
樹が研究へ関与した証拠はない。
澪に偶然出会い、その後も個人的な付き合いが続いただけかもしれない。
奥田は画面を見たまま言った。
「友人なら、大学へ行くこともある」
「女子高校生と三十二歳の無職が?」
「言い方を選べ」
「事実を並べただけですよ」
綾乃は口元を緩めた。
奥田の表情は変わらない。
「白石澪との関係を疑っているわけじゃありません。気になるのは、三雲樹がどの立場にも属していないことです」
研究者ではない。
大学関係者でもない。
澪の家族でも、学校の教員でもない。
それにもかかわらず、澪の周囲で起きた出来事に、何度も姿を見せている。
綾乃は時系列を進めた。
白石家周辺の記録。
工場での一件。
神谷のガレージへ向かう車両。
その後、樹と誠は御影と行動を共にしている。
「拉致の直前から、御影玲司との接点ができています」
「御影から近づいたのか」
「その可能性が高いです。三雲側から御影を探した形跡はありません」
「目的は白石澪の保護か」
「おそらく」
御影が樹たちへ接触した。
樹たちはその協力を受け入れた。
ここまでは理解できる。
理解しづらいのは、その後だった。
御影は単独で動くこともできたはずだ。
監視や追跡の専門家でもない樹たちを、行動へ加える必要はない。
それでも御影は、樹をそばに置いている。
「御影が三雲を守っているようにも見えます」
「違うのか」
「それだけなら、監視機体に気づいた時点で遠ざけるはずです」
だが、御影は樹と一緒に罠を作った。
監視対象としてではなく、協力者として扱っている。
綾乃はガレージ周辺の映像を呼び出した。
捕獲装置を設置する誠と神谷。
搬入口周辺を確認する御影。
資材を運ぶ樹。
誰か一人が全体を指揮しているようには見えない。
神谷は装置を組み上げ、誠は必要な物を運び、御影は配置を確認する。
樹は、その間を行き来していた。
「罠を考えたのは御影かもしれない。製作したのは神谷修司。朝倉誠も手伝っている」
「三雲は」
「作業を手伝っていただけに見えます」
綾乃は映像を進めた。
神谷が樹へ何かを尋ねる。
樹が答える。
神谷が装置の向きを変える。
今度は誠が樹を呼ぶ。
樹がそちらへ向かい、二人で資材を動かし始める。
命令しているわけではない。
声を張り上げて全体をまとめてもいない。
それでも、誰かが樹へ問いかけ、樹が答えると作業が進んでいく。
「三雲が集めた人間ではありません」
誠は元同僚。
神谷は誠の知人。
御影は澪を追って接触した。
山城教授とのつながりも、札幌科学技術フォーラムで偶然生まれたものだった。
樹が意図して組織を作った形跡はない。
それなのに、人が集まっている。
「本人が誰かを動かそうとしているようには見えません」
「だが、中心にはいる」
「はい」
奥田が相関図を見たまま言った。
「指揮しているんじゃない」
綾乃は振り返った。
「こいつが動くと、周囲が動く」
「本人は無職ですけどね」
「肩書の話はしていない」
「ですよねえ」
綾乃は樹の項目を開いた。
現在の分類は、白石澪の関係者。
監視優先度、通常。
危険度、低。
「格上げします?」
「現時点で敵対行動はない」
「監視機体を捕まえられましたけど」
「自分たちを監視する機体を捕獲しただけだ」
「こちらとしては、まあまあ困るんですけどねえ」
「相手にとっては正当な防衛だ」
奥田の声に苛立ちはなかった。
事実を事実として切り分けている。
樹たちは監視されていることに気づいた。
その機体を捕獲した。
それだけで、拘束する理由にはならない。
「先に身柄を押さえる選択肢は?」
「何の容疑でだ」
「危険な一般人」
「法的根拠にならない」
「VPGって、意外と真面目ですよねえ」
「意外は余計だ」
綾乃は小さく笑った。
「白石澪を取り戻そうとしている可能性は高いです」
「そうだな」
「施設を見つければ、来ますよ」
「来るだろう」
「その前に止めたほうが安全では?」
奥田は数秒、相関図を見ていた。
「こちらから動けば、周囲の人間も動く」
樹一人を拘束すれば終わる相手ではない。
御影は確実に追う。
朝倉と神谷も動く可能性が高い。
山城教授が公に動けば、澪の所在そのものが問題になる。
強引に押さえれば、それまで敵ではなかった人間まで敵に回す。
「三雲樹の目的は、今のところ白石澪の救出だけだ」
「今のところは」
「ああ」
奥田は短く答えた。
「目的を見極める。危害を加えない限り、観測を続ける」
「警戒対象には?」
「御影は現場脅威。三雲は――」
奥田が一度、言葉を止めた。
「分からないから警戒する、と」
「そうだ」
綾乃は分類欄へカーソルを移した。
選択肢を開く。
一般関係者。
関連協力者。
警戒対象。
優先観測対象。
最後の項目を選択する。
画面上の表示が切り替わった。
三雲樹。
分類――優先観測対象。
危険度――判定保留。
「随分と曖昧な評価になりましたねえ」
「正確な評価だ」
「何も分からないという意味では」
綾乃は保存を実行した。
相関図の中心にある樹の表示が、黄色から橙色へ変わる。
その隣には、赤く表示された御影玲司。
分かっているから警戒する男と、分からないから警戒する男。
二人を結ぶ線だけが、他より太く表示されていた。
「御影玲司と三雲樹」
綾乃は二人の名前を読み上げた。
「厄介な組み合わせになりそうですね」
「もうなっている」
奥田の返答に、綾乃は肩をすくめた。
画面の中では、樹が工具を手に、神谷たちと何かを話している。
指示を出しているようには見えない。
ただ、そこにいる。
それだけで、周囲の人間が動いていた。




