54話 罠の外側
熱映像の隅に、青い点が浮かんだ。
彼女は巡回軌道を維持したまま、視線だけを画面へ向ける。
神谷自動車工業の裏手。
二つの建物に挟まれた搬入口の奥に、周囲より温度の低い場所がある。
小さい。
だが、明らかに周囲から浮いていた。
「……何これ」
倍率を上げる。
低温部分は金属板のような形をしている。
その周囲に熱源はない。
通常映像へ切り替えると、搬入口の奥には薄い板が一枚置かれているだけだった。
人影は見えない。
作業中の機械もない。
もう一度、熱映像へ戻す。
金属板の中央だけが、不自然なほど冷えている。
「露骨だなあ」
偶然とは考えにくい。
昨日まで存在しなかったものが、監視対象の拠点に突然現れた。
朝、山城教授がガレージへ入っていく姿は確認していた。
白石澪の研究に関わっていた、北日本科学大学の教授。
その後、何人かがガレージと裏手を行き来し、資材らしき物を運び込んでいる。
「あの教授が来てから、何か実験でも始めたのかな?」
だとしても、置き方が不自然だった。
上空からなら、熱映像でしか気づけない場所にある。
「見に来いってこと?」
彼女は機体の高度を変えなかった。
そのままガレージ上空を通過する。
一度、離れる。
旋回半径を広げ、反対方向から戻った。
低温部分は消えていない。
通常映像。
熱映像。
輪郭強調。
偏光補正。
順に重ねていく。
搬入口の両側には、資材と古い部品が置かれていた。
奥には屋根。
左右には壁。
上空から見える範囲は狭い。
入り口付近に、人の姿はない。
だが、壁の向こうまでは見えない。
「罠だよねえ」
呟きながら、映像を拡大する。
床。
壁際。
屋根の縁。
低温部分へつながる細い配線。
屋根の奥へ伸び、その先は見えなくなっている。
わざと隠している。
あるいは、見えない場所へ排熱している。
どちらにしても、監視されていることを意識して作られた装置だった。
無視する選択肢もある。
だが、監視対象が新たな装置を作った以上、確認せずに済ませることはできない。
「嫌な置き方するなあ」
彼女は機体をガレージから離した。
正面からは入らない。
低温部分の真上にも行かない。
建物の外周を回り、搬入口を斜めから見通せる位置へ移動する。
高度は保つ。
機首を出口側へ向けたまま、横滑りで近づく。
異常があれば、すぐに後退できる。
壁の向こうから何かが飛び出しても、上昇すれば避けられる。
映像の端に、搬入口の奥が少しずつ現れた。
低温部分。
配線。
金属製の枠。
その上に何かがある。
細い繊維。
彼女は機体を止めた。
「網?」
輪郭強調を上げる。
屋根の内側に、畳まれたネットが固定されていた。
やはり罠だった。
奥へ入った機体を、上から覆うつもりなのだろう。
「残念」
彼女は機体を数メートル後退させた。
これ以上近づく必要はない。
仕掛けの存在と、低温装置が意図的に作られたことは確認できた。
その時だった。
機体の集音装置が、小さな声を拾った。
「いた」
壁の向こう。
続けて、別の声が聞こえる。
「やっぱりドローンだった」
同時に、搬入口の奥で金属音が鳴った。
ネットが展開する。
「来た」
彼女は即座に機体を後退させた。
屋根の内側から落ちたネットが、機体の前方を塞ぐ。
だが、距離は十分に取っている。
網の端が届くより早く、機体は捕獲範囲から抜けた。
「だから言ったのに」
機首を上げる。
そのまま高度を取る。
低い位置から飛んでくる仕掛けを避けるなら、上へ逃げるのが最短だった。
画面の下で、一枚目のネットが床へ落ちる。
その瞬間、彼女は違和感を覚えた。
網の広がり方が狭い。
機体を捕らえるには、展開範囲が足りていない。
「違う」
一枚目は、捕まえるためではない。
後ろへ下がらせる。
上へ逃がす。
そのための――。
機体上方の映像に、黒い線が走った。
屋根の外側。
搬入口から離れた資材の陰から、別のネットが飛び出す。
一枚目よりも大きい。
左右へ広がりながら、機体の後方と上方をまとめて覆っていく。
「そこまで――」
彼女は機体を横へ振った。
上昇を止め、壁沿いへ逃がす。
だが、ネットの端は搬入口の幅を大きく越えていた。
逃げる方向へ先回りするように、二枚の網が交差する。
視界が黒い格子で埋まった。
ローターがネットへ触れる。
回転音が一瞬だけ高くなり、すぐに乱れた。
機体が傾く。
姿勢制御が補正をかける。
だが、別のローターにも網が絡んだ。
映像が激しく回転する。
壁。
空。
屋根。
地面。
「入った!」
集音装置が、誰かの声を拾った。
「止めろ、巻き込むぞ!」
別の声。
機体はネットに包まれたまま、地面へ落ちた。
衝撃。
映像が斜めに止まる。
視界の端から、靴が近づいてきた。
彼女は操作盤へ指を走らせる。
飛行ログ。
巡回経路。
認証情報。
通信履歴。
回収される前に消さなければならない。
遠隔消去を実行する。
確認表示。
即時承認。
転送中だった記録が途切れ、機体内部の保存領域が順に閉じていく。
画面の向こうで、男がしゃがみ込んだ。
黒い機体を網越しに見つめている。
もう一人が、その隣へ来る。
「本当に捕まった……」
「まだ触るな」
最後に、御影の姿が映った。
彼は落ちたネットではなく、搬入口の外側を見ていた。
一段目を避けた後、機体がどこへ逃げるのか。
最初から、そこまで見ていた。
「一本取られたなあ」
彼女は小さく息を吐いた。
映像が乱れる。
保存領域の消去が完了する。
最後に残った機体識別情報が消え、画面が黒くなった。
罠を見抜いた。
一枚目も避けた。
それでも捕まった。
罠の中心を避けることまで、読まれていた。
初めから、罠の外側まで罠だった。




