52話 見えざる眼
薄暗い室内に、十数枚の画面が浮かんでいた。
廊下。
メインホール。
医療区画の入口。
立入禁止区画へ続く認証扉。
どれも人の出入りは少なく、画面の中では変化のない時間が流れている。
女は椅子に深く腰掛け、手元の端末を操作した。
一つの映像が、画面中央へ拡大される。
青空を模した照明の下を、一人の少女が歩いていた。
「やっと出てきた」
誰に聞かせるでもなく呟く。
少女は立ち止まり、天井を見上げていた。
次に案内表示。
認証端末。
通路の奥。
視線が一つずつ移っていく。
女は頬杖をついた。
「景色を見てるって感じじゃないなあ」
映像の中で、少女が監視カメラへ顔を向けた。
目が合ったような気がして、女はわずかに眉を上げる。
もちろん、カメラの先に誰がいるかなど分かるはずもない。
少女はすぐに視線を外し、居室区画へ向かって歩き始めた。
その姿が画面の端へ消える。
「もう少し、のんびりしてればいいのに」
女は映像を元の大きさへ戻した。
メインホールは、再び変化のない画面の一つになる。
右端の表示が小さく点滅した。
女は足元に置いていた缶を持ち上げる。
口をつける直前で、中身が空だったことを思い出した。
「……あ」
缶を軽く振る。
乾いた音しかしない。
諦めて机へ戻し、点滅している表示を指で開いた。
市街地の上空から撮影された映像が現れる。
低い建物が並ぶ一角。
その中に、広い屋根を持つ自動車工場があった。
駐車された車両。
閉じたシャッター。
敷地の端に積まれたタイヤ。
人影はない。
女が表示を切り替える。
色彩が消え、画面が温度分布へ変わった。
屋根は外気よりわずかに高い。
建物の内部には、複数の熱源がある。
人間のものと思われる反応も、いくつか重なっていた。
女は高度を確認する。
通信状態。
風速。
残りの電力。
すべて正常。
指先を滑らせると、機体がゆっくり旋回した。
工場の正面から側面へ。
熱源の数に変化はない。
外へ出る者もいなかった。
「今日も静かだねえ」
女は椅子の背へ体を預けた。
視線だけは、画面から離さない。
可視光。
熱映像。
周囲の通信反応。
一つずつ確認し、再び最初の映像へ戻る。
屋根の下は見えない。
それでも、そこに誰かがいることだけは分かる。
「さて」
女は空の缶を机の端へ押しやった。
「もう少し、見てよっか」
樹は空になった缶を片手に、ガレージの裏口を開けた。
缶を捨てるためだけではない。
昨夜、御影と同時に感じた視線が、今も残っているか確かめるためだった。
外へ一歩出る。
首の後ろが強張った。
昨夜と同じだった。
「まだ、います」
背後に立った御影が、道路の向こうを見た。
「ああ。私も同じだ」
御影は裏口の内側へ一歩下がった。
樹も続く。
ガレージへ入ると、首の後ろにあった感覚が薄れた。
消えたわけではない。
だが、外にいる時ほど強くない。
御影が樹を見る。
「変わりましたか」
「弱くなりました」
「私もです」
御影は再び外へ出た。
数歩進み、屋根のない場所で立ち止まる。
樹も横へ並んだ。
感覚が戻る。
「ここは強いです」
「ああ」
御影は周囲を見回した。
通行人が二人。
道路脇に停車した軽自動車。
向かいの店舗には、窓際で作業をしている店員がいる。
誰もこちらを見続けてはいない。
御影は歩き出した。
樹もあとを追う。
ガレージの側面を回り、建物同士に挟まれた通路へ入る。
空が細くなる。
違和感も弱まった。
「ここは?」
「さっきより弱いです」
御影は答えず、そのまま通路を抜けた。
再び空が大きく開ける。
胸の奥がざわつく。
樹は思わず足を止めた。
隣を見る。
御影も同時に止まっていた。
二人の視線が重なる。
「やっぱり」
樹が呟いた。
御影は屋根の上へ目を向けた。
排気口。
アンテナ。
電線。
どこにも動く物はない。
「建物の中からでしょうか」
「可能性はある」
御影は向かいの建物を見る。
「だが、一方向ではない」
樹も周囲を見渡した。
ガレージの裏。
側面。
敷地の正面。
場所を移動しても、空が開けると同じ感覚が戻る。
特定の窓や建物から見られているなら、どこかで弱くなるはずだった。
「車も違いますか」
「今のところは」
道路脇の軽自動車へ視線を向ける。
運転席は無人。
少し離れた場所では、配送業者が荷物を降ろしている。
御影は腕時計を確認した。
「一度、中へ戻りましょう」
ガレージへ戻る。
御影は正面のシャッター付近から、外の様子を確認した。
通行する車。
歩行者。
向かいの店舗。
先ほどと配置は変わっていない。
「追ってくる人間はいない」
御影が呟いた。
「固定された場所からでもない」
「じゃあ……」
樹はシャッターの上へ視線を上げた。
御影も同じ方向を見る。
「地上じゃないな」
ガレージの外へ出る。
二人はもう一度、空を見上げた。
見えるものは何もない。
それでも、視線だけは確かにそこにあった。




