46話 任務の変更
御影は赤信号で車を停めた。
神谷のガレージまでは、あと十分ほどだった。
白石澪が連れ去られてから、すでに一日以上が経っている。
昨日は警察への説明に立ち会い、周辺の防犯映像を確認した。
工場から白石家、その後に神谷のガレージへ至る経路も、可能な限り辿った。
使用された車両についても照会をかけたが、登録情報が正しいとは考えにくい。
目撃証言は複数あった。
しかし、どれも所在へ繋がるものではなかった。
黒い車。
複数の人影。
煙。
短時間で現場を離れた。
確認できたのは、その程度だった。
信号が青へ変わる。
御影は交差点を曲がり、人通りの少ない路肩へ車を寄せた。
エンジンを切る。
昨日の夜は、一度休むよう指示を受けた。
数時間は横になったが、眠れたとは言い難い。
目を閉じるたび、煙に覆われたガレージと、連れ去られる澪の姿が浮かんだ。
御影は上着の内側から専用端末を取り出した。
認証を済ませ、登録された番号を呼び出す。
三度目の呼び出し音で相手が出た。
『私だ』
「御影です。一昨日の件で報告があります」
『話せ』
御影は助手席に置いた手帳を開いた。
「白石澪が武装した一団によって連れ去られました。現在の所在は不明です」
『本人の状態は』
「連れ去られる直前まで意識はありました。目立った外傷も確認していません。ただし、それ以降の安否は不明です」
『昨日の確認で進展は』
「ありません。現場周辺の映像と車両情報を確認しましたが、移送先へ繋がるものは得られませんでした」
『車両は』
「少なくとも一台は偽装されていた可能性があります。ナンバーから所有者へは辿れませんでした」
『相手の素性は』
「不明です。装備、車両、連携から見て、相応の訓練を受けています。場当たり的な犯行とは考えにくい」
『工場を襲った連中と同じか』
「断定できません。同一、あるいは協力関係にある可能性はありますが、裏付けがありません」
『推測だな』
「はい」
端末の向こうで、短い沈黙があった。
『警察は』
「捜索を続けています。ただ、相手の身元も移送先も不明です。現時点で踏み込む場所がありません」
『白石香織には』
「事実のみ伝えています。娘の安否を確認できていないことも」
『三雲樹は』
「神谷修司のガレージにいるはずです。これから向かいます」
『昨日は』
「事情聴取のあと、一度帰宅させました」
『素直に帰ったのか』
「朝まで眠っていなかった。動ける状態ではありませんでした」
『今日は動くつもりだろうな』
「その可能性は高い」
『止められるか』
「情報がない状態で動く危険性は説明します」
『従うと思うか』
御影はフロントガラスの向こうを見た。
「理解はするでしょう」
『納得はしない』
「しないと思います」
『お前も同じか』
御影はすぐには答えなかった。
一昨日の夜。
樹は煙幕が投げ込まれるより前から、何かが起きることを警戒していた。
偶然と判断するには、重なる回数が多い。
だが、異常だと断定するには、まだ事実が足りなかった。
「白石澪の所在と安否は、確認する必要があります」
『それは警察の仕事だ』
「警察とは別の経路から確認できる情報があります」
『具体的には』
「工場への接触以前から、白石澪と三雲樹の周辺には複数の動きがありました」
『三雲樹も狙われていると』
「認識されている可能性があります」
『根拠は』
「工場からの移動後も追跡されています。白石澪だけが目的だったとしても、三雲樹は相手に姿と行動を知られた」
『今後、接触される可能性がある』
「はい」
『それも推測だ』
「確認が必要な推測です」
端末の向こうで、紙をめくる音がした。
『現在のお前の任務は、三雲樹とその周辺の情報収集だ』
「状況が変わりました」
『だから範囲を広げたいと』
「白石澪の所在と安否の確認。連れ去った集団の特定。工場事件との関連性。三雲樹への接触可能性。この四点を調査対象に加える許可を求めます」
『何を使う』
「公開情報、現場の痕跡、車両、通信、周辺映像。必要に応じて、これまでの情報網も使用します」
『警察の捜査を妨げるな』
「承知しています」
『相手の拠点を見つけた場合は』
「状況を確認し、報告します」
『単独で踏み込まないと約束できるか』
御影は一拍置いた。
「現時点では、踏み込む理由も場所もありません」
『見つかった後の話をしている』
「白石澪の状態と、本人の意思を確認します。そのうえで判断を仰ぎます」
『救出に向かうとは言わないんだな』
「拘束されていると確認できていません」
『それでいい』
再び沈黙が落ちた。
『任務範囲の変更を認める』
「了解」
『三雲樹および白石澪周辺の情報収集。連れ去った集団の特定と、工場事件との関連性を調べろ』
「承知しました」
『警察や関係機関へ渡す情報は、裏付けの取れたものに限る。違和感を事実として扱うな』
「はい」
『これは救出命令ではない。事実確認だ』
「承知しています」
『動きがあれば先に連絡しろ。定時報告も続けろ』
「了解」
通話が切れた。
御影は端末を助手席へ置いた。
任務の範囲は広がった。
だが、相手の名前も、所在地も、目的も分からないことに変わりはない。
許可を得たからといって、存在しない手掛かりが生まれるわけではなかった。
御影は手帳へ時刻と指示内容を書き込む。
その下へ、確認すべき項目を並べた。
車両。
通信。
装備。
煙幕。
移送方向。
工場との関連。
三雲樹への接触歴。
最後の一行で、ペン先が止まる。
一昨日の夜、樹が見せた反応。
煙幕が投げ込まれる前から、何かを警戒していた。
現時点では、本人の勘と偶然で説明できる。
説明できるだけで、納得はできない。
御影は一行を書き加えた。
三雲樹の反応について、継続観察。
手帳を閉じ、エンジンをかけた。
◇
神谷のガレージへ到着すると、シャッターはすでに開いていた。
奥では樹がテーブルを動かしている。
キッチンカーの中から明日香の声が聞こえ、その近くでは香織が食器を並べていた。
神谷は作業台に向かったまま、車の入ってくる音に顔だけを上げる。
昨日までとは、ガレージの様子が少し変わっていた。
折り畳み式の椅子が増えている。
飲み物や紙皿が置かれ、テーブルの上にはメモ帳と筆記具が並んでいた。
御影が車を降りると、樹がすぐに歩いてきた。
「何か分かりましたか」
「昨日の確認では、所在に繋がる情報は得られなかった」
樹の表情が曇る。
「そうですか」
「ただ、調査は継続できる」
樹が顔を上げた。
「澪さんを捜せるんですね」
「所在と安否を確認する。連れ去った相手についても調べる」
「見つけたら助けるんですよね」
「必要ならな」
「必要に決まってる」
「澪さん本人の状態も、相手の目的も分からない」
「自分から行ったようには見えませんでした」
「私にもそう見えた」
「なら――」
「見えたことと、証明できることは違う」
樹は口を閉じた。
反発は残っている。
それでも、御影の言葉を理解しようとはしていた。
「今すぐ動けば、こちらの存在と手札を相手に知らせることになる。所在を掴む前に警戒されれば、次は痕跡すら残さない」
「待つしかないんですか」
「調べる」
御影は答えた。
「待つんじゃない。動くための材料を集める」
樹は御影を見たまま、しばらく動かなかった。
やがて、テーブルの上に置かれたメモ帳へ視線を落とす。
「俺にできることはありますか」
「一昨日の夜、見た物と聞いた音を全部書き出せ。工場からガレージまでだ」
「相手の人数とか?」
「装備、車両、煙幕が入ってきた方向。匂いでも音でもいい。ただし、事実と推測は分けろ」
「分かりました」
「思い出した順でいい。時系列は後から整理する」
樹は椅子へ座り、ペンを手に取った。
その隣には、誰も座っていない椅子があった。
背もたれには、淡い色の膝掛けが掛けられている。
御影が視線を向けると、香織が静かに言った。
「澪のです」
「そうですか」
「ここは少し冷えるので」
御影は短く頷いた。
澪の所在は分からない。
戻ってくる時期も、今は見通せない。
それでも、席だけは用意されていた。
救出命令ではない。
事実確認だ。
御影は、先ほどの言葉を胸の内で繰り返した。
まずは見つける。
その事実が次に何を求めるのかは、それから判断すればいい。




