秋燈
二学期が始まってから忙しない日々が一ヶ月ほど続いたある日、僕は久々に彼女へ連絡した。学校の掲示板に貼られた一枚のポスターを見掛けたからだった。僕の地元の夏の風物詩である花火大会が、もうすぐ開催されるらしい。本来ならお盆に行われるはずだったが、今年は台風の影響で延期になっていた。しかし、ここ数年同じような流れが続いているのだから、いっそのこと夏ではなく秋の風物詩にすれば良いのに、と冷淡なことを思いつつも、やはり楽しみであることに変わりはなかった。単純である。
彼女とほぼ無理矢理連絡先を交換したにもかかわらず、一度もメッセージを送ったことがなく、罪悪感を抱いていたところだったので都合が良かった。僕は一度、
【花火大会一緒に行かない?】
とメッセージを打ち込んだ。打ち込んだはいいものの、なかなか送信ボタンを押すことができなかった。あまりに突然すぎるかもしれないと思い、
【久しぶり!】
と付け加えた。なんだか堅くなりすぎてしまった気がして削除した。
かれこれ一時間苦戦していると、
「ご飯できたよー!」
と一階にいる母親から声がかかった。夕食のあとにでも考えようと思い、スマホをポケットにしまって階段を下りた。夕食後、彼女から
【ちょっと考える】
と連絡が来ていた。何のことかわからずとりあえず既読をつけてみると、不完全なメッセージが知らず知らずのうちに送られていた。
自分の部屋でスマホをいじっていると、画面上部に身に覚えのない相手からのメッセージが表示された。怪しく思いながら開いてみると、そこには
【花火大会一緒に行かない? 久々にあお】
というメッセージが送られてきていた。送り主は彼だった。「会おう」を「あお」と表記することに少し嫌気が差した。
人生で花火大会に行ったことはないに等しい。小さい頃に親が連れて行ってくれたようだが、残念ながらその記憶は失っている。私にとって、花火大会は家のベランダから家々の間に打ち上がる花火を見るものだった。誘ってくれるような友人がいれば変わっていたのだろうが、悲しきかな、そんな交友関係は築けずにいた。同級生がSNSにあげている花火大会の写真や動画を見て、花火大会の存在を知ることすらある。実に寂しい人生である。
そんな自分を、彼はどうして誘ったのか理解ができなかった。ただ、既読無視は良くないので、ひとまず
【ちょっと考えさせて】
とだけ返信した。
のちに、手違いでメッセージを途中で送信してしまったという説明を受けた。彼の文章力が極端に失われずにあることに安堵した。
花火大会まで残り三日となっても、彼女からのメッセージは届かずにいた。僕はついに痺れを切らして、
【花火大会どうする? 嫌だったら断ってくれていいよ】
と送った。するとすぐに
【ごめん遅くなった。よければ行こう】
と返信が来た。思わず腰を抜かした。彼女のことだから、きっとギリギリまで返事に迷っていたのだろう。急かしたようになり申し訳ない、と思いながらも、喜びから鼓動が早くなるのを感じていた。
花火大会当日。花火が打ち上がる数時間前にもかかわらず、会場付近は多くの人で賑わっていた。絶えず往来している人々の中には、学校帰りの制服のままの人、浴衣を着ている人、私服の人、外国の人、家族連れ、カップル、友人など、さまざまな属性の人々が集まっていた。まるで、ここに世の全ての人が集まっているかのような繁盛ぶりだ。人々の話し声や、会場の音楽、屋台の音で、騒がしい。けれど、このような場に来るのは久しぶりなので、心なしかウキウキしていた。私はといえば、どんな格好にするか迷いに迷い、結局いつもは着ない白いワンピースを新調してしまった。これでは浮かれているのがバレバレである。いや、母親に勧められた浴衣を着なかっただけ褒めてほしい。
「あ、いた!」
後ろのほうから、カランコロンという音とともに、聞き馴染みのある声が聞こえた。振り返ると、紺色の浴衣を着た彼がこちらに駆け寄るのが見えた。
「ごめん、待った?」
「ううん、今来たところ」
母親の言った通り浴衣を着てくればよかった、と思った。
真っ白なワンピースを着た彼女を前にして、浴衣なんか着てくるんじゃなかった、と思った。これでは張り切りすぎたようで恥ずかしい。しかし、彼女が
「浴衣、お祭りっぽくていいね」
と僕に言葉を掛けてくれたのでそんなことどうでも良くなった。彼女はいつでも僕が求める言葉をくれるので好きだ。
「ありがとう。ワンピースも似合ってる」
女子は「似合ってる」よりも「かわいい」とか「綺麗」とかを言われたほうが嬉しいらしいと聞いたこともあったが、さすがに現時点で言うのは憚られた。というか、照れ臭さが邪魔をした。思えば、彼女も「かっこいい」とまでは言っていなかったから適切だったろう。
花火大会までまだ時間があるので、先に屋台を回ることにした。土手沿いに立ち並んだ屋台から漂う匂いに食欲が刺激されて堪らない。食べ物は焼きそばとたこ焼きとりんご飴を買った。道中、射的とヨーヨー釣りをした。彼女はどちらも僕より下手だった。初めて彼女より僕が優れているものを見つけられて嬉しくなった。
屋台でもらった景品と食べ物とともに、僕は彼女に許可を取り、とある場所に向かった。もう土手沿いの桟敷席には多くの客が座っており、とても良い席で見られそうにない。しかし、会場から十分ほど歩くと広々とした公園があり、意外とここが穴場なのである。公園に到着すると、家族連れやカップルがぽつりぽつりといたものの、花火を見る分には十分空いていた。公園に来てばかりだね、なんて話しつつ、さっそく屋台で買ったりんご飴から食べ始めた。彼女のほうはどうやら道中に齧っていたらしく、りんごは残り半分ほどになっていた。履き慣れない下駄を履いているせいで脚が痛い。でも、彼女が横にいることに比べたらさほど気になることではなかった。
りんご飴を食べていると、彼が頻りに脚を気にしているように見えた。私は、念のため持ってきていた絆創膏を彼に渡し、鼻緒が触れる部分に貼るよう伝えた。用意周到だね、と褒められたので、それしか取り柄が無いのよ、と言った。彼は噴き出すように笑った。制服姿しか見たことがなかったからか、隣にいる彼はまるで別人のようだった。いつの間にか、彼の左の耳たぶに穴が二つ開いていた。今日は浴衣だからわざわざピアスを外してきたのだろうか。
花火が打ち上がるまでまだ時間があるから、二ヶ月前のことを謝ろうと思った。彼からの問いに誠実に答えなかったことを、私はずっと引きずっていた。
「ねえ」
「なに?」
「この前はごめんね。『今は何してるの?』って聞かれたとき、嫌な態度取ったでしょう」
「え、なに、そんなこと気にしてたの?」
彼はアハハッと大きく笑った。
「別に気にしなくていいよ。むしろ僕のほうこそデリカシーなかったし。ごめんね」
逆に彼のほうから謝られてしまい、私はどうしたら良いかわからなくなってしまった。それを見かねてか、彼は
「また話してもいいな、と思ったら教えて」
と言った。彼の優しさがチクリと胸に刺さった。
やがて花火が打ち上がり始めた。サイズも色も形もさまざまな花が夜空に咲く様子は圧巻だった。当たり前だが、家のベランダから眺めたときよりもずっと大きい。火照った頬が、秋風に撫でられて気持ちがいい。夏にはうるさかった蝉の声がなくなった分、花火の音が鮮明に聞こえる。これからは秋に開催すればいいのに。




