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森崎夢叶の18きっぷ  作者: おじぃ
30歳の春

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桜を咲かせる風

 何もやる気が起きない、鬱屈な日々が続く。頭がノイズで支配され、胸はざわめきが治まらない。


 原稿の〆切は変わらない。


 列車は変わらず走り続ける。


 職場には人身事故後の車両も入場した。


 無情に続く日々。


 そんな私を心配して、美奈ちゃんと舞ちゃんが遊びに誘ってくれた。場所は江ノ島。自宅から自動車で15分、自転車で30分、バスと電車を乗り継ぐと40分かかる隣町、藤沢に浮かぶ観光地。美奈ちゃんと舞ちゃんは横浜に住んでいるので、今回は公共交通を利用して行く。


 気持ちは、未だ晴れない。


 しかし没入すると良くないのも承知している。昔の自分だったら、友だちに慰められても汚泥が堆積たいせきした沼底から抜け出せなくなっていただろう。


 大人になるとは、合理的な判断を下し最適解を導く、それが自他とも幸福に繋がる手立てであることを理解し実行するということでもある、と私は思う。


 スニーカー、スキニーパンツ、歩きやすい格好で外に出た。もうじき桜を咲かせる風が、住宅地に吹き込んでいる。


 冬は長く、永遠のよう。


 春が訪れる保証は歴史上、実はない。


 遠い昔の氷河期は恐竜を絶滅させた。私が生きている間には、夏が訪れなかった年が一度だけあった。冷夏と言われたが、8月なのに寒かった。


 肺炎になって、入院した。夏休みも家族旅行の計画もなくなった。


 そして、いまのところ得たポジティブな記憶はない。


 ただただ損でしかない、そんなことが、私のような者にはよく起きる。


 それでも私は、春は大方来るであろうと信じていた。


 一個人の道程を自然現象と比喩するのはやや違う気もするが、必然性という点では共通している。


 これだけでも何通りかの物語を組み立てられるが、今回は『苦行の先にある新しい歴史』である。


 地球に於いては氷河期により恐竜が絶滅、後に人類史という新しい歴史が始まった。それはこの世界に知性と文明を開花させた。


 それを一個人の自分史に置き換えるなら『明けない夜はない』という、ただちに救われたい者には残酷な希望的観測である。これを人生の師範や親に言われたときの絶望と来たらない。


 信ずるのは、艱難辛苦を味わったのなら、それに見合った幸福は訪れるであろうという正負の法則に基づく論理的な予測と、それを享受するに値する己の潜在能力ポテンシャル、そしてそれを切り拓く覚悟である。


 覚悟を決めなければどうなるかは、これまで見てきた年長者の姿から予測できる。


 尊厳は死に、潜在能力の活用を怠った償いに、余生を費やすのである。優れた人物が能力を活かせなかった先にあるのは暗黒である。


 正に、背水の陣。


 それでも納得できるならば良いだろうが、私は違う。


 大きな幸福を得るために苦しみ、尚且つ努力しなければならない。その業を背負っているのが世に言う『陰キャ』であると、私は三十年の人生のなかで理解した。


 駅まで歩く道すがら、一輪の花を咲かせた桜を見つけた。

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