■事情、感情、友情?
ライブハウス前からちょっと離れた場所に、無造作に置かれた黒いワゴンが一台。
その中では、田ノ木と根上がお通夜のように押し黙って並んで座っている。
その姿は似たもの同士だとも言えようか。
「犯人はな、必ず現場に戻って来るんだよ根上、覚えておけ」
田ノ木はライブハウス前のレストランに集まった4人の淑女たちを車の中から指差して根上に吐き捨てた。
根上はただ無言で頷くと、手帳に一字一句書き漏れのないように、田ノ木の言葉をメモした。
「あのおばさん連中から目を放すなよ。きっとあの中に犯人がいるはずだ」
不思議そうな目を田ノ木に向けた根上だったが、獲物を確認してほくそ笑むような表情の田ノ木には何も話しかけられなかった。
ワインに合うつまみは多々あるものだが、この店の売りは黒こしょう煎餅をクリームチーズにでっぷりとつけて食べる、普通のチーズ煎餅だ。
4人の素敵な淑女たちももちろんこれを頼んでいた。
厳密には野本が頼んだわけだが。
「でさぁ、あたしたちお互いのことなーんにも知らないじゃない。だからさぁね、ひとまず自己紹介でもしてみる?どう?」
野本は3杯目のワインを喉に流し込んだ後に提案した。
「それいいですね、じゃ私から」
ワインをテーブルに静かに置きながら幸元が笑顔を作った。
「えっと、私は幸元ひばりです。28歳の・・・」
「歳言うなんてなんか嫌みったらしくなぁい?」
野本が口を挟んで幸元を睨む。
「皆さんは言わなくていいですよぉ?私が一番若いのは分かってますから!で、今はお気楽主婦やってまーす。旦那はトレーダーで今はミャンマーに行ってます。だからぁ、最近ずっと一人で遊び歩いてまーす。SUBWAYはけっこう通ってて、今夜は私の好きなバンドが入ってるから来ました。ロックンロールを踊るのは大好きで、その歴史まで知ってます」
幸元は野本をちらっと見たが、当人は聞く耳持たずでワインをがぶ飲みしていた。
ぶりっこもこの年で限界か、幸元は何も言って来ない野本に対し小さくふん!っと鼻を鳴らし、ウェイターにシャンパンを頼んだ。
「へー、幸元さんって主婦なんですね。らいちゃん思ったんですけど、幸元さんは独身かなぁなんて思ってました。その、家庭の匂いってしないし・・・」
「ま、家庭にはいろいろな関係がありますからね」
桜坂がフォローを入れる。
「主婦してますって感じのあなたよりずっと女度あると思いますけど?」
幸元は冷たい目で白戸に言った。
「そんなつもりじゃ・・・あ、じゃ今度はらいちゃんですね」
「あのさ、そのらいちゃんってさ、やめてくれない?」
野本は空いたグラスで白戸を指し、幸元の頼んだシャンパンを持って来たウェイターにワインのおかわりを頼む。
「だってもうずっとこれできてますから、らいちゃんはらいちゃんで行きます!私は、白戸雷鳥です。歳は・・・ご想像にお任せします。
今は幼稚園の先生をしています。でもフルタイムじゃないんですけどね。自宅がレストランなので、いつも一緒にいられるって言えばいられるかな。すっごい仲良しな家族です。今夜と明日はレストランが休みで、日頃の家事での疲れをぱーっとやってきなよっていう旦那様の優しい一言で、昔よく行ったライブハウスに出かけました」
「終わった?」
つまらなさそうに頬杖をついていた幸元が終わったのを見計らって嫌みを言って、さっきの憂さを晴らした。
「ま、いいじゃないですか幸元さん、ではわたく・・・私ですね」
桜坂は手元にあったカクテルグラスの残りをくいっとやって、っはーっと息を吐く。
「私は桜坂うぐいすです。女医をしております。主人も医者ですし、娘も将来はその道に進ませます。まだ中学生ですけれどね。
今日は医大時代の同窓会のあとに、ふらっと入ったところであのライブハウスを見つけて、入りました。で、あなた方に会ったというわけです」
「はい、よくできました。模範解答どうもね。じゃ最後はあたしね。あたしは大学で数学を教えてるの。名前は野本ツグミ。旦那は今アフリカにいる。彼、考古学者だからあっち行ったりこっり行ったりってかんじで、なんかそうね、独身みたいなもんかな、うん」
「あら、数学者ってすごいんですね」
「そう?医者の方がいろいろ役に立つでしょうよ」
「役に立つってちょっと・・・」
「数学者に医者かぁ、いいですねぇ。らいちゃんなんて毎日幼稚園児の相手だもん」
「・・・私は仕事なんてしたくな~い」
一通り、本当のことなのか、嘘なのか分からないような、見栄の塊のようなそうじゃないような自己紹介をした4人は、それをする前とさほど状態が変わらないことに気付き、お酒を傾けながら、またお互いを監察し始めた。
「ね、ちょっとあのさ、言いたいことはちゃんと言わない?なんかこういう女の塊みたいなのって、あたしほんとダメなのよね」
綺麗な黒髪に指を通しながら言う野本は色っぽかった。
「わたしは取り立てて何もないですけど」
桜坂は他の二人を交互に見た。
「ま、いいわ奥様たちの見栄の張り合いみたいなのに付き合うのも時間の無駄だし、あのさぁね、これ、あたしの提案なんだけどね」
テーブルに前のめりになる野本は、近くに寄れと手で合図し、3人はそれに従った。
「この件はあたしたちでさ、片付けちゃわない?だってそうでしょ?車から蹴り落とした男を目撃したのは、あたしたち4人だけなのよ。あのタヌキとメガミにこの情報渡したい?」
突拍子もない野本の発言に他の3人は絶句した。
「・・・田ノ木さんに根上さんでは?」
「桜坂さんさ、言い方ってもんがあるでしょ?あのクソおやじはタヌキみたいじゃない、だからそれでいいでしょ?それにあのうすらボケた女刑事はさ、幸元さんの言葉を借りれば、不細工なわけよ。
あだ名だけでも女神にしてやろうじゃないのよムカツクけどさ」
「いいかも、タヌキとメガミ」
幸元は乗り気だし、白戸も口元を緩めていたが、桜坂だけは眉間に皺を刻んでいた。
そして、野本の提案に対し、4人が4人ともに言いたいことを言い合い、まるで話がまとまらない。
自分の話を他の人が聞けばいいのよ!というスタンスな4人は、言い続ければ話を聞いてくれるという頭から、誰一人一歩も引くものはいなかった。
先にさじを投げたのは、またしても年長者野本だ。
「はい、わかった。もういい、こうしましょうよ」
今までのあの喧騒はなんだったのか分からないほどに静まりかえったテーブルには、店で流しているゆったりとした音楽が耳にうっすら聞こえてきた。
「じゃ、そうね、多数決にしましょう」
野本は何杯目だか分からないワインのおかわりを通りすがりのウェイターに頼み、面倒くさいからボトルごとちょうだいと付け加えた。
「野本さん、そんなに飲んで大丈夫なんですか?」
「その心配には及びませんよ、桜坂さん。これでも今日は少ない方なの」
「いいえ、違います。明日の講義が大丈夫なのかとお聞きしているんです」
「講義?ああ、そうそれね。全く問題無い。明日は休講にするから」
「・・・信じられないことをするんですね。学生は待ってるんですよ」
「ははは、あんた医学部出てるなら分かると思うけど、学生時代に何回かいきなり休講になったことない?」
「・・・それは・・・あります・・・けど」
「それ、教授の二日酔いか、もしくは酔い潰れが原因だから。本当よこれ。はい、それでさぁね、ここは民主主義的に多数決で決めるってことで、いいわよね?」
桜坂以外の二人に視線をからめ、意志を確認する。
「そんな教授はうちの大学には・・・」「いるから。うるっさいわねこの人いったいなんなのよ」
桜坂の言葉に被せた野本は、残りの二人の目を見て、自分の勝ちを確信した。
「へー、授業って勝手に休みにできるんですね!あぁ、私も学校行っとけばよかったなー」
「あのね幸元さんね、桜坂さんみたいにうるさく言うつもりはないんだけど一ついい?授業っていうのは高校まででね、大学からは講義って言い方に変わるから、ひとつそこんとこよろしく。それから、学校じゃなくて、大学ね。じゃ、決めるわよ」
間髪入れず、有無を言わせず、進行役を自ら買ってでた野本は、この事件を私たちで解決するということに賛成の人?と言い、自分も率先して手を挙げた。
「暇だし、楽しそうだし、私やるー」
幸元は何も考えずに手を挙げた。
「らいちゃんは・・・刺激が欲しいってのも本心ですけど、なんにせよそれって・・」
「あんたはいちいち話が長いのよ!YES、NOどっち?」
野本のいらつきっぷりに圧倒され、小さく『イエス』と言う白戸は肩をすぼめた。
「わたしは、反対です。これは事件なんですから、警察にまかせるべきではないんですか?野本さん」
桜坂は毅然として反対した。
「はい、多数決の結果、可決・・・と」
野本が桜坂の反対意見を却下した。
「少数意見の尊重と見解は?」
「何が少数意見の尊重と見解よ、一人しかいないんだから意見なんて通用しないのよ。はい、決まり、じゃまずどうするか話し合いましょう」
桜坂を無視して3人で盛り上がる中、桜坂は、これはゲームじゃないのよ!事件なんですよ!と声を荒げるが、そんなこと百も承知なのよ、じゃなかったら大事な講義を休みになんかしないわよ。と野本に淡々と返され、ぐうの音も出なかった。
田ノ木と根上が待機している車の後ろから、ぬらりと移動した一台のシルバーのセダンには誰一人気付かなかった。
今のところは田ノ木でさえも・・・。