■ コンテナが沈む時
風が変わった。
船内の空気が幾分か黒くなりつつあった。何かが船内で起こっているのは間違いない。
ヨーコはまだ頭が回っていないらしく、一人でぶつぶつと聞き取れない独り言を言いながら頭を小刻みに揺らしていた。
野本は根上に視線を送り、手に掴んでいる銃に力を込めた。
「動かないで!」
自分を見失いつつあるヨーコは、この先どうしていいのか分からず、ひとまず安西に拳銃を向け、野本に動くなともう一度言った。
「いや、違う。私はあなたとは違う!絶対に教授は私を裏切らない。
この仕事が終わったら新しい研究材料に使う人を探しに南米に一緒に行こうって言ったわ。
あなたみたいに一人日本に残ってのほほんと生活をしていて、教授が寂しい思いをしている時に側にいてあげなかった、あなたとは違う。
私はずっと側で寄り添ってきた」
普通の夫婦が聞いたらそれはそれは大きく気分を害すはずの言葉であるが、普通の夫婦生活をしてきていない野本の心にそれは響かなかった。
「あっそ」
ひとこと心のこもっていない言葉を放つと、その隙を見て根上に拳銃を投げた。
ヨーコはその拳銃めがけて一発撃ち込むが、それは無情にもコンテナの角に当たって甲高い金属音を上げただけだった。
放物線を描いて落下した拳銃をその手に掴み、にやりと笑った根上は、自分の手の中に収まった懐かしい短銃の重みと冷たい心地よさを感じていた。
安西は力を振り絞って目の前に立っているヨーコの足に体当たりした。
根上に気を取られていたヨーコは体当たりされた拍子に身体が横へ飛び、身体側面から船のデッキへ叩きつけられた。
安西はそのまま腹を抑えて倒れ込み、野本は素早く安西に掛けよろうとしたが、ヨーコが起き上がり、そこに横たわる安西の腹に蹴りを何発か入れる。
野本は安西の体に蹴りを入れ続けるヨーコに向かって走り、自分に気付き、顔を向けた瞬間に、その顔面を思い切り引っぱたいた。
「あんた、絶対許さない!」
続けてヨーコの腹に蹴りをし返し、小さく呻き、腹を抱えたところに今度は拳で顔面に一発。
口の中が切れたヨーコは、足下に転がる安西の体に血を吐き、野本を見てにやりと笑う。
理性を失いそうになる野本はヨーコの胸ぐらを・・・
自分に向けて伸びてきた手を掴み、そのまま自分の後ろへ野本の体ごと放り投げる。
野本は壁に叩きつけられ、反動でデッキに膝をつく。
「許さない?それはこっちの台詞よ」
ヨーコが野本に近づき、デッキに四つん這いになる格好の野本の腹に蹴りを入れる。
「あんたたちさえ片づけば私は自由になれるの」
「・・・本当に救いようのないバカ」
痛む腹を抑えながら笑う野本は、目の前に見えるヨーコの足を素早い動作で蹴り、倒す。
「あんたなんで分からないの!自分がやってることが間違ったことだって、なんで気付かないの!目を覚ましなさい!」
野本は倒れ込んだヨーコの上に馬乗りになって両肩を抑えつけ、数回デッキに叩きつける。
「ほら、あんたは私に嫉妬してるだけ」
ダメだ、こいつは本当に分かって無いということが分かった野本は、ヨーコの目をじっと見つめ、右手に力を込め、ヨーコの左頬をおもいきりぶん殴った。
立ち上がった野本は安西の方へ腹を抑え、倒れそうになりながらも走る。
ヨーコはそのままの格好で、痛さに顔を抑えて暴言を吐いている。
安西は腹からべっとりと血が流れ出て、それをなんとか抑えようと必死に自分で腹を両手で守っている。
気力だけで意識を保っている安西の顔には苦悶が浮き上がっているが、野本に心配をかけないためか、力無く笑った。
「ばか!無理して笑わなくていい!」
「きっとこれはあんたの血だよ」
そんな言い合いをしている二人は、同じように血まみれで、同じように無理して笑っていた。
「動くんじゃないよ!」
ヨーコは自分の血で滑る甲板をなんとか片手で押して、しぶとく起き上がると安西と野本に向かって血だらけになっている銃を向け、先ほどからと同じ言葉をまた言った。
「動かない方がいいのはあんたの方だよ」
ヨーコの後ろ、少し離れた所にはいつの間にか根上がいて、野本から投げ渡された短銃をヨーコの頭に向けて構えている。
横目でそれを見て口角を汚く上げるヨーコは安西に照準を合わせ、引き金にゆったりと指をからませた。
ヨーコは自分が殺されたとしても、自分達のどちらかを殺すだろう。
視線を合わせる二人は、どうにもできない悔しさに唇を噛みしめた。
力無く笑う安西の目には諦めの色と、いずれ自分はこうなる運命だったんだという思いが色濃く映っていた。
野本はそんな安西を見て、眉根を寄せ舌打ちをした。
「それはあたしの血じゃないな」
「ごちゃごちゃうるさい!」
ヨーコは野本と安西に怒鳴り散らすと、銃を握る手に力を込めた。
安西は後頭部に銃の気配を感じていたが、視線は野本から離さない。
「さよなら、安西さん」
引き金を引く。
銃声が二発耳に届く。
安西は目をぎゅっと閉じ、肩を小さくさせて固まっていた。
野本はヨーコを凝視し、ヨーコの手首が真っ赤になって血しぶきが上がったこと、その拍子に後ろに身体が飛び、崩れ落ちていくその間に、ヨーコの体に弾丸が貫通したのをはっきりと見た。




