■幸元の行動
「嘘でしょ信じられない」
幸元は今起きた一部始終を見ていた。
夕方過ぎに野本が帰ってやることが無くなった幸元は、王に電話をかけたが電話は繋がらなかった。
時間をあけてかけてはみたが、電源すら入っていなかった。
不自然だ。
逆探知の心配があったが仕方なく家の電話にかけることにした。
しかし、それにも出ない。
この家の電話番号は幸元とその旦那しか知らないので、ここにかかってきた電話は私からだから絶対に出ることと言ってあった。
ということは、王親子はこの家にはいないということだ。
あれだけ出るなと言ったのに、どういう経緯があったにせよこれは許せないことだ。
やはり王が犯人か?
財布と携帯電話だけを持って、自宅マンションの下からタクシーを拾って王がいるはずの場所まで行った幸元は、マンションの前に止まっている一台のシルバーのセダンに目を止めた。
「ちょっとここで止めて」
シルバーのセダンを通り越して少し行った場所でタクシーを止めた。
後ろを振り向き、その車を確認していると、ラフな格好の男二人に腕を取られた王が力なく車にぶち込まれるところだった。
その後ろには王の息子もいたが、恐怖に顔が青くなっているようにも見えた。
しかも二人ともテープのようなもので口を塞がれていた。
「お客さん?」
タクシーの運転手はメーターを止めていいものかどうか迷っていた。
「・・・出して」
「え?」
「早く出して!」
半ば叫ぶように怒鳴りつけ、驚いた運転手は言われた通りに車を出した。
「とにかく、いいから走ってここから遠ざかって」
動揺を隠しきれない幸元は、震える手で携帯電話の発信履歴を辿った。
動揺しまくっている妻からの電話を受け取った時、彼はまだ仕事中だった。
ミャンマーにいる幸元の旦那はすぐさまそこから逃げるように言い、万が一の時のために逃げると決めてある場所へとそのまま向かえと言った。
その途中で何台かタクシーを乗り換えろとも付け加えた。
幸元は言われる通りに何台かタクシーを乗り換え、つけられていないかと様子をうかがってから次のタクシーへ乗り込んだ。
平常心でいろと言われたけれど、実際に自分がそういう状態に陥ったときには平常心でいられるはずもなく、しきりに後ろを確認するその姿は運転手には気味悪く映ったに違いない。
捕まるという恐怖は例え10分の時間でも1時間の長さに感じてしまうあたり、本当に時間の概念がこの世に存在しているのだろうかとすら思えてしまう。
橫浜の外れまで来た幸元は誰にも気付かれることなく家の中に入り、玄関のカギを内側からかけた後で、やっと少しだけ落ち着くことができた。
ミャンマーに電話をかけるとすぐに旦那が出た。ここの電話は逆探知されないように出来ているので何も気にすることなく話ができる。
無事かと聞かれ、今のところはと答えた幸元は、事の経緯を時系列にまとめて簡潔に話した。
女性は言いたいことからまくし立てるふしがあるが、幸元の場合は旦那の論理的な考え方が既に頭の中にすり込まれているので、そういう無駄な思考に労力を裂く必要が無かった。
一通りのことを話し終わると少し安心して、暗い家の中の電気を付けようとスイッチに手を伸ばした。
家の中は相変わらず何も無い。
テレビとテーブルと椅子とソファー、それに細工のしてある電話しか置かれていないこの部屋はこぢんまりとしているものの、居心地はいい。
今から外に出るのは危ないから明日の朝一番に人をよこすまでの間、今日は申し訳ないがそこにいてくれ。水はあるが食事は缶詰程度しかない。
と、幸元に言うと、『大丈夫食欲なんて無いから』と返して、いったん電話を切った。
電話を切ると部屋の中は余計静かに感じられた。
この辺一帯は住宅地の為、夜にもなると人足も少なくなり、残業終わりのサラリーマンがそぞろに帰宅してくるくらいしか人は見当たらない。
洋服のストックは以前ここに来た時に置いておいた。まずはシャワーを浴びて新しい服に着替えて、ソファーで一夜を明かすしかなさそうだ。
いつでも逃げられるように、この家に置き去りにしておいたバッグの中に財布と携帯電話と充電器を入れてテーブルの上に置き、ソファーの上でブランケットにくるまった。
「やだ、化粧品全部忘れてる」
化粧を落としきってから気付いた幸元は、ドラッグストアーへ買いに行こうか迷ったが、ここで万が一があったらそれこそ明日から化粧がいらなくなるかもしれない。
美には人一倍気をつけているものの、命と美を天秤にかけることはできないので、仕方なく化粧品のことは忘れることにした。
幸元の家の周りをうろつく不信な車が一台、辺りを行ったり来たりを繰り返していた。
運転しているのはさっきいたラフな格好の外国人だ。
途中までつけてきたけれど、幸元が何回かタクシーを乗り換えて、しばらくその場でじっとしていたり、時間を稼いでいたりする間に見逃してしまった。
片側一車線の細い道路でタクシーを乗り換えられると、その付近に停めることは不可能になる。それをいいように利用して幸元は上手くタクシーを乗り換えていた。
やがてその不信な車は幸元がどこかに逃げたのだと分かると、これ以上探しても見つかるわけがないと諦めたようにどこかへ引き返して行った。
家の前を通過していった不信な車のライトがカーテンの隙間から部屋の中にこぼれてきたが、幸元はブランケットにくるまり耳だけをすませ、外に人が来ないかという人の気配にだけ神経を集中させていた。




