1章:英雄のその後、記憶屋と小さな店
代表作成の外伝を作者自身が、ひっそり楽しむために執筆してました。
かつて、ある異世界に伝説の英雄がいた。英雄と魔族は互いに手を取り、世界に秩序をもたらしたという。
その英雄その後の物語。
ささやきの森のログハウスを最後に訪れたのは、魔王領の復興を手掛けた元・幹部の男だった。
彼が森を出る際、サトオはただ一言、「もう、無理をするな」と告げたという。
それから数十年が過ぎた。
サトオとアリスが住んでいた森のログハウスは、今や誰も住んでいない。
しかし、取り壊されることはなかった。かつて彼らが愛した場所として、また、世界を解放した「神話の舞台」として、時折、遠方から旅人が訪れる小さな記念館のようになっている。
サトオの姿は、もうどこにもない。
ある者は彼が神の領域へ昇華したと言い、ある者は名もなき旅人として世界を巡っていると言う。
だが、帝都の喧騒から遠く離れた、世界の境界線にある荒野の果てに、一軒の小さな店がある。
そこは、かつて英雄と呼ばれた男が、ただ静かに包丁を研ぎ、誰かの「重すぎる記憶」を煮込む、小さな小さな店だった。
第1章:塩と、苦い後悔の味
「……ここが、噂の店か」
深夜、荒野を彷徨っていた若き商人が、一軒の明かりに足を止めた。
看板には店名もない。ただ、香ばしい出汁の香りが漂っているだけだ。
重い扉を開けると、そこには白髪混じりの男が一人、無表情で大鍋をかき混ぜていた。
「いらっしゃい」
男の声には、かつて世界を支配した威圧感など微塵もなかった。ただ、穏やかな、どこか遠い場所を見つめるような響きがあるだけだった。
「……腹が減ったわけじゃないんだ。ただ、どうしても消えない記憶があって」
「.....聞こう」
成功の代償として、誰にも言えず抱え続けてきた、黒く澱んだ後悔。
「…06頼めるか」
懐の結晶を握りしめる
「何か言ったか?」
「気にするな…独り言だ」
男は懐から一つの「光る結晶」を取り出した。それは彼が人生で最も後悔している、かつての商売敵を蹴落とした瞬間の記憶が宿っている。
それを手慣れた手つきで鍋の中へ放り込んだ。
煮込まれるたびに黒い結晶が溶け出し、鍋の中からは黄金色のスープが湧き上がってくる。
「記憶というのは、捨てれば軽くなるが、形を変えれば栄養になる」
男はスープを器に注ぎ、商人の前に置いた。
商人が恐る恐る口をつける。
それは、人生で一番辛い時に食べたはずの「ただの塩スープ」の味だった。しかし、それは後悔の味ではなく、必死に生きてきた自分の「誇り」の味がした。
「……ッ、これは……」
商人は目から涙を零した。
男はただ、その様子を満足げに眺めている。
彼はかつて、世界を最適化しようとして失敗した。効率ばかりを求め、人間から「痛み」を奪おうとして失敗した。
だからこそ、今ここで、他人の「痛み」を、ただ美味しく変えてやろうと決めたのだ。
店名は、まだない。
だが、荒野をゆく者たちの間では、こう呼ばれている。
『追憶の厨房』と。
今日もまた、世界のどこかで疲れ果てた者が、英雄の作ったスープを求めて扉を開く。




