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精霊のシジル  作者: 染料
六章
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第百一話 かつての選択

 無事あるべき箇所へと収まる両眼に落陽を映す。

 メイから宛がわれた二階客室からは周囲の木々に遮られることなく空が見渡せる。夕陽の温度がむっと籠る部屋はほのかな暖色に包まれ、無音の平穏から振り返ればつい数時間前の緊張が遥か遠くに置き捨てられている。

 石の聖女バルトロメアは二度と表に出てくることはない。

 転移門から戻ってきたときユルドが言ったことだが、それが何を意味しているのかまでは教えてくれなかった。じきに結果が出るだろうと明言を避けた様子だ。どうせあの聖職者が何か手を回したのだろう。

 アルクゥは椅子を行儀悪く傾けて脱力と釈然としない気分を吐息に乗せる。いつ訃報を聞くことになるのかと恐々としていた。回復したのか元々偽りだったのか。どちらでも良い。しかし、我ながら勝手だとは思うが報せがなかったのは恨めしく思う。

 ともあれ、今回の件で聖女との確執には区切りが付いたと言える。

 眼球の提供による取引は無効となったが、アルクゥが大聖堂に赴く代わりとして聖女が自分に掛けた強力な自己誓約は生きている。あれを破棄できるとは思えない。なれば、聖女がアルクゥに関わることは金輪際ありえないのだ。一時期は憎悪すら覚えた人間との関係の幕切れとしては呆気ないが、英雄譚のような犠牲を伴う劇的さよりも遥かにましな結びだろう。


 そこに一抹の後悔があるとすれば、膿んだ場所へと道連れにしてしまったマニのことだ。

 メイの隠れ家に帰ってから姿が見えないのが気にかかる。夕食にも姿を見せなかった。聖女との話で何か琴線に触るものがあったのだろうが、アルクゥは自分の眼球に向けられた熱っぽい狂気を耐えるのに必死でそれがどの部分だったのか記憶が曖昧だ。

 一帯の結界の主であるメイは居場所を知っているようだが、迎えに行こうとするアルクゥに今は行くべきではないと忠告した。一人でいたいこともあるだろうと。

 アルクゥは椅子を立ち窓から身を乗り出す。

 見渡すと庭に横たわる倒木にマニが腰かけていた。こちらからは背中だけが見える。足元に伏せているメイの犬を心ここにあらずという手付きで撫でている。

 案外近くにいたなと枠に肘をついて見守っていると、茫とした調子で空を見上げた。友人の心に寄り添えなくともせめて同じものを映そうとアルクゥもそれに倣う。


 深い藍空には夕方の月が昇っていた。


 昨日よりも欠けた形にアルクゥは新月の近さを漫然と考え――月のない夜の約束を思い出す。

 他の一切が念頭から消え、安定を望んだ心が無意識に忘れようとしていた記憶を大きく掘り返す。新月の夜に拠点で待つ。正しくは約束ではない。ベルティオの似姿の女が一方的に告げた言葉だ。そこにどういう目論見があるにせよ早く誰かに相談しなければならない。早ければ早いほど対策は整うのだ。

 アルクゥは足音荒く外へと向かう。

 大きく開け放とうとした扉は鈍い衝撃が取っ手を掴む手に伝わるだけで僅かにしか開かない。それでふと冷静さを取り戻しそっと外を覗く。騒々しい物音を聞き付け仕方なしに護衛の務めを果たそうとしたヤクシが痛そうに顔面を押さえている。

 唸るヤクシに気のない謝罪をしつつ、ベルティオ関連については王都側の人間に話すのが適当だと思い付く。

 怒鳴りかけのヤクシを遮り、思い出した女の言動を早口に告げる。ヤクシは情報の遅さを詰りもせず、しばし思案に沈み元から険し目の眉間の皺を更に深くした。


「マニから貴様を連れ去った女の行動は聞いていたが……そういうやり取りがあったのなら貴様にもさっさと聴取しておくべきだったな。貴様なんぞに気を使うからこうなるのか。しかし――目的はなんだ?貴様を殺すなり攫うなりしたければ連れ去った時点で完遂すべきだろう。なのに用意が甘い。その上、言葉と行動が一貫していない」

「それは、確かに。強要させられているというのは?」

「主従契約であれば無駄口も叩けない。だが……なんにしてもこれは好機と見るか」


 ヤクシは隣室のトゥーテを呼び護衛を交代するよう言い付けてから踵を返す。小走りに付いて行くと至極面倒そうな目線を寄越し、歓迎されていないのは火を見るよりも明らかだがアルクゥは気にしない。


「どうするのですか?」

「翼竜を使って伺いを立てる。背に人を乗せず最速で飛べば一日あれば答えは返るだろう。その間にユルドと、貴様の兄とも話して腕の立つ人間を揃えて……幽世可視の魔具が残っているのが前提になるか。罠の可能性もいれて魔物に有効な武器も用意しなければ」

「もし罠ではなく本人が来たとして、その時は」

「可能ならば捕らえるが難しいだろうな。だが可視範囲外に逃げられてしまえば元も子もない。もし協力を強制されていたとしても……憐れではあるが仕方ない。あの能力は脅威だ」


 つまりはその場で殺すということか。

 足を止めたアルクゥを小さく振り返ったヤクシだがすぐに角の先へと消える。ぽつりと佇み遣る瀬無い気分を持て余していると、影のように後ろを付いてきていたトゥーテが慰めるように言う。


「気に病む必要などないのですよ。アルクゥ様はお優しくていらっしゃる」

「そういうわけでは」


 優しいなどと過大評価も甚だしい。敵は殺せが身を以て学んだ教訓でそれは正しいとも思っている。ただ――もしもを考えてしまったのだ。誘拐されたあの夜の森でベルティオとの契約を受けていれば、自分もあの女性と同じく無辜なれど排除の対象として憐れまれていたのか、と。その想像を恐ろしく思う怯懦が不用意にベルティオの似姿の女についての背景を考え敵意を僅かながらに鈍らせる。


 夜に意見のすり合わせを終えたのか、翌日を境にヴァルフたちは忙しない空気を纏い行動を開始する。敵の特性上アルクゥやマニの協力は必要だろうが直前まで関わることを許されず、二人はほどんど蚊帳の外で準備を眺めているだけだった。


「馬鹿みてぇに綺麗な女だったな。あれがベルティオの?」

「幻影のモデルです。ベルティオの素顔は知りません」

「女装野郎か」

「性別や姿を偽る魔術師は多いですよ」

「……」

「失礼な。私はそのままです」


 取り留めのないことをぽつぽつと話しては会話が途切れる。

 マニは人から遠ざかることを止め妙にアルクゥの近くに居るようになっていた。気付けば傍に座っている。そして時折、何も言わずに長々とした視線を向けてきた。気付いたアルクゥが目を合わせてようとした瞬間にマニは別の方向を向く。

 煮え切らない態度、というわけではない。

 マニの目は何を主張するでもなく、ただ何かを確認しているのではないかというのが視線の受け手としての感想だった。

 今も無言の視線を感じ、アルクゥはマニの気が済むまで待とうと大人しくしていると、今回は珍しく視線の後に言葉が付随する。


「お前もよーく見れば綺麗だよな。性格も暴力的なとこを除けばまあ悪くねぇし、頭も良い」


 額面通りに受け取ることが難しい言葉にアルクゥは眉をひそめる。その反応を機嫌の降下と取ったのかマニは曖昧な笑みで誤魔化した。


「このふざけた状況が終わったら自由に外を歩けるんだよな。お前らも拠点に帰れる」

「そうですが、今のは何ですか」

「いや……別に何でもねェよ」


 空気の匂いを嗅いで「曇り後晴れ」とマニは予報する。

 月のない夜はあと一日にまで迫っていた。

 そろそろ頃合いかという予想通りにその夜アルクゥとマニはヴァルフたちに呼び出された。そこで一通りの準備は整ったという簡単な報告と、アルクゥらには拠点の中で見張りを頼みたいという頼みごとを受ける。


「日没と同時にお前に似せた格好のトゥーテを拠点の前に置く。他は拠点の中か、周囲で囲むように待機だ。戦力は俺と、そっちの王都組と、デネブの騎士団から腕の立つ者が三十。罠だった場合の脱出手段としてメイのおっさんが同行する」

「よくそんな人数の許可が下りたね」

「騎士団長には山ほど貸しがあるからな」


 ヴァルフは凝った首を解すように手を当てる。少なくとも穏便に進んだ準備ではなかった様子だ。


「まあ単純な話だ。女が現れても魔物が現れても別の何かでもすることは同じ。お前たちは俺たちの目に映らないものが来たら合図してくれるだけでいい」


 手を汚す役回りからは程遠い。アルクゥは少し迷いながらも頷いた。前に出て万が一女を手に掛ける段になって躊躇うかもしれない。それは人殺しを忌避するマニも同様だろうと目を向けるも、マニは意外にも異論を上げた。


「一ついいか家主。そっちの魔眼野郎でも囮のねーちゃんでもいいが」

「何だ?」


 質問を受けたヤクシにマニは体を向ける。


「敵はアルクゥとそっちのねーちゃんを見間違うもんかね。アルクゥのふりは二度目なんだろ? 敵だってそれほど間抜けちゃいねぇと思うぜ」

「では馬鹿正直に護衛対象を敵前に晒せと? ありえんな。一度目の失態を繰り返してまたそれが連れ去られたらどうする」

「いいや。アルクゥに出ろとは言わねぇよ。俺が拠点の外で待つ」


 これに声を上げようとしたアルクゥをヴァルフが止める。ヤクシは顎を引き上目にマニを見上げた。


「貴様が?」

「一人だと逆に不審に思うだろ。それに俺だって聖人サマだぜ。敵もそれを知っている。んでもって俺は姿を隠さねぇ。この髪は目立つからな。俺が近くで見張っていれば、囮のねーちゃんは少なくとも不意打ちや何かでやられることはねぇ」


 ヤクシはユルドとトゥーテに意を問うような眼差しを向け、最後に三白眼を細くしているヴァルフを見遣る。


「同居人がこう言っているがどうする」

「本人次第だ。……マニ、本当にやるのか。敵は逃がせない。わかっているのか?」


 ヴァルフの確認にマニは躊躇もない。潔すぎる決断に危うさを覚えたアルクゥは今度こそ声を上げた。


「待ってください。マニがそうするなら私も」

「貴様は出しゃばらずに裏方にいろ」

「ですが」


 短い髪を揺らして言い募るアルクゥをヤクシは両断する。


「幽世とやらは魔術が使えないのだろう。そうなれば貴様はこの中の誰よりも弱い」

「……そんな私にあっさり刺されたのはどこのどなたでしょうね」


 初対面時の出来事を俎上にのせるもヤクシは眉間に皺を寄せただけで黙殺を返した。その後、アルクゥは解散となったその場で部屋を出ようとするマニを捕まえる。


「何のつもりですか」

「心配すんなって」

「マニ」


 尚も立ち去ろうとするマニの肩を強く引く。振り払うことなど容易だろうに、マニは足を止めて振り返り逆にアルクゥの両肩に手を置いた。間近にある橙色の目が陽のような深い熱を燃やしている。


「俺はこうすべきなんだ、アルクゥ。心配すんな。俺は今度は間違わねぇ」


 何の話をしている。不安を募らせるアルクゥの背中を二回叩いて行ってしまった。

 そして月のない夜が訪れる。


 

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