EP 2
S級調査団の密かな潜入
ルナミス帝国が誇る隠密部隊『影の手』。
そのリーダーであり、S級エージェントの称号を持つ男・カイトは、ポポロ村の境界線に立ち、かつてない緊張に冷や汗を流していた。
「……各員、気を引き締めろ。ここから先は、一晩で一個大隊の戦意を喪失させた『謎の聖者』が支配する未知の領域だ。どんな高度な精神操作魔術が仕掛けられているか分からん」
カイトの背後には、獣人王国の精鋭斥候、アバロン魔皇国の暗部諜報員も潜んでいた。三大国が一時的に手を組み、ポポロ村の「正体」を暴くために送り出した、マンルシア大陸最高峰の調査団。
彼らは、重厚な要塞や、あるいは神々しい大寺院がそびえ立っている光景を予想していた。
だが、彼らが村に足を踏み入れて最初に目撃したのは――。
「……あ、あったぁ! 奇跡の『半額シール』が貼られた人参パンですぅぅ!」
道端のみかん箱の上で、ボロボロの芋ジャージを着た少女――海中国家シーランの王女、リーザが、パンを抱きしめて地面にのたうち回る姿だった。
「……なんだ、あの無残な姿は」
カイトは絶句した。
「あれは……シーラン国のリーザ姫ではないか? なぜあんな薄汚れた格好で、地面に落ちたパンの如きものを拝んでいるのだ。……待て、もしやこれは高度な『擬態』か!?」
「……あ、リーザちゃん。またそんな所で一人パチンコ打った帰りみたいな顔して。ほら、ハジメが新作の『人参サラダ』作ったから帰るよ」
そこに現れたのは、ラフなパーカー姿の兎耳少女、キャルルだ。
彼女は何気ない動作で、脱水機代わりに**『ルナミス帝国軍の魔導戦車の砲身』**を抱えていた。
「おい……あの魔導戦車、我が軍が誇る最新鋭のやつじゃないか?」
帝国の工作員が震える声で呟く。
「それを洗濯物を絞るための道具に……? どんな膂力だ。やはりここは、化け物の巣窟か……!」
調査団に走る戦慄。
彼らの目には、住人たちの「だらしない日常」が、すべて敵を油断させるための高度な心理トラップに見えていた。
「……報告にあった『聖者』はどこだ。この村の中央に、もっとも濃密な魔力を放つ場所があるはずだ」
カイトたちは気配を殺し、村の最奥へと潜入する。
たどり着いたのは、一面に広がる美しすぎる黒土の畑だった。
「……あそこだ」
畑のど真ん中。
一人の男が、黙々と鍬を振るっていた。
派手な鎧も、聖職者の法衣も着ていない。ただの頑丈なワークウェア。左腕には武骨な腕時計。
だが、カイトたちはその場から一歩も動けなくなった。
「……な、なんだ、あの構えは」
ハジメが鍬を下ろす。その動作には、一切の無駄がない。
合気道、幻の十段。
天地の理と完全に調和したその動きは、見る者が「達人」であればあるほど、その恐ろしさが理解できてしまう。
(一隙もない……! 鍬を振るうたびに、大地の氣が龍のようにうねっている……! あれが聖者か? いや、あれは――『武の神』そのものではないか!?)
ハジメがふと、鍬を止めて空を見上げた。
「……ふぅ。いい風だ」
ハジメが胸ポケットから『キャスター』を取り出し、ブックマッチで火を点ける。
――シュッ。
素朴な音が、静まり返った畑に響く。
その瞬間、少し離れた場所にいた龍魔呂が、建物の影からスッと現れた。
「……ハジメ。また新しい畝を作ったのか」
「ああ。龍魔呂か。新作の漬物のために、少し土を寝かせておきたくてな」
二人の25歳(自称)が、並んでタバコを吹かし始める。
バニラの香りと、マルボロの重い香りが混ざり合う。
(あっちの黒い男……あの『気配』、間違いない! 暗黒街で恐れられた死神、DEATH4だ!! なぜ伝説の処刑人が、あの農民の横で大人しくタバコを吸っている!?)
カイトの心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。
三大国を震え上がらせた弁当の主。その横に控える、最強の守護者。
「……撤退だ。今すぐ撤退しろ」
カイトは、声を押し殺して命じた。
「ここは聖者の村ではない……『世界を終わらせる力を持つ隠者たち』の休息所だ。触れてはならん、絶対に……!!」
調査団は、ハジメが「今日も良い大根が引けそうだ」と穏やかに微笑んだのを見ただけで、尻を巻いて逃げ出した。
「……ん? 今、森の奥で何かガサガサ言わなかったか?」
ハジメが煙を吐き出しながら、不思議そうに森を見る。
「……野ウサギでもいたんだろう。気にするな」
龍魔呂が、逃げ去る工作員たちの背中に一瞥もくれず、冷たく言い放った。
「そうか。……さあ、夕飯の支度をしよう。今夜はリーザが『肉の特売』に勝ったらしいからな」
「……ああ。期待している」
ポポロ村の平和は、今日もまた、ハジメの無自覚な威圧によって守られていた。




