第二章『禁断の糧食と三大国の揺らぎ』
戦場を止める「弁当」の噂
ルナミス帝国、最前線。
鉄と魔法の硝煙が立ち込める泥沼の塹壕で、帝国軍伍長のブラッドは絶望していた。
目の前にあるのは、帝国軍の誇る『一〇〇式戦闘糧食・第1型(L缶)』。
中身はギトギトの脂が浮いた「豚神風アブラ飯」。闘気を無理やり引き出すための高カロリー爆弾だが、一ヶ月も食べ続ければ、魂が中から腐っていくような感覚に陥る。
「……クソ。またこれかよ。死ぬ前に一度でいい、まともな飯を食いたかったな」
ブラッドがプルタブに指をかけた、その時だった。
「……シュッ、お仕事中失礼しまっせ、旦那」
音もなく背後に現れたのは、猫耳の紋章を胸に刻んだ『ゴルド商会』の行商人だった。
「商会だと? こんな最前線に何の用だ。死にたいのか」
「ええ商売人は、客の空腹が一番の商機や思いまんねん。……これ、ポポロ村からの新商品。金貨3枚(3万円)になりまんな」
行商人が差し出したのは、漆黒の魔導重箱。
ポポロ村特製戦闘糧食・第1号――通称『PRO型』。
ブラッドは震える手で、なけなしの金貨を差し出した。
蓋を開けた瞬間。
「……なんだ、この香りは」
硝煙の臭いが一瞬で消えた。
そこには、純白の輝きを放つ『サンライスの塩むすび』と、黄金色に透き通る『月見大根の漬物』、そして小さなスキットルに入った太陽芋の焼酎が鎮座していた。
ブラッドは夢中で塩むすびを口に放り込んだ。
「――っ!?」
衝撃が走った。
米の一粒一粒が舌の上で踊り、優しく解ける。
噛み締めるたびに溢れ出す圧倒的な生命力。それを引き立てる、完璧な塩加減。
続けて漬物を齧れば、パリッという快音とともに、大地の旨味が脳を直撃した。
「……あ、ああ……俺は、何をしていたんだ」
ブラッドの目から、大粒の涙が溢れ出した。
闘気を絞り出し、人を殺すための力に変える日々。
だが、この飯を食った瞬間、身体に満ちたのは闘気ではなく、純粋な「充足感」だった。
「……故郷の母ちゃんに、会いたいな」
同じ頃。
対峙していたレオンハート獣人王国の陣地でも、同じ現象が起きていた。
「……おい、人間共。そっちの食ってる『黄色い大根』、一口よこせ。代わりに俺の『干し肉』をやる」
「……ああ。いいぞ。もう、撃ち合うのは後でいい」
最強の軍隊が、ただの「漬物の音」によって、物理的に戦意を喪失していく。
戦場には銃声ではなく、「ポリポリ、モグモグ」という平和すぎる咀嚼音だけが響き渡った。
「……ポポロ村には、世界を救う『聖者』が隠れ住んでいるらしい」
その噂は、瞬く間に三大国の首脳陣へと駆け巡った。
一晩で戦場を沈黙させた、奇跡の糧食。
それを生み出す男、権田一。
「聖者か……あるいは、兵士を無力化する恐るべき精神汚染兵器の使い手か」
ルナミス帝国の内務卿、オルウェルは冷たく目を細め、精鋭調査団の派遣を決定した。
その頃、当の「聖者(仮)」であるハジメは。
「……ふぅ。雑草の伸びが早いな」
ポポロ村の広大な畑で、ひとり黙々と草むしりに励んでいた。
胸ポケットにはいつものキャスター。
傍らには、自作の備前焼のぐい呑み。
「おーい、ハジメはん! あの弁当、どえらい勢いで売れまくってまっせ! 金貨の山や!」
ニャングルが興奮して算盤を弾きながら走ってくるが、ハジメは真顔で首を振った。
「金はどうでもいい。それより、あの大根……少し漬けが甘かったかもしれないな。次は、もっと月の光を当ててみるか」
ハジメが呟き、ブックマッチでタバコに火をつけた。
シュッ、という素朴な摩擦音。
自分が作った「お裾分けの弁当」が、三大国のパワーバランスを崩壊させ、歴史を塗り替えようとしていることなど、25歳の老成した農民は、微塵も気づいていなかった。




