第37話『繋がる味』
夜。
軽トラのエンジン音だけが、細く続いていた。
助手席に母。
後ろには、空になった箱。
誰も、喋らない。
結果は出た。
でも、終わった感じはしなかった。
いちかは、前を見たまま呟いた。
「……繋がってないって、どこやろ」
答えは出ているはずなのに、言葉にならない。
母が、少しだけ横を見る。
「最初、思い出せる?」
一瞬、思考が止まる。
最初。
――一口目。
あのとき。
『……甘い』
それだけだった。
いちかの指が、わずかにハンドルを握る。
(動いとらん)
胸の奥で、何かが落ちる。
「……待たせとる」
ぽつりと、こぼれた。
自分のいちごは、後から来る。
でも――
最初に、何も起こっていない。
家に戻る。
靴も脱がず、奥へ入る。
棚の上。
父のノート。
何度も開いたページを、また開く。
最後。
そこには、変わらず書かれている。
味 → 菌 → リン酸
そこで、止まっている。
いちかは、しばらく見つめた。
そして。
「……入口、書いてない」
気づいた瞬間、息が詰まる。
父も。
同じところで、止まっていた。
机に座る。
震える手で、ペンを持つ。
ゆっくり。
空白に、書き足す。
――入口
その二文字が、やけに重かった。
翌日。
彩葉の工房。
「入口って、なんなん」
いちかは、迷いなく聞いた。
彩葉は、一瞬も考えない。
「最初の一口を、どう感じさせるかやろ」
当たり前みたいに言う。
「味そのものやない」
いちかの眉が、わずかに動く。
「……どういうこと」
彩葉は、肩をすくめた。
「人はな、“想像”食っとるとよ」
「その想像を、最初にどう作るか」
一歩、近づく。
「でも」
少しだけ、声が落ちる。
「嘘ついたら、繋がらん」
胸に、刺さる。
次は、澪のラボ。
「後から来るなら、最初に伏線いるよ」
紙に線を引く。
入口 → 中盤 → 余韻
「今のいちかは、ここだけ強い」
指が、余韻を指す。
「繋げるなら、“最初に仕込む”」
淡々とした声。
でも、逃げ場はない。
畑。
調が、土を掴む。
「入口は、土で決まる」
さらりと言う。
「最初に出る味は、表面の水と糖」
いちかが、土を見る。
「余韻は中」
少しだけ間。
「繋げるなら、“層”」
仁花の畑。
一粒、かじる。
「……分かりやすい」
最初から、強い。
迷いがない。
仁花が笑う。
「最初から殴っとるけんな」
肩を叩く。
「遠慮すんなや」
夕方。
一人、畑に立つ。
空が、赤く染まっていく。
(入口で、嘘つかん)
(でも、待たせん)
ゆっくり、息を吸う。
(最初から、繋げる)
しゃがみ込む。
一粒、取る。
食べる。
「……あ」
最初。
ほんの少し、引っかかる。
違和感じゃない。
“何かが始まる”感じ。
そのあと。
すぐに、広がる。
そして――
残る。
流れが、切れていない。
いちかは、ゆっくり息を吐いた。
「……まだやった」
分かる。
繋がった。
でも、完成じゃない。
それでも。
確かに、一歩進んだ。
顔を上げる。
夕焼けの向こう。
遠くを見る。
「次は、届かせる」
小さく。
でも、はっきりと。
「最初から最後まで」
風が、畑を抜ける。
味は、最後に残る。
でも。
最初に触れなければ――
届かない。
入口から、余韻まで。
全部、繋げる。
それが――
「うちのいちごやけん」
夕焼けが、ゆっくり沈んでいく。
まだ、途中の色。
でも。
確かに、前に進んでいる。
――完。




