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第十一章 図書館と鰻


   





 辰子たちが仕事に行くのを見送って、三人は賀上家を出た。

 宝が埋められているという東寺に足を運んだ後、涼と彼方は河原町へと足を延ばした。この界隈は京都の中心で、デパートや有名な喫茶店などが建ち並んでいる。

 古都のイメージとはまた違った現代的な空気を感じながら、彼方はまっすぐに涼をある店へと連れて行った。

 ここは必ず来たいと思っていた鰻料理の専門店だ。宝探しに時間を割かれたので諦めようと思っていたが、京都滞在を延長したおかげで来店できた。

 まだ昼前だというのに店内は満席に近い。それだけここの鰻は美味いのだろう。かろうじて空いていた窓際の席に着き、二人は鰻づくしのメニューを手にとった。

「先輩も一緒に来ればよかったのにな」

 彼方の言葉に、涼は顔をしかめて何度も首を横に振った。

「来なくていい。あの男は騒がしすぎる」

「まぁ、そうだな」

 賀上とは東寺で一旦別れた。宝が眠っていると思われる南大門を離れがたかったらしく、どんなに説得してもそこから一歩も動こうとしなかったのだ。その背中は掘り出せない宝に未練たっぷりで、哀愁どころか悲壮感まで漂っていた。

「賀上の奴、まさか本当に南大門の下を掘ったりしないだろうな」

 賀上が暴挙に出るのではないかと、涼は本気で心配しているようだ。

「賀上先輩もさすがにそこまでバカじゃないだろ。……っていうか、どこまで信用してないんだよ、あの人のこと」

「調子のいい奴は信じられない」

 真顔の涼に彼方はふき出す。彼には賀上の存在がよっぽど重荷だったらしい。人嫌いとかそういう問題ではなく、単にフィーリングが合わないのだろう。

「俺が悪かったよ。もう強引に誰かを同行させたりしないから」

「それはもういい。お前も何度謝れば気がすむんだ。そんな性格だから大昔の恩をいまだに返そうなんて……」

「え?」

 ハッとした表情で、涼は口をつぐんだ。

「大昔の恩って……」 

 涼の言う大昔の恩とは、なんなのか。考えなくてもわかる。

 けっして忘れてはいけない大恩だ。しかし、涼は彼方がその恩を返したいと思っているのを知らないはずだ。もし、彼が彼方の気持ちを認識しているとしたら、心当たりは一つしかない。

「お前……病院で俺たちの話を聞いてたな?」

「なんのことだ?」

「ごまかすなよ。俺と賀上先輩の会話を聞いてただろう」

「……」

 涼は否定をしなかった。一気に彼方の顔が熱くなる。あの恥ずかしい台詞をバッチリ聞かれていたとは。

「嘘だろ……」

 ふと昨夜のやりとりを思い出した。眠りにつく前、謎解きが楽しいかと聞いた彼方に、涼はなぜかおかしな反応をしていた。あの時は、自分の好きなものを好きだと素直に言えないだけかと思っていたが、涼が病院での話を聞いていたのなら妙に照れていたのも納得ができる。

 謎解きが好きだと認めれば、本当はケンカの謝罪をしたかったのだと認めることになるのだから。

 彼方は両手で顔を覆った。恩返しの件は人に語ったりせず自分の胸だけに秘めておくべきだった。彼方の気負いを知って涼が負担を感じてしまったら本末転倒だ。だが、ここまで知られてしまったなら、腹を決めて素直になるしかない。

「でも、まぁ。そういうことだよ……。お前にとって俺はうっとうしい存在かもしれないけど、どうしても放っておけないんだ。恩があるだけだからじゃないぞ、大切な友達だと思ってるから、あれこれ口を出しちゃうんだよ。そこはわかってくれよな」  

「……」

 なんてこっぱずかしい言葉を吐いているのだと思ったが、もう後には引けない。彼方はダメ押しとばかりに続ける。  

「――でも、俺も賀上先輩がいなくなってなんだかホッとした。やっぱり旅行は二人だけの方がいいな。お前のお守りだけしてればいいんだから、気が楽だよ」

「お守りをされた覚えはない」

 涼はフイッと顔を逸らした。

「自覚がないんだか、わかってて否定してるんだか」

 この京都旅行で発見したが、涼は照れると顔や目を逸らす癖がある。表情を注意深く観察すれば、彼の言いたいことはだいたいわかるようになってきた。

「ま、まぁ恩返しの件はさ、俺が勝手に思ってるだけだから気にしないでくれよ」

「気にしてないが……必要ないとは思ってる」

「うん。そうだな、ありがとう」

 昔の嫌な思い出は忘れろと暗に言われている気がして、彼方は目を伏せた。素っ気ない言葉の中に、涼の優しさが垣間見えた気がした。

 そうこうしているうちに店員が注文を聞きにきたので、ネットでお勧めされていたきんし丼を頼むと、涼も同じものを注文した。

「でも、暗号文を取り上げられたから、五文目の続きが解けないな」

「覚えてるから、問題ない」

「そうか……賀上先輩は五文目には興味がないみたいだよな」

 自分たちについてこなかったことからも、賀上が五文目を解読する気がないのがわかる。

「宝しか興味がないんだろ。俗物的な奴だ」

 辛辣な言葉を吐きながら涼は店の坪庭を見つめた。

「お前は五文目に興味津々だな」

「え、当然だろ」

 正直、宝だなんだと騒いでいたときは現実感がないまま賀上に協力していたが、後世に誰かが暗号を付け加えたと知ってからは、意識が変わった。あるかどうかわからなかった宝の暗号よりも、五文目の暗号の方がよほど『謎』らしく思えるからだ。

「え~と、まずどうやって解く? 東寺が要になってくるんだよな」

 彼方は率先してとっかかりを探そうとするが、涼はなにも言わなかった。

「どうした?」

「五文目は解かない……」

「はっ?」

 予想外の言葉に耳を疑った。涼が一番解きたがっていたのは五文目ではないか。なのに、急にどうしたというのだ。

「なに言ってんだよ」

「このまま東京に帰ろう」

「そんな中途半端な! 俺は嫌だぞ。ここまできたら暗号の意味が気になって仕方がないだろ。……お前だって……」

 涼が顔をこちらに向けてじっと彼方の目を見つめてきた。

「俺は興味がなくなったんだ」

「嘘つけ!」

 いったいどうしたというのだ。なにが涼の気をここまで変えてしまったのか。

「おまたせいたしました」

 当惑する彼方をよそに、店員がきんし丼を持ってきた。大きな丸い椀と吸物、そしてお新香がテーブルの上に置かれる。

「……お前、ひょっとして。暗号を解読しかけてるのか?」

「……」

 涼は答えない。彼方はどうしていいかわからず、とりあえずお椀の蓋を開ける。そのインパクトは絶大だった。椀からはみ出す大きな卵焼きは真四角のキレイな黄金色だ。肝心の鰻が全く見えない潔さに圧倒されつつ卵をめくってみると、その下にはこれまた大きくふっくらとした鰻の蒲焼きが乗っていた。

 ネットで予備知識は得ていたが、実物は本当に迫力がある。

「――卵が座布団みたいだな」

「涼、食べ物に座布団はないだろ。せめて巨大な油揚げとか」

 二人そろって情緒のない感想を述べつつ、さっそく箸を割る。卵と共に口に入れた鰻は最高だった。濃厚な卵の風味と脂ののった鰻の旨味が驚くほどよく調和している。

「うまっ!」

 感動した勢いで彼方は二口目を食したが、涼は一向に箸を動かそうとしなかった。

 なぜかきんし丼をじっと見つめたまま、また石になっている。

「さっきから、いったいどうしたんだよ。話を戻すけどさ、暗号に興味を失ったなんて嘘だってわかってるんだよ。解きたくない理由があるなら、ちゃんと……」

「……お前の誕生日」

「え?」

「辰子さんが怒り出したのは、お前の誕生日に話がいってからだった」

「……」

「それまで彼女は、あの暗号文がお前の誕生日に直結してるとは気づいてなかったんだ」

「……どういう意味だよ」

「……あの暗号は解かない方がいい」

「俺に関係してるってことか?」

「……」

 涼はもてあますように卵を箸でつついた。

「――涼、いくら鈍い俺でも気づくよ。思えば、京都に来た理由からして曾ばあさんの源氏物語がきっかけだったもんな。それが『鈴虫』で宝の暗号と繋がってた。その答えが俺の誕生日だ。……お前はさ、暗号を解けば俺が傷つくことになるんじゃないかって気にしてくれてるんだろ」

「……お前が京都で見た誘拐犯も、ひょっとしたら見間違いじゃないかもしれない。だとしたら……悪い予感がする」

「涼」

「そうだ、もっと早く気づくべきだったんだ。京都にまつわる謎は全てお前を中心にして回ってたのに……源氏物語の本。中に挟まれていた宝泉院のポストカード。賀上家からもたされた暗号文。過去の誘拐犯との邂逅。……そして、その誘拐犯と共にいた宝泉院の女性……いま思えば、彼女は特別お前に関心を持っていた」

「……」

「巡り巡って全てが一つに繋がったんだ。この謎を解くのがお前にとっていいことだとはどうしても思えない」

 珍しく饒舌な涼の声が苦しそうだ。彼方はその言葉の一つ一つをしっかりと呑み込み理解し、そして覚悟を決める。

「……俺は大丈夫だよ」

「どうして、そんなことが言える?」

「真実を知りたい方が勝ってるから。そこまで言われたら、よけいに気になるだろ? 怖いからってこのまま東京へ逃げ帰ったら、それこそ一生あの謎の意味はなんだったんだって、もんもんとして過ごさなきゃならない。……言っただろ。俺は最後までお前に付き合うって」

「彼方……」

「それに俺は過去のトラウマを乗り越えたい。とっくに誘拐未遂事件なんて忘れられたと思ってたけどさ、本当はそうじゃない。俺はそれが悔しいんだ。似た男を見ただけで醜態をさらすなんて、もうしたくないんだ。だからさ、協力してくれよ、涼」

「……」

 涼は俯いて卵をつつくばかりだ。

 きんし丼が冷めていくのを見かねて、彼方はちゃんと食べろと促す。

「こんなに美味いのに、もったいないぞ」

「……」

 涼はノロノロと鰻を口に運んだ。彼方は口元を綻ばせて、少し身を乗り出した。

「さて、暗号について見当がついてるなら食べた後に教えてくれよ。お前は俺にとって名探偵なんだから……」

「お前はバカだな」

 涼は箸を置いて、微かに目を伏せた。

「ここを出たら行きたい場所がある」

「行きたい場所?」

「調べたいことがあるんだ」

「……わかった」

 彼方は気が急いたが、絶品のきんし丼をかき込むような無粋なマネはしなかった。



 涼が足を向けた場所は、意外にも図書館だった。

 河原町から近い図書館をネットで調べ、市バスに乗って京都府立図書館にやってきた涼は、さっそく新聞縮刷版の閲覧を申し出た。

 新聞縮刷版とは新聞の原紙を縮小印刷し、約1ヶ月単位で冊子にしたものだ。地元新聞なら、古いものでも残っている可能性があるという。涼はカウンターで平成十二年七月と、念のため前後一ヶ月分の新聞縮刷版を受け取り、広めの閲覧スペースの椅子に腰かけた。

「探すぞ」

「探すって何を?」

 説明もしないで探すぞと言われても、なにをどうしていいのかわからない。彼は己の頭の回転が速すぎる自覚がないのだろうか。自分がわかることは他人もわかると思っている節があるので困る。

 涼は説明していなかったのを思い出したのか、鞄から京都地図を取り出した。

「五文目の暗号だが……」

 涼は地図上の東寺を指でトントン叩いた。

「この文は宝が東寺にあると知っている者が書いたと考えていいと思う。でなければ、わざわざ宝の暗号に書き足す意味がない」

「たしかにそうだよな」

 素直に頷く彼方に、涼は続けた。

「それを踏まえた上で『落陽背負いし祖 我が科睨む』の部分に、確信が綴られていると考えていい。――『落陽背負いし祖』とは先祖の宝が眠る東寺が夕日を背負っている……わかりやすくいうと西に背を向けているということだ。つまり、東寺から東の方向になにかがあるという意味になる」

「うん」

「『我が科睨む』は、そのままだ。科とは罪のこと。この二つを繋げると東寺にある先祖の宝が自分の罪を睨んでいるという意味になる」

「罪……」

「簡略するとこうだ、東寺より東に自分の罪があるとこの文は告白しているんだ。ご丁寧に平成十二年の七月十九日という年月日の指定までしてな」

 彼方は喉を鳴らした。この文を書いた人物は先祖の暗号を汚してまでなにを告白したかったのだろうか。 

「だから図書館に来たのか」

 涼が探せと言ったものがなんなのかようやくわかった。

 東寺から東の位置に絞って、平成十二年七月十九日に起こった事件や事故を調べろと言っているのだ。

「よし、さっそくやろう」

 彼方は新聞縮刷版を手に取った。

「その考えだと、七月十九日以降の新聞から調べればいいんだよな」

「ああ」

「OK」

 することがわかれば作業は早い。

 彼方は事件や事故を京都地図と照らし合わせながら、条件に当てはまるものを探していく。

 ふと手が止まったのは、七月十九日の翌日、七月二十日の新聞だった。

 前日の二千円札発行の記事が目立つが、一面になっているのはある事件の顛末だ。彼方はとっさに涼に声をかけた。

「おい、涼。これ……」

 冊子ごと新聞を渡すと、涼は真剣に記事を読み始めた。

「……郵便強盗とは予想以上に大きな事件だな」

 七条大宮で起きた郵便強盗事件だが、この件は強盗だけで終わっていない。紆余曲折の末に予想外の場所に被害が及び、悲劇的な事件へと発展している。

「『初鳴きの鈴虫違えし朱の門』……これは、そう言う意味もあったのか……」

 愕然としている涼に、彼方は全身を震わせた。もし暗号がこの事件をさしているのなら、自分にはとんでもない秘密が隠されているのではないか。

「大丈夫か彼方……」

 涼がチラリとこちらを見た。再び眼差しに迷いがしょうじていたので今さら怖いとは言えなくなった。

「大丈夫だよ」

 記事をコピーするために立ち上がった彼方に、涼がそっとため息をついた。それには気づかぬ振りをしてカウンターに向かう。後ろから、残りの新聞を手にした涼がついてきたので、彼方はあえて明るい声を出した。

「賀上先輩に電話しよう。もう一度、賀上家にお邪魔しなきゃならないよな。特に辰子さんに話が聞きたいだろ?」

「お前はそれでいいのか?」

「お前らしくないな。いいって言ってるだろ」

 彼方は振り返って精一杯の笑顔を浮かべた。

 



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