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第十二章 賀上家の秘密







 玄関先で三人を出迎えてくれた辰子は、彼方の顔を見るなり呆然と立ち尽くした。

「いんでへんかったんか……」

「はい。暗号がすべて解けましたから」

 彼方の言葉に辰子は困惑していたが、どこか諦めたように一度目を閉じると深く頷いた。

「お上がり」 

 たった一言だったが、彼女の覚悟が見えた気がした。遠慮なく家に上がらせてもらうと、茶の間には浩一と京香もいた。

 事情がわかっていない二人は、てっきり東京に帰るものと思っていた彼方たちが戻ってきたので、純粋に驚いている。

「今日、帰るもんやと思うとったわ。どないしはったん?」

「五文目の謎が解けたんで、ぜひ皆さんにも聞いてほしくて……」

 お茶を入れてくれた京香に礼を言いながら、彼方は複雑な気分で眉を下げた。

「それが、けっこう不穏なものだったので……」

「不穏? お宝のことやないの?」

「はい」

 二人のやりとりを耳にした賀上がそっと涼に耳打ちした。

「なんや空気が重たいねんけど……そんな深刻な話なんか?」

 賀上には事情を話していないので、不思議がるのも当然だ。涼の視線を感じたので、彼方は皆に話してもいいと目配せした。

 涼は躊躇していたが、やがて賀上に紙とペンを持ってこさせるとスラスラと五文目を綴り始めた。

「『初鳴きの鈴虫違えし朱の門 落陽背負いし祖 我が科睨む』今朝も述べたとおり、この暗号だけ後から誰かが付け足したものだが、この文の本当の意味を読み解くには彼方に送られてきた源氏物語の本が不可欠だった」

「……宝の暗号と源氏物語の本がつながっとったん?」

「今朝、判明した箇所は『初鳴きの鈴虫違えし朱の門』だった。これは二千円札が発行された年月日を指していた。それをこの源氏物語の本が教えてくれていたんだ。わざわざ鈴虫の巻にポストカードを挟んでいたのも偶然じゃない。ここに意味があったからだ」

「……うんうん。それで?」

 賀上家の人間はちゃんと理解しようとしてくれているのか、何度も頷いている。辰子だけはムッツリとしたまま下を向いているが。 

「この五文目が東寺を示す暗号に付け足されたことを考えると、東寺を基準にして暗号を解くべきだと考えた。そこで文の続きだが、ここまでわかれば続きは至って簡単なんだ。『落陽背負いし祖 我が科睨む』つまり東寺にある先祖の宝が、東方向から自分の罪を睨んでいるという意味になる」

「罪? 罪ってなんや」

 浩一が眉間に皺を寄せた。最初は好奇心で聞いていたのだろうが、罪と聞いて穏やかでなくなったのだろう。

「そこで俺たちは平成十二年七月十九日に東寺から東に絞って目立った事件が起きてないかどうか調べてみた。それがこの記事だ」

 涼は一枚の紙を机の上に置いた。

 図書館で入手した新聞のコピー記事だ。上目使いに記事を見た瞬間、辰子の顔色が変わった。

 やはり辰子は真相を知っている。そう確信した彼方は彼女を注意深く観察する。ここに来る前、涼にそうしろと言われていたからだ。

「平成十二年七月十九日。七条大宮で四人組の郵便強盗があった。逃亡に失敗した犯人たちは、近くの産婦人科に逃げ込み、医師や看護師、そして入院していた妊産婦を人質にとって丸一日籠城。翌日、逮捕されている」

「……なんちゅう事件や。俺は覚えてへんわ」

「そら、あんたは一才やったしな。お母はんはよう覚えてるで。全国的にも大騒ぎやったし、この病院には佳苗はんが入院しとって……」

 言い掛けた京香はハッとして両手で口を覆った。

「佳苗はんが――? そうや。どういうこっちゃ……」

「あの事件をなんで今さら暗号にせなあかんねん」

 混乱したのか京香と浩一が顔を見合わせる。二人にはようやくこの暗号文の重要性が見えてきたようだ。涼は夫婦に構わず淡々と推理を続ける。

「――犯人の籠城中、切迫流産の危険がある妊婦が産気づいた。人質に取られていた医師の手を借りられず、妊婦はそのまま出産。母親は助かったが、生まれたばかりの赤ん坊は死亡した」

「……じゃあ、何か? 暗号の『罪』って……まさか、お前らはその郵便強盗の犯人が賀上本家の人間とかかわりがあるとでも言いたいんか?」

「それは違う」

 賀上の言葉を涼はすかさず否定した。

「犯人たちは全員逮捕されている。もし、賀上本家の人間とかかわりがあったとしたら、警察の手が及んでいるはずだ。それがないということは郵便強盗と賀上本家は、まず関係がないと思っていい」

「せやったら『罪』ってなんやねん」

「この記事の一番最後の文章を見てくれ」

 涼に促されて、賀上は記事に目を落とす。

「え? これって」

 郵便強盗犯が立てこもった南条産婦人科で、赤ん坊が一人亡くなった。その同じ日に同部屋で一人の男児が産まれている。悲劇の中で男児が無事に生を享けられたのは不幸中の幸いだったと記事は締め括られている。

「まさか、この男児って……」

「そうや、彼方君や」

 重々しい口調で浩一が言う。

「佳苗もこの南条産婦人科に入院しとったんや。そこで事件に巻きこまれたんやけど、大変な環境を乗り越えて佳苗は無事に彼方君を出産したんや」

「……今、初めて真実を知りました。この記事を見たとき、そうなのかなとは思ってましたけど……俺はこの病院で生まれたんですね」

 母は、彼方の出生時のことはなにも話してくれなかった。どこで生まれたのかもだ。まさか、ここ京都で生を享けていたとは思いもしなかった。

「ほな、罪ってなんやねん」

「――もう、やめてや」

 賀上の問いに、初めて辰子が口を開いた。

「それ以上は知らん方がええ。あんた、いったいなんやねん。うちらの秘密を暴いて警察にでも突き出したいんか!」

 ワッと泣いて涼を責める辰子の背中を彼方は撫でた。

「俺が知りたいんです。俺には知る権利がある。そうでしょう? おばあさん」

「……」

 強い眼差しで言い切った彼方に、辰子はそれ以上なにも言えなくなったのか、ただ泣くばかりだった。

「――涼、続けてくれ」

 彼方が促すと、涼は小さく「ああ」と返してきた。

「……彼方に送られてきた源氏物語に挟まれていたポストカードには、すべての答えが詰まっていると思う。偶然にも同じ日に同じ病室で生まれた二人の男児。一方は残念ながら死産だった。そして一方は無事に生まれた。このポストカードに描かれていたカンパニュラの花言葉は『守れなかった命』『後悔』だ。……そして暗号文の『初鳴きの鈴虫違えし』だが……」

「ちょお、待てや。それ以上はなんか……」

 賀上の制止を涼は無視した。

「二千円札の発行日を示すだけなら、『鈴虫違えし』の意味は成立しない。これにはもう一つの意味が隠されていると考えている。『初鳴きの鈴虫』を生まれたばかりの赤ん坊と仮定すると、朱の門は母親の産道。つまり、これは赤ん坊の取り換えを意味している」

「――っ!」

 辰子の泣き声が響く中、賀上家の人間は愕然と涼を凝視した。浩一が息を呑み込んでなんとか口を開く。

「あ、赤ん坊の取り換えやて?――ほな、なにか? 涼君は佳苗が本当に産んだ子と彼方君が取り換えられたとでも言いたいんか?」

「それは、辰子さんがご存じじゃないですか?」

「お母はんが、そんな大それたことをしでかしたて言う気か、君は」

「いいえ」

 激昂しかけた浩一に、涼は首を横に振った。

「俺は犯人は辰子さんじゃないと思ってます。暗号文に五文目を付け足した人物こそが赤ん坊を取り換えた張本人です」

「せやったら、お母はんが暗号を書いたかもしれへんやろ……」

「違います。先にも言いましたが、この五文目は先祖の宝が東寺にあることを元々知っている人間にしか書けないんです。辰子さんは宝が東寺に埋められているのは知らなかった。でないと、孫の宝探しをやすやすと許すはずがない。宝の暗号なんて眉唾だと思っていたから孫たちを遊ばせていた。そうですよね?」

 辰子はコクリと頷いた。

「……宝の在処が東寺だと知っていた人物を推測するとしたら、俺は一人しか思い浮かばない」

「まさか……」

「そう。彼方と賀上の曾祖母である雪枝さんだ」

「――っ! ひ、曾ばあちゃんやて?」

「雪枝さんは、年齢的に考えても七代目賀上伝左衛門と直接話せる機会があった。彼女は七代目の孫にあたるんですよね?」

 涼の問いに、浩一が青い顔で答えた。

「せや。祖母ちゃんは七代目の直系や。……確証はないけど、幼い祖母ちゃんに七代目が宝のことを話しとった可能性はある」

「……――だったら、東寺に掛けた暗号文を付け足すのも簡単だ。そして、彼方に源氏物語の本を送ってきたのも雪枝さんです。これだけでも明白ですよね」

「――そ、そう言えば……あの事件のとき、佳苗さんに付き添うてたんはお義祖母ちゃんやった」

 京香が蒼白になって身体を震わせる。

「佳苗さん、体調がずっと悪かったから、里帰りして子供を産むことになってな。うちら女連中が代わる代わる佳苗さんについとったんや。その頃、お義祖母ちゃんはまだ六十代で元気やったから……」

「――あの子は二度流産しとるんや」

 そのとき、辰子がポツリと言った。

 それは彼方も初めて聞く話だったので、驚いた。

 佳苗はもともと子供ができにくい体質だったらしい。妊娠したとしても、流産してしまうので精神的にまいっていたそうだ。新しい子がお腹にできたとき、佳苗は流産を防ぐため出産予定日の一か月前から南条産婦人科に入院していた。そして、あの事件に巻きこまれたという。

「どうも子供に縁のない子でな。……結婚したばかりの頃に初めての子が流れてしもうて……親のうちでも声を掛けられんくらいに嘆いとった。その翌年授かった子も同じや。せやけど、二年後にまた妊娠してな。今度こそは元気な子供を産むんやって喜んどったのに……。――郵便強盗の籠城やて? そんなアホみたいな話があってたまるかいな。……せやけど、事件が終わったとき、あの子は無事に赤ん坊を産んどった。うちは不幸中の幸いやったと……」

 辰子は嗚咽を漏らす。

 医師や看護師を人質に取られ、入院中の妊婦は全員病室に監禁された。ちょうど見舞いに訪れていた雪枝は、自分の孫娘と、もう一人同室の妊婦を守ろうと必死だったという。

 だが、過剰なストレスが体に負担をかけたのか、急に佳苗が産気づいてしまった。

「お母はんは生まれてくる赤ん坊を自分が取り上げたんやて言うとった。……せやけど、ほんまは死産やったんや……」

 冷たくなっていく赤ん坊を抱いたまま、雪枝は途方にくれたという。また子供を亡くしたと知ったら、佳苗はどうなってしまうのだろう。生きていられないのではないか。

「そんな時に限って、悲劇の連鎖は続くんや。監禁された病室で、同室の妊婦さんも産気づいてしもうた。お母はんは彼女の赤ん坊も取り上げたようやけど、重い妊娠中毒やった母親は生死の境をさまよう大事になってしもうて……」

 ……自分の孫娘の赤ん坊は死に、意識不明の他人から産まれた赤ん坊は生きている。偶然にしても悪魔が差配したとしか思えない筋書きだ。

「あなたが事件の裏にある真実を知ったのは、お母さんが亡くなる直前ですか? あなたは子供が産まれてから佳苗さんが京都に寄りつかなくなったので怒っていたと彼方から聞きました。佳苗さんが帰れない理由を知らなかったから怒っていたんでしょう? 真実を知っていたら、娘の不義理に文句は言えないはずだ」

「その通りやわ。あんたはなんでもお見通しやね」

 それは涼に対する嫌味にも聞こえたが、本心からの賛辞だったのかもしれない。

「お母はんのガンが発覚して、もうベッドから出られんようになった頃やったかな……うちはお母はんに全てを打ち明けられたんや。子供を取り換えてしもうたて」

「――っ」

 彼方は唇を噛んだ。予想できていたが、こうまではっきりと真実を告げられると、自分の足元に大きな穴が開いたような錯覚に陥る。

 自分は、古城彼方ではない。愛する両親の本当の子供ではなかったのだ。根本的なところでアイデンティティが崩壊してしまった。

「……っ」

 言葉が出せない。涼には大丈夫だと言い続けていたが、本当のところで覚悟ができていなかったのかもしれない。

「彼方。あんたにはほんまに申し訳ないことをしました」

 辰子は突然、その場に土下座した。

「うちは、お母はんに真実を聞かされて、当時、同室やった女性のことをいろいろ調べてみたんや。佳苗から同室の妊婦さんが看護師さんやって聞いとったし、そうでのうてもあんな事件に巻きこまれた人やから有名人やろ? 探偵にお金を出せば居場所はすぐに調べられた」

「看護師……」

 ドクンと心臓が跳ねた。

 最近、京都で出会った元看護師の女性が思い浮かぶ。

「宝泉院の……」

「そこまでわかっとるんか。そうや、うちは彼女が勤めとった病院から辿って、宝泉院まで辿り着いた。それをお母はんに話すと、宝泉院に行ってくれいうて頼まれてな」

「……そこでポストカードを?」

「……お母はんに頼まれたんや。せやけど、まさかあんたにあんなものを送っとるやなんて思いもせんかった。……お母はんはずっと自分の罪を悔いとったんかもしれへん。あんたに真実を知ってほしい気持ちがどこかにあったんやろうな。せやけど、暗号文はうちにあるから、まさかほんまにあんたらが謎を解いてしまうなんて思いもせんかったんやろ」

「……」

 彼方は辰子に顔を上げてくれとは言えなかった。

「曾お祖母さんは……本当はご先祖様に罰してほしかったのかもしれませんね。だから先祖の宝の暗号に自分の罪を告白したんだ」

「――」

 低い声で彼方が言うと、辰子はハッと顔を上げた。目を見開いて凝視してくる彼女から彼方は顔を逸らす。

 宝泉院のあの女性が、自分の本当の母親だとしたら、どうして彼女は誘拐犯と一緒にいたのだろうか。それに……

「そもそも、古城の両親はこの件を知ってるんですか?」

「わからへん」

 辰子は緩く首を横に振る。

「――少なくとも佳苗さんは知っていたはずだ」

 変わって涼が答えてくれた。

「東京から実家の京都に帰って出産するほどだ。元々家族仲はよかったはずだ。それがお前を産んだとたん、一切帰郷しなくなったんだ」

「後ろめたくて、帰れなかったのか」

「それもあるだろうが、本音は京都が怖かったんだろうな。京都にはお前の本当の母親がいる。できるだけ遠くにいたいと思うのが心理だろ」

 明確な指摘だ。彼方はどこかおかしくなって、肩を揺らした。

「じゃあ、父さんは?」

 もし父が知っていたとしたら、あの人は全てを承知で自分を育ててくれていたことになる。知らなかったとしたら、それはそれで怖い。今後、親子の縁を切られるかもしれないのだ。

 それは、どうしてもいやだった。

 知らず、彼方の目から涙がこぼれ落ちた。幸せだった家庭の全てが偽りに思える。

「彼方」

 涼が優しい声音で言った。

「大丈夫。お前の父親も全てを知っていたはずだ。知っていて尚お前を大事に育ててくれた」

「どうして、わかるんだよ」

「わかるよ、俺はお前の名探偵なんだろ」

「涼……」

「嘘だと思うなら、確かめてみればいい」

 ただの慰めだと思ったが、涼にはそれなりの根拠があるようだ。

「確かめるって親父に?」

「いいや。本当の両親にだ」

 彼方は言葉に詰まった。そこに踏み込む勇気はまだ持てない。

 本当の両親に会っていいのだろうか。そもそも、彼らは死産した子が生きているのを知っているのだろうか。

 いろいろ疑問はあったが、涼は「笹木さんと連絡がとれるだろ?」と言ってきた。彼を通して宝泉院の女性と連絡をとれという意味か。

 彼方はポケットからスマホを取り出した。登録された番号をタップしようかどうか迷っていると、なぜか涼がスマホを隠すように手を覆ってきた。

「待ってくれ。――悪い。俺も迷ってる。焦って言うべきことじゃなかった。……お前の父親が真実を知っている可能性は高い。だけど、それを知るとお前がまた傷つくかもしれない。やっぱりやめた方が」

「……」

 言うことがコロコロと変わる涼に、彼方は面食らった。彼には何か見えているのだろうか。

 涼も自分の推理と真実の間で翻弄されている。そして、なによりも彼方の心を大事に思っていてくれるからこそ、最良の方法がわからないのだろう。

「涼、何が引っかかってる?」

「小学校三年のときの誘拐……」

「誘拐?」

「……過去の誘拐犯と宝泉院の女性が一緒にいたとしたなら……あの誘拐犯はお前の父親の可能性がある」

「――っ!」

「あくまで可能性だが。……だとしたら……。七年前の誘拐未遂が大事になってないことが気になる。お前の母親はともかくとしても、父親は取り替えの事実を知らなければ騒ぐだろ? それがなかったのなら、ひょっとしたら古城の両親は……犯人と……」

 涼は必死に言葉を選んでいるが、それでも言い憎いのか口を閉ざしてしまった。

「わかったよ、涼」

 彼方は苦悩している涼を見ていられなくなった。自分でも驚いたが、こんな状況でも涼が困っている顔は見たくないのだ。

「知らないでいるのは幸せなのかもしれないよな。――真実を暴くのは簡単でも、その先に見えるものによっては、もっと苦しい思いをするかもしれない……それでもさ、やっぱり俺は……」

 彼方は自然と笑みをこぼした。単純に普段の調子を崩している涼がおかしかった。

「……」

 彼方は涼の手の下で液晶をタップした。コール音が耳を離していても微かに聞こえてくる。

「彼方」

「会うよ、俺。……本当の親に」

 決意を込めてそう言うと、涼の手がゆっくりと離れていった。

 家族の秘密を知った賀上たちは呆然としている。そんな彼らを一人ずつ見ながら彼方はスマホを耳に当てた。

『――もしもし。彼方君か? 嬉しいなー。電話してくれはったん?』

 機械を通して聞こえる柔和な声に、一瞬だけ癒やされた気がした。


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