第8話 はじめての夜遊び
よい子は絶対真似しないでね。
「明日は出立だから、ちゃんと寝て体調整えるんだぞ」
部屋の前まで送って着てくれたクラークに、後ろめたさで、目が合わせられない。
気配がなくなっているか探ってから、音を立てずに、扉を開けた。彼がいなくなっていることを確認してまた扉を閉じる。そして、急ぎグレイに渡されたドレスを着た。こんなこと、初めてである。城にいた時は、くどい程に品行方正を言いつけられていた。
他の従業員がいるのだから、特にその必要はないのに、足音をついつい、抑える。そんなことまでも、面白がっている自分がいた。
店の入り口には、グレイが約束通り立っている。いつものように、怠そうに柱に背を預けて。
「よし、ここの制服じゃなくて、ちゃんと渡したドレス着てるな」
一周回るように、指でくるくると合図され、それに従いくるっと回る。
「でも、あの格好が一番、安全なんじゃないの」
目立つと言っていたはずの、ローブを、グレイは何故か私に着せる。自分も、深くフードを被っている。
「お前は、馬鹿だな。こんなお上品な店の人間がこれから行く所に、出入りしているわけないだろ。してたとしても、着替えるに決まってる。それに、女一人で入るところじゃない」
差し出されるので、腕を組む。
外に出てると、こんな夜更けにも関わらず、人気がまだあった。絶対に立ち入るなと言われていた区画に、グレイはずんずん進んで行く。しばらく行くと、煌々と灯りがつけられた店に出くわす。一つではなく、いくつも。女の高い笑い声が、漏れ聞こえていた。
そこを通り過ぎると、今度は、男の罵声がひっきりなしに聞こえてくる。
「いいか、絶対離れるなよ。俺が言う通りに動け。目をつぶれと言ったら目をつぶり、耳を塞げと言ったらそうする。そうじゃないと、すぐ蹴りだすからな」
私は少しドキドキしながら頷いた。
扉を開けると、喧騒が押し寄せた。人の熱気と酒の匂いが充満している。
近寄って着た、やけに露出が多い女にグレイは銀貨を握らせる。
「俺のローブはこのままにしろ」
顔を隠したまま、女の耳元に囁くと、怪しむそぶりも見せずに了承した。そして、私のローブを受け取る。
もらった時は、今身につけているドレスは相当露出が多く、体の線が出るように感じたが、店の中の女は皆、自分より、身につけている布が少ない。比べて、男たちは多く、顔を隠していた。
「この店はな、一見の客は女連れてないと入れないんだ、お前がいてくれて助かった」
「私は子供なんでしょ」
いつも、馬鹿にする彼のセリフを真似すると、グレイは首をひねった。
「そういう趣味の男だと、思わせとけばいい」
人垣を押し分けて進んで行くと、柵の中で殴り合う男が二人。
その二人の動きに合わせ、周りが歓声を上げている。そして、皆が皆、小さい木札を後生大事に握っていた。
「お前、こう言うの見てもビビらないよな。女はこう言うの嫌がるやつ多いんだぜ」
グレイが、周りの怒号に負けないように、大声をあげる。現に、目の前で拳がぶち当たって、頰が赤黒く染まっている。何故だろう、と首を傾げた。確かに、痛そうだとは思うし、自分はやりたくないと思う。
「うーん」
考えながら私も、グレイの耳元で叫んだ。
「これは、本当に殺したいとお互いに思っているわけじゃないからだと思う。ほら、今だって、膝を眉間に当てることができるのに、それをしないでしょ。それに」
「それに、なんだ」
「この人たちより、グレイやクラークの方がよっぽど、早いし強いの知ってる」
嬉しそうに笑う、口元を見て、私も笑った。
手を引かれて、一度、人の輪から出る。少し喧騒が遠のく。柵から離れたところに、同じような男が並べられていた。
「オッズが何か知りたいんだよな」
コクコクと頷く。一番先頭に並ぶ男をグレイが指差した。
「いいか、二人の男のうち勝つ方を選ぶ、そんで金を賭ける」
一人は見るからに屈強で、ガタイも良い。もう、一方は背が小さい上に筋肉も小さい。
「どっちが勝つと思う」
聞かれて、私は屈強な男を指した。
「いくら賭ける」
言われて、お小遣いの巾着を開いた。銀貨が一枚と半銀貨が二枚。銅貨が八枚。
「銅貨一枚」
「それじゃ必死になれないぞ。もっと身を削んのがギャンブルってもんだ」
「それじゃあ、半銀貨」
ニカッと笑ったグレイは、次に闘う男の横に立つ、店の人間に近寄った。
「痩せた男に、銀貨三枚」
「銀貨三枚も」
私はビックリして、思わず叫ぶ。促されて私も店の男に、半銀貨を渡した。
「もう一人に、半銀貨」
グレイには黒い線が入った木札を三枚。私には、半分に割った赤い線の入った木札が手渡される。
前の試合が終わったようで、買った方が、両手を掲げて柵から出てきた。負けた方は、自分の足では立てず、引きずられて外に運ばれていた。
「始まるぞ」
お互いに、距離を取りながら、ジャブを打ち合う。早く間合いを詰めろよ、と思い始めた頃、誰がが、同じことを大声で怒鳴った。
大男が、拳を振り上げ下ろした。すんでのところで痩せた男は避ける。また大男が仕掛けるが、痩せた男は避けるだけに止まって、一向に攻撃を仕掛けない。「腰抜けが」と誰かが、叫んだ。でも、ここにきて気づく。本当の腰抜けなら、もっと動きに無駄が出てもいいはずだ。はっとして、グレイを見上げた。彼は余裕な表情で試合を見ていた。
どよめくような声に、柵の中に目を戻すと痩せた男が後ろから、大男の膝を蹴り上げていた。それが決まってから、急に大男は足を引きずるようになった。動きが鈍くなった瞬間、鋭いパンチが何度も顔面に打ち込まれ、強烈な頭突きが決まった。
大男が膝をつき、店の人間が柵の中に入る。
「お前の、半銀貨はもう返ってこない。俺の銀貨は四倍になって返ってくる」
私は鼻息荒く飛び跳ねた。
「どうして」
「どうして、わかったかって。大男、片足だけ、開いていたんだ。あれは怪我をしてる立ち方だ。小さい方は、無駄な筋肉がついていないだけで、最初から弱くはなかった。でも、まあ、俺ぐらいの慧眼は珍しい。大半はお前と同じ大男にかける。そうすると、もし、大男がかったとしても、返ってくる金は四倍じゃない。買ったとしても、もっと安くしかならん」
換金所で、木札を渡し、増えた銀貨を受け取る。私は木札を渡すだけで、何も受け取れない。
「人気がない方に賭けて勝てば、それだけ貰える金はでかくなる。うまい賭け師は、有望な側に決定的な欠点を見つけ、人気のない側に才を見出す」
グレイは苦笑をのぞかせた。
「まあ、俺たちは今、誰もが負けると思ってるってことだな」
「やり方は、わかっただろ」
急にグレイが問いかける。
「う、うん」
「じゃあ、あと二試合くらいやってろ。俺がどこに行くかとか、絶対考えるなよ」
この店に入る前に、言われたことを思い出す。言われたことをちゃんと聞く。素直に頷いた。
「いい子だ」
歓声が上がった方を振り向き、向き直った時には、もう、グレイの姿は部屋のどこにもなかった。
「楽しかったか」
「うん」
数刻前と同じように、与えられた自室まで送られる。
「わざわざ、連れてってくれてありがとね」
あの店に別の目的があったというのはわかっている。そのために利用されたのも。でも、グレイだったら、他の女性を引っ掛けるのだってできただろうに。
「息抜きは必要だろ」
「うん、だからありがと。また明日」
手を振りながら、ドアを開けた。
「よく寝ろよ」
「よく寝れるわけがないだろ」
部屋の中には、怒りを前面に出したクラークがいた。
いやぁ、まずいことになった。
身を削るのがギャンブル、というのは大いなる間違えですよね。
ちなみに私は麻雀が好き。
次話では、クラークとグレイの喧嘩が勃発です。コッカテイルに対するスタンスの違いが明らかになります。まあ、子供の面倒を見るには、彼らも十二分に子供だからね。