第26話 ぼくらのなつやすみ3
旦那が出張中か来客時でないと、割と暇なので、ガキンチョに世話焼くのがちょっと楽しいレイクヤードお姉さん。でも、ワクワクしてるのがバレるとカッコ悪いのでプリプリしています。
ヒールと床がぶつかる音が近づく。
「いつまで寝ているんですか!!」
背の高い女性がカーテンを勢いよく開けた。
視界が一度真っ白に洗われ、日光に目を眇める。ぼんやりと目脂でひっ付いた目を開ける。細い人影が映り込んだ。
「うぅん」
寝返りを打ち、窓から顔を逸らす。
「もう、グレイさん」
上掛けを引っ張られ、また窓側に顔を向けられた。徐々に焦点が合う。
「もう、お父様が帰った途端、だらしのないこと」
きちっと髪を纏め、今日もシンプルなドレスを身に纏っている。
「レ、レイクヤード夫人?」
「そうです、あなた方のお家は乳母が優しく起こすのでしょうし、そうでなくても家臣が余っているでしょうが、この家の者は少ない上に朝から忙しく働いていますからね。あなた方の世話をできる手の空いた人間は私ぐらい。我慢してください」
よく口が回る。上体をゆっくりと起こしてギョッとした。ワンピース型の寝間着のせいで、自分の下着が丸見えに……。急いで上掛けで足を隠した。そんな機微を気にもせず、レイクヤード夫人はテキパキと部屋を出て行った。隣の部屋からクラークに対する同じような呼びかけが聞こえてきた。
度肝を抜かれた。この屋敷から、父達が居なくなってからの日々はこうして始まった。
朝食までに急いで服装だけ整えたが、髪を整える時間はなかった。
家では朝食もダイニングで摂るが、キッチンのカウンターに案内される。バタバタと降りていくと、遅れてクラークもやってきた。寝ぼけ眼かつ自分と同じく寝癖のまま。二人揃って、突っ立った前髪を直らないとわかっていながら何度も撫で付けている。
「おはよ」
「ん」
クラークの挨拶に同じ言葉を返すほどまだ目覚めてない。
「なんで、ダイニングで食べないんですか」
何気ない問いかけに、自分は朝食を食べ終えているはずの、やることもないだろうにキッチンでうろうろしている夫人がキュッと振り返った。
「お寝坊のせいです、旦那様と同じ時間に起きてくだされば、きちんと給仕を受けて食べていただけたのに」
「でも、奥様もよくキッチンで……」
「うっ、ぅううん。そんなことはどうでもいいの。よろしいですか、お二人とも、この屋敷に遊びにきたのでは無いですからね」
ユリアの言葉を遮りぷりぷりと怒る夫人に、クスッと悪戯心が擽られた。
牛の乳の中に乾燥穀物やフルーツを入れたボウルに直に匙が刺されている。配膳の簡易さには少し驚くが、食材は新鮮なのだろう。味はよかった。
「オレンジジュースは眼が覚めるんですよ」
ユリアにグラスを差し出される。香りに誘われて飲み込むと、言われた通り、酸味と甘みに不思議と背筋が伸びる。
目も覚めて、匙を運ぶ速さが自ずと早くなる。キッチンも湖に面しているため、勝手口の横を大きく窓に取ってある。開け放たれた勝手口からの風と、朝日に煌めく湖を眺めながら、空腹に任せて乱暴に咀嚼した。
「すんっ」
横から鼻を啜る音が聞こた。並びぼクラークに目線を投げると眼が潤んでいる。
「なんで泣いてんだよっ」
考えるより前に、おののく。
「覚えていないはずなんだけど、生家でもこうやって母上に起こしてもらって、キッチンで朝ごはんを食べた気がして」
「はぁ?」
「ごめん、ここに来てから感情の起伏が」
泣きながら、おいしい、おいしい、と匙を口に突っ込むクラーク。
「おいおいおいおい」
気持ち悪りぃやつだな。引き気味の姿勢のまま、なんて声をかけていいかも分からないので、残りの朝食を口に詰め込んだ。
今日の午前中は舞踏会に参加する際のマナーとダンスの練習。テーブルマナーなんかは生活に密着しているから否が応でも覚えるけれど、こういった祭事のマナーは教えられる機会でも無いとなかなか触れられない。
「あっ、すいません」
クラークと夫人が大広間でステップの練習をしている。度々、足を踏んではクラークがヘコヘコと頭を下げている。
「あ、あっ。ごめんなさい」
再開してまた今度は躓いたかなんかで縮み上がっている。
「もう、もう少し自信を持って。胸を張って。足元ばかり見ていると」
「わっ、すいません」
注意されるが否や、またもやクラークの足がぶつかった。
ダンスなんて女に密着すること、何が楽しいのか、早く外で剣の稽古でもしたい。
本当は先にステップの練習をと言われたが、急に気恥ずかしくなって、クラークに押し付けた。
「少し、休憩にしましょう。あとで一人でしっかり復習なさってください」
ポケットに手を突っ込み、椅子でふんぞり返っていると、夫人が俺を振り向く。
「ほら、次はグレイさんでしょう」
手を握り彼女の背をもう片方の腕で支える。
「ワン・ツー・スリー・ワン・ツー……」
体を動かす類のことなら、しばらく見ていればやるべきことは大体理解できる。クラークは足でやることだと思って、足元を凝視しているから上手くいかない。むしろ、体幹にミソがあると予想を立てていた。
相手の体を上手く誘導するのだ。相手の足を自分の次のステップに移動させないように導けば、踏むなんてことはない。
彼女が止まるのも、彼女を支える手がお飾りでなければ感じることは難しくない。
足を止めて、彼女に向かってニヤッと歯を見せた。
「悪くないでしょう」
驚いた表情のまま彼女は頷いた。俺は手を、露骨にパッと離す。
「初めて……なのよね」
「ええ、もちろん」
慇懃無礼なお辞儀をした。
まあ、俺にやってできないことなどない。クラークにふんと鼻をならした。
「どうしたら、上手くなれるんだろう」
暇を持て余して隣部屋、ベッドに勝手に上がる。
一人で、フォームとステップを確認するクラークを尻目にベッドサイドに置いてある本をつまんだ。広い紙面いっぱいに字が踊って一ミリも読む気になれない。
「公が貸してくれたんだ。『東南ハイケーン開拓史』。書き手によってだいぶ雰囲気が違うんだけど、それは文体がシンプルで読みやすかった。確か、ザカライアス・プリースリード著」
「ふーん」
「彼は歴史学者にしては文体が物語調なんだ。この手の本は事象の羅列ばかりで把握が難しいものが多いんだけど」
「いいよ、興味ないし」
「そうかな、でもこの領地の支配階級であるなら一度くらい読んでおかないと元々ハイケーンは農耕民族だったんだというのを頭に置いておくだけで、この国の地理も歴史もだいぶ理解がしやすくなったよ」
「どうせ、騎士学舎でそのうち課題図書になるだろ。俺はそん時でいい」
面白いのに、そう漏らして、クラークはまた床を踏み始めた。
数日後、レイクヤード夫人はクラークに対してだけ感嘆の声をあげた。俺にではない。
「とても、お上手です」
くるり、くるり、と足を踏む危うさなく滑らかに。
「きっと、お心を人に寄せるのがお上手なのね。とっても柔らかくて、優しいエスコートですこと」
褒められて、クラークは照れながら頭を掻いていた。俺は、苦い顔をした。
面白くない。先に上手かったのは俺の方だろう。いつものように、ふんぞり返りながら、足を小刻みに揺すった。まだ、二人で仲よさげな言葉を交わしている。
ついに我慢ならなくなった。今日は呼ばれる前に、席から立った。ツカツカと歩み寄り、夫人の手をクラークから掠め取る。
「俺の番ですよね」
いつものように、そつなく、ステップを踏む。
「グレイさん?」
レイクヤード夫人は呆気にとられていた。それはそうだ。相手のことなど一分も伺わずにステップを踏んだのだ。
以前、父が母と踊っているのを見たことがあった。母の腰を支え、ターンに合わせてリフトをするのだ。体は鍛えている。このくらい。俺にだって。
なんの脈絡もなく、夫人の腰を掴んで持ち上げた。クラークより派手なことをしなくては、それしか頭になかったのだ。
「きゃっ」
気がついた時には夫人が尻餅をついていた。クラークの方が遠くにいたのに、次の瞬間には駆け寄っている。
「大丈夫ですか」
「ええ、ただ転んだだけですし」
当たり前のように彼女の手を握るクラークに、言語化できない怒りが湧いた。
「なんで、なんで、先に上手く出来たのは俺の方じゃないですか。なんで、そんな不器用なやつが褒められるんだよ」
「なんてこと言うんですか!」
夫人の声に、頰を打たれた。
こんな気持ちになったことはない。三人しかこの部屋にはいないのに、ホール一杯に人がいて、その全員に陰口を叩かれているような、気分だった。
「あなたがやっているのは、ダンスではありません」
「確かに最初から、そつはなかったです。でもそれは踊れていることではありません。相手を思いやることができなくて何が社交ですか」
それほど、正面から否定されたことない。自分はダンスができているようにしか俺には捉えられないから、悪い部分がわからないから、なおさら。
「クラークさんは私の呼吸や表情をきちんと見て下さっています。あなたはお互いの足がぶつからない様に避けているだけ。本当に私と踊ってくださる気があるのなら、さっきみたいに同意のない相手の手を無理やりひっ摑んで、相手の気持ちも考えずに腰に触れたりしません」
一息に叱って、夫人の肩は上下していた。
「今日はもう、終わりです。剣の稽古でもお好きにどうぞ」
ホールから出て行く夫人と、立ち尽くす俺、両人を見て結局俺にクラークは駆け寄ってきた。
「グレイ?大丈夫?」
なんで、こんな奴に心配されなきゃなんない。
「うるせぇ」
発したあと、口の中が苦かった。
夏休み、終わりましたね。
だけど過去編は続く。




