第22話 搾乳
クレア編連続です。
話の勢いが少し出るので、ここから視点が2話、3話ずつ連続します。
うし、大好き。発情期の乗りかかり以外はまじカワイイ。
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ほとんど落とすように桶を地面に置く。ガシャンと派手な音があたりに反響した。音に反応して、檻の中の犬が吠える。逃げたらこの犬が匂いで追うのだと、脅された。空の桶を二つ重ねただけなのに、ものを持つのが苦痛だった。
血が滲んでも、替えの衣がないから、肩口の布で血が固まり、芯が通ってしまっている。
「ごめん、ごめん、起こしちゃったね」
弱く謝りまた桶の取っ手をとる。まだ抜糸の済んでいない傷が鋭く痛み、取っ手から指を外した。
「はぁ」
脂汗をぬぐい、桶にまた腰をかがめる。横から掠める影があった。
「遅い」
「ネイサン」
先を行く少年を見上げる。息をついて後を追った。第一朝が早すぎる。夜に数えていいくらいだ。
陽がまだ登りきっていない。青く染まった世界。四輪荷台に牛が乗っている。荷台には仕切りがあり、荷台の端に牛を閉じ込めるように仕切ってある。仕切りの反対側には、子牛がウロウロと母に首を伸ばしていた。
ネイサンは桶を下ろし、私を振り向く。褐色の肌、薄い色の髪。感情の読めない瞳。まだ体が育つ都市ではないのか、ただ細長い印象を与える。
「搾乳、やり方教えるから」
一番手前の乳首を握り、荷台の床をそのまま絞られた乳が濡らす。桶に入れなくていいのだろうか。
「最初、前搾り。それぞれの乳首で五回ずつ。親指と人差し指の付け根の方で握った、そのまま軽く引っ張りながら中指、薬指、小指の順で握る。最初の握りが弱いと乳房の中で逆流するから。その後、濡らした布巾で全部の乳首を拭う。座った特に腹が地面にすれて土がつくから。特に乳頭は汚れがひどいからしっかり」
慣れた手つきで乳首を絞って、拭う。
「こいつは乳首が九つあるから全部ね。一通り拭い終わったら最初にやったところの乳が張ってるはずだから萎むまで搾乳」
「九つも」
驚く私をよそに、ネイサンの声には感情は滲まない。淡々と、何度もこの説明を誰かにしたことがあるかのように。
「ここには普通の動物はいないよ、見世物になるような奇妙なものだけが集められてる」
ネイサンの手元ばかり見ていたが確かに乳首が四つではなかった。
「乳首が九つ、しかも全部乳腺は生きてるから、子牛に任せてると、詰まらせて炎症起こしちゃうんだ。元々、乳牛で子牛が飲む量より多く乳が出るように交配されてる種だしね。人間の手で満遍なく絞ってやらないと」
手を拭くの裾でぬぐいなから、顎で指した。
「ほらやって」
やってと言われても、こんなに体が大きい牛の足の間に手を突っ込む気になれない。それに、糞がボトボト頭の上にある肛門から落ちる。
「別に、永遠糞するわけじゃないから、してる時に避けてればいいだろ」
そんなぁ、と思いながら母牛のお尻を見遣る。固そうな蹄が目に止まった。
「蹴らない」
ネイサンを振り向くと、無表情のまま首を横に振った。
「何のために荷台に登らせてると思ってんだよ。後ろに下がってこないように腰の位置に木が渡してあるから。自分から踏まれに行かなきゃ平気。まあ、万が一踏まれたら骨砕けるけど」
悲鳴をあげそうになる。ネイサンの手本の通りに握るが、乳は出ない。また振り向いた。
「最初はまだ乳を出す用意ができてないから、絞ってれば出るようになる」
また乳首を握ると、足を上げられ膝が手に当たる。それなりに痛い。
「そんなんで手引いてたら日が暮れるよ」
叱られて、また乳首をつかんだ。握ると今度は乳が出た。やっぱり生きているのだ。握っている乳首は温かく、絞られた乳からは湯気が出ている。その後、布巾で乳頭を包み拭う。
「もっと力入れていいよ。土が混じる方がまずい」
言われてグイグイと拭うと、綺麗なピンク色が顔を出した。乳頭は少し窪んでいる。
「じゃあ、最後までよろしく。前絞りの乳は乳頭の中の古い乳と土が混じってるから、地面に捨てて、俺が持ってきた桶の中の水で軽く洗ってから、本絞りの乳入れて」
言うが早いが、ネイサンはどこかに行ってしまった。
自ずと、深いため息が出る。髪がなくなって軽くなった頭を軽くふり、また足の間に腕を差し込んだ。
「よし、やろう」
朝の世話が終わると、移動だ。
乳を搾った母牛も荷台を引かされていた。
「傷が治ったら、お前も鞭を握ることになるからな」
横で鞭をふるメルーの横顔を眺める。フードを深くかぶって、隙間の開いた歯で草を食んでいる。
「治るまで、どのくらいかな」
「長引くだろうな、何せ治った端から働いて悪化させんだ。まあ、しばらくはネイサンと俺で庇ってやる、主人様の目の届かないところに限定はされるがな、それでもあんまり良くない状態になるなら、その前に俺が気づいて処置してやる」
手元を眺める。クラークとグレイはあの後どうなったんだろう。それにアンナマリア様も。きっとあの様子だと、みんな捕まってしまったかもしれない。
ぎゅっと手を握った。
これから、どうしたらいいんだろう。
帰るも何も、ツインズ城はすでにノースに落ちている。クラークたち二人も今はどこにいるかわからない。アド・リティームに行けばアンナマリア様のお兄様がいるかもしれないが、路銀がない私では大河を渡ることもできない。怪我のこともある。
ここにいれば、体はきついが、食べることはできるし、メルーの手当ては受けることができる。それに何より。
前方、主人様が鞭を握る荷台をみる。荷台の後ろに綱でくくられたウォルバーがトボトボ歩いている。
主人様はなぜだかウォルバーから目を話さない。日中は自分の目の届くところに。夜は、主人様が鍵を管理している檻に閉じ込めている。
ウォルバーを置いてまで、あてもない旅に出る気にはなれなかった。今まではクラークとグレイがいてくれたから、歩み続けていられたのだ。
傷が癒えるまでだ。そう思った。傷が癒えるまではここにいた方が良さそうだった。最初から戦えもしない私にアンナマリア様を救えるわけがなかったのだ。
悔しさで顔が熱くなる。一人じゃ、何もできない自分がどこまでも恥ずかしかった。
明日の朝6時にも更新いたします。
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