第百六十四話 日ノ国
――――――――――――――【日ノ国】。
ここは一言でいえば日本のような文化が息づいた場所である。とはいっても一昔前―――――江戸時代の頃のような街並みが広がっている。
瓦屋根の長屋がずらーっと並んでいたり、大きな城も存在する一つの島である。全島民で約八百人ほどの人口だが、ここで生まれた者はほとんど外の大陸へと出ていくことはせずに、島で人生を謳歌している。
穏やかな街と、ゆったりとした時間が島民にとっては心地好いものなのだそうだ。
クロウテイルの屋敷から出てシャイニーとともに【日ノ国】に辿り着いたソージが、まず先に向かったのは一つだけある城である。
周囲を水路で囲まれており、高い石壁の上に築かれている大きな城。外壁が高いのは侵入者を防ぐためのものだろう。
北と南に城門があるが、表門である南の方へとソージは向かう。そこには橋がかけられてあり、二人の門番がしっかりと玄関を守っている。
無論ソージが近づくと、門番の一人である黒髪を逆立てた人物が手に持っている槍を突きつけて足を止めさせる。
「日ノ丸城に何用だ?」
燕尾服を着たソージを不審人物と捉えたのか黒髪を逆立てた人物が値踏みするような顔つきをする。別に不愉快さはない。いきなりこの島に不釣り合いの服装をした人物が近づいてくればこの対処も自然だろう。
シャイニーは怯えたようにソージの足にしがみつく。ソージは大丈夫だという意味を込めて彼女の頭を一撫でしてから静かに城壁の上に視線を向ける。
「お久しぶりですね、風音さん」
いつの間にか城壁に立ってソージたちを見下ろしていた人物がいた。ツインテールの黒髪が特徴の袴を着用している少女。
「ああ、しばらくぶりだなソージ! お前の気配を感じたから見に来たが、その甲斐があったようだ!」
「えっ!? か、風音様ぁ!? ま、またそのようなところにお立ちになって! 下りて下さい!」
門番がソージの目線の先にいる風音を発見して大慌てで注意している。彼の言葉からしょっちゅう風音が門番の胃を痛めるようなことをしていることがよく分かる。
スタッと城壁からソージの目前に降り立つ風音は、ニッと笑みを浮かべてソージの右腕をとる。
「さあ、行くぞソージ! いっぱい話したいことがあるんだ!」
言葉遣いは男っぽい彼女だが、十五歳になって女性らしい身体つきをしているようで、腕にピタリとついた彼女のふくよかな胸の感触を感じる。
(お、おお……育ったな風音さん……)
以前会った時はまだ十二歳でありまだまだ子供のような彼女だったが、三年で大分成長したようだ。特に胸が……。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい風音様! そ、その者は一体?」
風音が親しくしているソージの指差す門番。すると風音が鋭い目つきを突きつけると、
「無礼者! この者を知らぬとは、お前たちはそれでも日ノ丸城に仕える武士か!」
「も、申し訳ございません!」
胆力もなかなかのもので、気圧された門番はすぐさま頭を下げる。
「この者の名はソージ・アルカーサ! お前たちも聞いたことがあるだろう! 希姫様のご息女であるヨヨ様に仕えている執事長だ!」
「あ、あのバルムンク様の直弟子っ!? し、ししししし失礼致しましたぁっ!」
慌ててソージに対して非礼を詫びる門番。どうやらバルムンクの名はかなり強力なものらしい。ハッキリと顔が青ざめているのが分かる。
「いえいえ、こちらとしてもいきなりの訪問でしたからお気になさらないで下さい。お勤めお疲れ様です」
「はっ! 恐縮ですっ!」
「ほらソージ! 早く行くぞ!」
腕を引っ張って城の中へと勧める風音はふとソージの足元にいるシャイニーに気づく。
「む? えと……その小さいのは何だソージ?」
「え? ああ、娘ですよ」
「え…………」
ピキィッと空気が凍る感覚を覚える。風音の表情が固まり、徐々に陰りを帯びていく。
「……なあソージ……相手は誰だ? まさか……ヨヨ様か? いや、ヨヨ様には似ていないな……誰だソージ?」
「えっと……あ、あの風音さん? め、目が怖いんですけど……」
ハイライトを失った彼女の瞳は恐怖を煽ってくる。何故突然彼女が変貌してそんなことを聞いてくるのか分からないが、とりあえずシャイニーについて教える。
「あ、あのですね風音さん、この子はオレの子ですがオレの血を引いているわけではありませんよ?」
「……え?」
フッと瞳に光が戻る風音。そして胸倉を掴むと、
「ど、どどどどどういうことなのだソージ!」
「えっとですね、この子はオレが引き取った子なんですよ!」
「つ、つつつまりお前が腹を痛めた子ではないということだな!」
「い、いえ、男のオレが腹を痛めることなど決して……」
「そんなことはどうでもいい!」
「ええっ!?」
「大切なのは、ソージはまだその……何だ……誰とも……いたしていないんだな?」
「え? いたす? 何をですか?」
急に胸倉から手を放したと思ったら、顔を染め上げてモジモジとしだす風音。
「な、何をって! そ、そんなこと私の口から言えるわけがないだろソージのバカッ! ほ、ほら! そんな話はおいといてさっさと行くぞ!」
「あ、はい! シャ、シャイニーも行きますよ?」
「う、うん!」
こんな状況になったのは明らかに風音のせいだとも思うが、話が終わったならそれで良しとしよう。ソージたちはそのまま真っ赤な顔をした風音に手を引かれて城の中へと入っていった。
「久しぶりだなソージよ」
今、ソージの目の前にいるのは城主―――――秦斎・日ノ丸。この【日ノ国】のトップに立つ人物だ。どうしてソージがそのような人物と懇意にしているのか。
それはヨヨの母である希姫の繋がりに他ならない。彼女の義父がこの秦斎なのだ。故にソージもまた彼とは何度かこうして会ったことがあった。
それももう三年も前の話にはなるのだが。
「秦斎様もお変わりないようでホッと致しました」
「ハハハ、儂はまだまだ現役じゃぞ? 若い婿殿にはまだ任せられんわい」
そう言われ、その場に座っている男性が恐縮そうに笑みを浮かべる。彼の名は崩悟・東堂。秦斎の血を引く長女の夫である。秦斎の後を将来的に引き継ぐことになる人物。
「ところでヨヨは元気か?」
「はい。真っ直ぐに生きておられます」
「うむ、それは良いことじゃ」
年齢を感じさせる顔をクシャクシャにして笑みを作る。もう黒髪も色を失って白髪になってはいるが、顔色も良く、彼の言う通りまだまだ国主としてやっていけると感じさせてくる。
「今日はどうした? いつもいきなりだが、その子のことや、ヨヨを伴っていないことも何か理由があるのじゃろう?」
「さすがは秦斎様です。此度、私が参ったのは己を高めるためにございます」
「ほう、己を高めるとな?」
「はい。今、世界を湧かせている現況――――《鬼》についてご存じでしょうか?」
「まあな。こちらも情報は届いておるわい」
「その《鬼》の戦う姿をこの目で拝見しました」
「……それで?」
「その暴虐とも言える力は、私でも簡単に殺されるほどのものです」
「バカなっ! ソージがそこらへんの奴に負けるわけがない!」
静かに今まで座っていた風音が立ち上がり叫ぶ。
「落ち着け風音、まずはソージから話を聞くべきじゃろう」
「あ……も、申し訳ありません」
秦斎に注意を受けて恥ずかしそうに床に腰を下ろす彼女を見て、ソージは苦笑を浮かべてしまう。彼女はソージの強さを信じてくれている。それは嬉しいことだし、期待を裏切ってしまったことに申し訳なさも感じる。
「ソージ、お前が見たことを話すがよい」
ソージは小さく頷くと、【ルヴィーノ国】の滅亡、不動我の戦い、《裁軍》の調査失敗など、自身が知っている情報を述べることになった。