第百五十八話 袋の鼠
《裁軍》の副隊長であるビロード率いた帆船が、調査のために【鬼灯島】へ。
船から降りてビロードはまずその異常とも言える寒冷さに驚愕する。ここへ近づく時はそれほど寒さは感じることはなかった。だが地上に降りた瞬間に襲い掛かってくる強烈な寒さに思わず顔をしかめる。
毛皮のローブを全員が身に纏ってはいるが、さすがにマイナス五十度の環境は厳しいものだ。雪こそ振ってはいないが、地面も周囲も氷結世界が広がっている。
「想像以上の環境だな。ここに生物がいるというのか?」
ビロードの疑問も確か。ここに《混沌一族》が住んでいるというのであれば、この環境でも難なく生活できるほどの順応能力を備えているということ。
「とりあえずお前たちは手分けして地下への入口を見つけろ」
部下たちに命じ、統制のとれた部下たちは機敏に行動する。どんな状況でも迅速に動けるのは、日々の弛まぬ鍛錬のお蔭である。
ビロードも率先して島の中へと突き進み、周囲を観察していく。中に入っていく度に気温が下がっているような気がする。吐く息も凍るような環境の中に身を置き、ビロードは眼前に見える氷山の麓までやってくる。
「この山が怪しいが……」
部下たちを引き連れて山の周囲を歩いてみる。刺々しい氷が鎧のように張っており、上るだけでも厳しそうな印象を受ける。
するとそこに部下の一人が駆けつけて耳打ちをする。
「何? 奇妙な洞窟を見つけただと? どこだ、案内しろ」
ビロードはすぐに部下に案内させ、氷山から少し離れた場所まで向かう。そこは雪で覆われている場所であり、確かに目の先に洞窟のような窪みがある。
ほとんど雪と氷に埋まってしまっていて分かりにくいが、確かにその先に空洞が見える。
「よし! 離れていろ」
ビロードが腰に携帯している剣を抜くと、ブゥゥゥゥゥンと刀身が超振動を起こし赤くなっていく。そして大きく跳び上がり、洞窟の前方に向けて剣を突き投げた。
グサッと剣が雪に埋もれた瞬間に小規模爆発を起こして周囲の氷と雪を一掃した。隠れていた洞窟がその姿を見せる。スタッと地面に降りたビロードが地面に突き刺さっている剣を抜き鞘に納める。
「他の者も集めて向かうぞ、ただし十分に注意しろ」
周囲に散らばった部下を集結させて、部下たちが先導してビロードも後についていく。
中は若干外より気温が低いが、それでも寒さで肌が痛いのは変化しない。地面から天井にかけて氷が張ってあり、まるで氷の彫刻の中にいるような感覚だ。
真っ直ぐ一本道かと思ったら、二つに分かれた道があった。
「ふむ……二手に分かれるか。……アイゴ」
「はっ!」
ビロードの言葉に反応したのは一番前にいた部下だ。
「お前が先導して右側へ向かえ。何かあったらすぐに引き返せ」
「分かりましたビロード様」
アイゴと呼ばれた男が、他の部下たちを引き連れて右側のルートへと進んでいった。
「残りの者は私についてこい」
必然的にビロードは左側のルートを突き進んでいく。しばらく進んでいると、少し開けた場所に辿り着いた。
「ここは……」
前方に見えるのは大きな氷の塊。その中心には何かを掘った跡が見える。
「そうか、ここに千手童子のミイラがあったということか……」
【ルヴィーノ国】の魔王ガナンジュは、氷に包まれていたミイラを掘り出して復活させたとのこと。それがこの場だったことは明白。
「だがここには目ぼしいものはなさそうだな」
周囲を確認するがやはり氷だけが目視できるだけ。その時、どこからか悲鳴が響いた。
「な、何だ!?」
悲鳴は反響してどこから伝わってくるか分からなかったが、考えられるのは右側のルートを進んだアイゴの部隊だった。
「急いで戻るぞっ!」
何があったのか確かめるためにビロードは急ぐ。その間も悲鳴は続いている。そして先程の二股の道まで戻ると、やはり右側のルートから声が響いているのが分かった。
ビロードが先導して走っていくと、これまた開けた場所へ辿り着いた。すると地面にアイゴの部隊の何人かが血を流し倒れていた。
「アイゴッ!」
「ビロード様っ! お気を付け下さいっ!」
「っ!?」
瞬間、ビロードに向かって何かの塊が放たれる。咄嗟に身を左にかわして避ける。すると塊は背後の壁に激突してバキィィィッと氷の壁を崩した。
ビロードはすぐさま剣を抜いて前を見据える。そこには氷で作られた高い台座が一つあり、そこに座禅を組んでいる一人の人物がいた。坊主頭の上に角が生えていた。
「……! お、《鬼》かっ!?」
ビロードは警戒度を最大限に高める。
「答えろっ! 貴様は《鬼》かっ!」
ビロードのが声を張り上げると、坊主頭が呆れたように吐息を漏らす。
「瞑想中に無粋な連中だ」
目を閉じたまま静かに立ち上がる坊主頭。袈裟のような和服を着込み、首には大きな数珠をかけている。
「去れ。私は静かに瞑想したい」
「ふざけるなっ! 貴様らはここで始末する! お前たち、《津波の陣》だっ!」
ビロードの言葉で部下たちはビロードを中心にして弧を描くような形で立つ。そしてビロードが「やれっ!」と合図を出すと、全員が剣を振り下ろし斬撃を飛ばした。しかし一撃だけではなく、次々と斬撃を放っていく。逃げ場所を遮るような猛襲。
ドドドドドドドドドドと坊主頭に直撃する複数の斬撃。
「はあぁぁぁぁっ!」
最後にビロードが先程のように刀身を赤くして斬撃を飛ばす。その斬撃が当たった瞬間に爆発を起こした。
「……やったか?」
煙が晴れるまでビロードたちは動かない。突然その煙の中から小さな塊が複数飛んできた。
「避けろっ!」
塊の持つ威力は凄まじく、地面や壁に当たると凄まじい破壊を残していく。だがさすがは《裁軍》なのか、まともに受けた者は誰ひとりいなかった。
煙が晴れると、見るからに傷一つ見当たらない坊主頭が現れた。
「無傷……だと!?」
さすがに驚きを禁じ得ない。先程の攻撃は《裁軍》の十八番でもあるものだ。攻撃力も高く、それ以上に相手に必ず攻撃を与えることを目的とした陣形だった。
それなのに傷一つついていないことに誰もが驚愕に包まれていた。
すると坊主頭が握った手を開くと、その上にポワポワッと、光の塊が幾つも浮かんだ。それをまるでゴミ箱に捨てるかのような仕草でビロードたちへと投げる。
光の塊がボコッと三倍ほどに広がって、急速にスピードを増し弾丸のように向かってくる。先程の塊もどうやらこの技だったようだ。
今度もビロードたちは上手く身を翻して避けるが、
「なら、二倍だ」
今度はそれを両手分放ってきた。ほとんどの者は避けることができたが、数人が固まりに身体を貫かれて地に臥せる。
「さらに倍だ」
手の中にある塊が数え切れないものになっていく。ビロードたちの顔が青ざめる。放たれた無数の凶弾に鍛え上げられた兵士たちは沈んでいく。
剣で弾いても一発一発が重くて体勢が崩れてしまい、次の攻撃を避けることができないのだ。
「に、逃げて下さいビロード様!」
ビロードの前に剣を構えて立つアイゴ。
「こ、この情報を持ち帰ることがあなた様のお役目にございます! だから!」
「アイゴ……くっ!」
ビロードも、相手の力が理不尽なまでに強いと感じとったのか、悔しげに歯を食い縛りながらも踵を返してその場から走り去る。
ビロードの背後からは部下たちの悲痛な叫び声が聞こえる。
「くっそぉぉぉぉぉぉっ!」
ビロードは部下たちの思いを裏切らないために、手に入れた情報を必ず皇帝に届けるために船へと走る。もうすぐ出口だというところで、前方に誰かが立っているのに気付く。
「お、お前は……!?」
「多面童の奴。せっかくの魂を逃すつもりか」
相手から伝わってくる明らかな殺意に、ビロードは先程のように斬撃を飛ばして倒そうと試みる。だがふと背後から声が聞こえ、その瞬間に胸から誰かの手が突き出していた。
「凡弱だが、なかなか使える魂のようだな」
「ぐはぁっ……」
ブシュッと手が引き抜かれるとビロードはそのまま地面に倒れた。
「冥土の土産だ。我が名は阿弥夜。光栄に思え。貴様の魂は、我らが宿願の礎となる」
ビロードの意識が静かに闇に溶けていった。




