第百四十一話 忠義心
【トパージョ国】の王城。その中心には中庭と呼ばれる小規模な庭が存在する。ただ小規模といっても、普通の家庭にある庭より遥かに大きなものだ。あくまでも城の規模と比べると小規模だということである。
その中庭には石造りの建物がある。ベンチやテーブルもあり、魔王キュレアが茶飲み場として活用している場所でもある。今そのベンチに座って、二人の男が顔を突き合わせていた。
一人はヨヨの父親であるジャスティンに仕えている執事であるバルムンク。そしてもう一人は皇帝に仕える《五臣》の一人であるグロウズである。
何故このような状況になっているのかというと、理由は簡単。バルムンクがティータイムに誘ったからである。ヨヨたちが大事な会議をするというので、手持無沙汰になったグロウズを、せっかくだからとバルムンクがお茶に誘ったのだ。
だがそれはヨヨの命令でもあった。今回のクーデターに、《五臣》、もしくはそれに近い存在が関わっていることを危惧しているヨヨが、《五臣》であるグロウズの真意を確かめてほしいとバルムンクに命じたのだ。命令というよりは嘆願に近いものではあったが。
「うむ、このバルムンク殿が入れた紅茶、美味ですな」
「ほほ、それは光栄でございますグロウズ殿。よろしければこちらもご賞味下さい」
バルムンクは、城の厨房を借りて、自身が作ったボール状の菓子を差し出す。これはカステラであり、甘さ控えめにし、少し酒を含ませた大人の菓子である。
「うむ、これもまた美味。さすがは執事ですな」
「いえいえ、お気に召して頂けたのなら恐悦至極にございます」
グロウズがカステラを口に含み、そして紅茶で喉を潤すと、生温かい吐息を幸せそうに漏らす。そしてゆっくりとテーブルの上に紅茶を置くと、穏やかな空気の中、その口を開いた。
「さて、バルムンク殿は、私に聞きたいことがあると……そう解釈しても構いませんかな?」
「ほほ、何のことでございましょうか? 私はただ、こうして勇名轟く御仁と一度お茶をしたいと思った次第でございますが?」
「ははは、ご冗談を。あなたほどの武人が、たかがお喋りをするためだけに、見ず知らずの私と二人きりになったりはしますまい。どうやら人払いもなさっておられるようですし」
グロウズは淡々と言葉を吐きながら、周囲にさっと目を向ける。
(……さすがは《五臣》でございますね。こちらの思惑をすでにご承知とは)
確かに屋敷の者というより、ノウェムの側近であるジャンブに頼んで二人きりにしてもらえるように頼んでおいた。
人払いをしていることを敏感に察知したグロウズは、その真意をバルムンクに尋ねてきている。
「そうですね、グロウズ殿に少々お聞きしたいことがありまして、こうして時間を作って頂きました」
「聞きましょう」
どうやらこの相手は老獪。生半可な腹の探り合いは効果がないとバルムンクは悟る。
「では単刀直入にお聞きします。グロウズ殿は、今の世の中をどう思われていますか?」
「今の世の中……ですかな?」
「はい」
バルムンクは彼の目を真っ直ぐに見つめて、嘘偽りを語れないような雰囲気を醸し出す。
「それはどういう意味合いかな? まさかバルムンク殿は皇帝の治世に不満をお持ちか?」
ピリッとした緊張が空気を張りつめる。もしここで皇帝に敵対するような言葉を述べれば、その腰に携帯している剣を抜くのに躊躇いなどないだろう。
(皇帝のことを想っていなければ出ない敵意か……ですが演技という可能性もまたありますな)
バルムンクは微笑を崩さないまま紅茶を一口含んでから発言する。
「私は今の世に不満などございません。ただ、今回のクーデター。少なくとも世に不満を持つ者が存在するからこその現状。つまり皇帝様もまた完璧ではないということでございます」
「…………」
「ただし人であればそれは当然のこと。完璧な人間などこの世には存在しませんからな」
「でしょうな」
「故に、皇帝様の治世にも欠点があるということです。そしてそんな皇帝様のお傍に長く居られたあなたならば、その欠点に気づかれているのではと愚考しただけのことでございます。もし不愉快を与えてしまったのでしたらこの通り、申し訳ございませんでした」
バルムンクが静かに頭を下げると、グロウズから放たれていた威圧感が治まっていく。
「なるほど。いや、こちらこそ無礼なことを言いましたな。申し訳ない。ただ一つ、たとえ欠点があったとしても、それを口外しようとは思いません」
それは当然のことだろう。皇帝に仕えている以上、安易に皇帝を貶めるようなことを言えるわけはないだろう。こんな欠点があると《五臣》が言おうものなら、その忠義心が疑われるからだ。
(この引っかけにもかかりませんか……さて)
もし他人に皇帝の欠点を言うようであれば、その忠義に疑問を感じることもできたが、彼は見事な忠義心を見せている。まだ演技なのかそうでないのかは判断できないが、少なくとも彼の態度は皇帝側に属するものだ。
「ではグロウズ殿は、世に不満など一切ないと?」
「私は皇帝にお仕えできていることが幸せです。あの方の世界を守るのが、皇帝の剣である私の役目ですから」
「……ではここからは仮定の話をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「仮定? ほう、それは面白そうだ」
穏やかだった彼の瞳が、鋭いものに変化する。バルムンクの言葉に注意を促し、皇帝を侮辱するような言葉が出れば即座に対処しようと警戒しているのかもしれない。
「このクーデター、【ルヴィーノ国】が矢面に立っているのは明らか。ですが相手は世界の支配者であり、神の如き存在とされている人物。そんな存在を打ち倒そうとするということは、それなりの勝算があってのものだと思いませんか?」
「……かもしれませぬな」
「ならその勝算とはいかがなものか……私はこう考えております。もしかしたら、他の国も【ルヴィーノ国】の傘下に入っているのではなかろうかと」
「……調査した結果、そのような事実はないはずですが?」
「調査も完璧ではありますまい。皇帝討伐など大層なことを考える輩です。調査の網の目を搔い潜り、さらなる戦力を隠している可能性だって否定はできないのではないですか?」
「むぅ……確かに一理はありますな」
「もしこの世のほとんどの国が皇帝討伐に向けて動いているとしたらどう思われますか?」
「……それが仮定の話ですな?」
「はい」
グロウズは顎に手を置き、渋い表情を作ったまま考え込む。しばらく沈黙が続いた後、彼から言葉が発せられる。
「仮に、皇帝の治世をよく思わない国々が結託して【オウゴン大陸】に攻め込もうと考えているとしても、我々が必ず皇帝をお守りします」
「……確かに《裁軍》は優秀でしょう。しかしながら数は力と申します。《金滅賊》だけでなく、数多くの国が反逆したとしたら、さすがに守り切ることができかねると存じますが?」
「それでもだ」
「……?」
「それでも私の命を……全てを懸けても皇帝だけは守り抜く。それがあの方の御恩に報いることだ」
先程までの口調が変わっていた。彼の言葉、様子から、その言葉に覚悟が乗っていた。思わずバルムンクも目を見張るほどの気迫を感じさせた。
バルムンクは立ち上がり丁寧に頭を下げる。
「数々の無礼を謝罪致します」
「……いや、私も少々熱くなってしまったようです。失礼ですが、この場はこれで」
グロウズも立ち上がり、立ち去ろうと歩を進めるが、すぐにピタリと足を止めて、振り返らずにそのまま彼は言う。
「バルムンク殿、一つ付け加えておきましょう」
「……?」
「先程私はどんな国々が【オウゴン大陸】を攻め込んできても守り抜くと言いました」
「はい」
「だが、それは全てにおいて言えることです」
「……は?」
グロウズの言った意味が正確に理解できなかった。だが彼はそのまま続ける。
「全て……たとえその相手が《五臣》だろうが何だろうが……皇帝は私が守り抜きます」
そして「失礼」と一言付け加えてその場から去っていった。彼の言葉を聞いてバルムンクはやれやれと肩が落ちる思いを感じた。
(どうやらヨヨ様、彼自身も《五臣》に裏切り者がいるかもしれないと考えているようですよ)
そうでなければ先程の言葉は有り得ない。絶大の信頼を同じ《五臣》に受けているのだとしたら出てこない言葉のはず。
だがわざわざ足を止めて、忠告するように言ったということは、彼もまたその可能性を考慮に入れているということ。だが彼との対話で一つだけ分かったことがある。
(彼の皇帝に対する忠義は本物みたいですね)
ヨヨに確かめるように言われていたが、どうやら彼はクーデターには関わっていない可能性が高いと認識したバルムンクだった。