やまぶき幼稚園タンポポ組 8
「じゃあさ」とまだ続けるカズミ君。「兄ちゃんはずっと大島の事、大島って呼ぶん?大人になっても」
「いや、呼ばない。オレも名前で呼ぼうってずっと思ってるけどな、タイミングが難しい」
いやそんな事普通に幼稚園児の弟に答えられても…あ、ダメだ…なんか赤くなってくるどうしようタダは超普通なのに私だけバカみたいだ。
「そっか」と答えるカズミ君。「じゃあ今から呼べばいいじゃん。カメの名前も大島が決めたし」
カメ関係ないじゃん。
「どうする?」とカズミ君。「兄ちゃんも『ユズ』って呼ぶん?じゃあオレも仕方ねえから…」
「いや」とタダ。
ちょっともう止めて欲しい!兄弟の会話を止めようとカズミ君に言った。
「カズミ君!やきそば冷めちゃうって、早く食べなよ」
タダが慌てた私を見てちょっと笑いながら言った。「ユズルって呼ぶ」
わ~~~~~…なんか前もそんな事ちょっと言ったよね?ウソだよねそんな事。
「じゃあオレも」とカズミ君が屈託ない笑顔で言った。「ねえ大島、オレも今からユズルって呼んでもいい?」
「…」それはタダが呼ぶ前提で言ってんのか。
あれ?って私の顔を覗き込んでからタダに言うカズミ君。「呼び捨てはイヤなんじゃねえ?幼稚園でも『ちゃん』とか『くん』とかつけましょうって先生が言ってる。『ユズルちゃん』にしよっか」
いや大島って呼んでたじゃんあんたたち。
タダが言った。「ユズルちゃんか…」
ダン!とテーブルに持っていた箸を置いてしまった。
タダに『ユズルちゃん』て呼ばれたらゲキ恥ずかしい!!
「なんかそれは」とタダがまだ普通に言う。「ちょっと恥ずい気がする」
だいぶん恥ずかしいわ!
「せ~~の」とカズミ君がタダを見ながら言った。
「「ユズルちゃん」」とタダ兄弟が声を合わせる。
バババババッと赤くなったのが自分でもすごくよくわかった。
「や、カズミ君ごめん、それは私もなんかすごく恥ずかしいから今まで通りで…」
カズミ君はいいんだけどさ、タダに『ユズルちゃん』とか呼ばれた日には…
「じゃあやっぱユズル!」とカズミ君が嬉しそうに言う。「ユズルって呼ぼ!兄ちゃん」
「いやそれも…」また慌てる私。
「せ~~の」とまたタダと合わそうとするカズミ君だ。
「もういいから」と、今度は合わせる事はなくタダが言った。「食べろ。ユズルが食べれないじゃん」
わ~~~~なんかさらっともう呼ばれたけど!
「わかった~~~!」元気よく答え、またモグモグ食べ始めたカズミ君。
なんだこの兄弟…あんなに序盤美味しかったやきそばの味がわからなくなってきた…
今まで男子で私の事を下の名前で呼んでくれたのはヒロちゃんだけだ。ずっとユズって呼んでくれている。ヒロちゃんのはもうそれが普通なのだ。最初からずっとそうだから。けれどタダが私を名前で呼ぶのはなんだろう…なんかすごく特別なような気がしてくる自分が気持ち悪い。タダはあくまでも普通なのに。
…ウソだよね?名前で呼ぶのなんて。今だけ言ってるだけだよね。明日はまた補習があるのに学校でそんな風に…呼ぶわけないよね。
先に食べ終えたカズミ君が言った。「ユズルは兄ちゃんの事、これからなんて呼ぶん?」
飲んでいたお茶を吹きそうになった。なんとも呼ばないよ!タダだよタダ!もういいじゃんその話は。
「もういいよ」とタダも言った。「アイスココア作ってやろうかカズミ」
「うん」と返事をしてカズミ君は席を離れた。
カズミ君がその場にいなくなると気まずさを感じる私だ。食べ終えたしもう帰ろう。…あ、やっぱり片付けとか手伝って帰るべき?
皿を片づけようとしたらタダが「そのままでいい」と言う。
そしてガタっと私の横に腰かけたのでビクッッッとする。
「恥ずかしい」とタダがボソッと言う。「やっぱ急に名前で呼ぶのってすげえ恥ずかしいかも」
じゃあ止めればいいじゃん!てかさっきすごく普通にさらっと呼んでたじゃん!
「カズミ、ほんとあなどれねえ。どんだけの事をわかってやってんだろ…」とタダが感嘆した調子でつぶやいた。
「…なにが?」
「オレがスマホの壁紙、1回大島にしてたの見たから」
「うそ!」
「うそじゃない。あの浴衣のやつ」
あ、でも今、大島に戻った。
「うそでしょそれ今日違ったじゃん!」
「うそじゃねえよ、勝手に使ってんの知ったら大島気持ち悪がるかなと思って。今一応言ったから今日からまた貼っとくわ」
「貼らなくていいって!」
そう言ったのに、ウソでしょウソでしょと心の中で慌てる私だ。
テーブルの上に腕を置き、そこに突っ伏したタダが少しくぐもった声で「なあ」と言う。
「…なに?」
タダの方を向いて聞くが、突っ伏したままこちらを見ないままで言った。
「今日一緒に行ってくれてありがと」
「…うん」ありがとうを言われるの、今日2回目だ。
「好きだから」
「え?」
「好きだから大島の事」
「…」
一瞬体がギュって縮んで時間が止まった気がした。
突っ伏したタダを見つめる私を急にタダが首をこっちに曲げて下から見つめる。
わっ!…え?どうしよ…
じいっと私を見つめたタダが、ふっ、と優しく笑った。
わ~~すごく優しい顔で笑ってるよどうしよ…今『好き』って言われた『好き』って言われた…
バッと目を反らしてリビングの方を見るけれど、カズミ君は戻って来ない。今二人きりだ。どうしよ!
「私!」ガタっと立ち上がってしまう。「あの、ご馳走様!昼から用事あった。ごめん。…あの…あのね…私…ごめんもう帰る」
タダも立ち上がる。「じゃあ送ってく」
「いい!大丈夫ありがとう。カズミ君一人にしたらいけないよ、ちっちゃいのに」
「カズミも一緒に送りたいって言うと思うけど」
「ううん!私、大丈夫、一人で。帰れるから。昼間だし」
慌て過ぎて変なカタコトになってしまった。
慌てたままバッグを持って玄関に急ぐ。「ありがと、ごちそうさま、すごく美味しかった!」
言い捨てるようにして玄関を開けるとカズミ君が家の奥から走って来た。「ユズル!もう帰るの?アイスココア飲まないの?」
「うん、また今度ね。今日ちょっと用事あるんだ」
タダはただ優しい顔でカズミ君の横に立っている。こんなちっちゃい子にまでウソつく私が余計ヘタレに思える。
「そっか」とカズミ君が手を振る。「じゃあ次はカメ散歩するとこ見せてやるから」
「うん…」散歩?「じゃあね!」
慌てて玄関を出る私の背中に、カズミ君の声が聞こえてきた。
「あ、カメじゃなかった、ミドリィだった」
わ~~~~、と慌てながらタダの家を後にしたが、すぐに自分のした事に対してまた、わ~~~~とさらに慌てる。
タダが私を好きって言った!
なのに私は慌ててその場を後にしたのだ。ごめん、て言って。用事あった、ってウソついて。
タダが私を好きって言った。
はっきり言った。
ずっとヒロちゃんの事が好きなのを知ってたタダが。私が振られた時も笑ってたタダが。転校して来てからのいろいろなタダが、クルクルクルクル私の頭の中で次々に浮かんでくる。
タダが私を好きって言った。