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結界に守られたオリヴィアの集落は、河川が二股に分かれた間の中洲に築かれていた。高低差の激しい崖下の川とは違い、崖上の川は緩やかに平地を流れている。
水を嫌うプラテインは100メートルを優に超えるであろう川幅を超えられないので、南北に数キロは伸びる縦長のこの土地は天然の要塞となり外敵から守られていた。
「こっちに船着場がある」
川幅が一番狭くなっている場所に桟橋が設けられており、ボートのような小さい手漕ぎの舟が何艘も川を横断していた。
つばの広い三角笠を被った漕ぎ手に頼んで、集落まで運んでもらう。波風の立たない静かな水面にオールで漕ぐ音だけが染み渡ると、魔物が蠢く荒々しい森とは打って変わって穏やかで牧歌的な雰囲気に浸ることができた。
「集落の土を再び踏めることがこれほど尊いとは思わなかった。二人とも着いてきてくれ。長老に帰還の挨拶をする」
エルフが住む集落の北区へやって来たニイトたちは、大きな建物に案内された。アシのような植物をドーム状に編んで建てられた珍しい家だ。高さは5メートルはある。どうやって耐震性を維持しているのかとても気なる工法だった。
「オリヴィア、ただいま帰還しました」
「おぉ!? お、オリヴィア……!? 生きておったのか。幽霊ではあるまいな?」
出迎えたのは民族衣装のローブを着込んだ壮年の男だった。
「もちろんです。こちらの御二方に命を助けられました」
「おお、何と! ヒュノムの子らよ。我が孫娘を救って頂き、感謝するぞ。死んだと伝えられた孫に再び相まみえることができた。これ以上幸せなことはない。今宵は宴ぞ。御二方も孫娘の恩人としてどうか参加なされよ」
「お、お爺さま! 恥ずかしいからやめてください!」
エルフの中でははみ出し者扱いされていたらしいオリヴィアだが、何だかんだで愛されていそうなのでニイトはほっとした。
それにしてもお爺様と呼ばれるわりには若く見える。年をとっても若々しいエルフの特性だろうか。
その晩、宴会が催された。
十数人のエルフが集まり、広場で輪になって食卓を囲む。みな、オリヴィアと血筋の繋がりがある一族らしい。エルフは寿命が長いので何世代もの先人と同じ時代を過ごすことになるのだ。
「みなの者、こちらはニイト殿とマーシャ殿である。我が孫娘を救っていただいた恩人と聞き及んでおる」
一斉に好意を向けられて気恥ずかしさを覚えるニイト。アイドルの握手会のようにひたすら笑顔で握手に応じる。
一通り挨拶が終わると、料理が運ばれてくる。
沢山の料理が並ぶが、彩りも味付けも質素なものが多かった。きのこや山菜、木の実にパンと、全体的に肉っ気が少ない。唯一高タンパクな物と言えば豆をすり潰したペーストだろうか。
「なあオリヴィア。このパンってどこで作ってるんだ?」
「エルフの北区に近い農場だ。ヒュノムが管理する南区のパンとは味が違うだろ?」
「え、あ、あー、そうだな。農地は別れているものな。育てている品種が違うのかな?」
「そうだな。基本的にヒュノムは食べる量が多いから、硬いが収穫量の多い黒パンを育てている。小食なエルフは柔らかくて収穫の少ない白パンだな」
なるほど、そんな違いが。
「北側では他にどんなものを栽培しているんだ?」
「そうだな、多くは白麦と豆とカラムシだな」
「からむし?」
「服の素材となる繊維を取る細長い草のことさ。南区では呼び名が違うのか?」
そういえばオリヴィアが最初に来ていた服はやや硬い繊維だと思ったが、植物の茎だったようだ。
このようにして宴の間、ニイトは様々な情報を集めていた。
不思議に思ったのは、集落内では普通に火を焚いていることだ。それとなく探ると、結界で守られている集落内では火を焚いても大丈夫とのこと。唯一自由に火を使える空間なのだとさ。
そうして宴も中盤に差し掛かった頃、広場の中央に変化が訪れた。
一人の美しいエルフの女性がハープのような楽器を携えて前にでる。
「お、始まるぞ。エルフの歌だ」
弦を弾くと柔らかい音が広がり、一瞬にして辺りから話し声が消えた。
「僭越ながら『森の調べ』を一曲」
ハープの伴奏と共に女性は歌いだした。透き通るような歌声が風に乗って、広場を滑るように踊っている。まるで声が鳥となって広場を飛び跳ねているようだ。
「古来から続くエルフの唄だ。大災厄前の豊かな自然の中で小鳥と戯れる子供の姿を唄ったものだよ」
「へぇ~」
横でオリヴィアが解説すると、柔らかい木漏れ日を受けたエルフが竪琴を抱えて歌っている光景がニイトにも想像できた。森、エルフ、ハープ。とても良く似合う黄金の組み合わせだ。その周囲をつがいの小鳥が空を舞い、エルフの少年少女がその後を駆けて行く。
どこか郷愁を思わせる懐かしい旋律だった。
「この唄に込められたものが我らエルフの悲願なのだ。再び豊かな自然を回復し、平和な生活を取り戻すことがな」
そう言われれば、この優しい楽器の音色と調和した歌声の中にも強い信念があると思わされる。何百年も同じ唄を語り継いできたことが、その思いの深さを物語っていた。
「取り戻せるといいな」
「いつか、必ず」
全員がしんみりしていたのだが、唐突にその時間は終わってしまった。
――バチン!
「あっ! 弦が切れてしまいましたわ」
予備の弦も切らしていたらしく、中途半端なところで演奏は終了した。
気を取り直して、再びガヤガヤと話し声が広がる。
そして宴が終盤に差し掛かると、ヒョウタンのようなものが運ばれてくる。
参加者全員に小さな木製の酒盃が配られて、そこにヒョウタンから液体が少しずつ注がれた。
ニイトとマーシャにも同じものが配られる。匂いを嗅ぐとアルコール臭い。
「それでは、我らエルフとヒュノムの繁栄を願って、乾杯!」
長老の音頭に合わせて一斉にあおる。
どうやらこれにて宴会は終了したようだ。
ニイトが今晩の寝床をどうしようかと思案し始めると、マーシャがやけに積極的にしなだれかかってきた。
「ニイトしゃま~、おりびあしゃんの胸ばかり触って、ずるいれすぅ~。わたしのもしゃわってくらさぃ~」
「お前、あの量で酔ったのか!?」
マーシャは瞳をぐるぐる回していた。酒にめっぽう弱い体質だったのだ。
しかしその一言が、和やかなムードで終えそうだった宴会に不穏な空気をもたらした。
「オリヴィアの胸を、触った……だと?」
「もみぃしだくぅ」
「揉みしだくっ!?」
「ちくびぃ、たってぇ」
「乳首を立たせるっ!?」
エルフ族の目の色が変わった。
「ニイト殿! これはどういうことだ!」
「あ、いや、違うんです! これにはわけがあって!」
「そうです長老! ニイトが我の胸を揉みしだいたのは、治療の一環なのです!」
「やはり、揉みしだいちゃったのかっ!」
くわっ! と見開いた長老は目の色を変える。
「オリヴィアよ! そなたは確かに魔力が弱くて肩身の狭い思いをしておったかもしれぬ。じゃが、それでもわしの直系の孫である。婿はエルフ族から取らねばならぬと言っておっただろう! くれぐれもヒュノムの男に気を許してはならぬと口を酸っぱくして言い聞かせたであろうに! それを!」
「お待ち下さい! 我は気を許してなどおりませぬ! ただ、ニイト殿におっぱいを撫で回してもらい、奥の方まで激しく鷲掴みにしてもらって、気持ちよくしていただいただけなのです!」
「き、気持ちよくじゃとっ!?」
話がどんどん酷い方向へ流れていく。
「そうです。我にやましいところはありません!」
やましい話しかしていなかった気がするが、オリヴィアの堂々とした立ち居振る舞いはどこから来るのだろう。
「我はただ、定期的にニイトにおっぱいを揉まれないとダメな体になってしまっただけなのです!」
「な、なな、なななっ!」
ついには言葉を失う長老。
もはや掘り進めてしまった墓穴が反対側にまで抜けてしまった状態だ。修復は不可能。
「オリヴィアよ……。一族の掟を忘れてヒュノムと混じったことは許されざることである。せっかく再開できたのに、まことにもって残念じゃが、わしは掟にしたがってそちを追放せねばなるまい」
「お待ち下さい、おじいさま! 誤解です! 我はイラクサの毒にやられて、それをニイトに治療してもらったさいの後遺症で胸が疼くようになってしまっただけなのです!」
「嘘を申すな! イラクサの毒にやられて生き残れるわけがあるまいっ! ヒュノムの男と駆け落ちしただけに飽き足らず、嘘までつくとは何事ぞ! 嘘はエルフが特に忌み嫌う大罪! 嘘つき者をエルフの末席に加えるわけにはいかぬ! 今このときをもって、長老の名においてオリヴィアを一族から除名する! 明日の朝までに荷物を纏めて北区を離れさるがよい!」
「そ、そんな……」
大変な事態になってしまった。
重い沈黙を抱えながら、一族は宴会場を後にした。
呆然と立ちすくむオリヴィアに、ニイトはかける言葉を見つけられない。
こうしてオリヴィアの生存祝いの宴は最悪の形で幕を閉じてしまったのだった。




