17-6 創造の果て
何もない場所に彼は立っていた。
自分と言う存在が限りなく薄くなり、今にも消えてしまいそうな気さえした。
――消えるのか。
己の存在が限りなく細かく爆ぜる。小さな音にすら還ることなく、世界へと飛び散っていく。
――聞こえたか? 神よ。
神獣を取り込んだ時点で力を抑制することは困難だと悟った。
神の力を抑することなど、一介の音怪では不可能だったのだ。
かつて神は、自らが生み出した人々と共に、一節の音楽を奏でた。しかし人々はその音をただ聞くのみで、神と共に奏でようとしたものはいなかった。
神は聞きたかった。自らが生み出した音が自分へ奏でる音楽が何なのかを。
だが、帰ってきたのは耳障りな騒音…… 『音怪』だった。
美しくない。まともに返せない。
神は絶望し、新たな人類を演奏した。
こう鳴らせ、こう歌え、こう奏でよ。
神は常に見本を奏でて見せた。
しかし神が望む美しさになることはなかった。
神は絶望し、人類自ら乗り越えるべき障害を作った。そして、自らに残った心のかけらを楽器に託し、共に歌い合えるその日まで眠りについた。
何度も、何度も、コーディルスと共に生まれ変わりながら……
――お前が聞きたかった曲、だといいな。
コーディルスには、もう音楽を奏でる力は残っていなかった。
タクトたちが新たな神が愛した旋律を奏で始めた時から、返す旋律を奏でられずにいた。
それほどまでに、彼らの奏でた旋律を美しいと思ってしまったからだ。
タクトたちもまた、観客にだけ届ける演奏ではなくなっていた。
それは友に。それは両親に。すべての観客に。舞台いっぱいに。建物を超えて。国を、大陸を。
大空すら超えて。
最後の一節を吹きおわる頃、辺りは月や星の光であふれていた。
(おわ、ったのか?)
ゼフォンはその指揮棒をゆっくりと下ろしたのを合図に、楽士たちはようやく楽器を下ろした。
しんと静まり返った天空の舞台で、一人の男に注目が集まった。
注目の的になった男…… レイヤーはゆっくりと立ち上がり、その背を翻した。
「皆さん、お疲れ様でした」
だが、その視線は遥か彼方を臨んでいた。
「素晴らしい…… 本当に素晴らしい演奏でした。そして、その素晴らしい演奏の奏者として、この場に私と共にいてくださったことに感謝します」
レイヤーの体が微かに光を帯び始めた。――音に、還ろうとしているのだ。
「彼は、造り主たる神と共に音となり、世界の一部へと還りました。もう、歴史のような転生は二度と起こりません。明日からはきっと今までと違う世界が始まるはずです」
「レイヤーはどうなるの!?」
タクトは思わず立ち上がり、一番の疑問を大声で叫んだ。
「もちろん、私も消えます。コーディルスの一部なのですから」
屈託のない笑顔でレイヤーは答えた。まるで、初めて会った時のように。
「いやだよ!」
「そうよ! なんで? なんで一緒に居れないの!?」
カノンも加わる。だが、依然レイヤーは虚空に視線を向けたまま笑顔を崩さない。
「きっと私は、あの十五年前に気付いたのでしょう。神が待ち望んでいた素晴らしい演奏を聞けるかもしれない、と。そして、それを聞いたのならば……」
ぽた、とレイヤーの上着に染みが浮かんだ。
「私の役目は終わる」
「役目ってなんやねん! そんなん関係ないわ! もっと聞いて、もっと吹いたらええやんか!」
「……楽機の、寿命か」
ゼフォンの言葉に一同が自分の楽機を見る。先ほどまで共に演奏していた相棒たちが、何故か随分と重く感じることに気が付いた。
「……ティファ?」
「楽機は、神がいて初めてその存在が確立するのです。例外はありません。私たちは、神と共に『神が愛した旋律』を奏でるためだけに存在するのですから」
タクトは力の行き場をなくし、再び席に着いた。
「……レイヤー」
しかし最後の力をふり絞り、しっかりとレイヤーを見て言葉を紡いだ。
「あり、がとう」
レイヤーは再び満面の笑みを浮かべた。
「一緒に演奏してくれて、一緒に旅をしてくれて、一緒に遊んで、食べて、練習して……」
言葉と涙があふれ、嗚咽交じりになりつつも、タクトは続けた。
「コダの街から連れ出してくれて、ありがとう!」
僅かな間を置いて、舞台から、世界から楽機はその存在意義を終え、世界中に溶け込んでいった。
「……タクトよ」
ゼフォンは今までにないやさしい口調でタクトに声をかけた。その手にはもう指揮棒は握られていない。
「この、最後の『楽譜』、まだタイトルがないそうだ。そなたならなんと名付ける?」
溢れる雫をぐいと拭い、まっすぐゼフォンを見据えてタクトは答えた。
「『親友』と名付けたいです」
ゼフォンはにやりと笑い、右腕を振り上げて大声を上げた。
「ここに集いし楽士たちよ! 我らと共に演奏した友のために、今一度奏でようではないか! 最後の『神が愛した旋律、親友』を!」
全員が楽器を構えた。
「ねえ、おかあさん」
「なに?」
「なにか、聞こえない?」
「え、音楽? そういえば」
「うん。なんだか、あったかい音楽が聞こえる……」
「なんだ、この曲は……」
「まさか、歴史に聞く『神の旋律』か?」
「んな馬鹿な。今はコーディスルが攻めてきてるんだろ?」
「でもよ、ふわっと力が湧いてこないか?」
「まあ、言われてみれば、良い曲だよな……」
「このフルート、もしかして」
「……うふっ。どこにいてもこの癖は抜けないみたいね」
「ね、ね! ネンディだよ! すごい!」
その日世界中で生き残った人々は、暗雲が晴れゆく際にとても美しい旋律を耳にしたという。
そしてそれが戦争が終わったことを意味するのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
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