17-3 純粋な不純物
僅かな空間を隔てて聞こえるトーベンらの演奏に、タクトたちは自分たちの心臓の鼓動がどんどん強くなっていくのを感じていた。
引っ張られる主旋律。
乱されるテンポ。
不協和音による音律のゆらぎ。
そして、消えていく音。
だが、演奏は続いている。
「……父さん?」
不意にカノンが言葉をこぼした。
「おかしいな、ちゃんと聞いたことは無いはずなのに」
「どうした、カノン?」
「外の演奏に、なんだか懐かしい感じがしたの」
震えるテンポを叩き直すのは、バーカッションの仕事だ。しかし、当の本人たちも二度目の邂逅があるとは思っていなかった。
「懐かしいな。十五年前を思い出す」
ケイスは最近握り直したスティックを回しながら呟いた。
彼らはしっかりとした『神が愛した旋律』を知っているわけではなかった。十五年前も、当時は手元にあった僅かな資料を元にアレンジした楽曲を演奏していた。
『最後の最後、コルダーが抜けた穴をローガスが埋めたっけな』
トーベンもケイスの話に乗っかり、あの日の演奏を懐かしんだ。息継ぎの合間とはいえ、その瞬間も相手の音を捉えることに余念がない。
そして、そのローガスも既に、音へと散っていた。
『低音は貴重だ。あいつらが居るから俺たちは安心して足を踏み出せる。今もそうだ』
残った低音たちは、しかし最近天奏楽士になったばかりの新人。足元を震わせないように吹くので精一杯だ。かつての大本番でかました者とはレベルが違う。
『へっ、コルダーも笑ってら』
地上に残った天奏楽士は僅か三十名。小編成がギリギリ組めるレベルだ。それでも本番経験者のバランス調整や新人といえどよりすぐりの奏者たる天奏楽士。神とギリギリの攻防を繰り広げていた。
『くそ、補助演奏ループが使えなくなったぞ!』
『こっちの中低音を送る! ベースを広めに!』
繰り広げられる演奏に、当のコーディルスも苦戦を強いられていた。一度聞いた曲でありながらも奏者やアレンジが変わると、いくら神の耳を持ってしても防ぎ切ることは困難だ。
「しぶとい連ちゅ…… ぐっ!」
『チャンスだ、タギング!』
謎の突っかかりをとトーベンは聞き逃さない。名前を呼ばれたタギング自身もそのチャンスを逃さぬように、かつて親友と奏でた音律を紡ぎ出す。
その響きは見事、正確にコーディルスの体を貫く。もちろん相手は多くの音の破片を撒き散らすも即座に再生していくのだが、散った破片からはタギングたちに大きな驚きをもたらした。
『そう…… 待っていました』
白いもやの中から不意に声が響いた。
「くそっ、今更!」
コーディルスは苦々しく言い捨てる。
「貴様が音律を知ってからというもの、邪魔ばかりかけてくる!」
『まさか……』
トーベンは君主の予想外の言葉を聞き逃さなかった。
「そういえば聞かせたな。コルダーの思い出話を添えて、俺たちの冒険譚を」
タギングは響いた声の主に、かすかに残る記憶を辿って呟いた。
「なら、あの曲をぶつける!」
ケイスは自身の楽機を用いてあるフレーズを演奏し始めた。それは、かつて自分たちが十五年前に演奏した楽曲の、最終音律へ向かう最後のメロディ。
『神が愛した旋律:故郷』だ。
「よし、こんなものであろう」
ゼフォンは全体のバランスを整えて腕を下ろした。
「少々唇を休めておけ。いつでも登壇できるように」
はい! と全体から声が上がる。
このタイミングで楽器を整備しなおす者、唾を抜く者、楽機を整える者、その行動は様々だが、タクトは必死に外の状況に耳をそばだてていた。
「気になるか?」
「……はい」
ノイゼルはニヤリと笑いかける。
「安心しろ。あいつらは口や態度は気に入らないやつが多いが、その腕は確かな奴ばかりだ。お前みたいな青二才が十人いたって敵わねぇ」
しかし、一切の笑みを消した顔で再びノイゼルは話しかけてきた。
「だからって、お前の代わりにはなれない。お前の音はお前にしか吹けない」
どくん、とタクトの心臓が跳ねる。
「今は休め。その楽譜を納めたいんなら、万全の状態で舞台に臨むべきだ」
「……はい!」
しかしその休憩は、僅かな時間しか取れなかった。突如、外の音律の一切が消えてしまったからだ。
「た、大変ッス! みんな、出れる準備をしておくッス!」
舞台袖に様子を見に行っていたビオナが大急ぎて戻ってきてメンバーに状況を伝えた。
「何があったのビオナ!」
マーサの叫びに、ビオナは自身の言葉で外の状況を語り始めた。
「貴様など…… うおおおおあああああーーーーーーっ!!」
コーディルスは自身の喉を掴み、引きちぎって虚空へ投げ捨てた。
しかしその欠片は途切れることなく音怪の君主に繋がったまま、また別の音へと旋律が変化していく。
『あの息、あの旋律…… それを乱すことが何を意味するか』
コーディルスの喉から溢れる光の音律はその瞬間切り離され、人の形を取り始めた。
音怪の君主自身もまた即座に再生を始めるが、その声は完全に別の響きになってしまっていた。
「下らんっ! 我らの求める音律に満たぬ演奏なんぞに、存在価値などあるはずもない!」
『独りよがりの演奏にこそ、存在価値はない!』
光の旋律はますますその音圧を増し、ひときわ強く輝きだした。
「ぴゃああるるるるるううううぅぅぅ!!」
舞台を旋回していたニックも、それに応じて光の旋律へと舞い降りていく。
『ニック…… 私の欠片を、ありがとうございます』
ニックは体に纏っていた炎を一気に燃え上がらせ、光の旋律を覆い隠すように羽ばたいた。激しく燃え上がる様はまさに炎孔雀の演舞となり、光の旋律に形をもたらしていく。
体が、足が、腕が形作られ、タギングもよく知る人物がそこに生み出された。
いや、蘇った、と言っても過言ではないだろう。
「……へっ。真打登場、ってか」
激しく燃える炎が消えるとともに、その燃え殻からニックは一本のクラリネットを生み出した。
「我が名は友より与えられし旋律、レイヤー・セルベイス! 今この時、貴様を討つ音の槍となろう!」
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